« 孔子の教え(27)「自らの言行に責任を持て」 | メイン | 日本人の”品性”のもとは論語 »

昭和天皇

■教育は家庭から始まる
 
21日夜9時、民放TV「探そうニッポン人の忘れ物~ハッピーバスデー~」を見た。150万部ベストセラーのドラマ化だが、 我が家でも話題になった。
 
サザエさんの漫画や、朝のNHK連続テレビ小説を見ていると、家族揃って食卓を囲み、にぎやかに食事をしている… そこにはお婆ちゃんもいる。
私の子どもの頃は、普通に見られた家族の光景です。今の時代、こんな家庭は珍しいだろう。
 
家族を大切にする…人との触れ合いを大切にする…今は失われた、日本古来の価値観です。
教育の目的には、「良い人間を育てること」「より良い地域社会の一員になること」があります。苦しんでいる人や、 貧しい人に手を差し延べる人間になることです。
 
今の日本の教育は、良い会社に入っていい給料を貰うため、必要に駆られて、良い高校に入り、良い大学を目指す… 勉強したいからではなく、みんな行くから高校や大学に行く…近年の学力の低下は、教育の本質を忘れたところに問題があります。
 
良い人間を育てる躾け教育は、学校ではなく家庭で行われるべきなのに、それも忘れてしまっている。        カトリック大司教/ヨゼフ・ピタウ「教育と信仰」
                           
716 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~歴史から学ぶ~ 「昭和天皇」
 
昭和天皇は生涯、国民から敬愛の念で尊ばれました。それは、 その謙虚なお姿高貴さにありました。 一言で言えば「至高の徳性」にあります。
昭和天皇は明治34年、大正天皇のご長男として誕生されました。
生まれて僅か三ヶ月の頃、親元を離され、一民間人の” 川村伯爵”の許に預けられ、約2年間、 将来帝王となるべきしつけ教育を受けられました。
 
川村伯爵は薩摩出身の軍人です。しつけは厳しかったという。
その教育方針は、
一.健康な御体に育て、持てる天性を曲げぬこと
ニ.ものに恐れず、人を尊ぶ性格を養うこと
三.困難に耐え、 我がままを言わぬ習慣をつけること
 
その後、学習院の初等科に入られましたが、当時の院長は乃木希典。 乃木大将は、道徳を身にまとった見本のような人。 そのもとで厳しく鍛えられたことが、後の昭和天皇のお人柄を育まれたのです。
 
事例を、幾つか紹介します。
当時の東宮御所から学習院までは、わりと近かったのですが、 将来天皇になられる方ですから、 馬車で送り迎えしていました。それを見た乃木院長、 「雨の日でも晴れた日でも、 必ず歩いて通って下さい」 と、馬車に乗るのを止められたのです。
 
冬になると、当時のことですから、みんなすぐ火鉢にあたろうとしました。 それを見た乃木院長、 「寒いからと火鉢にかじりついていてはいけません。運動場をかけっこされたら、暖かくなります」と言われたという。
 
後になって昭和天皇自ら、「贅沢はいけない。質素にしなければならない」と、 乃木院長に厳しくしつけられたことを、懐かしく語っておられました。
 
学習院小学校卒業後は、東宮御所内の学問所で、 中高一貫教育を受けられました。その七年間の教育の柱は「倫理」と「歴史」。正しい倫理観と、正しい歴史観身につけることが、国の行く末を誤らなくする、 重要な教育課題だったのです。
 
この期間の教育はまことに厳しく、凄いものだったという。
明治天皇と大正天皇が、将来の天皇をお育てするため、 いかに心を用いていたかを物語る話です。
                                          「論語の友」より
 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.noevir-hk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1205

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ひとつ前の投稿は「孔子の教え(27)「自らの言行に責任を持て」」です。

次の投稿は「日本人の”品性”のもとは論語」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36