■人間愛に満ちた明治の日本人
日露海戦における幾多のうるわしい逸話が、今に伝えられている。
○波間に漂う敵兵を出来うる限り救助し、医療・食事など万全を期し、
俘虜として暖かく遇している。また惨敗を喫して、総崩れになった
敵艦隊から逃れ行く一隻の駆逐艦に対し、「武士の情け、深追いはするな」
と、見逃してもいる。
○敵の提督ロジェストウインスキーは、重傷を負い、人事不省になった
ところを救助され、佐世保の海軍病院に収容された。
東郷は直ちにこれを見舞い、なぐさめの言葉をかけた。
「敗れたとはいえ、私は、閣下のような立派なお方と戦ったことを、光栄に
存じます」…万感こみあげたロジェストウインスキーの目に、涙が光って
いた。
○敵兵への暖かい思いやりは、軍人だけでなかった。
敵兵の水死体が海流に乗って、山陰の海岸に漂着した。付近の住民はこれを
引き上げ、手厚く葬り、冥福を祈った。万里の波濤をけって、はるばる来航、
武運つたなく祖国に殉じた勇者に対する思いは、それが敵であろうと変わり
なかった。
明治の日本人には、うるわしい"人間愛"があったのです。 (論語の友から)
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 659】
~歴史から学ぶ~ 「明治の日本人気質」
「己の欲せざるところは 人に施すなかれ」 (顔淵第十二)
(自分がして欲しくないことを、人にしてはならない)
日露戦争で、乃木大将が激戦の後旅順を陥落させ、敵将ステッセルと会談した時の逸話から、明治の日本人気質を知ることが出来ます。
敗将ステッセルの一行が、白旗を掲げて乃木の陣営にやってきた。
戦勝国日本の新聞社のカメラマンたちは、この歴史的一瞬を撮影して、勝利をはなばなしく故国に報道しようと、待ち構えていた。
ところが乃木は、これを差し止めて、記者たちを遠ざけてしまった。
「何故そんなことをする…」と、記者たちは乃木将軍に詰め寄った。
乃木曰く「軍人にとって降伏することは、この上もない不名誉である。ましてや、その屈辱の情景をこれみよがしに報道されることは、
当人にとって死ぬ以上に辛いことです」
かって、西南の役において軍旗を奪われ、一死をもってそのつぐないをしようとして、果せなかった乃木には、
ステッセルの心中が痛いほど分かるのです。
武士の情がわかる乃木は、心細かに気配りして、手厚く敗将ステッセルを遇したのです。
この会談は、勝者のおごりも、敗者の卑屈も感じられず、ともに祖国のために堂々と戦った、将兵の誇りと満足が相互尊敬となって、
静寂をとり戻した戦場に、暖かい雰囲気をかもし出したのです。
東亜の小国日本が、大国ロシアを破った…輝かしい勝利もさることながら、当時の日本人が、武士道精神にのっとって、 立派に戦ったことが、全世界から好評を博すことになった。以降、国際社会における日本の信用を、いやが上にも高らしめたのです。
ところが、日露戦争に勝利した小国日本…国難に出会えば"神風が吹く"と慢心し、武士道的道義心は低下するばかり…ついには、
米国に戦争を挑み、敗戦を迎えることになる。
戦後直ちに、我が国の学校教育から、軍国主義的残渣が一掃されることになり、占領軍の係官が、学校を査察して廻った。
ある小学校で運悪く、乃木、東郷の肖像が、物置から発見された。
随行の校長、ハッと顔色を変えたが、査察官の口から意外な言葉が発せられた。
「乃木、東郷は、日本が生んだ世界に誇るべき武将であります。私は偉大な二人を尊敬しています。日本が今日、 このような不幸に会ったのは、彼らのような立派な武将がいなかったからではないでしょうか。この肖像の廃棄を私は認めません」
二宮金次郎の銅像が取り払われたのは、当時、左翼思想の強い日教組によるもので、進駐軍は「二宮金次郎は日本の偉人、 尊敬すべき人物である」と言っている。
戦後の教育の場では、日本の歴史上欠かすことのできない、こうした偉人たちを、子ども達に教えなかった。 日本に生まれながら日本を知らず、日本という国を尊敬できずに、今に生きる私たち…自らに誇りが持てない民族… そんな民族のままでいいのでしょうか…。世界一愛国心の薄い国民と、笑われているというのに…。
「坂の上の雲」「論語の友」より