■より強く「正義」を振りかざした方が勝つ
貴族階級の両班たちの党派争いは、対立する党派の人士をひぼう
するなど、相手を陥れることに終始し、空理空論を戦わせ、血で血を
もって争うのが政治…と錯覚しているところがあった。
民衆の生活を向上させたり、殖産を振興させることにはまったく関心
を示さず、国益を損ねることに、なんの呵責も感じなかった。
政争に発展した時、国王は両派の主張を慎重に比較検討すること
をせず、一方のいい分を受け入れた時、勝敗が決した。
党派争そいは、政治に疎い王様に、より強く「正義」を振りかざし、
支持を獲得した方が勝利した。
崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
李氏朝鮮は「儒教」を柱として正義を説いた。
徳川と戦った勤皇派は「錦の御旗」を押し出して、勝利した。
フランス革命も、ロシア革命も、カンボジアのポルポト派も、正義の
刃を振り回した挙句、歯止めがきかなくなって、大量の血が流れた。
762 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~
「韓民族の心を歪めた李王朝」
李朝では、国王が立法、司法、行政、軍事の全権を独占した。
しかし、李朝27代のほとんどの王は、
社会から隔離されていたために、暗愚そのもの…聡明な君主は数名しかいなかった。
権力を手中にした貴族階級の士大夫や両班たちは、暗遇な王に代わって、
国王の名のもと限りない虐政を行った。
儒教を柱とした階級・身分制度のもと、
それぞれ上の階級が下の階級を軽視する風潮が深く浸透し、
上層が下層の行動を監視した。
最下層の賤民は、一般人と区別するため、独特の髪型と、
すぐに区別できる服を着せられ、
履物まで差別された。
「血の涙」 詩人/李人稙(イ・インジク)1862~1916
「両班たちが国を潰した 賤民は両班に鞭打たれて殺される
殺されても 殴られても 不平をいえない
少しでも値打ちある物を持っていれば 両班が奪っていく
妻が美しくて 両班に奪われても 文句を言うのは禁物だ
両班の前では まったく無力な賤民は 自分の財産
妻だけではなく 生命すら その気ままにゆだねられている
口ひとつ間違えれば ぶっ叩かれるか 遠い島へ流される
両班の刃にかけられて 生命すら保つことができない 」
賤民は賤民で、更に下の”極賤民”を差別し、威張り散らした。
民衆がお上に反抗できない仕組みになっていて、社会は完全に窒息…
身動きとれない社会になっていた。
武人は、上級の将官以外は、中人か常民から成り、
李朝での身分は蔑視された。高句麗の将軍だった太祖・李成桂が、クーデターで王位を簒奪したことから、
李朝の王は強い軍隊を持つことを警戒…軍事力を持とうとしなかったす。
国防は宗主国・中国に委ねたのです。
(軍隊を放棄して、自国の防衛・安全をアメリカに委ねている日本の現状に似ている)
下層者が上層者に出会った時、腰をかがめ平身低頭…NHK「イ・サン」では、
王様の後ろに、
十数名の従者が腰をかがめ、頭をたれて付き従う…
又、両班に中人や常民がすれ違う時も同様、
腰をかがめ平身低頭する…そうしなければ、
棍棒で痛いほど叩かれる破目に陥るのです。
李朝時代は、正義感の強い者や賢人は、うとまれ排斥され、葬りさられた。
親には孝行し、絶対的服従…長幼の序が厳しく守られた。韓国ドラマで、
両親が我が子を叱る時、子は両親の前にひれふし、一言も言い訳や口答えをしない…そんなシーンを何度か見た。
今の日本の家庭では見られない、儒教思想の浸透がうかがえるのです。
江戸時代の武士階級同様、”両班”は不労所得階級。労働は卑しいものであり、
常民以下の生業とされた…
額に汗する労働はさげすまれてきたのです。
李朝末期、”高宗”がアメリカ公使館に出向いた時、
公使館員が庭でテニスに興じていた。それを見て…「どうしてあのようなことを、
召使にさせないのか?」
と尋ねた…有名な逸話です。
崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」