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韓国病と日本

■李氏朝鮮時代の仏教弾圧
 
14世紀、李氏朝鮮代の国教は「儒教」…仏教は徹底的に弾圧された。
僧侶はソウルに入ることを禁じられ、身分を、賎民階級に落とされた。
全国1万の寺院は240を残すのみとし、所有地と奴婢は没収され、
寺は破壊された。(奴婢家畜同様、売買の対象にされる奴隷)
 
李朝第4代には、7つあった宗派は、禅教の2宗派に統合され、
残された240の寺は、18寺院を残して全て破壊された。
以降、仏教勢力は衰退の一途をたどり、20世紀初頭の李朝末期
まで、強い迫害を受けた。
 
◎儒教”仁”を根本に据える政治・道徳を説いた、孔子を祖とする
      中国の儒学の教え。
 
 
726 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~歴史から学ぶ~ 「韓国病と日本」
 
近世に至るまで、韓族が凄惨な政争に明け暮れ、 「韓国病」に侵されるようになったのは、陸続きの中国を無視して、国家を維持することが難しかったことによる。
一方日本は、幸運なことに、中国とは海によって隔てられ、 中国の政治・社会のおぞい影響を蒙らずに済んだ。
海に隔てられたお陰で、 韓国とはるかに公正で優しい、独自会を築くことができたのです。
 
日本の室町から明治初頭まで、約500年続いた韓国の”李王朝”… 中国に習い、中央集国家を目指した。当時、中央から地方へ派遣された役人は、 自分の懐を肥やすことばで、民衆を収奪の対象にしか考えなかった。
その結果、経済は疲弊し、資本が積されることはなかった。
 
一方の日本…鎌倉から江戸時代、武家が国を治めた… 国は実質的に独立た諸藩に別れ、各藩は藩力をつけようと、自藩の経営に励み、 農地を開墾し、業の振興に努めた
更に、「論語」 の君子像を理想として叩き込、”徳”を尊び、何ごとにも控えめに振舞う、 日本人の規範が出来上がっていったのです
 
労働を神聖なものとし、武士階級は質実剛健を旨とし、質素倹約に努めた。 中国や韓国社会を特徴づける党派・派閥争いも、宦官も、奴隷制度もなく、 社会が賄賂で汚染されることもなかった。
 
江戸中期になると、絢爛たる町人文化が開花…町人は、 支配階級の士族よりも豊か活を営み、自由な文化を創出した。街には、大きな商店が軒を連ね、 商業・交発に行われた。
歌舞伎を例に挙げても、非支配階級の町人が、 このような豪華な舞台芸術を育んだことは、世界に例を見ない。
 
ところが李氏朝鮮は、厳しい身分制度で国民を差別し、支配階級は、 庶民・農民からの収奪に明け暮れた。ために、 日本のように庶民文化がかに育つ素地が生まれず、経済はがなく、商業が発達することもなった。
政府官僚と癒着した一部商人に、市場の利権を握られ、庶民は、 担ぎ売りの行商か、ヤミ市での商いで生計を立てた
 
李王朝は、庶民が集うことを警戒する余り、心のよりどころになる仏教を、織の巣窟になと排斥… 全国の寺院は取り壊されてしまった
庶民の心を癒す祭りや、宗教的行事を認めなかったのです
 
現代韓国に、由緒ある寺院や、伝統的庶民のお祭りがないのは、 そうした歴史背景があるのです
     崔 基鎬「韓国堕落の2000年史」、守屋 淳「論語に帰ろう」

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