■徳川家康「東照宮遺訓」
一. 人の一生は 重き荷を負うて遠き路を行くが如し 急ぐべからず
一. 不自由を常と思えば不足なし
一. 心に望みおこらば 困窮したる時を思い出すべし
一. 堪忍は無事長久の基
一. 怒りを敵と思え
一. 勝つことばかり知りて負くる事を知らざれば 害その身に至る
一. 己を責めて 人を責むるな
一. 及ばざるは 過ぎたるより勝れり
いずれも、不況風が吹く今、座右の銘にしておきたい、自らの生き方を諌める心得です。
中でも、最初の文章「人の一生は重き荷を負うて…」は、ズッシリ胸にしみます。
"千利休"が言った言葉というのが、最近の歴史家の通説です。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 643】
~歴史から学ぶ~ 「五代将軍・徳川綱吉」
家康から265年、15代続いた徳川幕府…家光や吉宗は、よく知られる将軍です。
が、その他の将軍についてはよく分からない?
そこで、歴代将軍にまつわるエピソードを取り上げて、その時代を見ていきます。
今回は「五代将軍・綱吉」です。
五代将軍・徳川綱吉は、三代将軍家光の四男。
綱吉将軍職就任に功労した"堀田正俊"を大老に据え、積極的に政務に関わっていく。
先代の家綱時代、政務一切を重臣たちに任せ、「左様せい様」という異名が付けられていた将軍の権威を、取り戻そうとしたのです。
関が原の戦いから80年…戦国の殺伐とした気風を排除して、"徳"を重んじる文治政治を推し進めた。これは、
父"家光"が綱吉に儒学を学ばせたことに影響している。
幕臣を集めて"四書"や"易経"を講義する、学問好きな将軍として知られている。
儒学を学んだ影響から、歴代将軍の中で最も皇室を尊び、皇室領を増額して献上したり、巨額の資金を投じて、 河内国一帯の66陵を修復したりした。
在任中に起きた刃傷沙汰で、赤穂藩主・浅野長矩守を、大名としては異例の、即日切腹に処したのも、 朝廷との儀式を台無しにしたことへの、綱吉の激怒が背景にあったのです。
綱吉のこうした儒学を重んじる姿勢は、新井白石、荻生徂徠らの学者を輩出するに至り、この時代儒学が隆盛を極めた。
また、近松門左衛門・井原西鶴・松尾芭蕉などの文化人が一世を風靡した、元禄時代の将軍です。
将軍就任4年目に、将軍の片腕、堀田正俊が若年寄"稲葉正休"に刺殺される事件が起きた。以後、大老を置かず、 "柳沢吉保"らご用人を重用し、老中を遠ざけるようになった。
この頃に、後に"悪政"と言われる「生類憐れみの令」を発したり、悪化しつつあった幕府財政を建て直そうと、「貨幣の改鋳」
を実施したが、世間を混乱させるだけに終わった。
側近・寵臣の意見にしか耳を傾けなかった弊害が、民衆を苦しめることになったのです。
綱吉の評価が、実際より低く見られるのは、忠臣蔵や水戸黄門に絡むTVドラマが、悪い印象を与えているのしょう…。
元禄11年、数寄屋橋より出火した大火は、300余町を焼き尽くし、三千人の死者を出した。
また、富士山が噴火…関東一円火山灰の被害に合い、庶民は飢饉に苦しんだ。
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