■言葉と察し合いのバランス
文化庁が、全国の16歳以上の男女3480人を対象に
「国語に関する
世論調査」を行った。この十年で「言葉で伝えるより、
察し合って心を
通わせることを重んじる」人が、1、4倍に増えたという。
調査は面接方式で、人と付き合う時、互いの考えを
「できるだけ言葉に
して伝える」か、
全部は言わなくても「互いに察し合うことを重視するか」
、
いずれかを問いました。
回答は「言葉にする」は38%で、 前回の調査から12ポイントも減少した
回答は「言葉にする」は38%で、 前回の調査から12ポイントも減少した
のに対し、「察し合う」は10ポイント増えて34%でした。
この結果について同庁では、「KY(空気が読めない)と言われることを
恐れ、場の空気に合わせようとする風潮の表われでは…」と指摘して
いる。
人間関係で、お互いの気持ちを察し合う能力に欠けると、自分勝手に
人間関係で、お互いの気持ちを察し合う能力に欠けると、自分勝手に
なり、場の空気に合わせるだけでは、自分の意志はいつまでも相手に
伝わりません。
空気を読む受信能力だけでなく、言葉による、思いの適切な伝達が
空気を読む受信能力だけでなく、言葉による、思いの適切な伝達が
大切です。
言葉と察し合い、
両方のバランスがとれて初めて、
心地よい
人間関係が生まれるのです。
職場の教養
771 【心と体の健康情報】
~幸せな人生~ 「許す心」
もう少し、家族や他人に寛容になれなかっただろうか?
「許す心」…寛容さが私たちに求められる。
その背景には「責任」を強調するあまり、
他人への配慮を欠き、
余裕を失っている現代の風潮があります。
一昔前まで、日本の社会は「互助の精神」
に支えられていました。人から「助けてほしい」と求められれば、自らを省みることなく、
親身になって手を差し伸べようとする”利他”
の心があったのです。
では、どうしたら相手を思いやり、
寒々とした今の社会に、ぬくもりを取り戻すことができるでしょうか?
■僧侶・玄侑宗久は、「許す心」について次のように語っている。
「現在の日本は、許し許される心を忘れ、何でも白黒つけたがる傾向がある。
不祥事を起こした企業の謝罪会見を見ていても、更に攻め立て、
それでも許さないという風潮が強まっている。断罪して裁かなければ、
気が済まなくなっているのです。
そこには、日本人の美徳である「和を尊び、許す心」の代わりに、
相手を打ち負かそうとする、
酷薄な”正義観”が透けて見えてくる。
■仏教では、物事の原因を”一つ”にのみ求めることを、よしとしない。
「物事を、白か黒かで分けてとらえるのは、分かりやすいが、その間には”七色”
があり、その一つひとつに意味がある」と…
多様な価値観を認める心の広さが、仏教にはあるのです。
■1月6日メルマガN0629「日本人の心を語る”落語”」
の中で…
日本語には、1と0、イエスとノーの間に、
無限のトーンが存在する…日本人の社会には、
イエスでもノーでもない”
曖昧ファジー”
な空間が存在するのです。
神や仏の教えで、与えることが出来るものに「許し」
がある…
私に、そしてあなたに、
誰かを許す度量の広さがどれだけあるだろうか… 自らに問いかけてみる必要があるようですす。
■神戸女子学院大教授”内田 樹”さんは、「許す心」について…
「何事もスピードが求められる現代では、即断即決が求められ、
余裕をもって事にあたることが許されない」
「言いたいことを200字以内にまとめて提出しなさい」などと、
物事を単純化することが歓迎され、人の能力の有無は、
テストの結果表れる数字で片付けられてしまう。
物事を数値で見て比べるのは、てっとり早く分かりやすい…
が、底が浅く、人間としての深みがない。単純化することに慣れた現代の日本人は、余裕をもって他人と接する忍耐力を失ってしまっているようだ。
例えば、昆虫を見つめる子どもに、親は「そんなことをしていないで、
塾へ行きなさい」
と言うだけ…数値では測れない我が子の長所・魅力・器に気付こうとしない。
■医療の世界でも、患者との意思疎通が軽んじられる傾向にあると、
マスコミが報道している。産婦人科や脳外科など、訴訟リスクの多い分野を避けようとする。
こうした傾向が、社会システムに機能不全を引き起こしているのです。
「自分には理解できないことには、注意深く耳を傾け、理解しようと努める」…
それが、「許す」ということではないでしょうか?
そのためには、情理をつくして、相手ととことん話し合う、
精神的余裕が持てるようになりたいものです。