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2010年07月 アーカイブ

2010年07月01日

かなざわなまり(6)

大阪出張の折、大阪国立国際美術館の” ルノワール”展を観た。
「幸福の画家」として親しまれる、19世紀の印象派の巨匠です。
 
ボストン美術館、シカゴ美術館など、国外の美術館、そして、 ポー
美術館や国内の美術館が所蔵する”ルノアール”の作品が77点
集められ、毎日行列の出来る人気…来場者は30万人を突破した
という。
「女性と裸婦」を描く芸術家として親しまれてきたルノワール。
装飾芸術に関心を持ち、各地を旅して風景画を多数制作…。
そうしたルノワールの作品を、こころゆくまで堪能した。
 
▲クリックすると拡大写真をご覧いただけます。
 
777 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~ことば遊び~ 「かなざわなまり(6)」
「頑張るまっし」「りくつな~」「気の毒な~」
「しなしなと」
 
金沢なまりは、文末の言葉、イントネーションに特徴がある。
「頑張るまっし」まっし」は、 「しなさいよ」という意味の、金沢独特の言い回しです。
「早よ、しまっし」「片付けまっし」など、日常よく使われる金沢ことば。
「♪いらっし、見まっし、寄るまっし、ねェ、ほんまにいらァッし、寄るまっし…」
題名は忘れたが、金沢の方言・なまりを歌詞した一節である。
 
金沢の方言で好きな言葉に、「りくつな~」「気の毒な~」がある。
「りくつな人や」とよくう。 りくつな~」は、「巧みな」 「面白い」「気のきいた」などの意味で、 物事ばかりなく「あの子は親孝行で、 りくつな子や」と、人に対して使こともあり、”プラス” の評価与える言葉である。
 
しかし、県外から来た人には、違和感がぬぐえない。 理屈といえ「理屈っぽい」 「理屈をこねる」のように、”マイナス” のイメージに受け取めてしまうのです。
 
気の毒な~」は、金沢だけの方言ではない。
しかし、金沢ではよく耳する言葉です。
金沢では「ありがとう」より更に強く、感謝を込めた言葉として、広く親しまれているのです
 
この言葉を県外から来た人が聞くと、「なんで自分が、 目の前の人に”気の毒な人” と同情されるのか?分らなかった」という。
日本語における「気の毒」の本来の意味は、 他人の不幸や苦痛に同情して心をめる、 「かわいに」という意味が一般的です。
そこで、江戸小話から…
『年ごろ四十五、六の米屋の男が遊びにやってきた。 その家の母と娘と三人でコタツにあたって、話しがはずんだ。男はついむらむらして、娘の手だと思って母の手を握ったところ、母はびっくり、大声を出して「あきれた、この人、 何しなさる!」…それを聞いて男もびっくり。 娘は二人の顔もよう見ずに、 気の毒がって”コタツから出て行った…』
 
語尾の「に」と「な」の違いで、まったく違った意味になってしまう。 金沢ことばの 気の毒な~」 は、自分が相手にかけた面倒に、”感謝の意” を表した言葉が一般的です。
しかし、同情するときにも使われる。
「あんたのお里、能登の輪島やと聞いとったが、こないだの地震どうやったがいね」『地震で、家が傾むいてしもぅたがや』  「アリャ~ほんながかいね、気の毒に
 
金沢ことばに「しなしなと… 」がある。年配の女性が、お客を店から送り出すときに、 「しなし行っておいだすばせ」という。
慌てずに気をつけてお帰りください… そんな気持ちが込められている
「しなしなした女(ひと)」と言うと、なよなよした女と、 マイナスの意味にとるの普通です。
しかし金沢では、「しなしなとした女らしい娘さんやねェ」となる。 もっぱらプラスのに使われてきた。 この言葉を若い人が言うときは、「しな~ッと」になる。
 
                              「頑張りまっし、金沢ことば」より

2010年07月05日

コンプレックス

なぜ続く、 韓流スターの自殺
 
6月30日、韓流スター”パク・ヨンハ”が、ソウルの自宅で首吊り
自殺との、ビッグニュースが飛び込んできた。
「冬のソナタ」で、ペ・ヨンジュンの恋人”チェ・ジウ”の幼なじみ役を
演じたイケメン俳優。歌手としても活躍…現在、日本縦断コンサート
の最中で、4万5千枚のチケットを完売していた。
 
2008年10月には、女優のチェ・ジンシが、二人の子どもを残して
自宅で首吊り自殺…「世の中にうんざり、なぜ苦しめるのか…」
…悪質な書き込みの犠牲者になったことで、話題になった。
 
2009年1月には、キム・ソクキュンが自殺。そして今年5月には、
チェ・ジンシの弟、チェ・ジニョンが自殺した。
この3年間に、12人の韓国芸能人が自殺している。
「人からどう見られているか?」…体面にこだわる、韓国人気質の
表れだろうか…
 
 
778 【心と体の健康】  
~幸せな人生~ 「コンプレックス」
 
コンプレックスを持たない人はいないと思う。 人がうらやむ美貌と高い知能を兼ね備え、 人から敬愛される女性あっても、 人知れぬ悩みを持っていたりする。
 
問題は、そのコンプレックスの中身です。弱い人間ほど慰め合おうとする… 環境、地位、 収入、いろんな悩みを口にして、慰め合っている… 要は、 低いレベルでの傷の合いをしているのです
 
一方には、自分より高いレベルの人や物に対して、 コンプックを抱く人がい…私たちは、 この二つの何れかなのです。
自分と同じレベルの人や物に対してしか、コンプレックスを感じない人は、 悔しいど沸かないだろうし、努力もしないだろう…ただボヤくだけである。
 
コンプレックスや劣等感の強い人ほど、そのレベルの高さに引っ張られ、 強くなたいと願い、強くなってく… 劣等感をバネに成長していくのです。
更に、劣等感と屈辱感が一緒になると、より強力なバワになり、 更に高いレベルにチャレンジようとする。
 
少し前の話になるが、プロゴルファーの坂田信弘が、12度の賞金王、 そして通113勝の記録を持つプロゴルフ界のドン、尾崎将司のことを、 以下のよう語っていた
 
「尾崎将司の心の内には、プロ野球から落ちてきたことが、劣等感・ 屈辱感て、 張り付いている…それが今日の尾崎将司を生んだ。 彼は本来プロゴルフになるために生まれてきたような男だ… ほんのちょっとの間、 プロ野球の世界に紛れ込んいただけ…」
 
「ゴルファーは、スコアが悪いと、あのコースは良くない、 グリーンの手入れがなっない。挙句は道具を変え、 使うボールまで変える…そんなことをする暇があったら、 もっと練習することです」                      「坂田信弘のゴルフ理論」より
 
[ 野球時代の尾崎将司 ]
1964年徳島県立海南高校の投手として、春の選抜に出場。
決勝戦まで勝ち進み、初出場・初優勝に輝く。
1965年、後の名投手池永投手と共に西鉄ライオンズに入団。
 
入団後の池永投手を見て、「こんな投手がいたんじゃ無理だ」と打者に転向。
二軍で4番をまかされるも、一軍では目立った活躍がなく、二年後に退団。
1970年プロテストに合格。プロゴルファーとして、栄光の道を歩み始める。

2010年07月09日

参議院選まじか

■国民一人当たり借金は780万円
 
現在、日本の累積赤字は膨れに膨れ、国と地方を合わせた借金の合計
は860兆円…GDPの197%、20年分の国の税収に相当する額に達し
ている。
世界一の借金大国、日本…あまりにも巨額で、実感が沸かない…
国民一人当たりの借金は780万円…四人家族だと3,120万円になる。
この借金、一体誰が責任を持ち、返していくのか…国の借金は自らの
金と真剣に受け止める国民は少ない…みんな人ごとのように思っている。
 
山一證券が破綻した時、その企業で働く社員の多くは、「うちのような
大きな会社が倒産するはずがない…」とタカをくくっていたという。
私たちは、「日本が破産するなど…あり得ない」と思っていないだろうか?
 
■「消費税をどう考える」  
  中部9県/政党候補アンケート(7/5中日新聞)
 
 … 財政健全化のためやむをえない
 … 政府歳出を削減し健全化すべきで、増税は必要ない
 
         A     B    態度不明
民 主     3     5      5
自 民     6     1      2 
みんな            4
共 産           7      1
社 民           1 
無所属           2  
 
 
779  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「参議院選まじか」
 
ギリシャの財政破綻に端を発して、ユーロの信用が低下。
ギリシャの国債を大量に抱え込むEU諸国は、 何とか連鎖を食い止めようと、
ドイツなど体力のある国が、ギリシャ支援に乗り出した。
 
その決定にドイツ国民は大いに不満…国民は勤勉に働き、営々と税金を払い、
東西統合による大きな負担にも耐えてきた。
それに対しギリシャ政府は、公共事業や社会保障で、 国民への人気政策を推進して、歳出は拡大の一途。勤労者の4分の1は公務員、50代から年金が貰える、漫な財政支出を続けてた。
 
私がドイツ人なら、「何で自分たちが、ギリシャ人を助けなければならないのか? 先ず公務員を削減し、給与カット、増税や年金制度の見直しが先だろう」 と言いたくなる。                                 北国新聞・北風抄/昭和女子大学学長・坂東眞理子         
 
日本の将来を考える時、私たちは今、大きな選択を迫られている。
11日の参議院選挙を目前にして、各党は、国民に耳障りのよいマニトを並べ、財政の健全化や、消費税アップなど、 国民に嫌われる政策には目を向けようとしない…国の将来より、 まず目先の選挙に勝つことが先する。
 
前回の衆議院選挙で勝利した民主党…財源の裏づけがないまま、 国民に約束したマニフェストを実行… それが、多額の国債発行に繋がった。国の赤字を削減緊縮政は先送りされたまま。
 
以下は、7/4北国新聞・曽野綾子「不要なもの与える政策は害毒」から…
選挙を目前にして、国民の福祉の充実を求める声は高まる一方だ。しかし、人々の心理の中に、正当な対価を払わないで、あれこれ国に求めようとする気風が出てきた。
 
タダで何かをしてもらえることは、幼稚な子どものごとく、もっと悪く言えば「乞食根性」 を国民に植え付けるだけ。
人が何かを手に入れるには、必ず分に応じて正当な対価を払うべきである。
 
財源のない子ども手当、理由のない高校授業料無料化は、国民を甘やかすだけ。 高速道路を使う人は、その便利を享受するのだから、当然保全費用は負担すべきで、 それが嫌なら一般道路を走ればいい。
 
子ども手当は、財源をきちんと決めてから、母(夫)子家庭のように、必要な家庭、困っている家庭にのみ、 与えるべきだろう。
高校も、すべての青年が高校に進学したいわけではないだろう。 職人になって働こうとする青年にも目を向けるべきだ。
いずれの政策も、選挙目当てのバラマキにしか見えず、要らないものを与える政策は、 害毒を流すだけだろう。
 
農業政策では、農村票欲しさから、各党は相変わらずばらまき型の保護策を公約に掲げている。 人気取り政策ばかりでは、衰退に歯止めをかけることはできない。 各党は、農業の将来を見据えた論議を戦わせるべきである。                                                       (7/9読売新聞・社説)
 
どの政党に投票すればいいのだろう? 甘い公約を並べ、 国民の痛みを伴う重要法案は先送りにして、 選挙目当ての目先の損得しか考えない無責任な候補に、一票を投ずるわにはいかない…

2010年07月12日

コンプレックス(2)

失敗から学ぶ」            芳村思風

『 人は、日々様々なミスを経験し、繰り返している。
  同じミスを繰り返さないために、どうすべきかを考えることは、
  大変大切なことです。
  人間は「学ぶ動物」です。
 「後悔先に立たず」と言いますが、
  犯したミスを将来に活かすことができるのは、人間だけです。
 
  現在や未来のために学ぶことは大切ですが、過去を振り返り、
 「どうすべきだったか」と、立ち止まって考えることも大事で、
  自らの未来につながるのです。
 
  同じミスを繰り返して後悔することがないよう、
  ミスを教訓にして活かすことです 』
                              
 
 
780 【心と体の健康】  
~幸せな人生~ 「コンプレックス(2)」
 
誰もが人には言えない、人には触れられたくないコンプレックスに悩まされている
私も、いくつかコンプレックスを抱えている ところが、そうしたコンブレックスも、歳を重ねるにつれて、不思議と気にならなくなってくる。
悩みが消えわけはない… 悩まなくなったのです。
 
私の一番のコンプレックスは、手足が人並み外れて大きいこと。
どれだけ大きいかとうと、身長172センチの私のスキー靴は、30センチ。ゴルフの手袋は27… いずれも市販品にはなく、アメリカへ観光に出かけた折、 買ってくる
 
初対面の女性が私の大きな手を見て、「ちょっとォ!ちょっと見てェ!」 と奇あげる…自分の手を差し出し、私の手のひらと重ね合わせて…「ウソ~」
足は、大きいじゃなく”甲高のべた足”… 土踏まずがない。だから学生頃からかけこが苦手だった。
 
ボーリング大会では、私の手と指に合うボールがない…
やっと見つ16ポンド玉の穴に指をチョコンと引っ掛け 浮かせて投げる(真空になって、 抜けくなるから…)
 
繁華街育ちの私…幼い頃、町内に同年代の子どもは女の子一人だけ下町では子どもたちが大勢遊んでいたが、仲間には入れてもらえなかった。
家で一人遊ぶ私…大人になってもボールが投げられない…バットを振っても当らない… 私がバッターボックスにと、内・ 外野が前に出てくる…野球嫌いを越えて、 野球恐怖になった
運動が嫌いというわけではない…スキューバーダイビングやゴフなどのアウアーポーツを、大いに楽しんでいる
 
コンプレックス三つ目は、字が下手なこと。
年賀状を書けば、ミミズが笑う…
筆ペンを持ち歩いて、字の形を覚えるようにしたら、ちょっ見らた。
次いで「絵手紙」を趣味にした…汚い字も”個性”と開き直り、 楽しく手紙を書けるようになっ
 
長期療養で、世の中から隔離されていた二十代… 実社会から置き去りにされたコンプックスから相手の顔をまともに見られない、恐怖症(赤面症)された
当然、人前でのスピーチは恐怖…結婚式に招かれると、 2週間も前から原稿を書いて暗唱… 披露宴当日は、自分の出番を待つ間、ドキドキ、ガチガチ。
 
対人恐怖症を克服しようと、最も過酷な住宅会社のセールスの世界へ 飛び込み営業の毎日…いつしかであがらなくなり、 営業トップの座を競い合うまでになった
どんなに苦手なことでも、 場数を踏むうちに、 人並みに力がついてくる…コンプレックス(劣等感) が消ていく
 
人には知られたくない恥ずかしいこと、コンプレックスも、 「それが自分」とあるがままをさらし、あるがままの自分を受け入れたなら、あれほど悩み、 隠し続けたコンプレックスから、解放されるのです

2010年07月15日

李朝最後の国王

■李朝・王宮宮女
 
王宮宮女は「尚宮(サングン)」と「内人(ネイン)」に分けられる。
「内人」は4~5歳で入営し、見習い女官からスタートします。
 
「至密(王と王妃が起居する部屋)」「針房(裁縫)」「繍房(刺繍)」
「洗手間(洗面)」「生果房(菓子)」「焼厨房(炊事)」「洗踏房(洗
濯)」などに配属され、尚営から教育を受けます。
 
待遇序列は、王族に秘書のように付き従う「至密」が最も高く、
次いで「針房(裁縫)」「繍房(刺繍)」「焼厨房(炊事)」の順…。
 
7~8歳になると宮女に必要な教育を受けさせ、入営15年目に
「冠礼」成人の儀式を行います。
更に15年勤めると「尚宮」に任じられます…35~40歳に尚宮
になる。長く宮中に仕えるため、尚宮の権威は相当なもので、
自前の家を構え、使用人を置く身分になっている。
 
最高位の宮女には、宮殿の貴金属・財宝を管理する権限が与
えられる。六段階に分けられた序列に従い、宮中には600人
の宮女が働いていた…江戸の大奥のように、何人も立ち入る
ことができない”女人天国”を形成していたのです。
 
 
781  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 「李朝最後の国王」                            
 
第26代”高祖”…実質上「李朝」最後の国王で、「大韓帝国」 最初の皇帝になる
 
25代”哲宗王”に後継がなかったことから、王族の”興宣大院君”が謀を巡らして、 自分の次男を世子(世継)にすることに成功した。
1863年”哲宗王”が死ぬと”高祖” 名乗り、11歳で即位。
実父・興宣大院君が摂政となり、 すべての権限を把握た。
 
それまで大院君は、貧民窟に住み、 乞食同然の放浪生活をしていたのです。
昨日まで浪者だった者が、大権を掌握したのです。
大院君は権力を掌中に収めるや、それまで李を牛耳っていた一族を追放してしまった。
 
乞食暮らしをしていた時、米を恵んでくれた米屋の李千一(イチョンイル) を、米と布と金銭の出納を司る役所、 「宣恵庁」 の金庫番に登用した。
李千一は、膨大な利益を懐に入れることができる、人もうらやむ身分になったのです。
 
同じ頃、日本や中国は開国していた。
しかし、大院君は「鎖国攘夷政策」を強行し、キリスト弾圧に熱中… フランス人宣教師を含む数万人の信者を殺害したため、 西洋列強関係が悪化した。
 
開国を迫った、フランスとアメリカの艦隊を撃退。その自信からか、 1875年仁川おいて日本軍艦を砲撃して、日本に激しい敵意を燃やした。
その一方、ソウルに壮麗な宮殿”景福宮”を造営。 その財源を捻出するために増税し、 悪貨を鋳造したために、民衆の生活は圧迫…経済は疲弊した。
 
王宮内では、高祖の寵愛を受けた妾が男児を生んだことから、世子を巡る政発展。王妃と妾の間で一族争いが起こったが、 国王を味方にした王妃側が利した。
妾側に付いた王妃の義父大院君を、摂政の座から引きずり降ろし、追放してしまった。
 
この後高祖は酒色にふけり、政務を省みようとしなかった。
代わって王妃の専制が始また。
その王妃は、困窮家庭に育ち、8歳の時父母と死別している。
賢い娘だったので、大院は、 高祖王の正妻に迎えた…
玉の輿に乗ったのです。
 
院君は、を仇返した王妃を憤り、嘆いた。 李王朝500年の歴史は、最後の最後まで人民に善政を施すことを忘れ、 権力抗争け暮れたのです。
                           崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
 

2010年07月19日

ダイエットを成功させるために…

■登別温泉「足湯」の穴場
 
6月、妻と北海道へ旅行した…二日目は登別温泉に宿泊した。
湧き出る湯量は一日1万トン…日和山の噴火で出来た、大正地獄
からあふれ出るお湯が、山あいの谷川を湯気をあげて流れ下る。
 
その小川に沿って遊歩道が設けられ、”足湯”を楽しむことができる。
早朝妻と二人、浴衣姿で遊歩道をぶらり散策。
丸太に腰掛け、小川に足を浸す。森林に射し込む朝日を背に受け、
足元から上ってくるぬくもりが、身体をここちよく癒してくれる。
 
若葉が芽吹いたばかりの、山間いのオゾンを胸いっぱい吸い込ん
で、森林浴に体をなごませる。足湯で足元を癒す。
早朝の遊歩道に人影はない。こんな素晴らしいスポットを、多くの
宿泊客は知らずに?次の目的地へ旅立っていく…絶対穴場ですよ!
 
 
782 【心と体の健康情報】
~食と健康~ 
「ダイエットを成功させるために…」
 
■生活習慣の改善
体脂肪が付いてお腹がせり出し、 パンツのホックがきつくなって 体重がことを気に病む今日この頃内臓脂肪の特徴は「付きやすく、落ちやすい」
 
そこでお勧めしたいのが「有酸素運動」… せっせと歩くこと! 
近くは車に乗らず、 自転車又は歩きで… エレベーターには乗らず、 階段を登る…最低週に3回30分、汗ばむくらい早足で歩く
 
ウオーキングは場所を選ばない…準備はシューズを履くだけ… 運動神経の有無に関係なく、 お金もいらない…一日1万歩を目安に歩き続ける…二ヶ月も続ければ、体重の減少はわずも、血糖・血圧・ 脂質など、体質の改善が期待できるのです
 
ダイエットと並行して、食習慣の改善は欠かせない。
(1)腹八部にとどめる。その分(2)よく噛んで、ゆっくり食べる。
(3)間食は一切やめ、 夜8時以降は小腹が空いても、
   何も口に入れない
  「空腹の喜び」を知るようになったら本物。
  身近なところに、お菓子類を置かないことです。
 
ダイエットは、「3ヶ月で5キロ痩せるぞ!」などと、 大きく構えないことです。
1年くらいかけてゆっくり… 悪しき食習慣があれば、これを改め、 肥満の原因ってしまうことです。
努力の末に減量目標を達成し、ダイエットに成功したとしても、 食習慣がダイエット前と同じなら、1年もせずに元に戻ってしまいます。
                      
■睡眠不足の影響
健康な体を維持するためには、”快眠”は大切な要素です。
しかし、 夜更かしの習慣や、 不況など業績不安から、精神的ストレスを抱え、眠を訴える人が年々増加しているという。
不眠による心身への悪影響は、周知の通りです。加えて、 生活習慣病の発生と肥満との関係も、明らかになってきました。
 
不眠症になると、通常起きている時に活発に働く「交感神経」が、 そのままの状で夜間寝ている間も働きます。その結果、インスリンの働きが低下し、 血糖値が高まり、食欲を抑えるホルモンの分泌が抑えられ、食欲を高めるホルモンが増えてくる…食べ過ぎの原因になるのです。
 
睡眠不足を解消するには、早寝早起き、規則正しい生活など、 生活習慣の基本な部分を見直すと同時に、悩みの元を絶ってしまわなければなりません。
そのためには、日中、明るく元気に過ごすことです…これが夜間の安眠を助けます。 ストレに悩まされる私たち…何事もプラス思考で、明るく朗らかに振舞よう、心がけたものす。

2010年07月21日

李朝最後の国王(2)

■日清戦争と韓国併合
 
李氏朝鮮は、1875年の江華島事件により、翌1876年
(明治9年)日本と「日朝修好条規」を結び、アメリカやフランス
などの欧米諸国との間で、不平等条約が結ばれた。
 
朝鮮国内では、近代化すべきという「開化党」と、清国との
宗属関係維持を唱える「事大党」とが対立。
そうした中で1882年(明治15年)壬午事変が起こり、
日本と清国の両国は、事変を鎮圧することを理由に朝鮮に出兵…
日本軍と清国軍は韓国内で対峙した。
 
1894年(明治27年)遂に日清戦争勃発。
1895年、日本が清国に勝利して、下関条約を締結…
この条約で、朝鮮は清国との宗属関係を離れ、自主独立国
であることを清国に認めさせた…
 
以後、朝鮮国から清国への貢・献上・典礼が廃止された。
朝鮮半島の覇権は、清国から日本に移ったのです。
1905年(明治38年)日本はソウルに統監府を設置して、
日本にした。
1910年(明治38年)には、日韓併合条約を締結して、朝鮮を
日本に併合…約500年続いた李朝(大韓帝国)は滅亡した。
 
 
783  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 「李朝最後の国王(2)」
 
1873年、世子を巡る政争で、妾側に付いた王妃の義父大院君を、摂政の座から引きずり降ろし、追放した。大院君は失脚…王妃一族が実権を握った。
新政権は、開花政策に転換して、外国に門戸を開き、 日本や欧米列強と修好条約結んだ。 宮廷内は「開化党」と、清国に忠誠を誓う「事大党」 との間のあつきが深刻化する
 
1874年、王妃は男児を出産…後に27代”純宗王”となる。
1880年、清国の外交官が高祖に献上した著書が、 朝廷内に賛否両論を巻起こすことになった。内容は、清国と親しく交わり、日本と提携し、 アメリカと連合して、ロシア南下政策を防ごうというもの…この建議は正論だったが、 保守的な儒学者の強い反対に合い、潰されてしまった。
 
1881年、近代化先進国日本に、若い官僚で構成された60人の「紳士遊覧団」 を派遣、視察した。帰国後”軍制”を改革…日本式の軍事訓練を実施した。
 
王妃は、我が子を”世子”に冊封するために、金剛山に、 国庫の6倍を超える膨大品を寄進。この法外な浪費で、宮廷の財政は破綻。 その一方で、政府の重臣たちは競って王妃に賄賂を贈り、 その穴埋めに民衆から厳しく税を取り立て、 搾取した。
 
さらに王妃は、世子の健康と王室の安寧を祈って、毎日「巫堂ノリ」 を巫女たちに祈らせ、踊らせた。 重臣たちも王妃に媚び、巫女たちと共に踊った…狂気の宮廷…踊り歌う毎日…金銭の浪費は続いた。
 
王妃の執権10年目には、官吏の給与の未払いは6年に及び、 王宮を守る約6千の近衛兵の給与は1年以上滞ったまま。官僚は農民を搾れば、生活に困らないが、 給料に頼る軍人の生活は、窮した。
財政破綻で苦しくなった政府…歳出を削減するため、兵制を改正して、 5師団2師団に縮小… 結果、多数の軍人が職を失い、飢餓へ追いやられた。
 
1882年6月、給与の遅滞を怒った軍人たちが蜂起…重臣の家に押し入って、 家や財物を奪う暴動に発展した (壬午軍乱)。日本の二・二六事件のように、たちにまだ力があったため、 蜂起した兵士たちの生命は風前の灯火になった。
 
王妃に権力の座を追われ、復讐する機会をうかがっていた大院君(王妃の義父) は、蜂起した兵士たちを味方に引き入れ、再び権力の掌握に乗り出した。
反乱兵の意気は、 天を衝かんばかりに高まり、 王妃の重臣たちを次々殺害した…
 
写真がなかったことが王妃を助けた…王妃は服を脱ぎ、多くの宮女に紛れて、 士たちの追及を逃れ、 王宮を脱出して漢江へ逃れようとした…大院君は、王妃逃亡を防ごうと、女性を船に乗せることを禁じる通達を全国に発した。
王妃は、船頭に輪を握らせて、買収…間一髪、漢江を離れることに成功… 落ちていった。
                          崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
 

2010年07月26日

おいしさ

■グルタミン酸を発見して100年
 
日本人の食生活で親しんできた味には「甘味・酸味・苦味・塩味」が
ある。
今から百年前、昆布・トマト・チーズには、この四つの味に分類でき
ない、共通の味があることに気づいた研究者がいた。
東京帝国大学の”池田菊苗”教授です。
 
1908年、昆布ダシから抽出した「グルタミン酸」の結晶をなめて
みると昆布の味がした…うま味の正体を突き止めたのです。
 
特許を取得した池田教授は、翌年「味の素社」を創設して、
うま味調味料の製造・販売を開始した。
当時、日本の工業技術はすべて輸入に頼っていた。
その日本で、日本独自の工業製品を生み出したのです。
 
その後、1913年にカツオ節から「イノシン酸」を発見。
57年には、干しシイタケから「グアニル酸」を発見した。
いずれも日本人の発見です。
”味”には世界一うるさい日本の食文化が産んだ快挙である。
「日本の10大発明」の中に、「うま味調味料」が選ばれているのは
言うまでもない。                           
                 東京テクノ・フォーラム21「食」から
 
 
784 【心と体の健康情報】  
~食と健康~ 「おいしさ」
 
博多で…本場の豚骨ラーメンが食べたくなって、 タクシーの運転手に地元の店に案内してもらった 店に入るや、鼻をつく強烈な豚骨の臭い… 「臭い」臭みを消す紅しょを丼にまぶして食べた。
 
臭い食べ物を初めて口にするときは、 鼻をつまんで食べるといい。
鼻をつまむと、口のに広がる美味しさだけを、 味わうことができる「食わず嫌い」の人、 「この味…嫌い」という人は、その食の匂いが嫌いなのです。
 
おいしいと感じるのは、味覚より嗅覚の役割が大きい。
人間の鼻には、においセンサーが約400種類もある。
一方”味”の識別は、甘味が1種類、 苦味は25種類と少なく、感度は嗅覚の方が何万倍も高いのです。
 
香りは、食物から発せられるが、口に含み、噛み、混ざるときにも生まれます。
それらが脳に情報となって送られ、記憶される。 香りは人の記憶と密接につながっていて、 「この香り、以前○○で嗅いだことがある」 と、瞬時に思い出すのです。
 
干物の”くさや”を、「馬小屋のような臭いだ」と思う人は、 頭の中の過去の記憶に結びつけ、 「嫌な臭い」に感じてしまう。
逆に、子どもの頃食卓に出され、親がうまそうに食べていたのを覚えていると…
珍味だと、美味しく食べられるのです。
 
「食欲がわかない人」を診察した先生の話では、匂いがわからない「嗅覚障害」に気付いていない患者が少なくないという。
 
私は「賞味期限」には無頓着。妻が「期限切れだから食べないで…」と言っても、 においを嗅ぎ、なめてみて、味と安全性を確かめ、 問題がないと判断したらてしまう。現代社会では賞味期限に頼って、人間が本来持っている能力を退させしまっている。
 
おいしさは四つに分類されます。
お腹が空くと何でもおいしく感じられる「生理的おいしさ」、味噌や沢庵など「食文化のおいしさ」、「情報のおいしさ」。
そして、カルビーの”かっぱえびせん”のような、 「やみつきになるおいしさ」…
この四つです。
 
雑誌の特集や民放TV番組では、毎日のように「おいしいもの情報」が流される。
TVで「バナナダイエットがいい」という情報が放映されると、 食品スーパーからバナナがてしまう…時折、 繰り返される珍現象です。
 
ラーメンや牛丼は、「油脂・砂糖・ダシ」 の三つのうま味が凝縮された食品です。
”止められない”やみつきのおいしさになり、 その誘惑に逆らえずに食べ続け メタボになっていく。
 
「毎日ハンバーガーを食べないと、ストレスで仕事が手につかない」という人や、
「朝は菓子パン、昼はポテトチップ、夜はカップラーメン」という偏食の人も珍しくない。現代人の食生活の乱れは、目を覆うばかりです。

2010年07月28日

李朝最後の国王(3)

■韓国大河ドラマQ&A
 
Q.「酒を飲むとき横を向くのはナゼ?」
 
A.目下の人が目上の人を尊敬する意味から、面と向かっては飲めない
  …杯の底を見せないよう、横を向いて一気に飲み干す。
  これが目下の人の飲み方です。
 
Q.「女性が座るとき、片膝を立てるのはナゼ?」
 
A.オンドル(床暖房)が普及した韓国では、お尻を直接床につけて
  座った方が、温かくて気持ちがいい。
  日本人のように正座したら折角の暖房が生かされない。
  
  長くて幅のある”チマ”で覆っているから、立膝立てても見苦しくなく、
  下からの熱がチマの中にこもって、大陸性の寒い風土には、
  一番いい座り方なのです。
 
 
785  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 
「李朝最後の国王(3)」
 
26代”宣祖王”の王妃は、義父に恩を仇で返したうえに、 国民を塗炭の苦しみにわせ、 国費を浪費して国を滅ぼしてしまった、おぞましい女である。
 
義父の大院君は、反乱軍を味方に引き入れて、賭けに勝って返り咲き、 7年ぶり権力を握ったかに見えた…が、王妃はぶとく、清国に訴えたため、 大院君は清に拘束され、 天津に拉致されてしまった。
大院君は高租王の実父。実父が清国に強制連行されるのを、 認めざるを得なかっ李氏朝鮮… 清国の属国の地位は、いまだ揺らいでいなかったのです。
 
王妃は再び政権に返り咲いた。王妃は日本との有効関係を絶ち切って、 今度は強く見えるロシアと結んだ… それが原因で、 王妃は日本の軍隊に殺されてしまた。
1884年、開化派が日本の支援を受けて、クーデーターを成功させる… ”高祖”に強要し、改革の推進を誓わせ、 宣布させた。
 
更に清国に宗主権否認を通告し、李朝創建492年目にして初めて、 自主独立を宣言した。しかし当時、王妃の要請で、 ソウルには1500人の清軍が駐留していて、自立宣言をした開化派は”三日天下” に終わった。
 
優柔不断で事理に暗い”高祖”、清を宗主国と仰ぐ事大派のざん言にそそのかされ、 日本に逃れた開化派リーダに刺客を送って暗殺…朝鮮が開国し、 改革する機会失ったのです。
 
高祖も、王妃も、大院君も、ひたすら権力を維持しようと、 その時々力のある外国と結んでは利用し、 政治をもて遊んだだけだった。
また、1894年国内に反乱が起きると、 その鎮静を清国に委ねる愚行に走った。
これが日清戦争誘発の原因になったが、高祖も廷臣たちも、 一人として責任をる者はなかった。
 
日清戦争で清が負けた1896年、”高祖”と世子は王宮を捨て、 ロシア公館に逃た。 朝鮮の悲劇は、一国の君主が国を省みない、怯弱な体たらくさにあった。
公館に入るや、即座にまったく罪のない政府の主要5大臣を、 逆賊として捕殺を命じ、してしまった。
裁判もなく行われたこの暴挙に、さすがのロシア公使も”高祖” に抗議した
 
1910年、李氏朝鮮は、高租の子27代”純祖”の代に滅亡した… 幹から腐りきった李氏朝鮮は、倒れるべくして倒れたのです。
時の政府は、今度は清国に勝った日本に、「韓日併合」 という他力本願手段を用い虐げられていた人民の解放を日本に委ねたのです。
                                                   崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
 
 

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