« 2009年08月 | メイン | 2009年10月 »

2009年09月 アーカイブ

2009年09月01日

落語・お神酒徳利

■世界のジョーク 「幸せを感じる時」
 
・イギリス人…「うまいブラックジョークが決まった時」
・ドイツ人  …「計画通りに物事が運んだ時」
・スペイン人…「おいしいものを食べて、 のんびり昼寝をしている
                        時」
・フランス人…「長期のバカンスに出かけようとしている時」
・日 本 人…「食事を素早くかき込んで、再び働き始めた時」
・中 国 人…「同朋が、世界一になる何かをした時」
・韓 国 人…「経済・スポーツ何であれ、日本を負かした時」
 
「働き蜂」「モーレツ社員」を自称し、働いてきた私たちの世代…
日本人が世界に与えた印象は、いまだにぬぐいきれずにいる。
今の日本に、「働いている時が一番幸せ」と感じる若者…どれだけいるでしょうか?
 
 
694 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
~ことば遊び~  「落語・お神酒徳利」
 
占いを題材にした噺です…なかなか面白いので、 あらすじをかいつまんで紹介ましょう
♪江戸のある八百屋。長年のお得意だったお店(たな)だが、 女中が代わってから、まるで買ってくれなくなった。それだけならいいが、 「台所のことは私の料簡しだいだ、くずぐずしていると、水をぶっかけるよ」 という調子だから、しゃくにさわってしかたがない。
困らせてやろうと、女中が旦那に呼ばれた隙に、 信心家の旦那が大事にしている、錫(すず) のお神酒(おみき)徳利を、水瓶に投げ込んでおいた。その徳利が紛失したというので、女中が旦那に叱られている。 八百屋が挨拶すると、女中が八百屋を締め出したと知って、更に叱りつけた。
 
そ知らぬ顔で訊いて見ると、大切なお神酒徳利がなくなったという。 そこで八百屋は、自分は易者をやっていて、算盤占いが得意だと言う。 紛失物なら、誰が盗んだかを言い当てるので、犯人が外部の者でなければ、 お店から罪人を出さなければならない。それが嫌で、 気楽な八百屋になったのと言った。
旦那は、品物さえ戻ってくればいいので、 占ってくれという…。
 
いい加減に算盤を弾いて、水瓶の中にございますと言明…
見事、的中である。茶と菓子を出した旦那、 三島にいる弟が相応の資産家になり、田舎にいては仕方がないので、江戸で商売を始めようと思っているが、 易者の言う易が全部違っている。
だから、占ってもらいたいと言う。
易はズブの素人の八百屋。なにかと理由をつけて断ったが、結局、 引き受けなればならない破目になった。
 
途中の小田原宿で、夜中になって亭主と番頭がやってきた。
百両という金が紛失したが、外から賊の入った様子はない。
奉公人を離れに集めて、彼らの部屋を探したが見つからないので、客の持ち物を調べさせてもらいたいという。
 
それなら、占いの名人がいるからと、起こされた八百屋。
百両という大金なので、 かな部屋で一晩算盤を弾くからと、 離れの二階を借り、 ろうそくに提灯、五両小銭で、 おむすびに三間ハシゴ、草鞋などを用意させた。
 
夜逃げするつもりで仕度を終えたところに、宿の女中がやってきた。 江戸の算占いの先生が、犯人を弾き出してしまうと知って、 顔色を変えている。 女中が言うに、 田舎の母親が急病になつたので、前借を頼んだが、 主人が貸さい。 盗みはしたが、 大金なので手をつけず、 裏のお稲荷の縁の下に埋めたとう。
『算盤に出ておりますかいの?』
「ああ、出ている、出ている…が、心配せずにまかせなさい!」
 
女中を帰すと、ポンポンと手を叩いて宿の亭主を呼んだ。
裏に稲荷がある。ここ三年祀りを怠っているので、大変なお腹立ちだ。
女中の母親が病気で、前借を頼んだのに、 貸さなかったのにも稲荷はご立腹あると… なにもかも稲荷のお告げにして、ケリをつけてしまった。
 
大先生だというので、次々と依頼人が押しかけたが、八百屋の姿が見えない。
『うーん! こんどは先生が紛失した』

2009年09月03日

幸福は、汗みどろに生きる中から掴むもの

■中村久子(1897~1968)
 
岐阜県高山市で長女として出生。3歳の時、2歳の時の凍傷がもとで脱疽を患う。 両手両足の切断を幾度も繰り返し、 3歳にしてだるまさんと言われる身障児になる。
7歳の時父と死別。10歳の時弟が他界。そんな中、祖母ゆきと、 母あやが彼女支え育てた。
久子20歳の時、高山を離れ一人立ちする。見世物小屋で「だるま娘」 となって我身をさらし、 生活の糧を得る…母と再婚した父が、久子を身売りしたのです。
見世物小屋で、両手・両足のない体をさらし、 裁縫や編物を器用にやって見せる毎日。
50歳の頃より始めた、執筆・講演・施設慰問活動は、 全国の身障者に計り知れない影響をもたらし、生きる力と希望を与えていった。
「無手無足」の自らの身体は、仏より賜ったもの…生かされていることへの喜びと、 尊さを語って歩いた。
65歳の時、厚生大臣賞を受賞。72歳、 波乱に満ちた生涯を終える。
 
695 【心と体の健康情報】
~幸せな人生を歩むために~
「幸福は、 汗みどろに生きる中から掴むもの
 
人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」に、”中村久子”女史を語っているところがある。
中村久子女史は四歳の時、不幸にも脱疽(だっそ)にかかり、両手両足を失い、苦渋の”だるま” さん人生を歩んでいく。
 
両手は手首から、両足は第二関節から先が無く、そういう体で結婚し、子をなし、主婦として、 母親として、家事労働をこなしながら、人々に生きることの尊さを教え、七十幾歳の人生を全うした女性です。
仏教に深く帰依し、自分の体を恨むどころか、たとえそういう体でも、人間に生まれたことを喜び、 「身はいやしくとも畜生に劣らんや、 家は貧しけれども、 餓鬼にはまさるべし」の、仏教言葉を”坐右の銘”にしてる。
 
禅僧・関 大徹が富山の光厳寺時代、中村久子女史を講演に招いたことがある。 風呂もお手洗いも一人で入られたし、衣服をたたむのも、持参の竹べらで、きちんと収めていたのには驚嘆した。
歯ブラシは両腕ではさんで、たんねんに磨く。顔は両腕で洗い、タオルは口と腕でしぼる。みんな、 血の出るような鍛錬のお陰である。この人のことを思うと、「人間の幸福とは何か」について、考え込んでしまう。
幸福は、自らが汗みどろになって掴み取るものではあるまいか。
 
中村久子さん41歳の時、ヘレンケラー女史に会う。
「私よりも更に厳しい生き方をし、人間業を超えた努力に生きる人がいる」と、 ヘレンケラーに感銘を与え、賞賛した。
 
中村久子女史が人生を全うできたのは、母親の厳しい躾があったからである。 いつまでも母親が世話をやくことは出来ない…
何れは一人で生きていかなければならない。
 
七歳の頃、一人で針に糸を通す訓練をさせられた…泣いても、いやがっても、 出来るようになるまでやらせられた。口で糸の端を細くしておいて、両腕に持ちかえ、針を口にくわえて通す。
糸の結び玉は、舌の先と唇とで糸の端をくるくるとまるめて、歯と唇で糸を押さえて、両腕で引く。 やれるようになるまで、何ヶ月も訓練を重ねたのです。
 
そうした努力のお陰で、日常生活に必要なほとんどのことを、一人で出来るようになった。はた目には、 そうした厳し過ぎるまでに見えるしつけが、一人で生きていくことへの自信と、根性を植えつけたのです。
 
人の命とはつくづく不思議なもの。 確かなことは、自分で生きているのではない。生かされているのだと言うことです。
どんなところにも必ず道がある。 人生に絶望なし。いかなる人生にも、決して絶望はないのだ
幾度とない、想像を絶する苦難の人生を乗り越えて、自らの力で生き抜いてきた、 中村久子さんの言葉である。

2009年09月09日

ポエニ戦争

古代カルタゴとローマ展今から約2800年前、地中海をはさんだイタリアの対岸、現在のアフリカ・チュニジア。
その地に拠点を置くフェニキア人によって建国された、都市国家カルタゴ…
地中海貿易の拠点として繁栄を極め、独自の文化を育んできた。

世界遺産が8ケ所も点在するチュニジア。
その地中海文明の至宝の数々が、はるばる石川県立美術館にやってきたのです。

「古代カルタゴとローマ展」と題して、160点が展示公開されている。
エジプト文明、ローマの栄枯盛衰に興味を持ち、様々な書物を読み漁ってきた私…
8月29日の初日、早速見学に訪れた。
(期間は9月20日まで)

 

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 696】
~歴史から学ぶ~「ポエニ戦争」

カルタゴ地図と有翼女性神官の石棺写真
 
新興ローマと、栄華の頂点に昇り詰めた地中海の覇者カルタゴが、紀元前3世紀~前2世紀の間、 地中海交易の覇権をめぐって戦った。
(中国の戦国時代は、前4世紀~3世紀)
両者は、国家の興亡を賭けて3度のポエニ戦争を戦った後、カルタゴは新興ローマに滅ぼされてしまった。
 
第二次ポエニ戦争で、歴史に残る軍事才能を発揮したのが、カルタゴの将軍ハンニバル。 迎え撃ったのは、ローマの名将スキピオ・アフリカヌス。
第一次ポエニ戦争は、前264~241の23年に及ぶ戦いの末、敗退したカルタゴは、その後イベリア半島(スペイン)に活路を求め、 勢力拡大に努めた。
 
先行きを危惧したローマは、イベリアへの進攻を画策した。ハンニバルは先手を打って、 ローマの裏をかき、予想だにしなかったアルプス越えを断行した。
前218年、2万の歩兵、6千の騎兵、そして数百頭の象を引き連れてのアルプス越え…谷底へ転落する兵士は後を絶たず、 引き連れた象も、寒さで次々倒れていった。
多大な犠牲を払って、アルプス越えに成功したハンニバル…イタリア半島に怒涛の如く攻め込んでいった。
前216年には、半島の南半分を支配下に収め、追い詰められたローマ軍は、壊滅寸前に陥った(源平の戦いに似ている)。この時、 首都ローマを包囲して、外部との連絡を絶ち、同盟諸都市に対し、ローマからの離脱を働きかけていたら、以後の戦局は、 カルタゴに有利に働いただろう。
 
しかし、カルタゴ本国からの増援はなく、消耗を重ね、徐々に戦局はローマ側に傾いていく。 16年に及ぶ戦いの末、前202年、ローマ軍は"ザマの戦い"で決定的勝利を収め、ポエニ戦争の雌雄が決っした。
 
遠征出発時25歳だった青年が、イベリアに逃れた時は、41歳の初老(今の時代の60歳に相当) になっていた。
ハンニバルは、その後カルタゴの復興に努めるが、政敵の告発によってローマから追われる身となり、シリアに亡命。後に、 ローマとシリアが戦争を始めると、ハンニバルは、シリア側に策をさずけたりして、その存在を示した。
 
一方のスキピオも、司令官の弟を助けて、ローマの勝利に貢献。
ローマに追い詰められたハンニバルは、自殺してしまった(義経に似ている)。
そのスキピオも、ローマでの絶大な人気が仇となり、政敵によって、政界からの引退を余儀なくされた。ハンニバルが自殺した年 (前183)に病死…宿命のライバル、2人の英雄は、同じ年にこの世を去ったのです。
 
■ローマ帝国でよみがえったカルタゴ
第三次ポエニ戦争で、カルタゴは全面敗北…町は徹底的に破壊された。
カルタゴの再興をおそれたローマ軍は、農地に海水を撒いて、耕作出来ないようにした。生残った人々の大半は、殺されるか、 奴隷になった。
 
この戦いの悲劇的顛末は、今も伝説として語り継がれ、塩野七生著「ローマ人の物語Ⅱ」でも、 詳しく語られている。
三国志、源平の戦い、日露戦争(坂の上の雲)などの歴史物語に匹敵する熾烈な戦い…智略・策略を駆使した死闘の連続… 「ローマ人の物語」は、是非読んでおきたい一冊でしょう。
 
カルタゴ滅亡から1世紀のち、ローマ初代皇帝アウグストゥスによって再興…
植民都市としてよみがえり、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ、ローマ帝国第三の都市として繁栄…ローマとカルタゴ… 二つの異なる文化が融合して、優美な文化を築きあげていく。カルタゴは、新たな黄金時代を迎えるのです。
 
学習研究社「激闘ローマ戦記」/PHP文庫・拓殖久慶著「ローマ帝国史」から抜粋

2009年09月11日

孔子の教え(23)『人間関係」

■マージャンを囲んで人を観る
 
28歳、十年に及ぶ闘病生活から脱却し、健康に自信が持てようになった某上場企業の子会社に就職た…人より十年遅い社会人スタートです。
その子会社に、本社の取締役が社長として赴任してきた。
単身赴任の社長…時折、社員を寮に招き入れ、酒を酌み交わし、 ャンに興じた後になって知ったことだが…真の目的は”人間観察”にあった。
招かれた社員…酒を飲み、卓を囲むうちいくら表面を繕っても、人格がくる。社長は、何食わぬ顔で社員を観察し、人材登用に役立てていす。
赴任5年、北陸業界NO1の企業に育てあげ…一千人の、関連子会社社長栄転していった。親分肌で、偉ぶる素振りを見せたことがく、をこよなく愛した今も敬愛する長です。
 
近頃は、ゴルフだろう…社内コンペでは、マナーや気配りへの注意が肝要です上司が見ています。当時私は、年に一度、全社員が集まる”新年会”や、社員などで、己アピールには絶好の機会…と、先頭に立って”かくし芸” をやって見せたもす。
 
 
                                                                                                                                                                                                                 697 【心と体の健康情報】 
~古典から学ぶ~  
孔子の教え(23)「人間関係」
 
「子曰わく 君子は義に諭(さと)り 小人は利に諭る」
                                                             (里仁第四)
「先師が言われた。君子は義に敏感であるが、小人は利に敏感である」
以下、「理念と経営・伊与田 覚・論語の対話」からの抜粋です。
 
友人と交わる時、その友人を見て”義と利”… どちらが先にピーンとくるか? ”義” がにくる友人は、 「これは、人の道に適っている…だから、 やらなと考えるだろう…
ものごとを「善悪か」で判断する友人である。
”利”が先にくる友人は、 「こいつは儲かりそうだから、やろう…」と、「損か得か」 でものごとを判断しがちです
 
役人や学校の先生、お坊さんは、 利を諭る前に「義に諭る」ことが大切です。商人であれば、利に諭らなければ成功しないでしょう…しかし、ピーンときたに、「待てよ… 」というブレーキがかからなければ、本当の商人とは言えません。 ブレーキからないと、 大きな損失・失敗を招くことになります。
 
幼少の頃に「人の道」、つまり”義” に照らして、やって良い事と、やってはいけない事への判断を、しっかり教えておくことです。
そうしないと、 ブレーキの効かない車のように、ススッ~とってしまい、人生をミスってしまうことになります。
覚せい剤所持容疑で逮捕され、 世間を騒がせた女優”酒井法子”などは、その典型でしょう…。
 
社会人の交わりで大切なのは人間関係。先ず 「親子関係」「夫婦関係」、そして地域社会での 「上関係」「長幼関係」 「朋友関係」…年上と年下の関係は特に切です
「嫁・姑関係」も、こじれると家庭が乱れます。
 
少子化の時代… 1人っ子家庭が多くなり、兄弟姉妹の交わりを知らない。 私は男4、女2人の6人兄弟の中で育った…
よく喧嘩をした… 兄弟の交わりから「長幼の交わり・順序・気配り」を、自然と身に付けていくのです。
 
孫を幼稚園に送り迎えして思うのは、 年少組のクラス、年長組クラスに分けられて、 日々の遊びの中で、「長幼関係・上下関係」を学習する機会がないまま、 になっていく。 小学校も中学校も同じです。
 
戦後教育で、誤まった平等思想・ 個人主義が身についてしまい、「親もあるか!もあるか! 人間皆平等じゃないか…」となって、 親の言うことを聞かず、自分の利益や都合ばかりが優先される。 親が亡くなると、 財産分配で醜い争いを起こしりする…。
人間関係・上下関係は、家庭の中で育むべきものです。
「夫婦関係」で大切なのは、 男性と女性が結ばれて、夫となり妻となるわけだら、夫としての道、 妻としての道をわきまえたうえで、家庭を築いていかなければなりません。
 
友人関係は「朋友に信あり」… お互い嘘偽りがなく、言ったこと、約束したことはず守る。 真の友人の間には”信頼関係”がある…親しい友は、金銭の貸し証文は不要、保証人もいらない…本当の友人とは、「仁・義・礼・ 知・信」合った仲なのです
 

2009年09月14日

かなざわなまり(5)

■出来ると思えば出来る
 
8月、ベルリンで世界陸上が開催され、女子マラソンで、 国際大会初出場の尾崎好美選手が、みごと銀メダルを獲得したことは、記憶に新しい。
日本でマラソンの代表選考が行われたのは5月…補欠2名を加え、 男女5人を選出…北京五輪の雪辱を誓う。 選出された女子ランナーは、26~32歳のベテラン揃い。
 
マラソンは、他の陸上競技と異なり、30歳前後が最も実力が出るスポーツのようです…中でも、赤羽有紀子選手は、 国際マラソン日本選手初のママさんランナー。
北京五輪では、5千と1万メートルに出場…29歳でのマラソンデビューでした。
結果は31位と、力を出し切れずに終わった。
 
昨年秋、石川県で第一回100キロ歩が行われ、友人が何人も完走した。
100キロと言えば、金沢~七尾間…小松まで30キロ歩くのも大変なのに…
驚きです。当人たちは事もなげだが、「100キロ歩き通す」という強い意志と決意がなければ、為し得ないことです。
「出来ないと思えば出来ない!やれると思うから出来るのです」
 
698 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~かなざわなまり(5)~
「どぶす」「おんどべ」「どっぷ~とつかって…」
「だちゃかん」「だんない」「おんぼらぁと」
「いんぎらぁと」 「なごなる」「ねまる」
 
三十代の頃よくマージャンをした…負けが込むと「どぼすなった」と、よくったものです。
道路の脇にある側溝のことを、かなざわことばで「どぼす」或は「どぶす」と言う。 この言葉からくるイメージは何とも汚い。
下水設備がまだ不完全だった頃、「どぶす」の底は、真っ黒な糸ミミズがゆらいでいた。
 
汚い言葉といえば「おんどべ」 がある…お尻のことである。
関西弁「おいど」比べると、何とも汚ならしい言葉です。
かなざわことばには、このほかどっぷ~とつかっている」(浸りきっている)、だっちゃかんがや」(らちがあかん)、 だんない」(大丈夫)など、濁音を含むことばが多く、 リアリティで肌にふれ言葉が多い。
 
更に、どことな~く間延びした言い回しが多いのも、かなざわことばの特徴です
「おんぼらぁ~と」「いんぎらぁ~と」「しな~っと」 などがそうです
「おんぼらぁ~と、食んまっし」と言うように、ゆっくり、 ゆったりした様子を表現する言葉「おんぼらぁ~と」 である。
 
「おんぼらぁ~と」とよく似たことばに、「いんぎらぁ~と」がある。
生粋の金沢人は、この二つを使い分ける。
「おんぼらぁ~と」は量的なゆとり、「いんぎらぁ~と」は空間的ゆとりを表している。「おんぼらぁ~と」は、食事を勧める時に、 たっぷりと存分に、という気持ちを込めて言う。
 
「いんぎらぁ~としていくまっし」(のんびりしていったら…)という言い方は、 同じゆっくり、ゆったりでも、お寺空間のような広々とした意味がある。
いろりの周りに集まって、あぐらをかいくつろぐときに、ねぎらう意味で使われていたが、今は過去の言葉で、耳にすることはない。
 
もう一つ、ゆったりことばで忘れてはならないのが「なごなる」。よその家を訪れたとき、奥さんが出迎えて、「よう来られました…まあ、なごなるまっし」。
「なごなる」とは「長くなる」。つまり、体を伸ばして横になる、 寝そべるという意味になる。
 
合わせてよく使われたのが「いんぎらぁ~と…」 である。
いずれも、 お客さんのようによそよそしくならないで、自分の家にいるように楽にしてほしいとの意味で、 優しい心遣いが伝わっくる。
茶の間に通されて、「そこにねまるまっし」と、座る場所を指さされる…この「ねまる」 も金沢弁である。
                       「頑張りまっし、金沢ことば」より

2009年09月17日

孔子の教え(24)

■心に残ることば
「 事、未だ成らず…小心翼々
  事、まさに成らんとす…大胆不敵
  事、既に成る… 油断大敵                        
 
「実行前は、細心な研究・調査・計画のもとに、充分な準備をする。その際には、あたかも”小心”と思えるほどに行なう。 実行段階に至っては一切の不安を捨て、一気呵成に行なう。そして、成就の後は油断せず、緊張感を持続する」
 
江戸時代末期から明治にかけ、幕臣として活躍した勝海舟が遺した言葉です。
大事に当たっての心構えを述べたものです。中でも実践が大変難しく、かつ銘肝すべきは、「事、既に成る、油断大敵」… 後始末の重要性を説いている箇所ではないでしょうか。
 
この言葉が示唆するように、人は物事が順調に進むと、つい気を抜いたり、最後の詰めが甘くなって、確認を怠り、失敗を招いてしまう。
「勝って兜の緒を締めよ」「立つ鳥は跡を濁さず」など、物事や心の後始末の大切さを説くものとして、日頃よく口にする言葉です。
 
自民党が選挙で大勝して、300議席を超えたことが、過去に二度あります。
それが、ゆるみやおごりになって国民の信を失い、次の総選挙で大敗している。
今回大勝した民主党…そうしたことを教訓に、国民の支持を失うことのないよう、頑張ってほしいものです。
 
699 【心と体の健康情報】      
~古典から学ぶ~ 孔子の教え(24)
「過てば則ち改むるに憚ること勿かれ」
 
以下、この7月BSで再放送された、NHK土曜ドラマ「島の裁判官奮闘記」から…
 
休日に、学校の校庭で起きた子供の事故。両親は学校側の管理責任を問い、 学校町を相手に損害賠償訴訟を起こした。
学校側は、両親の監督責任に問題があると、真っ向から対立… 双方歩み寄る気配がなかった。
 
そんな中、裁判長から和解による解決を提案され、和解を試みるも、双方、 自らの非を認めようとせず、歩み寄る気配がない。
学校側は、裁判所の和解勧告を、学校の責任を認めることにつながると受け止め、 ”休日の校庭解放”を禁止してしまった…
憩いの場所である校庭から、町民や子供たちが締め出されてしまったのです。
 
裁判長は悩んだ末、和解を打ち切り、 判決によって裁断を下すことを決意…双方深々と頭を下げ、侘びを入れた。
「裁判長が、自らの判断ミスを詫びる」などということは、 過去に前例がなく、例な事態である唐突な裁判長の行為に、所内では賛否論、意見が分かれた。
 
この時、裁判長が詫びたことに、賛成する所員が言った…
『率直で正直で、いいじゃないですか…裁判官も、俺達と同じ人間じゃないですか、 (あやま)てば則ち改むるに憚 (はばか)ること勿かれ」って、 言うでしょう…』
有名な論語の一節(学而第一)である。 「過ちに気付いたら、改めるのに誰にも遠慮はいらないよ」という意味になる。
 
自分ではいいと思ってやったことが、ときには過っている場合がある。 しかし、過っままでいいかといえば、 そのままではよくない。 過ちに気づいたら、 自分の非を素直に認め、 改めることです。しかし、いざとなると、 容易に実行にくい事柄であり、それ相当に度胸のいることです。
 
実際、自分がそういう況に置かれたら、裁判官と同じ行動が取れるだろうか… 疑問です。「損徳」 を考えたり、「世間体」を思ったり、「地位・名誉」 に囚われてしま 実行出来なくなる
ちゅうちょして、タイミングを逸すると、更に難しくなる
 
何よりも「私利私欲から離れて、自分を客観的に見つめてみる」勇気がるのです「人の値打ちは”過ち” をおかしたときに表れてくる」と孔子は言う…肝に命じならない。
 
[神様と人間はどこが違う?]
神様は決して嘘を言わない…過ちを犯さない…神様のやることは全て正しく、 完全である。対する人間は、 平気で嘘をいい、過ちを繰り返す…人間は不完全な生き物である。
当然、自分という人間も不完全である…故に、他人に完全を求めてはならないし、 他人の過を許す心がなけれならない。                                                              芳村思風 「感性論哲学」
 

2009年09月25日

能登・マクベス公演

能登演劇堂「マクベス」の舞台になった能登演劇堂。今から16年前の1983年、 仲代達也夫妻が能登に旅行し、中島町に立ち寄った際…「こんな素朴な土地で、無名塾の稽古が出来たらどんなにいいだろう」 と言ったのがきっかけ。町長の呼びかけで、能登の片田舎で、無名塾の合宿が始まったのです。

その後、「能登から演劇文化の発信を!」の機運が高まり、大勢の人の力を得て1995年、客席651席の立派な演劇場が完成した。

当時、人口わずか八千人の小さな町が、お荷物になるのを覚悟で、年間予算の3分の1を投じ、一か八かで造った大劇場。

この大英断で、能登の地に今、演劇文化が根付こうとしているのです。

■仲代達也の主な作品
◎シェイクスピア劇…「ハムレット」 「リチャード三世」 「マクベス」 「オセロ」
                             「乱(リア王)」 「ジュリアスシーザー」
◎映画
 「用心棒」 「椿三十郎」 「天国と地獄」 「陰武者」 「乱」 「切腹」 「人間の条件」
 「黒い河」 「炎上」 「我輩は猫である」 「鍵」 「阿修羅のごとく」 「男たちの大和」


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 700】
「能登・マクベス公演・大英断」

能登の小さな町で、都会でしか見られないシェイクスピア劇が上演されている。
先週18日、七尾市中島・能登演劇堂・無名塾で、シェイクスピアの「マクベス」初日公演を観賞してきた。 マクベスは、 日本の戦国時代より五百年も昔の、11世紀半ばのスコットランドの物語ですが、恐ろしい物語です。
マクベス

勇猛な武将マクベスは、魔女たちから「やがて王になる」と予言され、先王を殺し、王位を手に入れる。
が、先王の子が軍を率いて報復、殺されてしまう…。

魔女の予言にほんろうされ、破滅していく男の物語です…日本の戦国武将、明智光秀の姿が浮かんでくる。

シェイクスピア4大悲劇の一つだが、前もってあらすじを読み、時代背景を知った上で観賞しないと、 演じている内容がチンプンカンプン…分からないまま、終わってしまいそう。

芝居の途中、舞台後方の大扉が観音開きに開け放たれ、舞台奥に広がる自然の風景が、スコットランドの荒野となって再現される… 背景の景色が舞台に見事に溶け込み、観客を魅了する。
日本演劇界初の試みだそうで、世界どの国にも無い、当劇場でしか見られない、素晴らしい演出が出来る劇場と、話題を呼んでいる。

開け放たれた舞台奥の大地を、馬に乗った騎兵が次々駆けぬけていく…クライマックスには、 森の奥から無数の兵隊が木の枝で身を隠し、城へと迫ってくる…森が動いて見えるのです。

舞台の巨大なお城のセットと、舞台奥に広がる森や山が、映画「乱」の一場面を見ているような臨場感を演出…思わず身を乗り出し、 見入っていた。
背景の杉山の照明と、前評判の"バーナムの森が動く場面"がクライマックスを盛り上げる。

舞台後ろの扉が全開されるや、観客席に新鮮な空気がここちよく流れ込む。
フッと…大雨の日はとうするのだろう? それより11月になると、劇場内に冷たい風が吹き込むだろうし…出演者は冷たい雨に打たれ、 寒さに震えるだろう。
舞台は水浸しになるかも?         (マクベス演出家/林清人・演出雑感から)

数年前の能登半島地震で観光客が激減…「これからどうしよう」と悩んでいた矢先、仲代達也から「復興の意味合いを込めて、 能登限定の芝居をやっては…」との申し出があり、「マクベス」の企画がスタートした。

過疎の地能登の劇場に足を運んでいただけるお客様を、三万数千人も集めなければならない。この不況時に、 能登限定で50日間のロングラン…お客様が来ていただけるだろうか?日本の演劇界では考えられないことです。
ある意味で大博打であり、大英断だったのです。

主催者は、たとえ1万人でもやろうと覚悟を決めて臨んだ…この大英断が、能登に新たな風を吹き込むことになった。
二ヶ月間に50回のステージをこなし、観客動員目標三万五千人…チケットは発売早々の八月末に売り切れた…予想を超える人気に、 主催者の喜びはひとしお…。

以前、この劇場で20日間公演をやった時、東京からの客が「遠くまで来て見た感動はものすごい!」… 東京で見るのとは違った感動があり、観光地能登への期待もあった…今回も、東京・大阪・名古屋…全国の仲代フアンが大勢、 能登に押しかけて来る。過疎地能登にもたらす、マクベスの経済的効果は大きい…

(仲代達也&谷本石川県知事の対談から)

2009年09月28日

メタボリック・シンドローム

■内臓脂肪を減らすには…
 
気付かないうちにお腹に内臓脂肪が付いて、ズボンのホックが止まらなくなった…内臓脂肪の特徴は、「付きやすくて、落ちやすい」 のです。
 
そこで、お勧めしたいのが「有酸素運動」…せっせと歩くことです。
近くは車に乗らず、自転車や歩きで…エレベーターに乗らず、階段を…
そして週に3回約30分、汗ばむくらい早足で歩くことです。
 
ウオーキングは場所を選ばない…準備はシューズを履くだけ。運動神経に関係なく、お金もいりません…やり続ける…ただそれだけです。 二ヶ月も続ければ、体重の減少はわずかでも、血糖・血圧・脂質など、体質の改善が期待できます。
 
並行して食習慣を改善します。腹八部にとどめ、その分よく噛み、ゆっくり食べる。間食は一切止める…夜8時以降は、 小腹が空いても我慢する。
”空腹の喜び”を知るようになったら本物です…お菓子を買い置きしないことも…。
 
ダイエットを始める時、「三ヶ月で5キロ痩せよう…」などと、大きく構えないことです。肥満の原因である食習慣を、 一年くらい掛けて、ゆっくり改善していくことです。悪しき食習慣を改めない限り、ダイエットの成功はありません。
                      
                
701 【心と体の健康情報】
~食と健康~  「メタボリック・シンドローム」
 
金沢大学大学院の小林淳二教授は、「肥満は病気と考えるべき」と… 厳しい。
昨年、メタボリックシンドロームに対応する、特定診療制度がスタートした。動脈硬化性疾患など、内臓脂肪症候群を早期に見つけ、生活習慣病の改善図るのが目的です。
 
北陸中央病院で、人間ドックを受診した1、870人のデーターを分析したところ、 おなか回り、男性は89.8センチ、女性は82.3センチ以上になると、高血圧、 高脂血症、高血糖の合併症が高まる、という結果が得られている。
 
日本のメタボの基準は、おなか回り男性は85センチ、女性は90センチです。 女性は皮下脂肪が多いので、男性より5センチ大きい。 基準を1センチでも超えら、 メタボと決め付けるのではなく、 あくまでも目安と考えるべきでしょう。
 
国内には、メタボリック症候群の患者は、予備軍を含めると2千万人になる成人病を減らすには、「禁煙」を促進すること、そして 「メタボ症を減らす」国の療負担の増加を抑える、 最大の決め手になります。
 
肥満は、「体重」を「身長×身長」で割った数値で表わされ、「25以上」 が肥満になります。「肥満=病気」とは、いちがいに言えませんが、指数25以上の場合、 健康障害を伴うケースが多くなる。こうした人には「肥満症」 と言う病名が付き 血糖、血圧、脂質…個々の数値はそれほど高くなくても、 それらが複合すると動脈硬化につながっていく…。
 
中でも、内臓に脂肪がたまる「内臓型肥満」は、 内臓脂肪が体内に悪い物質を分泌続けるため、脳卒中、心筋梗塞などの危険性が高まってくる。
 
「内臓脂肪は諸悪の根源」と言い切る小林教授。
内臓脂肪から出る有害物質は、血糖値を調節するホルモンの働きを阻害し、 血圧を上げ、血を固まりやすくします。
糖尿病、高血圧、心筋梗塞や脳卒中…それぞれ、 単独の病気として対応してきたこれらの病気… すべて内臓脂肪が元凶だったのです。内臓脂肪を減らせば、これらの病気も遠のいていくのです。
 
        金沢大学大学院教授・小林淳二「肥満は病気と考えるべき」より

メルマガ購読受付

このブログの記事をメルマガで定期的にお届け致します。

メルマガ購読のお申し込みはこちら >>

About 2009年09月

2009年09月にブログ「吉村外喜雄のなんだかんだ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年08月です。

次のアーカイブは2009年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36