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2009年02月 アーカイブ

2009年02月03日

落語・牛ほめ

■回文
たけやぶやけた」のように、後ろから読んでも、前から読んでも、同じ文や語句を「回文」といいます。
最近のコンテスト入賞作では、「いかした歯科医」「お帰り!笑顔」 がある。

長き世のとおの眠りのみな目覚め波乗り舟の音の良きかな
江戸時代、宝船に乗った七福神の絵に、この回文を書き添え、枕の下に敷くと、
良い初夢を見ることができ、縁起が良いとされた。

丑年にちなむ回文に、「さあ清水走れ丑年嬉し弾みし朝」がある。
のどかに牛が草を食む田舎…いいですね…「いなかいかない

粟津温泉近く、旧8号線沿いのモーテルの看板に、「AKASAKA」があった。
前から読んでも、後ろから読んでも"赤坂"


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 637】
~ことば遊び~  「落語・牛ほめ」

丑年にちなんで、前座噺の演目として寄席によくかかる、「牛ほめ」を一席。
バカ息子の顔を立てようと、父親が秘策をさずけるが…最後のオチ…フッフッ

♪いつもボーッとしている息子の与太郎に、新築祝いの挨拶の口上を
覚えさせようとする父親。
「ロクに挨拶もできない」と、いつも小言ばかり言っている、叔父の左兵衛を見返すには、
絶好の機会である…。
首尾よく家を褒めて、叔父をいい気持ちにさせれば、小遣いが貰えるからと、
懸命に、与太郎をその気にさせようとする父だが…。

「結構なご普請でございます。天井は薩摩の鶉木理(うずらもく)。
畳は備後の五分縁(べり)で、左右の壁は砂摺(ず)りでございますな。
庭は御影づくりでございますね…」
という簡単な褒め口上を、なかなか覚えられない与太郎。
結局、口上を紙に書いてもらって、叔父の家へ向かう。

さて、しどろもどろになりながらも、なんとか口上を言い終えた与太郎。
何かを読みながら喋っているんじゃないかと、疑う叔父を尻目に、そそくさと台所へ…。

台所の柱に大きな節穴があり、悩みどころになっている叔父。
じつは、この節穴に、父が息子に授けた秘策があった。
竣工前、家を見に行った時に思いついた、とっておきの考えを息子に言わせ、叔父に一泡吹かせようという魂胆である。

『叔父さん、ここに大きな穴があいているけど、気にならないの?』
「ボーッとしているお前でも気付いたか…いや、気にはなっていたが、なかなかいい考えが浮かばず、どうしたものかと悩んでいるんだよ」

『心配ないよ叔父さん、秋葉様(防火の神様)のお札貼ったら…
穴が隠れて火の用心になるよ』

この言葉に感心した叔父は、「お小遣いをやる」と約束…
めでたし、めでたしとなるはずだったが…
調子に乗った与太郎は、叔父が大切に飼っていた、牛まで褒めると言い出す…。

『あれ、叔父さん、この牛の後を見て…大きな穴があいているよ、気にならないの?』
「それは尻の穴だよ。そんなもの気にならないよ」
『いやいや、心配ありません。秋葉様のお札をお貼んなさい』
「おいおい、バチがあたるぞ…そんな所に張って…どうするんだ」

『穴が隠れて"屁の用心"になります』

金原亭馬生「落語名作100選」より

2009年02月06日

啓発録・交友を択ぶ

■教え子たちから、国民教育の師父と敬愛された"森信三"
 「修身教授録」から…"心に残ることば"

*「人生二度なし」
  人生を如何に生きるか…人生二度ないとなれば、甘え心もなくなる

*「人間としての軌道三か条」
 一、毎朝、親にあいさつできる人間になる
 二、親に呼ばれたら、必ず「ハイ」と返事をする
 三、履物を揃え、立ったら椅子を必ずキチンと入れる

*「人間としてぎりぎり大事な二か条」
 一、いったん決心した以上は、必ずやりぬく人間になる
 二、人に対し親切な人間になる

*シャキッとした人間になる秘訣
 座禅修行で「腰骨を立てる」ことを自得する
 腰骨を立てると、背筋もシャキッと真っ直ぐになる…姿勢がよくなる…
 心もシャキッとしてくる…無意識に出来れば、シャキッとした人間になる


【心と体の健康情報 - 638】
~古典から学ぶ~ 「啓発録・交友を択ぶ」

橋本佐内は15歳のとき、自らの生き方を明らかにする戒めとして、
「稚心を去る」「辰気」「立志」「勉学」「択交友」の五項目からなる「啓発録」を著した。
今日は「択交友・交友を択(えら)ぶ」から…。

「交友」とは、自分が交際する友人のことで、「択ぶ」とは、多くの中から選び出すという意味です。 自分と交際してくれる人があれば、みな友人として大切にしなければならない。
しかしながら、そうした友人には「損友」「益友」 があるから、その違いを見極めて選ぶということが、必用なのです。

友人の中に「損友」がいたら、自分の力でその人のよくない面を、正しい方向へ導いてやらねばならない。
だがもし「益友」と称すべき人があったら、自分の方から交際を求め、どんな事でも相談して、 常に兄弟のように交わるのがよい。

世の中には、益友ほどめぐり合うことが少なく、得がたいものはない。一人でも益友があったら、 何をおいても大切にすべきである。

飲み食いや歓楽を共にする友人であったり、行楽や魚釣りなどでなれ合うことは、よろしくない。学問の購究、 武芸の練習、武士たる者が持つべき志や、精神の研究などの上で、交わりを深めるべきである。
飲食や魚釣りなどで親しくなった友人は、ふだんは腕を組み、肩をたたき合って、互いに親友・親友と呼び合っていても、 平穏無事のときに、我が人格を向上させるための役には立たないし、何か問題が生じたときも、 わが危難を救ってくれる者でもない。

こういう損友とは、できるだけ会わないようにし、遊興への誘惑に負けぬ強い意志をもち、心安くなれ合いすぎて、 わが道義心をけがすことのないように、注意しなければならない。

私の19歳の頃は、大人の仲間入りをするのが楽しくて…酒の呑み方、女遊び、マージャンなど、何にでも興味しんしん… 仕事も覚えなければならなかったが、遊びも夢中だった。
そんな時「啓発録」を読み、「益友」と付き合うことに心を砕いていたら、少しはマシな人間になっていたかも…。

2009年02月10日

今は使われなくなった、金沢ことば

■ソマリア自衛隊派遣

"義"を見て為さざるは"勇"無きなり」 (為政第二)
(そうすることが正義だと知りながら、見て見ぬ振りをして行わないのは、勇気がないからだ)

4~5日前、ラジオのニュース解説で、「ソマリア自衛隊派遣」の是非について、ソマリアで海上自衛隊の護衛艦が、 日本の船舶を護衛することに絡む諸問題を解説していた。

現行法では、「日本船籍の船」と「日本人が乗船している船」に限られ、武器の使用・警告・正当防衛・緊急避難など、 使用と護衛範囲は極めて限られている。
接近したり、逃走する海賊船を射撃したり、強制停船させて捕獲することは出来ず、
不審船の臨検も、立ち入り検査も認められていない。

解説者曰く…外国の船が海賊に襲われているのを、何もせずにただ見ていられるか?
「義を見て為さざるは勇なきなり」と、孔子の言葉を引用して、正義のために、
何があろうと救助するのが人の道であろう…と。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 639】
~かなざわなまり(3)~
「今は使われなくなった、金沢ことば」

「キンカンなまなま」「ゴボる」 「タルキ」「アシタ」「ゴッポ」 「コシキダ」

56豪雪以降、しだいに雪が降らなくなった北陸。
今年も、気象台観測3番目の暖い日が続いて、ネコヤナギも膨らみ、春の気配が感じられるようになりました。
で、今はもう使われなくなった、"冬"のかなざわことばを取り上げてみます。

金沢の方言が話題になった時、「キンカンなまなまってどんな意味?」って聞くことがあります。 「栗きんとん?生菓子?」「生のきんかん?」などと、正しい答えが返ってきません。
冬、路面がツルン・ツルンに凍って、キンキン・ナマナマの状態になったことを言います。
実にリアルに状況を言い当てています。
金沢でも、旧市街の人のみが知る言葉で、数キロ離れた津幡や野々市町では、知らない人が多いのです。

「ごぼるさかいに気をつけまっし!タルキにも気をつけにゃ」・・・この意味は?
ゴボる」は、積もった柔らかい雪に、 足がズブズブと埋まっていく様を言い、
タルキ」は「つらら」のことを言います。
子供の頃、このタルキを折って、口の中をうるおしたものです。

近年になって、フッと気付いたことですが、昔は、冬になれば、長くて太いタルキが、あちこち普通に見られました。今は、 温暖化の影響でしょう…見ることがありません。

私が中学生の頃、「アシタ(高下駄)」を履いて学校へ行っていました。
高下駄の歯が磨り減ると、近所の下駄屋さんで、新しい歯に入れ替えてもらったものです。

冬も、学校へアシタを履いて行きました。雪道を歩くと、前歯と後歯の間に雪が詰まって歩けなくなる…当時、それを 「ゴッポが詰まった」と言いました。
このゴッポを取る石が、路端に埋め込んであって、下駄を蹴って、カンカンと石にぶつけて取るのです。その石…今でも、 野町の"広見"や尾張町に残っています。

冬、雪をすかす「コシキダ」が各家庭にありました。五十代以上の年配者なら、 誰でも知っています。先端が羽子板のような形をした、木製のスコップのことです。
これ、今はない…この「コシキダ」、屋根の雪おろしに使われました。
金属製のスコップだと、瓦を傷つけてしまいます。雪がこびり付かないから重宝しました。

豆腐に包丁を入れるように、コシキダを雪の中にスパッと入れて切れ目を作り、雪の下にコシキダを差し入れて持ち上げます。 すくい上げた雪のかたまり…コシキダの上を滑らせ、前方へ投げ、遠くへ飛ばすのです。

今は、使われることが無くなった、みょうに郷愁を誘う「冬のかなざわことば」です。

2009年02月13日

啓発録・交友を択ぶ(2)

■"野中兼山(1615~1663)"のみやげ

土佐藩主山内候の家老で学者の"野中兼山"。藩の殖産興業に功績があったことで知られる。兼山、江戸から国もとに帰るとき、船1隻分、 アサリやハマグリをお土産に積んで、土佐の浦戸湾に戻ってきた。その当時土佐の海には、アサリやハマグリがいなかったのです。

先に書き送った手紙で知った親戚友人、「久しぶりに珍しいものが食べられる」と、
港に集まってきた。するとどうしたことか兼山は、人々の見ている前で、持ち帰った船1隻分のアサリとハマグリを、 全部海の中に投げ込ませてしまった。

人々は驚いて、「せっかく持ち帰った土産をもったいない。何も海に捨ててしまわなくても…」と詰め寄ると、兼山は笑って「いやいや、 諸君の土産にするだけでなく、諸君の子供、子々孫々に至るまで、いやほどアサリとハマグリを食べられるようにしたいと思うてな…」 と言いました。

あれから三百有余年。今では、こうした貝類…この土地の名産になっている。
長岡藩の「米百俵の精神」もそう…。今、日本政府は、百年に一度の大不況を乗り切ろうと、国のお金"2兆円"の使い道をめぐり、与野党・ 議論沸騰…。

子曰く 故(ふる)きを温 (たず)ねて新しきを知る 以って師と為るべし
( 孔子が言われた。古いことを尋ねて、そこから新しいことを知る者は、
 人の指導者になれる )


【心と体の健康情報 - 640】
~古典から学ぶ~ 「啓発録・交友を択ぶ(2)」

橋本佐内の「啓発録」から…前回の 「交友を択ぶ」の続きです。

友人には「損友」と「益友」がある。 その違いを見極めて選ばなければならない。
さて、すぐに心安くなれる「損友」とは違って、「益友」というのは実に気遣いなもので、交際する上では、 ときどき面白くないこともある。

そこの点をよくわきまえて付き合うのが「益」である。つまり、自分の悪いところを遠慮なく注意してくれるのが、 「益友」なのである。
「益友」を見定めるには、その人物が…
「厳格で意思が強いか」
「温和で人情厚く誠実であるか」
「勇気があり果断であるか」
「才智がさえわたっているか」
「小事に拘泥(こうでい)せず、度量が広いか」
という、五つの点を目当てにすればよい。

こうした人物は、いずれも交際する上では気遣いが多く、世間の人からは、はなはだしく嫌われているものである。
それとは反対に「損友」は、他人にへつらい媚び、人に気にいられるように阿(おもね)ることを専(もっぱら)として、 小利口で落ち着きがなく、軽々しく、いい加減な性格の持ち主である。

こうした人は、いずれもすぐに心安くなれるので、世間のつまらぬ人々が、その才智や人柄を誉めたりするが、 聖賢豪傑になろうと志すほどの人物は、友人を選ぶにあたって、彼らとは違った厳しい目を持たねばならない。

橋本左内の「啓発録」、江戸時代の末期に書かれ、150年を経た今日においてなお、その内容は驚くほど新鮮です。 我が故郷が誇る偉人として、子ども達に教え、後世に残し、伝えていかなければならない。

2009年02月17日

四代将軍・徳川家綱

■いま出世する者、しない者

大久保彦左衛門(1560~1639)が著した「三河物語」の中に、「いま出世する者としない者」という記述がある。

[いま出世する者]
・主君を裏切り、主君に弓を引く者  ・ 口先だけうまい者  ・算盤勘定のうまい者
・ひきょうな振る舞いをして、人から笑われる者  ・前歴がよくわからない者

※今でいえば、社長の片腕でありながら、自らの野心のために、密かに部下の
  引き抜き、お得意様の横取りを企むなどして、独立の期をうかがう幹部社員。

[いま出世しない者]
・絶対に主人を裏切らない者  ・ 合戦一途に生きる者  ・算盤勘定の下手な者
・お世辞が言えず、世渡りが下手な者  ・最後まで主人に仕え続ける者

※今でいえば、現場一筋、身を粉にして会社に仕え、現在の地位・境遇に甘んじて、
  生涯宮仕えしようと心に決める、実直な社員。

当時幕府は、武断政治から文治政治へと移行しつつあり、武家も、武功派より文治派が重用されるようになった。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 641】
~歴史から学ぶ~ 「四代将軍・徳川家綱」

家康から265年、15代続いた徳川幕府…家光や吉宗は、よく知られる将軍です。
が、その他の将軍についてはよく分からない?
そこで、歴代将軍にまつわるエピソードを取り上げて、その時代を見ていきます。

今回は、「四代将軍・家綱」です。
徳川家綱…三代将軍家光の嫡男。家光が48歳で死去(1651)したため、11歳で四代目将軍の座に…幼少で将軍家を継承したため、 政情不安になり、由比正雪の倒幕事件が起きた。

叔父の保科正之や、家光時代からの大老・酒井忠勝、老中の松平信綱など、優臣の補佐により危機を乗り越え、 以後29年の間安定政権をみた。
家綱は、関が原以降武力に頼った武断政治から、文治政治へと政策の切り替えを行った。
温厚な人柄の家綱は、絵画や魚釣りを趣味とし、政務を重臣たちに任せ、「左様せい」の一言で決済を済ませていたことから、「左様せい様」 という異名を付けられた。

エピソード(1)
将軍就任間もない少年の頃、天守閣に登った。
その際、近習の者が遠眼鏡をすすめたが、家綱はそれを受け取ろうとしなかった。
「自分は少年ながら将軍である。もし将軍が天守閣から、遠眼鏡で四方を見下ろしていると知れたら、恐らく世人は、 嫌な思いをするに違いない」と…。

エピソード(2)
ある時、島流しになり、流人となった者の話を聞き、「彼らは一体何を食べているのか?」と側近に尋ねたが、誰も答えられなかった。
家綱は「死罪を免れ、流刑に処せられたのに、なぜ食糧を与えないのか?」といぶかった。それを聞いた父・家光は喜んで、「これを竹千代 (家綱)の仕置きはじめにせよ」と家臣に命じ、それ以降、流人に食糧を与えるようになった。

エピソード(3)
家綱、食事中に汁物をすすろうとしたところ、髪の毛が入っていた。
家綱、何事もなかったように髪の毛をつまみ、取り除いた。
慌てた小姓、替えの汁物を用意しようとした。
家綱「その汁は途中で捨て、椀を空にして下げるように」と、小姓に命じた。
お椀を空にして下げれば、普段のお代わりと同じ扱いになる…咎められる者が出ない。
家綱の優しい心配りがうかがえる逸話です。

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2009年02月20日

青息吐息

■「胆識」

東洋政治哲学・人間学の権威で、日本の政・財界の啓発・教化につとめた"安岡正篤"先生がよく語られた言葉に、 「知識・見識・ 胆識」があります。

「知 識」…本を読んだり、人の話を聞いたりして得られたもので、
       知識として身につけることで、人間としての深みが増してくる。
「見 識」…自身の経験によつて得られたもので、何か問題に直面した時、
       的確な判断材料になります。
「胆 識」…何かを決定し行動しようとすると、反対され、阻止されることがあります。
       自分が正しいと信ずるなら、そうした反対に流されることなく、
       やり遂げようとする力、その実践的判断力を"胆識"といいます。
       いくら多くの知識があっても、すばらしい見識を持っていても、
       胆識がなければ、何も始まらないのです。

山口勝朗著「安岡正篤に学ぶ人間学」より

発言を追及され、前言を簡単に撤回してしまう麻生総理…発言のブレに象徴される場当たり的な政権運営… 指導者に求められる"胆識"が備わっていないのでは?

2/11中日新聞「中日春秋」


【心と体の健康情報 - 642】
「青息吐息」

毎朝起きて直ぐ、"10分間ヨガ"で身体をほぐすことから、私の1日が始まります。
ヨガで大切なのは、吐く・吸う・止めるの「呼吸法」と、「瞑想」…。
体内にある邪気すべてを、体外に吐き出すかのように「息をゆっくり吐く…」。
緊張感がゆるみ、心がゆったり、気が楽になり、晴れ晴れとした気分になります。

次ぎに、朝の外気をたっぷり「吸い込む」…気息が内へ向かい、新鮮なエネルギーが体内に満ちてくる…気力が充足し、 体がシャキッとしてくる。
そして「息を止める」…心気は一点に止まり、気が集中し、全身に充実感がみなぎってくる。
呼吸法を習得すると、自らの精神の安定と、心身の健康に大きく寄与するようになる。
東洋医学、西洋医学を問わず、医学界では"呼吸"の研究が盛んに行われている。アメリカの医学雑誌に、 人が様々な精神状態で吐く息の色の一覧が発表された。
息には様々な"色の違い"があることが、分かってきたのです。
笑う、泣く、怒る、妬むなど…精神状態によって、吐く息の色が異なってくるのです。

液体空気が入った冷却装置に試験管を入れ、息を吹き込む。息が冷やされて、底にカスがたまる。平常心の息のカスは"無色"である。 憎悪憤怒の口から吐き出される息は、毒々しい"栗色"になる。それをモルモットになめさせると、ひどく興奮し、頓死することもある… それは、他のいかなる毒よりも猛毒である証拠です。

少し前になるが、ある大きな会社の社長に面会した。社長室に案内され、部屋の空気を吸った瞬間、言葉を交わしてもいないのに、 オーラを感じ、無意識に頭を垂れていた…部屋の空気を吸った途端、そうせずにはおられなかったのです。

夫婦喧嘩をした時もそう…何故か冷静でいられなくなり、感情が激してくる。
それは、喧嘩相手が吐く息が脳を刺激して、興奮してくるのです。

日頃、何かにつけ腹を立てる人は、自らを自殺に追い込んでいるようなものです。
先ず肝臓がやられる。胃潰瘍や肝臓ガンは、こうした心理状態に起因して、発症すると言われている。
穏やか平穏に暮らすことが、健康には一番いいのです。
良い精神の人は和気を吐く。が、悪い精神の人は毒気を吐き散らすのです。
前号で「益友」の話をしたが、益友の吐く息が、脳に良い影響を与えるのでしょう。

歌舞伎「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋の段」では、主君の子の首を討たねばならぬ羽目に陥った主人公が、 思案の末に、その日弟子入りしたばかりの子供を身代わりに仕立てて首を打ち…差し出した。首実検にやってきた役人… 実は子供の父親だったのです。
我が子と知りながら、「主君の子の首に相違なし」と言って、引き上げます。
その時の主人公の心境を浄瑠璃は、「青息吐息 五色の息を一時に吐く思ひなり」と、 表現している。

伊藤節子・著「父 安岡正篤を語る」

江戸の昔の人も、悲しみや怒りなどで吐いた息を、赤とか青で表現しているのです。
100年に一度の大不況と言われる今…国も私たちも、青息吐息では困ります。
何事もプラス思考に、赤い気炎を挙げて、不況を乗りきりたいものです…。

2009年02月24日

五代将軍・徳川綱吉

■徳川家康「東照宮遺訓」

一. 人の一生は 重き荷を負うて遠き路を行くが如し 急ぐべからず
一. 不自由を常と思えば不足なし
一. 心に望みおこらば 困窮したる時を思い出すべし
一. 堪忍は無事長久の基
一. 怒りを敵と思え
一. 勝つことばかり知りて負くる事を知らざれば 害その身に至る
一. 己を責めて 人を責むるな
一. 及ばざるは 過ぎたるより勝れり

いずれも、不況風が吹く今、座右の銘にしておきたい、自らの生き方を諌める心得です。
中でも、最初の文章「人の一生は重き荷を負うて…」は、ズッシリ胸にしみます。
"千利休"が言った言葉というのが、最近の歴史家の通説です。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 643】
~歴史から学ぶ~ 「五代将軍・徳川綱吉」

家康から265年、15代続いた徳川幕府…家光や吉宗は、よく知られる将軍です。
が、その他の将軍についてはよく分からない?
そこで、歴代将軍にまつわるエピソードを取り上げて、その時代を見ていきます。
今回は「五代将軍・綱吉」です。

五代将軍・徳川綱吉は、三代将軍家光の四男。
綱吉将軍職就任に功労した"堀田正俊"を大老に据え、積極的に政務に関わっていく。
先代の家綱時代、政務一切を重臣たちに任せ、「左様せい様」という異名が付けられていた将軍の権威を、取り戻そうとしたのです。

関が原の戦いから80年…戦国の殺伐とした気風を排除して、"徳"を重んじる文治政治を推し進めた。これは、 父"家光"が綱吉に儒学を学ばせたことに影響している。
幕臣を集めて"四書"や"易経"を講義する、学問好きな将軍として知られている。

儒学を学んだ影響から、歴代将軍の中で最も皇室を尊び、皇室領を増額して献上したり、巨額の資金を投じて、 河内国一帯の66陵を修復したりした。

在任中に起きた刃傷沙汰で、赤穂藩主・浅野長矩守を、大名としては異例の、即日切腹に処したのも、 朝廷との儀式を台無しにしたことへの、綱吉の激怒が背景にあったのです。

綱吉のこうした儒学を重んじる姿勢は、新井白石、荻生徂徠らの学者を輩出するに至り、この時代儒学が隆盛を極めた。
また、近松門左衛門・井原西鶴・松尾芭蕉などの文化人が一世を風靡した、元禄時代の将軍です。

将軍就任4年目に、将軍の片腕、堀田正俊が若年寄"稲葉正休"に刺殺される事件が起きた。以後、大老を置かず、 "柳沢吉保"らご用人を重用し、老中を遠ざけるようになった。

この頃に、後に"悪政"と言われる「生類憐れみの令」を発したり、悪化しつつあった幕府財政を建て直そうと、「貨幣の改鋳」 を実施したが、世間を混乱させるだけに終わった。
側近・寵臣の意見にしか耳を傾けなかった弊害が、民衆を苦しめることになったのです。

綱吉の評価が、実際より低く見られるのは、忠臣蔵や水戸黄門に絡むTVドラマが、悪い印象を与えているのしょう…。
元禄11年、数寄屋橋より出火した大火は、300余町を焼き尽くし、三千人の死者を出した。
また、富士山が噴火…関東一円火山灰の被害に合い、庶民は飢饉に苦しんだ。

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2009年02月27日

木鶏に似たり

■「双葉山」名言

○弟子を教育するとき
 「言って分かる奴は 言わないでも分かる、
 言わなきゃ分からん奴は 言っても分からん」

○連勝記録を絶たれ、外国へ旅している父に宛てた電報
 「イマダモッテケイタリエズ」 (我いまだに 木鶏足りえず)

[連勝記録・主な記録保持者]
 1位/双葉山 …69連勝、36連勝、32連勝、29連勝
 2位/谷  風 …63連勝、43連勝、35連勝
 3位/梅ケ谷 …58連勝、35連勝
 4位/太刀山 …56連勝、43連勝
 5位/千代の富士…53連勝
 6位/大  鵬 …45連勝、34連勝、34連勝、30連勝
 7位/雷  電 …44連勝、43連勝、43連勝、38連勝
  *
12位/小 錦 …39連勝
  *
16位/朝青龍 …35連勝、27連勝 


【心と体の健康情報 - 644】
~故事に学ぶ~ 「木鶏に似たり」

月刊誌「致知」の愛読者が、月1回集い・学ぶ会「木鶏クラブ」に、何度か出席したことがある。(全国に約100ヶ所の 「木鶏クラブ」があり、勉強会が行われている)「木鶏」という、日頃馴染みのないこの言葉は、 中国の古典"荘子"に納められている故事に由来し、「木鶏に似たり」とある。

パソコンで、"モッケイ、モクケイ、ボッケイ"と、漢字変換を試みたがダメで、"ボクケイ"と入力して、ようやく出てきた。
「木鶏に似たり」とは…「木彫りの鶏のように、物事に無心で臨むことで、万事に対処でき、困難に打ち克つ最良の方法になる」 という意味です。

♪昔、紀悄子という闘鶏を育てる名人がいた。
噂を聞きつけた王様…血統正しい鶏を名人に預けて、養わせた。
10日ほど経って、王様は尋ねた「どうだ、もう闘わせてもいいか?」
「いや、まだ"空威張り"して、闘争心があるからいけません」

もう10日して、「どうだ、もういいか?」と尋ねたが、依然として
「いや、まだです。ほかの闘鶏の声や姿を見ただけで"いきり立つ"からダメです」
さらに10経っても、
「まだいけません。まだ目を吊り上げて威張っているから…話になりません」
さらに10日経って、王様が尋ねると、
「もうそろそろでしょう…他に鳴くものありといえども、既に変ずる気配なし…
これを臨むに木鶏に似たり…その徳、全し」と答えた。

つまり、よその闘鶏が鳴いても、顔色一つ変えない…まるで、木彫りの鶏のようで、完全な闘鶏に仕上がっていたのです。
実際に闘わせてみると、ほかの闘鶏は、闘わずして逃げるではないか…。
褒められても、けなされても、態度は変わらず…泰然自若である。

荘子は、道に則した人物の陰喩として「木鶏の逸話」を描き、説いて聞かせた。
「道を極めた人物は、他人に惑わされることなく、ただ鎮座しているだけで、衆人の範となる」…と説いているのです。

※「荘子」
前369~286(推定)、中国戦国時代、宋国の思想家で、道教の始祖の1人といわれる。著書に『荘子(そうじ)』がある。

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