平成13年5月、小泉首相の就任所信表明演説で「米百俵の精神」 を引き合いに出し、話題になったのは、ついこの間のことのようです。
頃は明治3年…明治維新に際し、新政府側につかず、独自の立場を貫いた長岡藩は、 戊辰戦争で官軍に町を焼かれ、 石高も七万四千石から、二万四千石に削減され、窮状にあえいでいた。
それを見かねた支藩の三根山藩が、見舞いに届けたのが” 米百俵”
長岡藩の大参事(旧家老)の小林寅三郎は、米を藩士に分けず、百俵を元手に学校を作ることを主張した。 窮状にあえぐ藩士らは猛反発し、
米を寄こせと詰め寄った。
大激論の末、小林はこう説き伏せた。
「百表の米を分けたところとて、何日ひもじい思いをしのげるだろうか?
食べてしまえばそれまでで、
いつまでたっても本当に食えるようにはならない。
この米で学校を建て、
人材を養成するのが迂遠だが、一番の近道だろう。
今、
百俵の米が、その時には千俵にも万俵にもなるだろう…」と。
後に長岡中学から、山元五十六や小野塚喜平次・東大総長らの逸材を多数輩出した。 目先に囚われているようでは、 いつまでたっても世の中は変わらないだろう。 5年後、 10年後を見据えた政治を行うことが大事なのです。