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ポエニ戦争

古代カルタゴとローマ展今から約2800年前、地中海をはさんだイタリアの対岸、現在のアフリカ・チュニジア。
その地に拠点を置くフェニキア人によって建国された、都市国家カルタゴ…
地中海貿易の拠点として繁栄を極め、独自の文化を育んできた。

世界遺産が8ケ所も点在するチュニジア。
その地中海文明の至宝の数々が、はるばる石川県立美術館にやってきたのです。

「古代カルタゴとローマ展」と題して、160点が展示公開されている。
エジプト文明、ローマの栄枯盛衰に興味を持ち、様々な書物を読み漁ってきた私…
8月29日の初日、早速見学に訪れた。
(期間は9月20日まで)

 

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 696】
~歴史から学ぶ~「ポエニ戦争」

カルタゴ地図と有翼女性神官の石棺写真
 
新興ローマと、栄華の頂点に昇り詰めた地中海の覇者カルタゴが、紀元前3世紀~前2世紀の間、 地中海交易の覇権をめぐって戦った。
(中国の戦国時代は、前4世紀~3世紀)
両者は、国家の興亡を賭けて3度のポエニ戦争を戦った後、カルタゴは新興ローマに滅ぼされてしまった。
 
第二次ポエニ戦争で、歴史に残る軍事才能を発揮したのが、カルタゴの将軍ハンニバル。 迎え撃ったのは、ローマの名将スキピオ・アフリカヌス。
第一次ポエニ戦争は、前264~241の23年に及ぶ戦いの末、敗退したカルタゴは、その後イベリア半島(スペイン)に活路を求め、 勢力拡大に努めた。
 
先行きを危惧したローマは、イベリアへの進攻を画策した。ハンニバルは先手を打って、 ローマの裏をかき、予想だにしなかったアルプス越えを断行した。
前218年、2万の歩兵、6千の騎兵、そして数百頭の象を引き連れてのアルプス越え…谷底へ転落する兵士は後を絶たず、 引き連れた象も、寒さで次々倒れていった。
多大な犠牲を払って、アルプス越えに成功したハンニバル…イタリア半島に怒涛の如く攻め込んでいった。
前216年には、半島の南半分を支配下に収め、追い詰められたローマ軍は、壊滅寸前に陥った(源平の戦いに似ている)。この時、 首都ローマを包囲して、外部との連絡を絶ち、同盟諸都市に対し、ローマからの離脱を働きかけていたら、以後の戦局は、 カルタゴに有利に働いただろう。
 
しかし、カルタゴ本国からの増援はなく、消耗を重ね、徐々に戦局はローマ側に傾いていく。 16年に及ぶ戦いの末、前202年、ローマ軍は"ザマの戦い"で決定的勝利を収め、ポエニ戦争の雌雄が決っした。
 
遠征出発時25歳だった青年が、イベリアに逃れた時は、41歳の初老(今の時代の60歳に相当) になっていた。
ハンニバルは、その後カルタゴの復興に努めるが、政敵の告発によってローマから追われる身となり、シリアに亡命。後に、 ローマとシリアが戦争を始めると、ハンニバルは、シリア側に策をさずけたりして、その存在を示した。
 
一方のスキピオも、司令官の弟を助けて、ローマの勝利に貢献。
ローマに追い詰められたハンニバルは、自殺してしまった(義経に似ている)。
そのスキピオも、ローマでの絶大な人気が仇となり、政敵によって、政界からの引退を余儀なくされた。ハンニバルが自殺した年 (前183)に病死…宿命のライバル、2人の英雄は、同じ年にこの世を去ったのです。
 
■ローマ帝国でよみがえったカルタゴ
第三次ポエニ戦争で、カルタゴは全面敗北…町は徹底的に破壊された。
カルタゴの再興をおそれたローマ軍は、農地に海水を撒いて、耕作出来ないようにした。生残った人々の大半は、殺されるか、 奴隷になった。
 
この戦いの悲劇的顛末は、今も伝説として語り継がれ、塩野七生著「ローマ人の物語Ⅱ」でも、 詳しく語られている。
三国志、源平の戦い、日露戦争(坂の上の雲)などの歴史物語に匹敵する熾烈な戦い…智略・策略を駆使した死闘の連続… 「ローマ人の物語」は、是非読んでおきたい一冊でしょう。
 
カルタゴ滅亡から1世紀のち、ローマ初代皇帝アウグストゥスによって再興…
植民都市としてよみがえり、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ、ローマ帝国第三の都市として繁栄…ローマとカルタゴ… 二つの異なる文化が融合して、優美な文化を築きあげていく。カルタゴは、新たな黄金時代を迎えるのです。
 
学習研究社「激闘ローマ戦記」/PHP文庫・拓殖久慶著「ローマ帝国史」から抜粋

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