■J2参戦おめでとう
J2は、来季3クラブ加えて、15から18クラブとなることから、今季下位リーグ(JFL)で3位になつた、 富山県のサッカークラブが、J2に昇格することになった。
日本のサッカー選手の頂点に位置する「Jリーガー」は36クラブ、約千人。
日本サッカー協会に登録する選手は、約89万人…わずか1.1%。
その数字から、レベルの高さがうかがえる。
JFLでの順位や、ホームゲームでの観戦者数といった、数々の条件をクリヤーして、クラブ設立わずか1年で承認された。石川県は、 地元開催が年に数度しかなく…J1もJ2も無縁なだけに、「おめでとう」と言う前に、寂しさが先に立つ…。
J2はJ1に比べ、侮る向きもないではないが、決してそんなことはない。
今季のJ2は、7チームが以前J1を経験していて、元日本代表や五輪代表ら、有力選手が何人もいる。来季、地元「カターレ富山」が、
そんな有力選手と真っ向勝負する姿を、是非見たいものです。
北日本新聞「天地人」
※「カターレ」というチーム名は、「○○せられ」と言う、富山の方言からとった。
勝って欲しい⇒勝たれ⇒カターレになった。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 623】
~私の昭和~ 「ラーメンと私」
お湯を掛けるだけで、はい出来上がり。今年は「即席ラーメン」が誕生して50年になる。
私が初めて即席ラーメンを口にしたのは、昭和35年18歳の時…高校を卒業した年です。
友人の家で、油で揚げた麺の塊りにお湯を掛け、柔らかくなるのを待って食べた。
麺に"ダシ"をしみ込ませ、お湯で緩めるだけの食べ物だったと、記憶している。
主食でもなく、間食でもない?けったいな食べ物で、美味しいとは思わなかった。
昨年は、国内で54億食(世界では979億食)生産された。国民1人当たり41食、食べた計算になる。全国県庁所在地で、
即席麺を一番多く食べているのは、富山市。上位に青森、新潟、仙台市などの寒い地域が並ぶ。
富山市が一番なのは、寒さに加え、共働きの家庭が多いことも、要因の一つだろう。
(北日本新聞・天地人)
初めて即席麺を食べた翌年の昭和36年、小松市粟津と山代温泉のほぼ中間の国道8号線沿いに、八番ラーメン一号店が誕生していて、
評判を聞きつけて、食べに行った。
自家用車の普及は現在のベンツ並みで、まだ金持ちの持ち物だった時代…。
香林坊のスナックのママのクラウンを拝借して、金沢から山代まで食べに行った。
当時、8号線は新道建設中…大聖寺から先はまだ未完成…トンネル工事中だった。
粟津から先は未舗装で、穴ぼこだらけの道を砂埃をたてて1時間…そこまでして出かけるほど、美味しかったのです。
ハチバン一号店は、トタン葺きのバラックでした。カウンターに丸椅子が8脚くらいの、粗末な店。店内は客が列をなし、
椅子が空くのを待っている。
壁に「フランチャイズ募集」と、大きな張り紙…フランチャイズチェーンの先駆けだったのです。
その後しばらくラーメンに凝り、美味しい店があれば、どこへでも出かけた。
当時、金沢でラーメンと言えば「チュー」(現在20店舗)…醤油味の透き通ったスープに、チャーシューが2枚乗った、素朴なラーメンです。
金沢は日本列島の真ん中に位置して、北海道から九州まで、全国のラーメンが食べられる激戦地。そんな中、 さして特徴もないチューが、チェーン店を増やしているのは、何なんだろう?…しいて言えば、出前してくれるから…?。
最近になって、沖縄の食材で沖縄料理を食べさせるお店が、近所に開店して、食べに行った(メニューには、
沖縄名物"海ぶどう"もある)。
嬉しいことに、沖縄ラーメンが食べられるのです。美味しいんですよ!
むしょうに本場の豚骨ラーメンが食べたくて、新幹線で博多へ行ったことがある…。
博多といえば長浜・天神、そして中州の屋台。
タクシーの運転手に教えられ、ラーメン通の地元の人たちに評判の、豚骨ラーメン店へ…。
豚骨スープの強烈な臭みが店内に充満…
初めての人には無理かも…テーブルに供えてある、臭みを消す紅しょうがや高菜を乗せて食べた…鼻をつまんで食べると美味しいんです。
ラーメンだけでなく、シューマイ、モツ鍋など、美味い店を探して、食べ歩いた。
全国にモツ鍋ブームが起きる以前に、既に、通ぶっていたのです。
敦賀のラーメン屋台も、付き合いが長い。JR駅前、8号線沿いの商店街に、夜の8時頃から、10軒くらい屋台が並ぶ。
一番の人気店は"ごんちゃん"。
大坂出張の帰り、夕食抜きで高速を走り、11時頃敦賀を下りて、目指す屋台へ…。
"ごんちゃん"屋台…歩道に並べられた椅子席は、いっぱいの人…。
店に着くや、「親父、ラーメンまだある?」…ネタ切れの日は、早仕舞いしてしまう。
スープは乳色で、甘めの豚骨醤油…麺はちぢれ太麺…豚骨風味だが、見た目よりあっさりして、スープが美味しい。