私たちの年代で、「ねむの木学園」や「しいのみ学園」を知らないという人は、少ないだろう。
今年、「しいのみ学園」の曻地三郎氏は103歳に、「ねむの木学園」の宮城氏は82歳になる。
二人は現在も理事長・園長として現場に立ち、障がい児童の療育に忙しい日々を送っている。
曻地氏は、長男と次男が相次いで脳性小児マヒになった。
障がい児童の就学受け入れ先がなく、悩んだ。
なら自分が…同じ悩みを持つ子どもを引き受けようと、先祖代々の家屋敷を全て売り払い、昭和29年(1954)、
精神薄弱児の通園施設を開設した。
■しいのみ学園の「療育精神」
山の中に捨てられた小さな"しいのみ"は、人や獣に踏みにじられているけれども、
これに温かい水と太陽の光を与えるならば、必ず芽を出して来る。 "温かい愛情と厳しい研究" これがしいのみ学園の精神である |
【心と体の健康情報 - 661】
「宮城まり子とねむの木のこどもたち」
連休スタート初日の4月29日、「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(4/28~5/23金沢21世紀美術館)を、
妻や孫たち、家族連れで鑑賞した。
会場で、宮城まり子さんと、ねむの木学園のコーラスグループの皆さんにお会いした。
車椅子に腰掛けて指揮する宮城まり子さん…プロはだしの団員のコーラスを聴いて…感動がこみ上げてくる…
展覧会会場に入り、展示されている子どもたちの作品を見た…瞬間…それは、想像をはるかに超える、一流アーチストの作品だった…
見る者を引きつけて離さないのです。
障がいを持った智恵遅れのこどもたち…その絵筆から産まれた絵…語りかける創造性・感性・表現…言葉では言い表せない、
心の内からの筆づかい…生きている息遣いとなって、伝わってくる。
以下、宮城まり子編「ねむの木のこどもたちとまり子」画集から…
~しょうごの世界~ |
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中学を出た時も、
一字もかけず、又、読むことも出来なかった。
一字もかけないしょうごから、私に手紙がよく渡される。 その形が「ま」
と読むことを、彼は知らない。 |
まりことこども(とみやま しょうご) |
白鳥がいなくなったの…
どこへいったかぼく知っている
(ほんめ つとむ)
秋のドレス
(かわむら たかゆき)
私は、宮城まり子の中に天使を見た…まり子は天使たちと暮らしている…
■宮城まり子プロフィール
1927年東京生まれ。昭和30年「ガード下の靴みがき」で歌手デビュー。
その後、舞台、テレビで活躍。昭和43年、日本で初めて肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を創設。その後、
子ども達の映画を製作監督して、広く世に知られるようになる。
昭和59年、ねむの木のこども達による劇団「虹」を結成。コンサート活動を始める。
2年後に始めた本格的コーラスが評価され、ビクターからCD発売。子ども達の劇団とともに、芸術祭賞など多数の賞を受賞。