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■「剣岳点の記」映画化構想のきっかけ
旧国道8号線を呉羽から富山市に入る時、小さな峠を上り下りする。
峠に差しかかると、富山市街が前方に見えてくる。「オオ~ッ」と声を発するくらい、
市街地の後ろに屏風のようにそそり立つ立山連峰…雄大な景色が目に入ってくる。
自然撮影では第一人者のカメラマン"木村大作"さんが、「剣岳点の記」映画化の
構想を思い立ったのは、2006年の2月。車にカメラを積んで、ふらり能登半島を
訪れた時に始まる。その帰りに、フッと思い立って、剣岳の雄姿を見に行った時だという…。
剣岳を見ながら、その場で新田次郎の原作を読み返し、「無理だとは思うが、
この山と対峙して映画を作ってみたい」との思いが芽生えたのです。
脚本作りを始めた木村大作…この年の6月、室堂から別山へと登った。
別山から見た剣岳…こみあげてくる感動を、映像に収めたいと思った。
7月末、今度は剣岳頂上を目指した。木村大作は68歳。自分が登れば、
若いスタッフや俳優たちもきっと登れる…その思いを込めて頂上に立った。
山頂から電話した…「トラ、トラ、トラ」。ここから本格的映画化がスタートした。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 682】
「剣岳点の記」を鑑賞して
先週の土曜日、日本地図完成のために命を賭けた男たちの物語、「剣岳点の記」を鑑賞した。
この映画の原作は、「八甲田山死の彷徨」 「武田信玄」で知られる"新田次郎"
「八甲田山」「鉄道員(ぽっぽや)」「火宅の人」などの作品で、日本人の心と自然を撮り続けてきたカメラマン"木村大作"さん…
日本で自然を撮らせたら「木村さんが一番」と言われている。
当時、木村さんは67歳、2006年の夏、51年の映画人生全てを賭けて、
「剣岳点の記」の映画作りを始めた…初めての監督作品に取り組んだのです。
そして、雄大で芸術性の高い山岳映画が完成したのです。
以前、木村さんが撮影した「八甲田山」は大ヒット。あの映画は全て
極寒の山中での撮影で生まれた。今回の作品も、全部現場に入り、
本物の場所で撮影する。しかも、ヘリコプターからの空撮はやらない。
全て自分の目線で撮っていく…企画・脚本・撮影・監督全て自分でやる…と、
木村監督の固い決意。
監督は、俳優・スタッフを次々と決めていった。面接の時…
「この映画はかってない厳しい撮影になる。機材や荷物はスタッフ
自身が背負って、歩いて運ぶ。泊まる場所も、何十人も詰め込まれて
眠る山小屋だ。しかもそれが何十日も続く。この条件に耐えられるか?」
その条件を受け入れて、共に山へ登る覚悟をした者が、彼の回りに
集結していった。
立山連峰の雄大な景色、息を呑む美しさ、立ちはだかる剣岳、
厳しい自然を背景に、お金でもなく、名誉でもなく、ひたすら
自らに課せられた仕事への誇りをかけて、苦難に立ち向かって行く人々の物語。
その姿が、映画を作る作業と重なって見えてくる…。
撮影は、天候がらみの一発勝負だ…撮り直しがきかない。一刻一刻
変化していく山の風景。場面は、その一瞬の風景が切り取られ、
ドラマになっていく。
映画は、剣岳・立山連峰各所の山々に、100年前の史実に沿って、
三角点を設置していく姿を、忠実に再現…四季折々美しく、或は
荒々しく変化する大自然…想像を絶する、厳しい大自然に挑む人たち
の姿を、延べ200日を費やし、標高3千メートル、氷点下40度の中
でのロケーション…。
あまりの厳しさに俳優たちは「これは撮影ではない、これは行だ!」
と言った。
音楽は、木村監督自ら選曲した、クラシックの名曲の数々…
ヴィヴァルディ「四季」や、バッハの名曲が全編を彩り、自然と人間が
織り成す壮大なドラマが盛り上がっていく。
上映時間2時間20分…日本人の"心"の物語である。
この作品から、今は失われつつある"日本人魂"が、映画を観る私
たちの心を打つ。
撮影中のスタッフから、「自分たちは日本一凄まじい、すごい現場に
いるんだ」という、誇りが感じられる…映画を観る私たちにも、それが
伝わってくる。
感動の大作だ…これほどに美しく、また雄大で、人の心を打つ山岳
映画は過去に例がない…日本映画史にその名を残すだろう。
「剣岳点の記」カタログから抜粋
【心と体の健康情報 - 683】
~幸せな人生を歩むために~
「後始末の心得」