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かわいそうな ぞう

■初めてのこと
 
60歳に手の届く頃になって、初めて「べビスターラーメン」を知った。
その会社の社長さんと知り合い、親しくなったからである。
「試食してください」と、ダンボール箱に詰められた幾種類ものお菓子が送られてきた…ビールのつまみにポリポリ食べた。
 
私が小学三年の時、遠足で初めて汽車に乗った…お弁当を開くと、おにぎりと”ゆで卵”が入っていた。 ゆで卵を一個丸ごと食べるのは初めて…三十分くらいかけて、大事に大事に味わって食べた…今も忘れない。
 
当時、卵は高級食品…病気でもなければ食べられなかった。(昭和30年代半ば、”芋パン”一個5円の頃で、豆パンの豆の代わりに、 サイコロに刻んだ芋が入っていた)
当時年に数回、家族で「すき焼き」を囲むのが、何よりのご馳走だった。
その時、1人に一個”生卵”が付いた。
春と秋のお祭りには、親戚からお重に詰められたご馳走が届いた…”玉子焼き”はお菓子のように甘く、大好物だった。 ゆで卵が滅多に食べられなかった時代です。
 
688 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 
「かわいそうな ぞう」
 
今年も終戦記念日、8月15日がやってくる。 年々薄らいでいく戦争劇。
次世代を担う子ども達に、日本が犯した戦争の過ちを、 伝え残していかい。
戦争の悲劇を童話にした「かわいそうな象」のお話は、 私の子どもの頃にはなかた。半月前、 車のラジオで朗読しているのを聞いて、初めて知ったです。
第二次世界大戦末期、上野動物園で猛獣が薬殺されたことは知っている。
それが、小学生低学年向けの童話になり、発行部数は220超え、 教科書にも採用されたのです。
 
♪今、上野動物園には、三頭の象がいます。ずっと前にも、 やはり三頭の象ました。名前をジョン、トンキー、ワンリーと言いました。
その頃、日本はアメリカと戦争をしていました。戦争がだんだん激しくなって、東京に爆弾が雨のように、沢山落とされました。
もしも、その爆弾が動物園に落ちたら、 どうなるでしょう。檻が壊されて、 恐ろしい動物たちが町へ暴れ出たら、大変なことになります。
それで、軍隊の命令でライオンも虎も、豹も熊も大蛇も、 毒薬を飲ませて殺すとにしたのです。
いよいよ三頭の象も殺されることになった。 まずジョンから始めることになりした。ジョンは、ジャガイモが大好きでした。
ですから、毒薬を入れたジャガイモを、 普通のジャガイモに混ぜて食べさせました。
けれども利口なジョンは、毒薬の入ったジャガイモを、 長い鼻で口まで持っていくのですが、 直ぐにポンポンと投げ返してしまうのです。
仕方なく、毒薬を注射することになりました。馬に使う、 とても大きな注射器が意されました。
ところが、象の体は皮が厚くて、太い針は、 どれもポキボキ折れてしまうのです。
仕方なく、食べる物を一つもやらずにいたら、可哀想にジョンは、 17日目に死ました。
 
続いて、トンキーとワンリーの番です。この二頭は、いつも可愛い目をした、 の優しい象たちです。
私たちは、この二頭を何とか助けようと、 遠い仙台の動物園に送ろうと考えまた。けれども、仙台に爆弾が落とされたら、町に象が暴れ出るかもしれません。
やはり、上野動物園で殺すことになりました。
 
毎日餌をやらない日が続きました。トンキーもワンリーもだんだん痩せ細って、 元気がなくなっていきました。そのうちに、顔はげっそりと痩せ、 あの小さな目がゴムまりのように飛び出してきました…耳ばかり大きく見える、 悲しい姿になったのです。
 
今日までどの象も、自分の子どものように可愛がってきた象係は、 「あぁ~可哀うに…可哀そうに…」と、檻の前行ったり来たり、 うろうろするばかりです。
ある日、トンキーとワンリーがひょろひょろと体を起こして、 象係の前に進み出てきました。互いにぐったりした体を、背中でもたれ合って、 芸当を始めたのです。
ヨロヨロッと後ろ足で立ち上がり、前足を上げて折り曲げました。 続いて、鼻をく持ち上げ、万歳の姿勢をしました。
 
衰えなえた体内の力を振り絞って、よろけながら、一生懸命です。 芸当をすれば餌が貰えると思ったのでしょう…。
象係はもう我慢できません…「あぁ~ワンリーや!トンキーや!」と、泣き声を上て、餌のある小屋へ飛び込みました。走って、水を運んできました。 餌を抱えきて、 象の足元にぶちまけました。
「さあ!食べろ!食べろ!飲んでくれ!飲んでおくれ!」と、 象の足に抱きつきました。私たちはみんな黙って、見ない振りをしていました。園長さんも唇を噛みしめて、じつと机の上ばかり見つめていました。
象に餌をやってはいけないのです。水をのませてはならないのです。 一日でも長く生きていてくれれば、戦争が終わって助かるのではないかと、 どの人も心の中で、神様に祈っていました。
 
とうとう、トンキーとワンキーは動けなくなってしまいました。 じっと体を横たえ、澄んだ美しい目で、 動物園の空に流れる雲を見つめている…それが、やっとでした。
こんな姿を見た象係は、もう胸が張り裂けるほど辛くなって、 象を見にいく気力ありません。 周りの人たちも苦しくなって、象の檻には近づこうとはしませんした。
 
遂に、二頭の象は死んでしまいました。どちらも鉄の檻にもたれ、 鼻を長く伸ばて、 万歳の芸当をしたまま死んでいました。
「象が死んだぁ~象が死んだ!」…象係が叫びながら、 事務所に飛び込んできまた… ゲンコツで机を叩いて泣き伏しました。
 
私たちは、象の檻に駆けつけました。檻の中に転がり込んで、 痩せた象の体にすがりつきました…頭を揺すりました…足や鼻を撫で回しました。
みんな、おいおい声を上げて泣き出しました。その上を、爆弾を積んだ敵機が、 ゴウゴウと東京の空に攻め寄せて来ました。
 
どの人も象に抱きついたまま、「戦争をやめろ!戦争をやめてくれ…やめてくれえ」 と叫んでいました。
後になって調べたところ、タライくらいもある大きな胃袋には、 一滴の水も入っいませんでした

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