■心に残ることば
「 事、未だ成らず…小心翼々
事、まさに成らんとす…大胆不敵
事、既に成る…
油断大敵
」
「実行前は、細心な研究・調査・計画のもとに、充分な準備をする。その際には、あたかも”小心”と思えるほどに行なう。
実行段階に至っては一切の不安を捨て、一気呵成に行なう。そして、成就の後は油断せず、緊張感を持続する」
江戸時代末期から明治にかけ、幕臣として活躍した勝海舟が遺した言葉です。
大事に当たっての心構えを述べたものです。中でも実践が大変難しく、かつ銘肝すべきは、「事、既に成る、油断大敵」…
後始末の重要性を説いている箇所ではないでしょうか。
この言葉が示唆するように、人は物事が順調に進むと、つい気を抜いたり、最後の詰めが甘くなって、確認を怠り、失敗を招いてしまう。
「勝って兜の緒を締めよ」「立つ鳥は跡を濁さず」など、物事や心の後始末の大切さを説くものとして、日頃よく口にする言葉です。
自民党が選挙で大勝して、300議席を超えたことが、過去に二度あります。
それが、ゆるみやおごりになって国民の信を失い、次の総選挙で大敗している。
今回大勝した民主党…そうしたことを教訓に、国民の支持を失うことのないよう、頑張ってほしいものです。
699 【心と体の健康情報】
~古典から学ぶ~ 孔子の教え(24)
「過てば則ち改むるに憚ること勿かれ」
以下、この7月BSで再放送された、NHK土曜ドラマ「島の裁判官奮闘記」から…
休日に、学校の校庭で起きた子供の事故。両親は学校側の管理責任を問い、
学校と町を相手に損害賠償訴訟を起こした。
学校側は、両親の監督責任に問題があると、真っ向から対立…
双方歩み寄る気配がなかった。
そんな中、裁判長から和解による解決を提案され、和解を試みるも、双方、
自らの非を認めようとせず、歩み寄る気配がない。
学校側は、裁判所の和解勧告を、学校の責任を認めることにつながると受け止め、
”休日の校庭解放”を禁止してしまった…
憩いの場所である校庭から、町民や子供たちが締め出されてしまったのです。
裁判長は悩んだ末、和解を打ち切り、
判決によって裁断を下すことを決意…双方に深々と頭を下げ、侘びを入れた。
「裁判長が、自らの判断ミスを詫びる」などということは、
過去に前例がなく、異例な事態である。唐突な裁判長の行為に、所内では賛否両論、意見が分かれた。
この時、裁判長が詫びたことに、賛成する所員が言った…
『率直で正直で、いいじゃないですか…裁判官も、俺達と同じ人間じゃないですか、
「過
(あやま)てば則ち改むるに憚
(はばか)ること勿かれ」って、
言うでしょう…』
有名な論語の一節(学而第一)である。
「過ちに気付いたら、改めるのに誰にも遠慮はいらないよ」という意味になる。
自分ではいいと思ってやったことが、ときには過っている場合がある。
しかし、過ったままでいいかといえば、 そのままではよくない。
過ちに気づいたら、
自分の非を素直に認め、
改めることです。しかし、いざとなると、
容易には実行しにくい事柄であり、それ相当に度胸のいることです。
実際、自分がそういう状況に置かれたら、裁判官と同じ行動が取れるだろうか…
疑問です。「損徳」
を考えたり、「世間体」を思ったり、「地位・名誉」
に囚われてしまい、
実行出来なくなる…
ちゅうちょして、タイミングを逸すると、更に難しくなる。
何よりも「私利私欲から離れて、自分を客観的に見つめてみる」勇気がいるのです。「人の値打ちは”過ち”
をおかしたときに表れてくる」と孔子は言う…肝に命じなければならない。
[神様と人間はどこが違う?]
神様は決して嘘を言わない…過ちを犯さない…神様のやることは全て正しく、
完全である。対する人間は、
平気で嘘をいい、過ちを繰り返す…人間は不完全な生き物である。
当然、自分という人間も不完全である…故に、他人に完全を求めてはならないし、
他人の過ちを許す心がなければならない。
芳村思風
「感性論哲学」