■坂本竜馬が残した人生訓
「善く問いを待つ者は、鐘を撞くが如し」
「善い教師とは、生徒にとっては、鐘のようなものである」
この言葉、西郷隆盛を評した言葉として伝えられている。
「男児志をたてて郷関を出づ 学もし成らずんば
死すともかへらず」
坂本竜馬、数えで19歳の時、剣術修行のため、藩からいとまごいを許され、
土佐から江戸へ旅立つ時に、詠んだものです。
この江戸行きが、
幕末の快男児の活躍の始まりになる。
「世の人は、我を何とも言わば言え。
我が成すことは我のみぞ知る」
「世間の人は、言いたければ、自分の事を思う存分に言えば良い。
だが、自分のやりたいことは、自分のみが知っている」
740 【心と体の健康情報】
~幸せな人生~ 「吉田松陰の”天命”」
嘉永7年(1854)、下田の浜で海外渡航をこころみようと、
今まさに小船を漕ぎ出そうとしている吉田松陰…
松陰「坂本君…この海の向こうに何があるか…
知りとうはないか…僕は知りたい。
この目で見とうてたまらんのじや!
今、そこに黒船が来ちょるんぞ…
黒船に乗りァ~ アメリカに行けるんじゃ…
日本よりはるかに進んだ文明の国へ…
そのような絶好の機会を目の前にして、
指をくわえて見とれッちゅんか!」
竜馬『密航が見つかれば、先生は死罪です…
二度と日本には戻って来られません』
松陰「それがなんじゃ! いや…失敗するかもしれん…
黒船に行く前に囚われるかもしれん…
乗船を拒まれるかもしれん…それでえェんちゃ!
なんもせんでおるより…
その方が何千倍、何万倍も値打ちがある…
僕は死など怖おうない!
そげェなことより、行きたいちゅう気持ちの方が、
はるかに強いんじゃ…
坂本君…君が本当に異国に興味があるんなら…
きっと僕と同じことをするはずじゃ…
じゃが、君はそれをせん…なぜじゃ? 殺されるからか?
日本に帰れんからか? 別れが辛いからか?
そんなものはなァ…すべて言い訳じゃァ!
見ろ!
僕には言い訳など何もない…
どんな運命が待っちょろうが…後悔せん!
僕が今やるべきことは、黒船に乗り込んで、
アメリカに行くことじゃァ! アメリカへ行くぞ…」
竜馬『待ってつかわさい…待ってつかわさい…松陰先生…
わしも、わしも…
一緒に連れていってもらいませんでしょうか…』
松陰「なにィ!」
竜馬『今の先生の話を聞いて、わしは…
自分がなんちゅう細んまいことで悩んじょったか…
自分が恥ずかしゅうなりました。
役に立つとか、立たんとか…
そんなことはどうでもえェちャ…
わしも、先生のような生き方がしてみたいがです」
松陰「バカたれ! 黒船に乗り込んでアメリカに行くんは、
僕のやるべきことであって、君ではない!
君はなにものじゃ!
なんの為に、この天の元に生きておる!
君がやるべきことは…なんなんじゃ! 考えるのじゃ!
己の心を見ろ!
そこにはもう…答えはあるはずじゃ!」
「行くぞ!」
松陰は、沖に停泊する黒船に向かって、浜から小船を押し出し、漕いでいった…。
ペリー艦隊の遠征記録には、
「こうした日本人の気質を見ると、この興味深い国の前途は、
なんと有望であることか…」と、松陰の情熱を書いている。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」より