■「儒教」と「儒学」、「仏教」と
「朱子学」
孔子の教えを拡大発展させて教えにしたものを、「儒教」といいます。
これと似た言葉に「儒学」がある。
「儒教」は、頭から信じる教えとして「孔子の教え」をベースに据えたものです。
「儒学」は、批判・検証すべき学問として「孔子の教え」を据えている。
儒教は”宗教”の色が濃く、儒学は”学問”の要素が強いようです。
しかし、孔子の教えには”信心”、つまり「信ずる者は救われる」といった、宗教的側面が感じられません。それが後に中国に「仏教」
が伝来し、宗教の興隆を招くことになった…と学者は指摘する。
仏教は、儒教では解けなかった”人生の難問”をみごとに解明してくれます。
仏教は、南北朝から唐代にかけて大きく興隆していきます。
これに対抗して、儒教をよりパワーアップして、仏教に負けない教えにしたのが「朱子学」です。儒教の教えに仏教や老荘思想を加味し、
宗教というより、哲学や科学の色合いが濃いものになっています。
結論として、孔子の教えや儒教は宗教とは言い切れないのです。
守屋淳「論語に帰ろう」
より
715 【心と体の健康情報】
~古典から学ぶ~
孔子の教え(27)「自らの言行に責任を持て」
「子曰く 古者(いにしえ)言(ことば)を 之れ出(いだ)さざるは 身のおよばざるを恥ずればなり」
(里仁第四)
「先師が言われた。昔の人々が、軽々しく口に出さなかったのは、実行がなかなか伴わないことを恥じたからである」
人の上に立つ者は、自分の言葉に責任を持たなければなりません。自分の言行に責任を持つなら、
出来もしないことをむやみに口にしないことです。
かって、弁論の雄と称された政治家が、思いがけなく総理大臣に指名された。
その時、論語・顔淵篇の一句である「無信不立」
と書かれた総理の文章を新聞で見て、
「総理も論語を読まれている」と、頼もしく思ったことがありました。
しばらく後、安岡正篤先生にこのことを話しますと…先生は笑って、「知る者は言わず」と一言おっしゃいました。
伊与田 覚著「論語のはなし」より
さて、鳩山政権になって最大の問題は、
日本経済の本格回復に向けた成長戦略が曖昧のまま、選挙公約のマニフェスト…国民に約束したバラマキ型の政策を、
しゃにむに強行しようとしている点です。
公約を守ろうと躍起になる余り、
景気を悪化させることにでもなれば、本末転倒です。来年度当初予算の概算要求には、
子ども手当て2.3兆円、高速道路無料化、公立高校無償化などの大型政策が盛り込まれ、これにガソリン税暫定税率廃止2.5兆円が加わると、95兆円をゆうに超える金額になるのです。
日頃仲よくしている経営者に聞くと、どの業種も、
今回のような受注の落ち込みは、過去に例がなく、先行きが全く不透明で、
一様に顔色はさえない。
鳩山政権は、「コンクリートから人へ」の方針で、公共事業を削り、
福祉など国民への直接給付に政策の重点を移している。
確かに、箱もの行政や公共事業頼みの地域振興は、
見直す時にきているだろう。
しかし、不況で疲弊した中小零細企業への配慮を欠けば、
致命的打撃をこうむることになる。そうなれば、
雇用環境は更に悪化し、いくらマニフェストに従って、手当てを国民にばらまいても、貯蓄に回されたりして、
景気の回復にはつながらないだろう…
TVに、政府の行政刷新委員会の「仕分け人」が映し出される。
藤田まことの「必殺仕置き人」
がダブって見える。財源を、新たな政策に回すための削減なら、効果は相殺されるだけだ…。
日本の将来を担う研究開発を助成し、産業を育成し、
国民にはエコカーの補助を再度予算化した方がいい…マニフェストに固執して、
経済効果の薄い施策に、多額の予算を浪費してはならないと思う。
11/17 読売新聞社説