« 野村克也の野球人生(3) | メイン | 野村克也の野球人生(4) »

正義を貫く勇気

天才と変人は紙一重
 
大阪大学医学部(吹田市)の標本室に、「幽体離脱」や「幻覚」 を度々体験した人のが、ホルマリン漬けで保存されている。
”知の巨人”と言われた植物学者”南方熊楠” 脳だ。彼は、 自分に何故幻覚症状現れるのか? 「脳を調べてほしい」 と言い残し、1941年に亡くなった。
 
精神科医で元京大助教授の扇谷博士が脳を調べたところ、 右側頭葉の奥の海馬”萎縮”を発見…これが幻覚の原因と結論づけた。
天才画家ゴッホ、ロシアの作家ドフトエフスキー、「不思議の国アリス」 で奇妙な夢界を描いた、 英国の作家ルイス・キャロルなどにも、 同様の疾患があったと見られいる。
側頭部の深い所は感情をつかさどる…この部分に問題が生じると、理性を圧倒し、 恍惚感や神秘体験など、「超越的存在感」 を間近に感じるようになる。
光を見て卒倒し、キリスト教に改心した聖パウロや、 神の声を聞いて英仏百年戦争身を投じたジャンヌ・ダルクにも、 同様の疾患が疑われているのです。
 
692 【吉村外喜雄のなんだかんだ】  
~歴史から学ぶ~ 「正義を貫く勇気」
 
杉原幸子さんの著書「六千人の命のビザ」を読んで…
1940年夏、ナチスの迫害から逃れようと、 ユダヤ人難民がリトアニアの日本領事館に殺到した。生命の安全が守られる国、スイスやアメリカに行くために、日本を通できるビザを取得しようとして…。誰もが知っている史実です。
 
領事代理の杉原千畝(ちうね)氏は、何とか外務省の許可を得ようと、 本国にぐが、回答は「否」だった。
後の手記に「苦慮、煩悶(はんもん)の挙句、道、精神第一という結論を得…」 と書き残している。
 
苦渋の末、ビザの発給を決断した。救った命は6千人といわれる。
杉原氏はなぜ決断できたのか? ビザを発給すれば、自分と妻・ 家族の身が危うなる。 外務省の指示に背くだけでなく、ナチスに追求される恐れもあた。
妻の杉原幸子さんは、著書「六千人の命のビザ」で、 「夫も私も当たり前のことをただけ…」と回顧している。しかし、決断するまで、苦悶の日々が続いた。
 
戦後杉原さんは、勝手な行動をした責任を問われて、外務省を追われた。 しかし、決断したことに悔いはなかった。
「究極の決断」は、一度だけのことだったかもしれない。
が、日頃、人道上恥ずべ行為あった時やめさせる、「小さな決断」 をずっとしてきたからではないでしか。
良心に基づく小さな決断の集大成が、歴史に語り継がれる”命のビザ” なったす。
「六千人の命のビザ」を読んで思うのは、何か決断を迫られる時、 それが自分って損なことか、得なことか?」 で判断するのではなく、そのことが相手にも、 良いことか、 悪いことか で判断できる人間になりたいものです。
 
この美談とは反対に、日頃悪いこととは知りながら、 恥ずべき小さな行為をずっきた人が、たった一回とはいえ、 とんでもない大きな過ちを犯して、それま築いてきた、人生の全てを失ってしまう…そんな事例は枚挙に暇がない。
 
交通ルールを軽んじて、身勝手な運転を繰り返す人などは、その良い例でしょう。新聞紙上には、 そんな恥ずかしい記事が溢れている…。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.noevir-hk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1124

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ひとつ前の投稿は「野村克也の野球人生(3)」です。

次の投稿は「野村克也の野球人生(4)」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36