■韓国病
今、朝鮮は”韓国病”に蝕まれている。政界・官界の汚職は絶えず、政争の勝者は権力を一極に集中させようとし、
甘い果実を独り占めしようとする。
21世紀の今日も尚、専制独裁がまかり通る北朝鮮に、それが最も顕著に現れている。
(1)虚言・欺まんがはびこり、相互信頼が失われ、詐欺的行為が広まった。
(2)権力者は、空理空論・美辞麗句をもてあそび、生殺与奪やりたい放題、
一切の責任を負わなかった。
(3)人前でへつらい、裏で悪し様に言い、恥を知ろうとしない。
(4)卑屈で、物事に怖気恐れ、他人の思惑ばかり気にして、決断能力に欠ける。
(5)一族の繁栄を最優先し、反社会的利己主義にのみ動かされ、
公益には無関心。
地位を利用して蓄財に励み、民衆は搾取の対象でしかない。
崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」
722 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 「韓国病を患う韓国」
弥生時代中期(紀元前100年頃)から、飛鳥時代の前期(紀元600年頃)
の700年間…高句麗、百済、新羅の三国が朝鮮半島を治めていた。
高句麗は、大国中国の軍隊と三十数回戦い、一度も負けなかった強国です。
百済は、世界最先端の文化と芸術を誇る国でした。当時、中国から見た韓国は、「誠実で礼を尊ぶ紳士の国」
と記録されている。
朝鮮半島の覇権を企んだ新羅は、密かに敵国”唐”の軍を引き入れ、
内部から不意打ちによって、高句麗と百済を滅亡させた。
仁・義・礼・勇が充溢した独立自尊、高徳の民は、民族内部の裏切りによって、
敵国中国の”属領”になり下がったのです…
国家統一を実現した新羅は、唐に国を売り渡した見返りに、
唐の庇護を受け、
唐を後ろ盾にして、国家の安寧を図ったのです。
唐の元号に従い、それまで二字だった姓を一字姓に改めただけでなく、服装まで唐風に改め、韓民族の民族自立の誇りを捨て去るという、
あやまちを侵したのです。
それから二百数十年…936年、新羅を滅ぼした高麗は、
民族の誇りを復興させた。しかし13世紀末、
”季将軍”による、韓国史上二度目の臣下の裏切りによって、国は盗みとられ…
高麗は滅亡した。
そうして創建した”李朝”は、20世紀初頭まで500年間、
中国の属領としての地位に甘んじたのです。
(BS放映中の韓国ドラマ「龍の涙」で、その顛末が詳細に演じられている)
李朝は、明を天子の国と仰ぎ、中国の政治文化、王室制度すべて模倣。以後500年間、王家の親子、兄弟、親族の間で、
凄惨きわまりない権力抗争が繰り返えされた。
李朝初代王、李成桂には8人の息子がいた。王位を子に譲って隠居したが、
息子たちは、王位をめぐって血みどろの抗争を繰り広げ、殺しあった。
政争に明け暮れ、
中傷謀略、 不正腐敗がはびこり、 国民を際限ないまでに苦しめ、
残虐をほしいままに、
搾取し続けたのです。
李朝500年の間に、16人の王子と数十人の王族が、つまらない投書・
諫言によって処刑され、粛清された。
国を憂う多くの知識人・学者たちも投獄され、殺された…
人材を失った朝鮮は、民族の衰退をよぎなくされたのです。
何世紀も続く李朝の悪政は、
韓族の自尊心を抹殺し、
容易に癒されない
「韓国病」を国民に植えつけてしまったのです。
一方の徳川幕府を開いた家康…9人の男子に恵まれたが、子たちは良く従い、
協力しあい、家康が大御所になった後の二代将軍を、よく支えた。
徳川300年の間に、兄弟一族が権力闘争で殺し合ったことは、
一度もなかった。 徳川一族は、
ことさらに”和”を重んじ、 法を守ったのです。
韓流ブームに乗って、「チャングムの誓い」「大王世宋」が高視聴率を上げ、
現在「イ・サン」「龍の涙」が放映されている…
何れも、季朝時代の権力抗争を題材にした歴史物語です。
「韓国病」がまん延する王宮…ドキドキ・ハラハラ…
陰謀・権力抗争が繰り広げられる。
崔 基鎬著「韓国堕落の2000年史」より