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啓発録・交友を択ぶ

■教え子たちから、国民教育の師父と敬愛された"森信三"
 「修身教授録」から…"心に残ることば"

*「人生二度なし」
  人生を如何に生きるか…人生二度ないとなれば、甘え心もなくなる

*「人間としての軌道三か条」
 一、毎朝、親にあいさつできる人間になる
 二、親に呼ばれたら、必ず「ハイ」と返事をする
 三、履物を揃え、立ったら椅子を必ずキチンと入れる

*「人間としてぎりぎり大事な二か条」
 一、いったん決心した以上は、必ずやりぬく人間になる
 二、人に対し親切な人間になる

*シャキッとした人間になる秘訣
 座禅修行で「腰骨を立てる」ことを自得する
 腰骨を立てると、背筋もシャキッと真っ直ぐになる…姿勢がよくなる…
 心もシャキッとしてくる…無意識に出来れば、シャキッとした人間になる


【心と体の健康情報 - 638】
~古典から学ぶ~ 「啓発録・交友を択ぶ」

橋本佐内は15歳のとき、自らの生き方を明らかにする戒めとして、
「稚心を去る」「辰気」「立志」「勉学」「択交友」の五項目からなる「啓発録」を著した。
今日は「択交友・交友を択(えら)ぶ」から…。

「交友」とは、自分が交際する友人のことで、「択ぶ」とは、多くの中から選び出すという意味です。 自分と交際してくれる人があれば、みな友人として大切にしなければならない。
しかしながら、そうした友人には「損友」「益友」 があるから、その違いを見極めて選ぶということが、必用なのです。

友人の中に「損友」がいたら、自分の力でその人のよくない面を、正しい方向へ導いてやらねばならない。
だがもし「益友」と称すべき人があったら、自分の方から交際を求め、どんな事でも相談して、 常に兄弟のように交わるのがよい。

世の中には、益友ほどめぐり合うことが少なく、得がたいものはない。一人でも益友があったら、 何をおいても大切にすべきである。

飲み食いや歓楽を共にする友人であったり、行楽や魚釣りなどでなれ合うことは、よろしくない。学問の購究、 武芸の練習、武士たる者が持つべき志や、精神の研究などの上で、交わりを深めるべきである。
飲食や魚釣りなどで親しくなった友人は、ふだんは腕を組み、肩をたたき合って、互いに親友・親友と呼び合っていても、 平穏無事のときに、我が人格を向上させるための役には立たないし、何か問題が生じたときも、 わが危難を救ってくれる者でもない。

こういう損友とは、できるだけ会わないようにし、遊興への誘惑に負けぬ強い意志をもち、心安くなれ合いすぎて、 わが道義心をけがすことのないように、注意しなければならない。

私の19歳の頃は、大人の仲間入りをするのが楽しくて…酒の呑み方、女遊び、マージャンなど、何にでも興味しんしん… 仕事も覚えなければならなかったが、遊びも夢中だった。
そんな時「啓発録」を読み、「益友」と付き合うことに心を砕いていたら、少しはマシな人間になっていたかも…。

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