■李氏朝鮮を継承する北朝鮮
暴力や不正がまかり通る李朝の国家体制は、とうてい正常な国家とはいえない。
今日の北朝鮮は、その延長線上にある。
北朝鮮は、李氏の儒教に代わって、金日成、正日父子に絶対的忠誠を国民に誓わせ、政権に対する忠誠の度合いによって区分された「成分」
という、複雑な身分制度で、国民をガンジガラメにしている。
「成分」は、親や祖父母、先祖の身分によって定められ、李朝時代の身分制度を
そのまま受継いでいる。私有財産は認められず、人々は政府への忠誠度によって、家や財物を所有することができる。
国家を批判する者は、裁判なしに地獄のような収容所に送られ、飢餓に苦しみ、
洗脳教育が施される。
韓国には、朝鮮戦争で南北に引き裂かれ、生き別れになった家族が700万人もいる。
現在までに再会を果たしたのは、たった100余名。高齢化で急がれる中、再会の
目処は立っていない…拉致が問題になっている日本より、はるかに深刻なのです。
世界の国々で、同一民族が自由に往来するのを拒んでいる国は、北朝鮮だけ!
崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
745 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~
「李氏朝鮮五百年/5代~7代王」
李朝第五代の”文宗王”は、4代”世宗”の長男。
20年間世子として父王を輔弼(ほひつ)した。
1450年に即位の後、言論の自由を政策に掲げ、
民意を掌握した。
文宗王は、文官・武官の区別なく重用したため、臣下の信望が厚かった。
しかし体が弱く、わずか在位2年で死去してしまった。
第六代には、12歳の”瑞宗”が即位…死の床にあった5代文宗は、
我が子瑞宗の将来を心配して、側近の重臣たちに瑞宗を守り、輔弼することを命じ、
「左右協賛」を願う遺言を残した。
(秀吉が死に際、五大老に「秀頼のことくれぐれも頼む」
と涙したのと似ている)
幼い国王には、父王も母王も既になく、孤立無援の状態にあった。
ところが、4代”世宗”の次男で、瑞宗の叔父にあたる”首陽大君”が、
先代文宗王から、瑞宗の補佐を懇願されていたにもかかわらず、
国王になりたい野心から、文宗時代からの2名の忠臣を暗殺。自ら領議政(首相)になり、兵馬の実権を掌握した。
瑞宗は純真で幼く、叔父の首陽大君を信頼し、頼った。
摂政になった首陽大君は、政治の実権を握るや、
瑞宗の側近数百名を殺害してしまった。
現王の忠臣をことごとく殺害した後、
ついに瑞宗を廃位…
自ら世祖王となり国王の大権を掌握、
王位を強奪した。
瑞宗は、都から遠く、人里離れた山中に配流され、
わら葺のあばら家に閉じ込められた。疑うことを知らない瑞宗は、何れ叔父の世祖が迎えに来ると信じていた。
それでも安心できない世祖は、哀れにも刺客を放って暗殺…
しかばねは川に捨てられた。
たまたま、浮き沈みして流れてくるしかばねを、村長が拾い上げ、
密かに埋葬した。これを知った世祖は、露呈を恐れ、村長一家をみな殺しにしてしまった。
この骨肉の争そい…王子やその臣、家族、幼い王を守ろうと、
世祖と対決した6名の学者(世祖の面前で、
生きながら生皮を剥がされ、火あぶりの刑に処せられた)など、
争そいに巻き込まれた犠牲者は、膨大な人数にのぼった。
3代太宗の時、兄弟血で血を洗うし烈な権力抗争に見舞われたが、同じような政争が、
又も繰り返えされたのです。
その世祖、身体強健であったにもかかわらず、理由不明の病魔によって、
在位13年でこの世を去っている。
李氏朝鮮に先祖帰りした北朝鮮…太祖に当たる金日成主席は、
権謀術策をめぐらして、数多くの政敵を虐殺し、絶対的権力を手中にしている。
その金日成主席は1994年急死…その真相は今だ明らかになっていない。
金正日は、後継者である自分を廃して、
異母弟の金平日を後継者に擁立しようとしているのを察知…先手を打って、父を毒殺したと噂されている。
太祖”金日成”主席死後、主席夫人と金平日は、消息を絶ってしまった。
崔 基鎬著
「韓国堕落の2000年史」