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2009年01月 アーカイブ

2009年01月06日

日本人の心を語る”落語”

■夢
英語落語にチャレンジする"桂かい枝"師匠

落語家の"桂かい枝"さん、アメリカ各地で、日本の伝統芸能"落語"の公演を行っている。1997年単身アメリカに渡り、10年の間、 全米を回り、悪戦苦闘しながら、英語落語に挑戦してきた。

面白さが、どこまでアメリカ人に通じるか?英語にはない日本語独特の言い回し…古典落語を英語に翻訳しただけでは、 アメリカ人は笑わないし、オチがわからない。

昨年の9月17日、ニューヨーク/マーキン・コンサートホールで、「ニューヨーク繁盛亭」を開催。 上方落語協会会長の"桂三枝"師匠も応援に駆けつけ、字幕付きで古典落語を披露した。
かい枝師匠は、巧みに英語をあやつって、「アメリカ人から見た不思議な国日本」と題した創作落語を披露。師匠のこっけいなしぐさ・表情に、 会場は終始笑いに包まれた。

中学時代の恩師の影響で、英語に興味を持ち、英語落語の普及に努め、各所で英語落語教室を開催…そこから、多くの外国人落語家や、 愛好者が生まれている。
これまで、世界11ヶ国28都市で、200もの公演を成功させ、日本文化「落語」の魅力を紹介している。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 629】
~日本人のアイデンティティー~
「日本人の心を語る"落語"」

正月、串本で6本潜りましたあけましておめでとうございます。
つたないメルマガですが、今年もよろしくお付き合いください。

私の趣味は広く浅く、多彩です。「静」は囲碁、読書、メールマガジン、絵画・音楽・映画鑑賞。

「動」は、スキューバーダイビング、旅行…
何をやっても下手な私ですが、今年、長年親しんできたスキーを趣味から外し(雪が降らないため…)、 新たにゴルフを加えることにしました。
また、月1回マージャンに触れ・楽しむ会が、20年ぶりに復活する。
ゴルフは、足腰を鍛え、健康のため…マージャンは、ボケ防止?のために。

落語に惹かれたのは、二十歳の頃…三遊亭円歌(落語協会会長。当時は"歌奴"…真打なりたて。「山のあなあな…」で一躍有名に) 一座のドサ周りに、1ヶ月付いて歩いたのがきっかけ。
落語は、趣味"言葉遊び"の延長線上にあり、演目の面白さだけでなく、最後の"落ち"がたまらない…落語家は、 言葉のマジシャン"語り職人"である。

落語というのは、人間の"業"…ダメな部分を丸ごと認めて思考し、客と一体化する…他の伝統芸能とは一味違う、 庶民的親しみに満ちているところがいいのです。
立川談志師匠は、「人間のいたらない部分こそが、いとおしい」と、哲学の領域にまで踏み込んで、落語を"定義付け"している。

日本独自の伝統芸能「落語」…扇子と手ぬぐいだけ携えて、舞台の真ん中の一枚の座布団に座り、小半時しゃべくる。落語こそが、 世界に誇る日本の話芸である…。
扇子を逆さに持ち、左手をお椀にして口に運び、ソバをすする仕草をしたら、観客すべてが、おそばを食べている気分になる。 「お客様に仕事をさせて、おあしを頂く…こんな素晴らしい芸能はほかにない」と、談志師匠…。

落語家は「想像力を生み出す芸人」である…観客のイマジネーションのために、扇子や手ぬぐいを駆使して演じる… 師匠から弟子へと受継がれてきた、想像力を喚起する落語という芸能は、無限の可能性を秘めているのです。

日本語が持つ魅力は、そのまま落語の魅力になる。
私を「ことば遊び・落語」の世界へと誘い込んだのは、日本語という豊かな言語が、落語という伝統芸能を育み、 話芸でもって聴衆を魅了してきたからです。

英語は" I とYOU "だけだが、日本語は…俺、ぼく、あたい、わて、拙者、貴様、おぬし、それがし、おまえさん… 耳にするだけで上下関係がわかり、職業が連想できる。出身地の目安にもなる。

コンピューターの世界ならば"1と0"、イエスとノー。その組み合わせでしか構成されない。
一方の日本語には、1と0、イエスとノーの間に、無限のトーンが存在する…イエスでもノーでもない、 "曖昧ファジー"な空間が存在するのです。

「来週の勉強会、来られますか?」とお誘いしたら、「…行けたら行きます」と…参加するでもない、断るでもない返事。 それが外国人には、「なんてまあ、日本人は曖昧な表現をするんだろう…」となる。

日本の文化の底流にあるのは、この"曖昧"さ。
相手を気遣おうとする優しさが、曖昧さに表れてくる。
けれども、欧米人にはこの曖昧さが理解できず、国家間の政治交渉の場で、日本は誤解され続けてきたのです。

戦後、日本に欧米の文化・思想が浸透するにつれ、世の中の閉塞感が高まってきた。
その一因は、ものの考え方が1と0、イエスとノーになってきたことにある。

一人ひとりが抱える、"いたらない部分"をすくい上げることもせず、白か黒だけで判断しようとする…効率性のみがもてはやされる… これでは、日々の暮らしはギスギスして、息つく暇もない。

日本人本来のアイデンティティを取り戻し、日本人に立ち戻るために…
落語は、日本人の源流にあるものを、笑いながら再確認できる、格好の娯楽なのです。

立川志の輔「日本の未来を落語が救う」より

2009年01月09日

啓発録・稚心を去る

■人間学で、独自の哲学を確立した"森 信三"先生[修身教授録]
 「二第三講・人生二度なし」から

『二度とない人生…その二度とない人生を、できるだけ有意義に送ろうとするなら、この人生が、二度とやり直しのきかない、 繰り返し得ないものであり、今日までの歳月のほとんどを、無自覚・無意味に過ごしてきたことを、深刻に後悔しなければならない。
同時に、今後残された人生についても、見通してかからなければならない』

※「一年の計は元旦にあり」…麻生総理は「書初め」で心中の決意を表した。
 後は、実行あるのみ!


【心と体の健康情報 - 630】
~古典から学ぶ~ 「啓発録・稚心を去る」

橋本佐内…幕末福井藩の士です。我が故郷の偉人でありながら、学校で橋本佐内を学んだかどうか?記憶が定かでない。 五十を過ぎる歳になるまで、橋本佐内だけでなく、二ノ宮尊徳も、何で名を成した偉人なのか、知らなかったのです。

左内は、福井藩主松平慶永の側近として、藩校の学監をしたり、藩政改革に当たった。
積極的攘夷開国論者で、将軍継承では"慶喜"擁立に活躍。反対派の井伊大老に、安政の大獄で投獄され、 若干26歳にして吉田松陰と共に処刑されている。

その左内、十五才の時、「これから後の、自らの生き方を明らかにする戒め」として、以下の五項目を、文章に書き記している。
「稚心を去る」…子供じみた心を取り去り     「辰 気」  …気力を養い
「立 志」   …向上心を持ち            「勉 学」  …勉学を怠らず
「択 交 友」  …自分を戎めてくれる友人を持つ

これは「啓発録」 として、左内の思想や生き方の根幹を成す名文となり、 後世にその名を残すことになるのです。
それにしても、若干十五才にして、これほと格調高く、高貴な精神を書き記すとは…
西郷隆盛をして、「最も尊敬する友」と言わしめた、幕末福井藩の偉人です。

「啓発録」は、「稚心を去る」から始まります。
「おさな心、子供じみた心を取り去る」という意味のことが、書かれています。

鎖国をしていた日本、明治になって驚くほど国家が成長発展した。
その元をたどれば、武士社会のみならず、一般庶民の間に広く、「読み書き手習い」が浸透していたことにある。当時、来日した西欧人が、 庶民の学力に驚嘆し、その旨を本国に書き送っている。

以下は「稚心を去る」ですが、今の時代の家庭や、子供たちの姿を言い表しているようで、百年以上も前に書かれたものとは、 とても思えない新鮮さです。

毎日なまけて安楽なことばかり追いかけ、親の目を盗んで遊びまわり、
勉強をおろそかにし、いつも父や母に寄りかかって、自分では何もせず、
あるいは又、父や兄に叱られるのを嫌って、常に母のかげに隠れ、
甘えるなどということは、すべて子供じみた、つまりは「稚心」から生ずる
のである。
幼い子供の内は、強いて責めるほどのこともないが、十三・四才に成長し、
みずから学問を志す年齢になって、この「おさな心」がほんの少しでも残って
いたら、何をしても決して上達せず、将来天下第一等の大人物になる
ことはないだろう。

と、自らを戒めているのです。

明後日、毎年恒例の成人式が行われる。またどこかで、式場が荒れるのでしょうか?
教育制度が充実した今の時代にあって、左内と同じ年頃の若者が、少なからず「大人にはなりたくない、いつまでも子供のままでいたい」と、 本気で思っている…。

また、今の大学生で、親からの学費や生活費の仕送りに感謝し、自らの進路を明確にして、真剣に勉学に励む学生が、 どれだけいるだろうか?
福井県の友人に橋本左内の話をすると、皆よく知っている。学校で中学三年の頃、郷土の偉人として「啓発録」を読み、学んでいるのです。

「稚心を去る」…子どもじみた甘えの心を取り去り、志を立て、自立した人間・立派な社会人になるためには、 読んでおかなければならない古典でしょう。

2009年01月13日

二代将軍・徳川秀忠

■二代将軍秀忠にまつわるエピソード

武将としては評価が低かった家康の三男"秀忠"。大坂の陣の後のある日、弟"義直"と共に能を観劇している最中、地震が起きた。 場内がパニックになりかけた時…
「揺れは激しいが、壁や屋根が崩れる兆候はない。下手に動かないほうがよい…」
と、素早い対応を示し、混乱を回避した。
イザという時、いち早く状況を把握し、統率力を発揮するという、人には見えない才能があったのです。

その一方、妻で信長の姪"お江の方"には、頭が上らなかった。
生涯側室を持たず、一度だけ手を付けた女中に、男児(後の保科正之)が生まれた。
正室からの追求を恐れて、会うこともなく保科家へ養子に出してしまった。

頭が上らないと言っても、信長も家康も生きてはいない。"お江の方"と不仲になったところで、将軍の地位が揺らぐわけではない。 側室を持つことに何の問題もなかった…
恐妻家だったことは事実だが、秀忠は律儀さゆえ、愛妻家を押し通したのであろう。

なお、息子の"保科正之"に会ったのは、妻"お江の方"が亡くなって後である。
その保科正之…後に、兄にあたる三代将軍家光をしっかり支え、幕政に多大なる貢献をしている。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 631】
~歴史から学ぶ~  「二代将軍・徳川秀忠」

歴史上の出来事をあれこれ探っていくと、思わぬ事実にたどり着くことがある。
それは結構楽しいものです。
家康から265年、15代続いた徳川幕府…家光や吉宗は、よく知られる将軍です。が、その他の将軍についてはよく分からない? そこで、 歴代将軍にまつわるエピソードを取り上げながら、人と為りを見ていくことにします。
今回は「二代将軍・秀忠」です。

秀忠は家康の三男。「秀忠は律儀すぎる。人は律儀一点張りではいかぬものだ」と、家康を嘆かせた。これに対し秀忠は、 「父のウソを買うものはいくらでもいる…しかし、私のウソを買うものはいないだろう」と、己を分析している。

兄の信康や秀康、弟の忠吉などは、武勇や知略に優れた"将"と評価されていた。
一方の秀忠、性格は温和で、戦は苦手。しかし、政務には抜群の才能を発揮した。
そんな性格故、関が原の戦いに遅参するという失態を招いている。にもかかわらず、兄・秀康を差し置いて、家康の後継者となり、 将軍の座に就いている。

家康亡き後、期待に違わず、幕藩体制を揺るぎないものにし、徳川265年の礎を築き上げたのです。鎌倉・ 室町両幕府が短命に終わったのは、二代目後継者に、それだけの能力がなかったことを示唆している。

政権を担うに当たり、酒井忠世、土井利勝、安藤重信を重臣に取り立て、他方、自分に従わない六男の松平忠輝、娘婿の松平忠直、 譜代の重鎮・本多正純を改易した。
更に、外様有力大名の福島正則(広島50万石)、田中忠政(筑後柳川32万石)、最上義俊(山形57万石)、蒲生忠郷 (会津若松60万石)を改易。

最終的に、外様23家、親藩・譜代16家を改易した。また"転封"も忠輝の時がピーク。
こうして、親藩だろうが大大名だろうが、遠慮無しに改易・転封する姿勢を示し、幕府に刃向かう芽をことごとく潰していった。

弟たちの処遇については、9男義直は尾張家、10男頼宣は紀州家、11男頼房は水戸家と、御三家を発足させた。
全国の諸大名に対しては、参勤交代を強いたり、築城・治水工事を命じ、藩財政に多大の負担を負わせるなどで弱体化を図り、 幕府に武力反抗するエネルギーを削いでいった。
在職中、「公家諸法度・武家諸法度」などの法を整備・定着させ、鎖国政策を推し進め、外国船の寄航を、平戸・長崎に限定した。

秀忠に将軍職を譲ったあとの家康がそうしたように、家光に将軍職を譲った秀忠は、"大御所"となり、 引き続き政務ににらみを利かせた。
海音寺潮五郎は著書の中で、「家康は全て自分で決めた。秀忠は半分自分で決めた。家光は全て重臣に任せた」と、 まつりごとに対する三人の違いを評している。

フリー百科事典「ウィキペディア」

2009年01月16日

啓発録・志を立てる

■一生を貫く志は?        森 信三「修身教授録・二第七講」より

「一生を貫く志は?」と、尋ねられて…
「将来立派な教育者になる」という程度に、漫然と考へていてはいけない。
もっと具体的に、詳細に、目標づけられていなければならない。
また、「野心」と「志」は、区別がいる。
「野心」とか「大望」は、自分の名を高める"自己中心的"なものです。
「世のため、人のため」というところがなければ、「真の志」とはいへません。

■「安岡教学」の普及に務めた、故・豊田良平先生のことば

「自分の決意と覚悟、そして行動によって、運命は変えられるものです」
「人生とは立命だよ…立命とは命を立てることです…志を持つ…これが立命です」
川人正臣編「仕事と人生」


【心と体の健康情報 - 632】
~古典から学ぶ~ 「啓発録・志を立てる」

前号に続き、 橋本佐内の啓発録「立志」からの抜粋です。
日本創造教育研究所・代表取締役・田舞徳太郎氏。
その昔、寿司屋に丁稚奉公していた頃…仕事を終え、宿舎に戻ってくると、四十ばかりの先輩職人が、酒に酔いつぶれて寝ていた。

その姿を見て…(自分の将来もこうなるんや)と思ったとき、
「俺は、こんなんはいやや! こんな人生はいやや…!」と、心の底からの叫びとなって、湧き上がってきたという。
「こんな人間にはなりたくない! 俺はもっと立派な人間になるんや…志を立て、必ず成功するんや…」と、我が身に誓ったと、著書 「人生三観」で語っている。

橋本佐内の「立志」では、"志"について、以下のように語っています。

世の中の人の多くが、何事もなし得ずに生涯を終えるのは、その志が大きく、そしてたくましくないからである。
"志"を立てるというのは、自分の心の向かい・おもむくところをしっかりと決定し、一度こうと決心したからには、 真っすぐにその方向を目指して、絶えずその決心を失わぬように、努力することである。

人にはみな"夢"がある。しかし多くの人は、夢が夢のままに終わってしまう。
「なりたい」と思っているだけでは、駄目なのです。

「なりたい」思いを奮い立たせても、それに伴って"志"が立っていなければ、決心がゆるみ、後戻りしてしまう。
それゆえ、一度士気を奮い起こしたならば、次にはしっかりと"志"を立てることが大切である。

ところで、この"志"というものは、書物を読んだことによって、大いに悟るところがあるとか、 先生の教えによるとか、自身が困難や苦悩にぶつかり、発奮して奮い立ったりして、そこから立ち定まるものである。
従って、のん気で安楽な日々を過ごし、心がたるんでいる状態では、とても"志"が立つものではない。
"志"の立ち定まっていないものは、魂のない虫けらと同じで、いつまでたっても少しの向上もない。

一度"志"が立って目標が定まると、それからは日に日に努力を重ね、成長を続ける。まるで芽を出した草に、 肥料のきいた土を与えたようになる。
また"志"が立った後でも、学問に励むことを怠れば、"志"が一層太くたくましくならずに、ともすれば、 かえって以前の聡明さや道徳心が減少し、失われてゆくものであるから、注意しなければならない。

15歳の少年が、自らの"志"につについて、考えを述べたものです。

2009年01月20日

海底異変

■私たちに出来る"温暖化への対応"

外国を旅行していて、自販機にお目にかかることはめずらしい…。
日本国内…至る所自販機だらけ(全国の設置台数は550万台)。
メーカーの話しでは、「置けるところは、ほぼ置きつくした」という。

我が社の玄関は自動ドアだが、自動ドアの設置数も、欧米諸国とは比ぶべくもない普及ぶりとか…
歩いて5分の所へ行くのに、日本人のほとんどが「車に乗る」と答えている。
日本に住むフランス人…「わずかの距離…何で歩かないの?自販機だって、自動ドアだって、無くても困らないじゃない… 日本人はもっと我慢しなくちゃ」

冬の暖房も、夏のクーラーも我慢・我慢。 いくら暑くても、どんなに寒くても、日本はしのぎ易い温帯に位置する国… 季節のままに暮らせば、体が慣れてくる…。
私たちの祖先は、夏も冬も、自然をそのまま受け入れて暮らしてきた。

海外を観光していて、朝早く街や公園を歩くと、ウォーキングをする人、体操している人、新聞を読む人…沢山の人が、 早朝のひと時を楽しんでいる。
ところが日本の朝、7時…陽が高く昇っているのに、街も公園もひっそり静まりかえり、眠りから覚めていない。
夜、早く寝て、朝、早く起きる…みんながやれば、エネルギーの節約になる。
健康になる。国に活力が出る。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 633】
「海底異変」

ビーチダイビングをしていて、以前と大きく様変わりしたのは、海藻が減って見晴らしが良くなったこと… 前に進めないくらい群生していた海藻が、水深5mくらいまでの浅瀬にしか見られなくなった。

一昨日…日曜夜のNHK「ダーウインが来た/アオリイカ波乱万丈の生涯」…大変興味深く見た。
海藻を隠れ家に成長する、イカの赤ちゃん。赤ちゃんイカなど、小魚を餌にするメバル・カサゴ・マダイなどが、めっきり減ってきたのです。
温暖化による海水温の上昇で、海藻が消滅する「磯焼け現象」が、日本全域の海辺で、 進行しているのです。

「ダーウイン…」は、その痛々しい海底の様子を映し出していた。
海水温が1℃上昇するだけで、生態系に異変が起き、動植物が生存できない世界になっていく。
藻場が減って、イシダイやヒラメが沿岸から姿を消していく。
夏場に高水温だと、サザエが産卵しなくなる。海藻を餌にする、ウニやアワビも姿を見せなくなった。

世界有数のサンゴ礁、沖縄ケラマ諸島…昨年、台風が少なかった影響で、海水がよどみ、水温が上って、サンゴの"白化"が進行… 壊滅状態になってしまった。
国連の調査で…このままだと、今世紀末までに、熱帯・亜熱帯の美しいサンゴや熱帯魚は、姿を消してしまう…と警告している。

2009/1/1潮ノ岬にて12月30日から正月休みの間、和歌山県の先端、串本沖で、スキューバーダイビングを楽しんだ。

「♪ここは串本、向かいは大島…」
真冬、大島近海に潜るのは2回目。
10年くらい前から、サンゴが根付いて、本来、沖縄にしか生息しない熱帯魚やウミウシが、真冬の串本で見られるようになった。 種類も増えてきた…。

黒潮に乗って、大島近海にたどり着いた亜熱帯のサンゴや熱帯魚…今までは、冬に水温が下がると越年出来なかった。

それが今では、テーブルサンゴや、様々なサンゴが根付き、沖縄で潜らなくても、手軽にサンゴの海を楽しめるのです。

海の中の生態系に、異変が見られるようになって、十数年。
海が死んでいく…海藻が、サンゴ礁が、熱帯魚が消えていく。
私たちが想像する以上の速さで、美しい海が、自然の営みが、かけがえのない地球が…壊れていく。

2009年01月23日

啓発録・志を立てる(2)

■人間学で、独自の哲学を確立した"森 信三"先生
 「修身教授録・二第七講/志学」より

 

人生の基本は、まず"真の志"を立てることです。
そして、天から授かった力の一切を、生涯をかけて出し切るところに、社会のお役に立ち、人生の意義があるのです。

そのためには、過去に大をなした偉人たちの、伝記を読むことです。
そして、偉人たちが生涯をかけた、内面から湧き上がってくる、エネルギーとは何であったかを突き止めることです

 

■青雲の志 "坂本竜馬"
男児志をたてて郷関を出づ 学もし成らずんば 死すともかへらず

※坂本竜馬、数えで19歳の時、剣術修行のため、藩からいとまごいを許され、
 土佐から江戸へ旅立つ時に、詠んだものです。
 この江戸行きが、幕末の快男児の活躍の始まりになる。


【心と体の健康情報 - 634】
~古典から学ぶ~ 「啓発録・志を立てる(2)」

橋本佐内は、天保五年(1834年)、福井藩お抱えの医師・橋本家の長男として、福井市に生まれる。 その佐内が15歳のときに著した「啓発録・立志」の続きです。

志を立てた人は、ちょうど江戸へ旅立つことを決心した人のようで、朝、福井城下を出発すれば、その夜は今庄、 翌晩は木の本の宿場というように、だんだん目的地に向かって進んでいく。

旅人が目的地とする江戸は、志を立てた者が目標とする聖賢豪傑の地位にあたる。今日、 聖賢豪傑になろうと志を立てたなら、明日、あさってと、次第に自分の聖賢豪傑らしからぬ部分を、取り去っていく。
そうすれば、どんなに才能が足らず、学識の乏しい者でも、最後には、聖賢豪傑の地位に到達できるはずである。
それはちょうど、どんな足の弱い旅人でも、一度江戸行きを決意し、出発したなら、最後には江戸に到達するのと、 同じことである。

(※聖賢…知識・人柄が最も優れた人)

"志"を立てたなら、その目標に向かって休まずやり続ける…そのことが、いかに大切か…そして本気でやれば、 いずれ必ず夢が叶うということを…。

とにかく、志を立てる近道は、聖賢の教えや歴史の書物を読んで、その中から深く心に感じた部分を書き抜いて、 壁に貼り付けておくとか、常日頃使っている扇などに、したためておくとかして、いつもそれをながめて自己をかえりみて、 自分に足らぬところがあれば努力し、そして自分が前進するのを楽しみとすることが、大切である。

「十有五にして学に志す」 は、論語の有名な言葉ですが、「志」を立てる時期について論じています。
15歳といえば、中学を卒業し高校に入る頃です。人生…どんな人間になりたいのか?何を志すのか? …「志」を立てるには、 大変大切な時期といえるでしょう。

自分の将来に志を持つか持たないかで、勉強への打ち込み方が異なってきます。
志のない者は、なぜ勉強しなければならないのか?理解できず、勉強することがつまらなく思うのです。

2009年01月27日

国家のために何をなすか

米国はすごい国

1967年、黒人エリート医師と、白人女性との結婚話を題材にした映画「招かざる客」が、 米国社会の人種差別に強烈な問題提起を行った。
娘の父親は新聞社主…苦悩の末、娘の結婚を認める…そんな物語です。

当時は、黒人とキスするなどもっての外…殺されかねない時代でした。
全米16州で、黒人と白人の結婚が禁止されていた。
劇中、主人公の黒人医師が、恋人の父親から子供について聞かれ、答える場面がある…「彼女は、子供は大統領になって、 多人種の政権を作るって、考えています」

42年後、このセリフが現実になった。
ケニア人の黒人男性と、カンザス州の白人女性との間に生まれた政治家、バラク・オバマ氏が大統領になった。
わずか40年の時の流れの中で、かつては不可能だったことが可能になった。
米国は、そんなすごい国です。

1/22 読売新聞


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 635】
~歴史から学ぶ~ 「国家のために何をなすか」

第35代合衆国大統領ジョン・F・ケネディ…
1963年、人気半ばに暗殺されたことはよく知られる。
大統領就任演説で、「国民は国家に何をして貰うかでなく、国家のために何をなし得るかを考えよ」 と述べ、名演説として歴史に残った。

2009年1月20日正午過ぎ、第44代大統領に宣誓したバラク・オバマ…
リンカーンが1861年の宣誓で使ったのと同じ聖書を、左手に置いての宣誓です。

就任演説では「世界は変わった。だから我々も世界と共に変わらなければならない」と強調。ケネディの言葉を引用して 「我々は責任を果さなければならない…米国民一人ひとりが、自分と自国、世界への義務を喜んで果さなければならない…」と促した。

1/22の読売朝刊

平和な国日本…そこに住む私たち…世界有数の充実した医療制度、治安、教育等々、生活の隅々まで手厚く国の保護に守られ、 国に依存した暮らしをしている。
世界に誇りうる、豊かで安全な国に住みながら、どこまで国を思い、恩に報い、国のために奉仕する気があるだろうか?

日本の総理が、ケネディにあやかって、「国民一人ひとりが、国家に何をして貰うかでなく、国家のために何をなし得るか、 考える時が来た」と国民に訴えたとしら、私たち国民は、それを素直に受け入れられるだろうか?
日本の政治家が言えば…各方面・マスコミから、格好の攻撃材料にされるのがオチだろう。

今年の秋NHKで、"明治の日本"を題材にした、司馬遼太郎「坂の上の雲」が大河ドラマになる。明治の日本は貧しく、 国は多額の負債を抱え、国民は極度の貧困にあえいでいた。

以下、「論語の友・明治の日本人と平成の日本人」から…
明治の国家は、国民に充分に与えるものを持たず、国民は国から何の保護も受けられなかった。それでも国民は、素直に礼節を守り、 国家に身を捧げて、国恩に報いんとした。
今の日本人…国を慈しみ、国の恩に報いようとする意志は薄い。
国民の国防や納税に対する義務意識は極めて薄く、免れようとさえする。
そのくせ"権利"は声高に主張する…。
「愛国心」を鼓吹するつもりはない…が、わずか百年足らずの間に、
これが同じ日本人かと…精神の堕落ぶりを、嘆かざるをえない。

2009年01月30日

風邪と抗生物質と国際テロ

■インフルエンザの種類と特徴

[A型] 危険性はとても高く、毎年流行する。時に爆発的に大流行する。
     ロシア型、香港型のほか、人への感染が懸念される鳥インフルエンザもA型。
[B型] 危険性は高い。A型に比べ流行の規模は小さく、ワクチンが効く。
[C型] 危険性は低い。症状は軽く、ワクチンが効く。

1月になって、寒い日が続いたせいか、例年より早くインフルエンザが流行っている。
県内の流行のピークは、1月末から2月初めになるという。
一昨日、孫が香港A型にかかり、保育所を休んだ。また、取引先のK夫婦、二人揃ってダウン…ご主人は39度の高熱で、奥さんの手に負えず、 救急車を呼んだ。

今年のインフルエンザ、ロシア型に感染すると、タミフルも予防注射も効かないという…ならば、風邪を引かないようにするしかない。
人ごみを避ける、外出時にマスクをする、手を洗う、うがいをする。


【心と体の健康情報 - 636】
「風邪と抗生物質と国際テロ」

たいした風邪でもないのに、抗生物質を安易に処方する日本。
風邪を引いて、町医者に行くと、無理やり解熱剤で熱を下げようとする…
そこで渡されるのが抗生物質。
診察室を出る時、先生「3日分入れておきます…治ったからと、途中で飲むのを止めないで下さい…中途半端に止めると、 菌に耐性が出来ます」と、注意を促す。

以下、(株)山田養蜂場/代表・山田英生氏「緑が地球を救う」から…

抗生物質を飲むと、確かに治りが早い…。
ドイツに旅行した時、扁桃腺が腫れたので、薬局で抗生物質を買おうとしたら、「医師の処方箋がないとだめ」と、 売ってくれませんでした。

病院に行って「処方箋を書いてほしい」と頼んだら、老医師は…
「この程度で抗生物質は出せない。レモンでも絞って飲み、一晩ぐっすり寝れば、直ぐ治る」…その通りしたら、 翌朝熱が下がっていた。

無理に熱を下げ、体内に閉じ込めると、逆に風邪が長引き、完治を遅らせてしまう。人体のメカニズムは、発熱し、 熱を外へ逃がすことで免疫力が活性化し、ウイルスを排除しようとする。

抗生物質は、菌をやっつけるために開発された…ところが、抗生物質に負けない菌が出現する…今度は、 その菌を上回る強い抗生物質を開発する…菌と医学のイタチごっこが繰り返されてきたのです。

菌も生命体である以上、生存のために進化していくのは、当然の法則。
今、院内感染が社会問題になっている…医学会では、何れ、どんな抗生物質も効かない耐性菌が現れて、 人類を存亡の危機に陥るかもしれないことを、恐れている。

であれば、菌にプレッシャーを与えず、菌と上手に"共存"できる、健康な身体をつくりあげていくことが、 大事になってくる。
そのためには、病気に負けない身体、つまり「免疫力」を高めていかなければなりません。健康な時に、 病気にならない身体をつくっておくのです。
病気を"予防"することに重きを置く…病気に対する考え方を改めなければならないのです。

「風邪に利く薬はない…卵酒でも呑んで寝なさい…今晩熱が出ますよ」
近所に、こんなことを言う町医者がいる…が、待合室に人はいない。

風邪を引いたら、熱や咳きが出たら…薬で症状を治そうとする。
「仕事に差し障りが出る、寝込むわけにはいかない」と、強い抗生物質の処方を病院に求める患者。そんな考え方を改めない限り、 問題は解決しないだろう。
医者だけの問題ではないのです。

話は横道に反れるが、1月15日、英国の外相が「ブッシュ政権の対テロ戦争は誤りだった」と、 公式の場で盟友アメリカを痛烈に批判した。
インドネシアやアフガニスタン、パレスチナなどに出没する"テロ"。
ブッシュ政権は、武力でもって押さえ込もうと、何度も軍隊を送り込んだ…
が、失敗に終わった。

それまで、各地バラバラに展開していた武装集団を、逆に結束させてしまった。
アルカイダのような強力な国際テロ集団を、作り出してしまったのです。
武力でもって相手を追い詰めれば、相手も必死…生存をかけて、死に物狂いで立ち向かってくる。政府軍の届かない所に潜伏して、 姿を隠してしまう。

地道な対話で、法に従い、貧困を改善するなど、相手が抱える問題に手を差し伸べて、問題の解決を図るべきだったのでは…。

毎冬猛威を振るうインフルエンザ…抗生物質で押さえ込もうとするが、一向に改善の兆しがない…それは、 先進諸国がテロ集団に手を焼いているのと、似てはいないだろうか。

薬で叩こうとせず、菌にプレッシャーを与えず、菌と人間社会が"共存"していく…。
そのために、人の免疫力を高めていくことに重きを置く…そんな考え方があってもいいのではないでしょうか。イソップ物語の、 北風より太陽です。

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’07年2月6日No.279~283「癒す心・治る力」をお読みください。
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