■「道をひらく」
松下幸之助
いま立っているこの道 いま歩んでいるこの道
ともかくも この道を休まず歩むことである
自分だけしか歩めない 大事な道ではないか
自分だけに与えられている かけがえのないこの道ではないか
他人の道に心奪われ 思案にくれて立ちすくんでいても
道はすこしもひらけない
道をひらくためには まず歩まねばならぬ
心を定め 懸命に歩まねばならぬ
それがたとえ遠い道のように思えても 休まず歩む姿からは
必ず新たな道がひらけてくる 深い喜びも生まれてくる
685 【心と体の健康情報】
~幸せな人生を歩むために~
「今日を大切に出来ない者に、未来はない」
以下、人生の書、禅僧・関 大徹著「食えなんだら食うな」からの抜粋です。
『若者にとって「未来は宝」である。
未来という宝を持っているからこそ、
若者の輝かしさがあるといってよい。
若者は、ただ若いというだけで、人を惑わせるほどのエネルギーを持っている。
だからといって思い違いをしてはいけない。
若者が未来という宝を持っているといっても、必ずしもそれがバラ色であるという保証はどこにもない。
この頃は、冷ややかに未来を見つめる若者が多くなった。
むしろ、その方が多いであろう。そういう時代になってきた。
若者が将来を夢見なくなった。
一流大学を出たから、将来がバラ色に保証され、又、
二流大学を出たら、それなりに、 そこそこ歩んでいけるものでもない。
学歴が無いからお先真っ暗というものでもない。
この世は「諸行無常」である。
将来の保証など何もない。
若者にかぎらず、人はみな「明日」がわからない。
明日、どうなっているかわからないが、仏法の法則に従えば、
今日の自分は、前世から昨日に至るまでの、長い長い” 業(ごう)”
の積み重ねの結果が表れているのであり、明日は、今日までの”業”の成果である。
明後日は、さらに明日の”業”が加わってゆくであろう。
先祖代々生まれ変わり、死に変わりしていくうちに、
「善因は善果に表れ」、「悪因は悪果に表れる」
。今日、いいことがあるのも、過去に蒔いたタネの果実である。今日、
慢心を起こして、人を悲しませたりしていると、やがて、いつの日にか、
自分に報いとなって返ってくるであろう。
私は、成人式などの人前でお話をする機会に恵まれたとき、「むやみに未来に幻想を抱くのではない」と、
たしなめることにしてきた。
「未来を思うなら、今日一日をより善き人間として生きよ」と言ってきた。今日一日を大切に生きてこそ、若者にとって、未来が本当の「宝」になるのである。』
「一日一生」という言葉が好きだ。
明日のことをあれこれ思い悩む前に、今日一日を大切にして、精一杯生きる。
明日になれば、今日という日はない…
過ぎ去った過去になってしまう。その繰り返しが人生なのだ。
パソコンは、使っている内に、だんだん作動が遅くなってきて、重く感じられるようになる。
そこで、ディスク・
ディフラグを開いて「最適化」する… バーのすき間を左側に圧縮して、
入力空間を広げてやるのだ。
人生もそう…過去の様々な出来事が、年月とともに記憶がしだいに薄れ、思い出せなくなる…忘れてしまうのです。その分、人生が圧縮されて、短く感じるようになるのです。