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啓発録・稚心を去る

■人間学で、独自の哲学を確立した"森 信三"先生[修身教授録]
 「二第三講・人生二度なし」から

『二度とない人生…その二度とない人生を、できるだけ有意義に送ろうとするなら、この人生が、二度とやり直しのきかない、 繰り返し得ないものであり、今日までの歳月のほとんどを、無自覚・無意味に過ごしてきたことを、深刻に後悔しなければならない。
同時に、今後残された人生についても、見通してかからなければならない』

※「一年の計は元旦にあり」…麻生総理は「書初め」で心中の決意を表した。
 後は、実行あるのみ!


【心と体の健康情報 - 630】
~古典から学ぶ~ 「啓発録・稚心を去る」

橋本佐内…幕末福井藩の士です。我が故郷の偉人でありながら、学校で橋本佐内を学んだかどうか?記憶が定かでない。 五十を過ぎる歳になるまで、橋本佐内だけでなく、二ノ宮尊徳も、何で名を成した偉人なのか、知らなかったのです。

左内は、福井藩主松平慶永の側近として、藩校の学監をしたり、藩政改革に当たった。
積極的攘夷開国論者で、将軍継承では"慶喜"擁立に活躍。反対派の井伊大老に、安政の大獄で投獄され、 若干26歳にして吉田松陰と共に処刑されている。

その左内、十五才の時、「これから後の、自らの生き方を明らかにする戒め」として、以下の五項目を、文章に書き記している。
「稚心を去る」…子供じみた心を取り去り     「辰 気」  …気力を養い
「立 志」   …向上心を持ち            「勉 学」  …勉学を怠らず
「択 交 友」  …自分を戎めてくれる友人を持つ

これは「啓発録」 として、左内の思想や生き方の根幹を成す名文となり、 後世にその名を残すことになるのです。
それにしても、若干十五才にして、これほと格調高く、高貴な精神を書き記すとは…
西郷隆盛をして、「最も尊敬する友」と言わしめた、幕末福井藩の偉人です。

「啓発録」は、「稚心を去る」から始まります。
「おさな心、子供じみた心を取り去る」という意味のことが、書かれています。

鎖国をしていた日本、明治になって驚くほど国家が成長発展した。
その元をたどれば、武士社会のみならず、一般庶民の間に広く、「読み書き手習い」が浸透していたことにある。当時、来日した西欧人が、 庶民の学力に驚嘆し、その旨を本国に書き送っている。

以下は「稚心を去る」ですが、今の時代の家庭や、子供たちの姿を言い表しているようで、百年以上も前に書かれたものとは、 とても思えない新鮮さです。

毎日なまけて安楽なことばかり追いかけ、親の目を盗んで遊びまわり、
勉強をおろそかにし、いつも父や母に寄りかかって、自分では何もせず、
あるいは又、父や兄に叱られるのを嫌って、常に母のかげに隠れ、
甘えるなどということは、すべて子供じみた、つまりは「稚心」から生ずる
のである。
幼い子供の内は、強いて責めるほどのこともないが、十三・四才に成長し、
みずから学問を志す年齢になって、この「おさな心」がほんの少しでも残って
いたら、何をしても決して上達せず、将来天下第一等の大人物になる
ことはないだろう。

と、自らを戒めているのです。

明後日、毎年恒例の成人式が行われる。またどこかで、式場が荒れるのでしょうか?
教育制度が充実した今の時代にあって、左内と同じ年頃の若者が、少なからず「大人にはなりたくない、いつまでも子供のままでいたい」と、 本気で思っている…。

また、今の大学生で、親からの学費や生活費の仕送りに感謝し、自らの進路を明確にして、真剣に勉学に励む学生が、 どれだけいるだろうか?
福井県の友人に橋本左内の話をすると、皆よく知っている。学校で中学三年の頃、郷土の偉人として「啓発録」を読み、学んでいるのです。

「稚心を去る」…子どもじみた甘えの心を取り去り、志を立て、自立した人間・立派な社会人になるためには、 読んでおかなければならない古典でしょう。

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