« 孔子の教え(22)「論語から学ぶゴルフ道」 | メイン | 落語・道具屋 »

宮城まり子とねむの木のこどもたち

私たちの年代で、「ねむの木学園」や「しいのみ学園」を知らないという人は、少ないだろう。
今年、「しいのみ学園」の曻地三郎氏は103歳に、「ねむの木学園」の宮城氏は82歳になる。
二人は現在も理事長・園長として現場に立ち、障がい児童の療育に忙しい日々を送っている。
曻地氏は、長男と次男が相次いで脳性小児マヒになった。
障がい児童の就学受け入れ先がなく、悩んだ。
なら自分が…同じ悩みを持つ子どもを引き受けようと、先祖代々の家屋敷を全て売り払い、昭和29年(1954)、 精神薄弱児の通園施設を開設した。

■しいのみ学園の「療育精神」

 

山の中に捨てられた小さな"しいのみ"は、人や獣に踏みにじられているけれども、 これに温かい水と太陽の光を与えるならば、必ず芽を出して来る。
障がい児は固い殻をかぶって動こうとしない。
その固い殻を槌や小刀で破ろうとすると、殻は破られるが、中身が傷ついてしまう。温かい水と太陽の光をじっと与えて、 気長に待っていると、殻はやぶれて芽が出てくる。これがわからないといけない。

"温かい愛情と厳しい研究" これがしいのみ学園の精神である

 


【心と体の健康情報 - 661】
「宮城まり子とねむの木のこどもたち」

連休スタート初日の4月29日、「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(4/28~5/23金沢21世紀美術館)を、 妻や孫たち、家族連れで鑑賞した。
会場で、宮城まり子さんと、ねむの木学園のコーラスグループの皆さんにお会いした。
車椅子に腰掛けて指揮する宮城まり子さん…プロはだしの団員のコーラスを聴いて…感動がこみ上げてくる…
展覧会会場に入り、展示されている子どもたちの作品を見た…瞬間…それは、想像をはるかに超える、一流アーチストの作品だった… 見る者を引きつけて離さないのです。
障がいを持った智恵遅れのこどもたち…その絵筆から産まれた絵…語りかける創造性・感性・表現…言葉では言い表せない、 心の内からの筆づかい…生きている息遣いとなって、伝わってくる。
以下、宮城まり子編「ねむの木のこどもたちとまり子」画集から…

~しょうごの世界~

 

中学を出た時も、 一字もかけず、又、読むことも出来なかった。
かぎのような、かっこのような、すじをかくのが、しょうごの字である。
「まりこさん、えをかく」彼はそういって、つぎつぎ絵をかく。

一字もかけないしょうごから、私に手紙がよく渡される。
子どもたちが「ま」と「り」と「こ」の三文字を、彼に教えた。

その形が「ま」 と読むことを、彼は知らない。
けれど、「ま」と「り」と「こ」ばかりかきこんだ手紙がとどけられる…

まりことこども(とみやま しょうご)
まりことこども(とみやま しょうご)

白鳥がいなくなったの…どこへいったかぼく知っている(ほんめ つとむ)
白鳥がいなくなったの…
どこへいったかぼく知っている
(ほんめ つとむ)
秋のドレス(かわむら たかゆき)
秋のドレス
(かわむら たかゆき)

私は、宮城まり子の中に天使を見た…まり子は天使たちと暮らしている…

■宮城まり子プロフィール
1927年東京生まれ。昭和30年「ガード下の靴みがき」で歌手デビュー。
その後、舞台、テレビで活躍。昭和43年、日本で初めて肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を創設。その後、 子ども達の映画を製作監督して、広く世に知られるようになる。
昭和59年、ねむの木のこども達による劇団「虹」を結成。コンサート活動を始める。
2年後に始めた本格的コーラスが評価され、ビクターからCD発売。子ども達の劇団とともに、芸術祭賞など多数の賞を受賞。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.noevir-hk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1066

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ひとつ前の投稿は「孔子の教え(22)「論語から学ぶゴルフ道」」です。

次の投稿は「落語・道具屋」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36