■夢
英語落語にチャレンジする"桂かい枝"師匠。
落語家の"桂かい枝"さん、アメリカ各地で、日本の伝統芸能"落語"の公演を行っている。1997年単身アメリカに渡り、10年の間、 全米を回り、悪戦苦闘しながら、英語落語に挑戦してきた。
面白さが、どこまでアメリカ人に通じるか?英語にはない日本語独特の言い回し…古典落語を英語に翻訳しただけでは、 アメリカ人は笑わないし、オチがわからない。
昨年の9月17日、ニューヨーク/マーキン・コンサートホールで、「ニューヨーク繁盛亭」を開催。
上方落語協会会長の"桂三枝"師匠も応援に駆けつけ、字幕付きで古典落語を披露した。
かい枝師匠は、巧みに英語をあやつって、「アメリカ人から見た不思議な国日本」と題した創作落語を披露。師匠のこっけいなしぐさ・表情に、
会場は終始笑いに包まれた。
中学時代の恩師の影響で、英語に興味を持ち、英語落語の普及に努め、各所で英語落語教室を開催…そこから、多くの外国人落語家や、
愛好者が生まれている。
これまで、世界11ヶ国28都市で、200もの公演を成功させ、日本文化「落語」の魅力を紹介している。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 629】
~日本人のアイデンティティー~
「日本人の心を語る"落語"」
あけましておめでとうございます。
つたないメルマガですが、今年もよろしくお付き合いください。
私の趣味は広く浅く、多彩です。「静」は囲碁、読書、メールマガジン、絵画・音楽・映画鑑賞。
「動」は、スキューバーダイビング、旅行…
何をやっても下手な私ですが、今年、長年親しんできたスキーを趣味から外し(雪が降らないため…)、
新たにゴルフを加えることにしました。
また、月1回マージャンに触れ・楽しむ会が、20年ぶりに復活する。
ゴルフは、足腰を鍛え、健康のため…マージャンは、ボケ防止?のために。
落語に惹かれたのは、二十歳の頃…三遊亭円歌(落語協会会長。当時は"歌奴"…真打なりたて。「山のあなあな…」で一躍有名に)
一座のドサ周りに、1ヶ月付いて歩いたのがきっかけ。
落語は、趣味"言葉遊び"の延長線上にあり、演目の面白さだけでなく、最後の"落ち"がたまらない…落語家は、
言葉のマジシャン"語り職人"である。
落語というのは、人間の"業"…ダメな部分を丸ごと認めて思考し、客と一体化する…他の伝統芸能とは一味違う、
庶民的親しみに満ちているところがいいのです。
立川談志師匠は、「人間のいたらない部分こそが、いとおしい」と、哲学の領域にまで踏み込んで、落語を"定義付け"している。
日本独自の伝統芸能「落語」…扇子と手ぬぐいだけ携えて、舞台の真ん中の一枚の座布団に座り、小半時しゃべくる。落語こそが、
世界に誇る日本の話芸である…。
扇子を逆さに持ち、左手をお椀にして口に運び、ソバをすする仕草をしたら、観客すべてが、おそばを食べている気分になる。
「お客様に仕事をさせて、おあしを頂く…こんな素晴らしい芸能はほかにない」と、談志師匠…。
落語家は「想像力を生み出す芸人」である…観客のイマジネーションのために、扇子や手ぬぐいを駆使して演じる… 師匠から弟子へと受継がれてきた、想像力を喚起する落語という芸能は、無限の可能性を秘めているのです。
日本語が持つ魅力は、そのまま落語の魅力になる。
私を「ことば遊び・落語」の世界へと誘い込んだのは、日本語という豊かな言語が、落語という伝統芸能を育み、
話芸でもって聴衆を魅了してきたからです。
英語は" I とYOU "だけだが、日本語は…俺、ぼく、あたい、わて、拙者、貴様、おぬし、それがし、おまえさん… 耳にするだけで上下関係がわかり、職業が連想できる。出身地の目安にもなる。
コンピューターの世界ならば"1と0"、イエスとノー。その組み合わせでしか構成されない。
一方の日本語には、1と0、イエスとノーの間に、無限のトーンが存在する…イエスでもノーでもない、
"曖昧ファジー"な空間が存在するのです。
「来週の勉強会、来られますか?」とお誘いしたら、「…行けたら行きます」と…参加するでもない、断るでもない返事。 それが外国人には、「なんてまあ、日本人は曖昧な表現をするんだろう…」となる。
日本の文化の底流にあるのは、この"曖昧"さ。
相手を気遣おうとする優しさが、曖昧さに表れてくる。
けれども、欧米人にはこの曖昧さが理解できず、国家間の政治交渉の場で、日本は誤解され続けてきたのです。
戦後、日本に欧米の文化・思想が浸透するにつれ、世の中の閉塞感が高まってきた。
その一因は、ものの考え方が1と0、イエスとノーになってきたことにある。
一人ひとりが抱える、"いたらない部分"をすくい上げることもせず、白か黒だけで判断しようとする…効率性のみがもてはやされる… これでは、日々の暮らしはギスギスして、息つく暇もない。
日本人本来のアイデンティティを取り戻し、日本人に立ち戻るために…
落語は、日本人の源流にあるものを、笑いながら再確認できる、格好の娯楽なのです。
立川志の輔「日本の未来を落語が救う」より