■中国の儒教、日本と韓国の受け入れ方の違い
李朝が、中国から持ち込まれた”儒教の呪い”を、国の思想の中心に
据えなかったら、十九世紀を迎えるまでの五百年の間に、日本に劣らぬ
力を蓄え.ることができたであろう。
21世紀に入って、韓国経済の発展は目ざましいものがあり、スポーツ・
文化においても、韓国の活躍は日本をしのぐ勢いである。
今の韓国は、持てる才能が抑圧されることなく、自由に能力を発揮できる
環境にある。韓国は、豊かな国を築くことに自信を持ち始めたのです。
朝鮮戦争で朝鮮半島が南北に分断される以前の北朝鮮は、工業施設が
整い、天然資源に恵まれていた。一方の南には農業しかなかった。
それが今日では、南北一人当たりの所得格差は50倍にもなる…
北朝鮮が、李氏朝鮮時代そのままを再現しているからである。
日本にも、朝鮮を経て儒教が伝来し、広まったが、儒教を更に浄化して
「忠」を最も大切な価値とする、
日本独特の儒教に作り替えてしまった。
儒教の中心に「忠」を据える考えは、中国や韓国には存在しない…。
日本人の心の象徴「忠臣蔵」…主君への「忠義心」から、主君の遺恨を
晴らす物語だが、「忠」が日本人の心を揺さぶるのです。
崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
793 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~
「西欧文明に対する、朝鮮と日本の違い」
1603年江戸幕府が開かれた年、イエスズ会のマテオ・リッチが、
西洋人の宣教師では初めて北京に入った。
リッチが北京に滞在し、布教活動を行なう合い間に、西洋の暦学、天文学をはじめ、科学や西洋の知識を中国にもたらした。
リッチは、世界地図を初めて中国に持ち込んだ。それまで中国の地図は、
中国を中心に置き、
周りを蛮族が囲む中華思想… せいぜいインドまでしか記されていなかった。
そうした西洋の知識・書物が李氏朝鮮にも、もたらされた。
儒教を奉じる李氏朝鮮では、中国が世界の中心で、
中国の皇帝が全宇宙唯一の当事者であるという「華夷思想」に凝り固まっていて、
西洋の新しい知識の流入を拒み、
西洋文化を異端として排斥し、
受け入れようとしなかった。
こうした考えは、20世紀初頭の李朝末期、清国が滅び、
朝鮮が日本に併合されるまで、変わることがなかった。
一方の日本…安土桃山・信長の時代になって、
ザビエルをはじめとする宣教師が到来すると、幼児のように旺盛な好奇心でもって、西洋の知識や技術を吸収しようとした。
1543年、南蛮船が種子島に漂着…鉄砲が伝来すると、短期間にその技術を吸収…
四、五十年後には世界で最大の鉄砲保有国になった。
西洋諸国が、鉄砲を戦いの中心に据えるようになったのは、
18世紀に入ってからである。その二百年も前に信長が、
桶狭間で大量の鉄砲を主戦力にして戦ったことは、世界の歴史からして驚嘆すべき史実なのです。
「夜郎自大」は、中国の”野郎”という小国が、漢の強大さを知らず、
漢の使者に尊大に振舞ったことをあざける言葉です。
十九世紀に入って、中国や朝鮮、そして日本が西洋列強の脅威にさらされた時、
「夜郎自大」になって近代化を拒み、国を滅ぼしたのは中国と朝鮮である。
当初、日本も西洋を恐れ、攘夷の嵐が吹き荒れたが、
西洋の侵略から国を守るには、
逆に積極的に西洋の知識・
技術を取り入れ吸収して、西洋に負けない国を築くことであると、開国へと舵を切り替えていった。
崔 基鎬著
「韓国堕落の2000年史」
NHKで放映中の「竜馬伝」や「坂の上の雲」を見れば、そうした歴史の推移が分かるのです。