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ホームラン王・王貞治(2)

■王シフト
 
昭和39年5月3日阪神戦…王選手は、記録に残る4打席連続本塁打を打った。
その5年前の5月3日の天覧試合も阪神戦…何か因縁めいたものを感じる。
 
2日後の5月5日の広島戦…初回、王選手が打席に立つと、広島の守備陣は
そろって右翼に移動…三塁側はがら空き…極端な王シフトの始まりです。
 
向かうところ敵なしの王選手に対抗するために、広島の白石監督が考案した
「王シフト」です…これ以降、他球団も真似をして、フアンの注目を集めた。
 
王選手は意に介せず真っ向勝負…7月に一度だけ、がら空きの三塁線に
セフティーバントを試みた…誰も守っていないため、二塁打になった。
試合後「すっきりしない…気持いいものではない」と、記者の質問に答えている。
                                  読売新聞「時代の証言者」
がら空きのヒット…イチローだったら、どう言うだろうか?
 
 
815  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「ホームラン王・王貞治(2)」
 
王貞治が人生を振り返るとき、 何か不思議な力で自分が導かれていることに気付のです。
以下は一本足打法を体得した後の、王選手の逸話です。
 
4年目の昭和37年2月、マンツーマンの荒川道場がスタートした… 「やる気がなら、 3年間は俺の言うことを黙って聞け」 「夜遊びはやめろ、 酒もタバコもやめろ」
チーム練習終了後に素振りをし、夕食後と夜のミーティングの後にも振った… 一日回は振ったでしょう…パンツ一枚の裸でバットを振らされ、 とことん絞られた。
 
13.[一本足打法の成功がなかったら、世界の王はなかった]
弱点の内角攻めを克服しようと、「一本足打法」に取り組んだ。
忘れもしない7月1日の大洋戦、荒川から「今日は足を上げて打て!」と言われ、 初めて一本足で球を打った。
 
前日の大洋戦は、3打席2三振に抑えられていた。
結果は、本塁打を含む5打数3安打の猛打賞… あの日もし打てずに終わってら、一本足打法は夢のまま、 終わっていただろう。
 
マスコミの「一本足打法」への評価は、「あの構えでは、 タイミングを外されると手も足も出なくなる…田んぼのカカシだ。強い風が吹けば倒れる」などと…極評。
 
練習は更に厳しくなり、7月1ケ月に10本打った…それまでの3ケ月間は9本だった。 結果が出始めると、自ら進んで猛練習。その年、本塁打38本、 打点85の活躍2冠に輝く。
 
2年後の昭和39年には、前年に南海の野村選手が作った日本記録、 52本の本を抜いて、55本塁田達成…この記録は今も破られていない。
打点も119…ところが又も、 中日の江藤真一に首位打者を3厘差で阻まれ、三冠を逃したが、 初のMVPに選ばれた。
 
昭和40年…4月には35打席無安打、8月には85打席無安打と、大スランプ陥る。 「一本足打法」という不安きわまりない打ち方…他人にはとても勧められない。
体全体の力を一点に集中し、ぶつけていく。打球は遠くへ飛び、 本塁打が出やすなる。 その反面タイミングがずれやすく、フォームが崩れ、三振が増える。
 
この年、2年連続で本塁打王、打点王の二冠を獲得したが、 首位打者は又々中日の江藤に持っていかれた。
                       読売新聞「時代の証言者」

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