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臥薪嘗胆

■人生順境あり、逆境あり

人生、良いときも悪い時もある。「逆境」は誰にでも訪れる。
のがれることはできない。
このことを江戸時代の学者"佐藤一斎"が、言志四録の中の「言志晩録」で語っている。

「人の一生には、順調の時もあれば、逆境のときもあり、
 幾度となくやってくるものである。
 自ら検するに、順境といい逆境といい、なかなか定め難く、
 順境だと思えば逆境になり、
 逆境だと思えば順境になるといった具合である。
 だから、順境にあっても怠りの気持ちを起こさずに、
 ただただ謹んで行動するより仕方がないのである」

※言志四録
 学問・思想・人生観など、修養処世の心得が1133条にわたって書かれた随想録


【心と体の健康情報 - 646】
~故事に学ぶ~ 「臥薪嘗胆」

今日は"臥薪嘗胆"のことばの意味と由来について…臥薪嘗胆(がしんしょうたん)は、「史記」の中に出てくる言葉です。
「1人の人間が目標を実現するために、自らに艱難辛苦を強いる」という故事から出た言葉です。
♪呉の国の王は、越の"勾践"との戦いに敗れ、運に見放され、死んでしまいました。
臨終のとき息子の"夫差"に、「必ず自分の無念を晴らせ」と言い残して亡なります。
呉の王となった夫差は、ひと時もその言葉を忘れませんでした。
眼には、父の無念を焼き付け、固い決意で毎晩毎晩、薪の上に臥して勝利を誓い、部下には必ず、父の遺した言葉を叫ばせるようにしました。

「夫差よ、お前の父の言葉を忘れてはならぬ」
『はい、決して忘れません。必ず勝利します』
呉王の夫差は、こうして自らに苦しみを課し、ひたすら兵を訓練して、時の来るのを待ったのです。そして、 とうとう念願叶って"勾践"を破ります。

勾践は会稽山(かいけいざん)に逃れるが、鍛えられた呉の軍隊に追われ、とうとう国を捨てて、夫差の家来になるという、 屈辱的な条件で降伏します。
その後、呉王・夫差に許された勾践は、自分の国、越へ帰るこが許されます。
が、身分は呉王の家来のまま…惨めな気持ちに耐えなければなりません。

勾践もまた、かって夫差が薪の上に臥して、亡き父に勝利を誓ったように、今度は勾践が、自らに苦しみを与えて、励みます。
その後勾践は、常に傍らに肝(きも)を備え、座るときも、臥すときも、飲食をするときも、いつも苦い"肝"をなめて「会稽の屈辱」 を思い出し、自らを鍛えた。

自ら田畑を耕し、夫人も自ら機を織り、夫を支えます。粗衣粗食に耐え、人材の育成に励み、部下の言葉に耳を傾け、苦難に耐え、 ひたすら勝利を誓った。
後になって、ようやく"夫差"を破り、念願を果たした。

越王"勾践"が最後の勝利者になった理由は、国が滅びるという屈辱的な状況でも、素直に部下の意見に耳を傾けたこと…
「戦って死ぬことは簡単です。だが、死ねばそれまで…再び越の国を興すには、恥を忍ぶほかありません」
絶対絶命の敗北を喫した越王"勾践"を励まし、導いた、"范(はん)れい"という良臣がいたことを忘れてはなりません。

「理念と経営/社長力」より

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