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2010年05月 アーカイブ

2010年05月06日

韓国宮廷料理

■王様料理は「五汁十二菜」
 
宮廷料理で、王と王妃のみ食べることを許される「水刺床(スラサン)」
という料理…丸い本膳に、5種類の汁物と12種類の野菜を調理した
「五汁十二菜」が、24個の金属器に盛り付けられて出される。
向かって右側が温かい料理、左側が冷たい料理に分けられて並べ
られる。
李朝時代、宮廷料理に大きな影響を与えた「陰陽五行説」。
儒教の根幹をなすこの教えが、料理の食材や色彩に浸透している。
それぞれの料理に必ず、赤・白・青・黒・黄の5つの色を使うことが
定められていた。
この5つの色が、人間の五感の働きを促し、機能を助けるとされた。
仕上げは”5色”で美しく彩って、心からもてなす気持ちを表した。
 
宮廷料理に「海・山・里」の様々な食材が使われるのは、
「陰陽五行説」が説く”壮大な宇宙自然の摂理”が反映しているのです。
 
 
 
761  【心と体の健康情報】 
~食と健康~ 「韓国宮廷料理」
 
「大長今(チャングムの誓い)」を華やかに演出した宮廷料理は、李朝時代、 全国から集められた旬の素材を使って、 腕の良い宮廷料理人が王様のために用意した膳です。
 
王様がまず召し上がり、美味しいと評判になると、両班(ヤンバン・貴族階級) のたちにそれが伝わり、 やがては一般庶民の料理となり、韓国の食文化として普及していったのです
王様には、「医食同源」「薬食同源」に基づく、 身体に良い新鮮で厳選された食材を使い、 食材の特徴を引き出す最高の料理を提供した。
「王たる者、常に良いものに接していなければ、良い政治ができない」 という考えが根底にあるのです。
 
季節ごと、御膳に並ぶ食材が安定していれば、天下泰平の証拠。食材の量や質に問題があるときは、庶民の暮らしにも問題がある… 王様は食をして、 天候民心に思いを馳せたのです。
 
「大長今」の女優が宮廷料理人を演じる時、調理の手つきや、 包丁さばきが大ってくる…調理場面を演じる主役のイ・ヨンエの手の表情が、調理シーンを盛りるのです。
 
鍋料理を作る時が特に大変…材料によって包丁の入れ方や、下味の付け方が違い、 料理が文化であり、芸術であることを教えてくれる。
 
宮廷では、王様や王妃様の誕生日、正月や季節の王室行事、 外国の使節を迎える時なに、盛大な宴会が催された。
王様の承諾を得ると、臨時の官庁が設けられ、物資を購入したり、当日の儀式の手順を検討したり、歌舞楽曲、料理の組み合わせ、食材の手配など、準備に何ヶ月もかけるのが通でした。
 
宮中には、宴会料理専門の調理師がいた。「大長今」では、 焼厨房女官が宴会料理作っているが、 実際…ほとんどの料理は男性料理人が作った。
多人数の宴会料理ともなると、牛を丸ごと解体し、 巨大な釜で湯を沸かすところからなければならない… 女人の手には負えなかったのです。
 
           「大長今」の宮廷料理を監修した ハン・ボクリョ「私の使命」より

2010年05月09日

韓民族の心を歪めた李王朝

■より強く「正義」を振りかざした方が勝つ
 
貴族階級の両班たちの党派争いは、対立する党派の人士をひぼう
するなど、相手を陥れることに終始し、空理空論を戦わせ、血で血を
もって争うのが政治…と錯覚しているところがあった。
 
民衆の生活を向上させたり、殖産を振興させることにはまったく関心
を示さず、国益を損ねることに、なんの呵責も感じなかった。
 
政争に発展した時、国王は両派の主張を慎重に比較検討すること
をせず、一方のいい分を受け入れた時、勝敗が決した。
党派争そいは、政治に疎い王様に、より強く「正義」を振りかざし、
支持を獲得した方が勝利した。
                 崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
 
李氏朝鮮は「儒教」を柱として正義を説いた。
徳川と戦った勤皇派は「錦の御旗」を押し出して、勝利した。
フランス革命も、ロシア革命も、カンボジアのポルポト派も、正義の
刃を振り回した挙句、歯止めがきかなくなって、大量の血が流れた。
 
                  
 
 
762 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~歴史から学ぶ~ 
 「韓民族の心を歪めた李王朝」
 
李朝では、国王が立法、司法、行政、軍事の全権を独占した。
しかし、李朝27代のほとんどの王は、 社会から隔離されていたために、そのの…聡明君主は数名しかいなかった。
権力を手中にした貴族階級の士大夫や両班たちは、暗遇な王に代わって、 国王の名のもと限りない虐政を行った。
 
儒教を柱とした階級・身分制度のもと、 それぞれ上の階級が下の階級を軽視する風潮が深く浸透し、 上層が下層の行動を監視した。
最下層の賤民は、一般人と区別するため、独特の髪型と、 すぐに区別できる服をせられ、 履物まで差別された。
 
 「血の涙」    詩人/李人稙(イ・インジク)1862~1916
 
「両班たちが国を潰した 賤民は両班に鞭打たれて殺される
  殺されても 殴られても 不平をいえない
 少しでも値打ちある物を持っていれば 両班が奪っていく
 妻が美しくて 両班に奪われても 文句を言うのは禁物だ 
 両班の前では まったく無力な賤民は 自分の財産 
 妻だけではなく 生命すら その気ままにゆだねられている
 口ひとつ間違えれば ぶっ叩かれるか 遠い島へ流される
 両班の刃にかけられて 生命すら保つことができない 」
 
賤民は賤民で、更に下の”極賤民”を差別し、威張り散らした。 民衆がお上に反抗きない仕組みになっていて、社会は完全に窒息…
身動きとれない社会になっていた。
 
武人は、上級の将官以外は、中人か常民から成り、 李朝での身分は蔑視された。高句麗の将軍だった太祖・李成桂が、クーデターで王位を簒奪したことから、 李朝の王は強い軍隊を持つことを警戒…軍事力を持とうとしなかったす。 国防は宗主国・に委たのです。
(軍隊を放棄して、自国の防衛・安全をアメリカに委ねている日本の現状に似ている)
 
下層者が上層者に出会った時、腰をかがめ平身低頭…NHK「イ・サン」では、 王様の後ろに、 十数名の従者が腰をかがめ、頭をたれて付き従う…
又、両班に中人や常民がすれ違う時も同様、 腰をかがめ平身低頭する…そうしなければ、 棍棒で痛いほど叩かれる破目に陥るのです。
 
李朝時代は、正義感の強い者や賢人は、うとまれ排斥され、葬りさられた。 親には孝行し、絶対的服従…長幼の序が厳しく守られた。韓国ドラマで、 両親が我が子を叱る時、子は両親の前にひれふし、一言も言い訳や口答えをしない…そんなシーンを何度か見た。
今の日本の家庭では見られない、儒教思想の浸透がうかがえるのです。
 
江戸時代の武士階級同様、”両班”は不労所得階級。労働は卑しいものであり、 常民以下の生業とされた… 額に汗する労働はさげすまれてきたのです。
李朝末期、”高宗”がアメリカ公使館に出向いた時、 公使館員が庭でテニスに興じていた。それを見て…「どうしてあのようなことを、 召使にさせないのか?」
と尋ねた…有名な逸話です。
                             崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
 

2010年05月13日

病んでいる海

■5月連休・串本に潜って

串本1 串本2 串本3
投函すると配達してくれる!
串本4 串本5 串本6
オコゼが隠れているよ! ウミウシ
※写真をクリックすると拡大写真が表示されます。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 763】
「病んでいる海」

南紀の最南端・串本のダイビングスポット””…そこに広がる景色は、 まるで国の海… 海底一面テーブルサンゴ… 沖縄の海にも見劣りしないサンゴ礁が…見事な風景である。
 
まさかこんな近海に、南海のパラダイスが潜んでいるとは…4年前、 めて四国の海に潜った時も同様だった。
 
昨年と一昨年の正月、そしてこの5月の連休、和歌山県串本・大島の海に潜った。 今年の正月は、静岡県の沼津・西浦の海潜っている。
本州の海では見られなかった、珊瑚礁と熱帯魚の群れ… 温かい季節に潮に乗って、表日本や裏日本の沿岸に熱帯魚がやって来て、住み着く。 しかし、冬になる下がり、すべて死滅てしまった
 
ところが十年くらい前から、温暖化の影響でしょう… 越冬して住みつくようにと同時に、 今まで普通に見られた季節の魚が姿を消し、亜熱帯系魚が遊泳するようになった。
 
冬の北陸を象徴するブリや鱈、春の鰯… 何れも漁量が激減…食卓から姿消してしまった
 
讃岐うどんの香川県では、うどんのダシに欠かせないイリコの原料”カタクイワシ”が品薄になり、 うどんを値上げせざるを得なくなっている
カタクチイワシは「ちりめんじゃこ」、あるいは「シラス干し」 として庶民に親しまれた食品。カタクチイワシが減れば、それをエサにする大型魚も減ていく。
 
以前に比べ、海水の透明度が上がったように思うが、 ペットボトルやポリ容器などの油系廃棄物の漂着が増え、海岸と海底はゴミだらけ。
美しい海底散歩のつもりが、ビニル、 空き缶、ペットボトルが海底に散乱…見苦しく興ざめである。
 
底引き網漁船は、大量のゴミまされているという。きれいに見える海も、 海底はゴミだらけのです。こうした生活ゴミが、 海底を窒息状態ヘドロ化し、生物が住ない海にしていく。
 
更に、河川の護岸がコンクリートで固められたことで、海に流れ出る栄養分が減少。海辺に生息する動・植物が減っていく…海の生態系が乱れていく。人間による自然破壊が、私たちの生活環境を破壊していく。
豊かな自然、豊かな海を取り戻さなければならない。 そのために、自然を守る意識をもっと高めなければなない
 

2010年05月17日

李氏朝鮮五百年/第九代・成宗王

■李氏朝鮮と徳川幕府の違い
 
李朝は27代にわたって、父子か兄弟が王位を継承している。
ところが、王位をめぐる血みどろ骨肉の争いから、新しい王が
前王の政策を踏襲せず、政策の継続性は断ち切られた。
 
徳川幕府265年…歴代将軍と幕閣は法を重んじ、よく尊守し、
この間の文武の政策は、継続性が保たれた。
この時代の日本は、世界でも珍しい平和を享受し、当時の
国際社会では、極めて高い経済成長を維持しているのです。
 
李氏朝鮮と徳川幕府を比べると、文字通り両極端。
19世紀後半、両国が近代国家への参入を強いられた時、
日本は物心ともに、驚くべき強靭な力を蓄えていたのに対し、
李氏朝鮮は、そのような活力をまったく持ちあわせていなかった。
 
            崔 基鎬著 「韓国堕落の2000年史」
 
 
764 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 
「李氏朝鮮五百年/第九代・成宗王」
 
第九代の”成宗王”は、TV「大王世宗」でおなじみの4代”世宗王” の孫に当たる。1457年に生まれ、1469年13歳の時に即位した。 1494年に37歳で没するで、25年間在位。 成宗が幼少の頃は、七代”世祖王” の姫が7年摂政を務めた
 
成宗は英明な王で、文武に秀で、学問を好み、射芸書画に秀でていた。 賢君として、外交面では辺境を平らにし、内政あらゆる方面で、 治績が顕著であったと記録されている。
 
李朝の歴史と治績を記録した「朝鮮王朝実録」によれば、成宗は籍田を自ら耕し、 思いやり厚く、勧農民治に努め、広く人材を登用したと記されている。
(※籍田…天子が祖霊に供える米をつくるために耕作する稲田)
 
経史百家に精通した成宗は、学問の振興に尽力し、弘文館、尊経閣、 読書堂を設立して、大学や郷学に田地を配り、書籍を贈って学問を奨励した。
また、重要な書籍を相次いで編さんし、国を治める法律集「経国大典」を編ませた。
 
成宗は廃仏政策を行い、世宗の代に復興した仏教を遠ざけたが、 李朝の諸般文物制度を整備し、初創期の李氏朝鮮隆盛のために尽力した。
 
賢君・成宗も、女性問題では歴史に禍根を残した。
正妻が、後宮の妾たちへの嫉妬が激しいという理由で、 王后の地位を廃し、常民地位に落として、 実家に送り返したのです。
 
二人の妾の王后追い落とし陰謀に、重臣たちが加わり、 王をそそのかし顛末…追放だけでは事足らず、更に王をそそのかして、王后を殺害してしまった。
これが次の第十代王の世になって、 王室を揺るがす大事件になっていくのです。(次号767号で、顛末が明らかに…)
                  崔 基鎬著 「韓国堕落の2000年史」
儒教国朝鮮では、女性の身分は奴隷に近かった。
夫が一方的に妻を離縁できる「七去之悪」の規定があり、 七つの大罪の一つに”嫉妬”があった。(メルマガ739号)
TV放映中の李朝時代の物語「女人天下」…陰謀渦巻く宮中で、 王后と妾が王の跡目をめぐり、熾烈な女の戦いを繰り広げている

2010年05月19日

韓国といえばキムチ

■キムチの歴史
 
7世紀頃、野菜の入手が難しい寒い冬にも食べられるようにと、
塩漬け野菜に”塩辛”を加えた発酵食品の貯蔵方法が広まり、
庶民に食されるようになった…キムチの歴史の始まりです。
 
12世紀頃になると、ネギ、ニンニク、ショウガなどの香辛菜を加
えて、独特のキムチの味を楽しむようになった。
18世紀になると、16世紀頃韓国に伝来した唐辛子をキムチに
用いるようになって、現在のキムチに近いものになった。
 
19世紀に入ると、冬場のキムチ作りに適した結球白菜の栽培
が盛んになり、現在のキムチになった。
 
キムチは世界にあまり例のない、野菜を使った発酵食品です。
三方を海に囲まれ、古くから水産物の塩漬技法に優れ、それが
キムチ作りの薬味として庶民の間に普及…そこに唐辛子が加
わり、韓国を代表する食品になったのです。
 
 
765 【心と体の健康情報】 
~食と健康~ 「韓国といえばキムチ」
 
韓国の食卓に一年中欠かせないキムチ。各家庭では、 野菜がとれなくなる冬を迎える前に、大量に漬けておくのが長年の習慣。
毎年11月頃、「今年のキムジャンはどうかね」といった会話が交わされる。
キムチは、漬ける時の気温が大きく影響する。漬け頃の気温は、 一日の平均気が4゜C以下で、 日中の最低気温が0゜C以下になる頃が漬け頃とされている。
 
韓国の気象庁は、このキムジャンの季節になると、「キムジャン前線」を予報する。
日本で春に「桜前線」がTVに流れるように、韓国のテレビや新聞では、 天気図にキムジャン前線が描かれる。前線は日を追うごとに南下し、 人々はこれを参考にキムチを漬けるのです。
 
日本で、自家製のヌカ床のある家は三軒に一軒程度でしょうか、 年々減少傾向にある。韓国でも、スーパーで買った漬物で済ませる家庭が増えている…最近は核化の影響で、 キムチの作り方を知らない主婦が増えているという。
 
「あなた、味はどう? これを使ってみたの! 
  テヤンチョを使っているから…おいしいのヨ!」
 
TV画面いっぱいに映し出された若奥様は、嬉しそうに叫んでいる。
唐辛子を使った韓国の味噌、コチュジャンのTVコマーシャルのひとコマです… テヤンチョとは、天日干しの最高級品唐辛子のことです。
 
毎日の食卓に欠かせないキムチ。料理上手の主婦は、 キムチを漬けるには「絶対テヤンチョでなければ、おいしく作れない」 とこだわる。
韓国料理に唐辛子は欠かせない。韓国産でなければならないと、 韓国人はこだわる。韓国産唐辛子は甘みが強く、香りがいい… 唐辛子の甘みと香りが、韓国料理の味を引き立てるのです。
いい唐辛子を使えば、料理はおいしく沢山食べられます。また、 韓国料理は赤く染まっていて、見た目に辛そうだが、 口に入れると思ったほど辛くはないのです。
 
                         「大長今」の宮廷料理を監修した ハン・ボクリョ「私の使命」より

2010年05月24日

李氏朝鮮五百年/第十代・燕山君

■李朝三大悪女(毒婦)
 
10代燕山君の側室…張緑樹(チャン・ノクス)
 側室として燕山君を意のままに従わせ、宮中の権力を欲しい
  ままにした。
 ”中宋”によるクーデターで燕山君が廃位された後、
  張緑樹は捕らえられ、 斬首の刑に処せられた。
  彼女の死骸に人々は石を投げ、罵声を浴びせたという。
 
11代中宋の后…鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)
 毎週月~金、TV「女人天下」で放映中!
 両班の娘に生まれながら、妾の娘とさげすまれる生活から
  抜け出そうと、キーセン(芸妓)になり、その美貌と聡明さで、
  チャングムが仕えた”中宋”王の后にのし上がっていく。
 
19代肅宗の側室…張禧嬪(チャン・ヒビン)
 家の没落から這い上がって女官になり、 君主の寵愛を受けて、
  宮中で権力を振るう。第20代景宋の母親となるも、
  その後没落… 波乱万丈の生涯を送った。
 
 
766 【吉村外喜雄のなんだかんだ】  
~歴史から学ぶ~ 
「李氏朝鮮五百年/第十代・燕山君
 
第9代”成宗王”は賢君だったが、女性問題で禍根を残した。
正妻が、後宮の妾たちへの嫉妬が激しいという理由で、王后の地位を廃し、常民地位に落とし、殺害してしまったのです
 
二人の妾の王后追い落とし陰謀に、重臣たちが加わり、 王をそそのかし顛末これが次の第十代王の世になって、王室を揺るがす大事件になるのです。
 
廃后された王后は、二人の男児を産んでいた。
迫害を加えた勢力は、二人を王宮から追い出そうとしたが、成宗王は幼い我が子をいとおしく思い、手を触れさせなかった。
 
二人の子は、母の死の真相を知らないまま育ち、1483年長男”燕山君” は跡継”世子”に冊封され、 1494年18歳で父王の崩御に伴い、第十代国王に即位した。
 
当時宮中には、争う二つの党派があった。一方の党派の総領は、国王の信任厚く、 若い国王を抱き込んで ・ 密告。
謀られた党派一族は、虐殺・流刑・ 罷免に処さて、一族は没落。戦いに勝利した奸悪な一派は、その後勢威を増して、 誰もそえなくた。
 
燕山君は、即位後しばらくして、母が妾たちの奸計によって廃位され、 更に毒殺れたことを知った。 母が毒杯を飲まされて苦しみ吐血した、血しょうが付着した服を見せられた王、全身を震わせ憤り…復讐を心に誓った。
 
1504年、まず父王の妾の王子二人、妾一族を撲殺。
父王の代の重臣二人は、処刑さらし首にした。 それでも治まらず、加担した重臣並びに高官一族を、皆殺しにした。
 
父王の重臣たちが健在だった、燕山君の治世の前半は、多くの治績を残したが、 復讐によって、これら重臣が一掃された後は、酒池肉林に溺れ、 政治を顧みようしなかった。
 
王宮内の学問所を廃し、成均館の学生を追い払って、遊宴の場所に変えてしまった。 燕山君の暴虐な振る舞いは日をもって増していった。
狩りに熱中するあまり、ソウル周辺三十里の民家を強制立ち退かせ、農地を廃し、 狩猟場にしてしまった。
全国から集めた美女千名…中でも歌や舞いに秀で、 容姿に優れた技芸を三百人選び出し、 王宮内に住まわせた。
 
このような暴政が長続きするわけがない。1506年9月、 国を憂える一派が王の異母弟”晋城大君”を擁立して…決起。
燕山王を、江華島の北にある小さな島幽閉した。 燕山君は翌年、この島で30歳で病死した。
後に、李朝王27人の中で「最もふさわしくない王」 の烙印を押されたのは、 燕山王と15代光海王の二人だった。
 
晋城大君は、第十一代”中宗王”になった。燕山君に、 先王の妾の陰謀をあばき、最高位に昇りつめた両班は、 父親と共にれた。
李朝の時代、政争に敗れた反対派勢力は、 一族もろとも処刑されるが通例だった…一族の女性は奴婢(ぬひ)に落とされて、哀れな末路を辿った。
 
                                                       崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」

2010年05月26日

韓国の食事作法

■韓国の地域差別
 
長い歴史を持つ韓国の身分制度…社会に潜む差別意識は
根深ものあるが、 地域差別の根深さもまた、 日本人の
想像を超えるものがある。
 
対立する地域の者同士結婚しようとすると、 親族から反対
声が出ることを覚悟しなければならないし、上司の出身地域
によっては、昇進や処遇に影響が出たりする。
 
943年高麗の始祖・王腱が残した遺訓…
「全羅道地域からは、 国政を担う人材を登用してはならない」
この規定が治国の基本理念になり、 現代に影響するように
った。
韓国の地域感情の対立は、 新羅国があった韓国東部・慶
道と、百済国があった韓国西部・全羅道に集約される。
歴代大統領はほとんど慶尚道出身者… 全羅道出身は金大
大統領ただ一人。
 
20年前までの韓国国鉄は、 慶尚道の釜山や慶州に向か
列車は綺麗だった。が、全羅道の光州・木浦への列車は
ていて、座席からバネが飛び出していたりした。
 
                  眞田幸光著「早わかり韓国」
 
 
767 【心と体の健康情報】
~食と健康~ 「韓国の食事作法」
 
韓国で食事をしていると、テーブルに大きな万能ハサミが置いてあるのに気付く。
何に使うのかと不思議に思って見ていると、何でもかんでもハサミを使うことかった。例えば、 骨付きカルビ…肉は骨のついたままで網に乗せ、焼き上がってから、ハサミで食べやすい大きさに切り分ける。 半株丸ごと皿に盛られた白菜キムチも、当な大きさにハサミを入れる。使ってみると、ハサミは誰でも気軽に扱え、上手切れて便利だ。
 
韓国料理の食べ方をみると、ご飯を食べる時と、汁を飲む時は”さじ”を使う。
箸は、お膳に並べられた料理を取るときに使う。麺類は” さじ”では食べられないで、 箸を使う…箸とさじを上手に使い分けているのです。
 
日本の箸のほとんどは木製です。韓国は割り箸を除けば、銀製か金属製である。
韓国のデパートやお店には、箸とさじの美しいセットが並べられ、 若いカップル楽しそうに選んでいる姿を見かける。
 
食事は、日本人の食べ方とそれほど変わらないが、大きく異なるのは、 日本人は食器を左手に持って食べるが、韓国人は、食器をテーブルに置いたまま、 左手で押さえて食べる。韓国では、 食事中に器を持ち上げたり、器に口をつけて食べるのは、 不作法なのです。
日本人は、韓国人を見て「犬食いでみっともない」と言う。一方韓国人は、 日本て 「食器を手でつかまなくても…逃げたりしないのに」と揶揄する。
 
食べ方にも順序がある。まず”さじ”でキムチのつゆをひと口含み、 それからご飯口に入れて味わう。 ご飯を飲み込む前におつゆをもうひと口味わう…これは、古くから宮廷に伝わる食事の作法です…それが庶民の間に広がったのです。
 
日本人は、食べ方・流儀にこだわり、美しく食べることにこだわる。 対する韓国人食事風景は、実に合理的でダイナミックである。                                                                                                                             眞田幸光著「早わかり韓国」

2010年05月31日

2009年・怒りの川柳大賞

「いい夫婦」川柳コンテスト入選作
 
2008年  「花嫁の 父の涙を 母が拭き」
       「ひとごみで 母の手を取る 父が好き」
       「あなたより 三歩少ない 万歩計」
       「何ごとも なく過ぎてゆく 夫婦の日」
       「いまだから 愛してるより ありがとう」
       「喧嘩して それでも風呂は  沸いている」 
 
2007年 「手をつなぎ 荒れた手知って そっと撫で」
       「十年目 呼ばれた旧姓 振り向かず」
       「分娩室 妻より上手い ヒッヒッフー」
 
2006年  「夜泣きする 子を抱く妻を 抱きしめる」
       「肩抱いて 十年たつと 肩もんで」
 
 
768 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~ことば遊び~ 
「2009年・怒りの川柳大賞」
 
鳩山首相が、普天間移転問題解決を国民に約束した最終日、
5月31日の朝刊…社民党が連立与党から離脱するニュース
が、紙面ていた
参議院議員選挙が二ヶ月後に迫る中… 「国民の期待に応え
ることできる政党は?」と問われると、ハタと困しまう
 
[怒りの川柳大賞]大賞に入選した川柳
’09大賞 … 「あっぱれな 企業努力で 首切られ」
’08大賞 … 「古靴の ように捨てるな 人間だ」
’07大賞 … 「限界は ゴムヒモだって 僕だって」
’06大賞 … 「幸せに すると言われて この程度」
’05大賞 … 「利子よりも 高い切手で 来た通知」
’04大賞 … 「もう少し 長生きします 悪しからず」
 
○進まぬ雇用対策
「にっこりと お出なさった 肩叩き」 
「こんなとこ 来とうなかった 派遣先」 
「職安の 頃がよかった 職あった」 
「にぎわいを ハローワークが ひとりじめ」
 
○弱者に冷たい福祉
「長寿国 命伸びても 居場所ない」 
「廃棄処理 されてたまるか 高齢者」
「少子化の 国で保育所 入れない」 
「子を育て 孫みてわしを 誰が看る」
 
○信用できない政治
「マニフェスト 得票だけで 用は済み」 
「仕切り手は 二人羽織の 中におり」 
「役人を 削減しない 仕分け人」 
「公約も 仕分けしました あしからず」
 
○その他
「ぬくもりの 欠けた地球が 温暖化」 
 
[第一生命/第23回サラリーマン川柳・ベスト10]
 1位 … 「仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い」
 2位 … 「先を読め! 言った先輩 リストラに」
 3位 … 「ただいまは 犬に言うなよ オレに言え」
 
 4位 … 「離さない! 10年経つと 話さない」
 5位 … 「すぐ家出 論吉はわが家の 問題児」
 6位 … 「先を読め 読めるわけない 先がない」
 7位 … 「こどもでも 店長なのにと 妻なげく」
 
 8位 … 「体脂肪 燃やして発電 出来ないか」
 9位 … 「70歳 オラの村では 青年部」
10位 … 「妻キレて 来とうなかった 嫁になど」

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