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2008年11月 アーカイブ

2008年11月04日

海外旅行での病気対策

ベネチアン・マカオ・リゾートホテル先週4日間、マカオ観光を楽しんだ。
昨年竣工したばかりのベネチアン・マカオ・リゾートホテルに宿泊。
ラスベガスのベネチアンと同じ設計で、 何と、東京ドームが3コも入る巨大ホテル。
1Fは、世界最大規模を誇るカジノ、3Fは、ベネチアの石畳の街並みを再現したショップス…400メートルの運河が3ヶ所あり、ゴンドラが行き交い、カンツォーネの歌声が響く…そして、三千室のスイートルーム。
従業員1万2千名の超豪華ホテルだ。

マカオタワー(338m)マカオに、世界一の高さを誇るバンジージャンプがある。
マカオタワーの233メートルから飛ぶ。
足首にゴムのロープを付け、真っ逆さまに200メートル落下…落下速度は時速200キロ…想像しただけでくらくらする。
私たちの観光案内をした、日本人ガイドの青年が体験…飛ぶと、ギネス記録証明書が貰えるという。


【心と体の健康情報 - 614】
「海外旅行での病気対策」

円高のお陰で、海外旅行が割安になった。
中でもウオンが数前の半分に下落し た韓国がお徳。
気をつけなければならないのが、旅行中の病気。
私は以前、友人数人とパラオへスキューバーダイビングに出かけ、着いて直ぐ 風邪熱で倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれたことがある。楽しみにしていた旅行がオジャンになったのです。

旅行前日まで元気だった私…当日、やや風邪気味だったが、一本目を潜ってホテルに帰った直後、気を失った。まさか倒れるとは…。薬は持参していなかった。
気付いたら病院のベッドの上だった。友人達が心配そうに覗き込んでいた。
楽しいダイビングに水を差してしまった私。回復したのは帰国の日だった。

もっと大変な出来事があった。 私の親戚の長男が、大学推薦でアメリカに留学したが、渡米の翌日、事故で亡くなってしまった。
両親や大学関係者が、遺体を引き取りにアメリカに飛んだ。
遺体にはドライアイスが詰められ、金沢に戻ってきた。
日本に運び込むのに、検閲手続きなど、あれこれ大変だったようです。

パラオで支払った治療費は、帰国後全額保険で賄うことが出来た。
日本語が通じない医療制度の違う異国の地で、思わぬ事態に陥らないよう、予防措置をして快適な旅を楽しみたいものです…。

旅行者の医療費負担は国によってまちまちです。
イギリスは応急措置は無料。イタリアも公立病院での診療は無料。
一方アメリカは、日本のように健康保険制度が充実していないので、医療費はビックリするほど高額。集中治療室のお世話になると、数千万円の治療費を請求されたケースもあるという。

'06年、海外で死亡した日本人は484人。うち病死は298人で、事件・事故に巻き込まれての死者を、大きく引き離している。
病死のほとんどが「心筋梗塞」「脳卒中」。50歳以上の旅行者には、この二つの病気に対する備えは欠かせません…と医師は言う。が、倒れるまで、ほとんどの旅行者は、自覚症状がないのが実状…。
血圧の高い人、血糖値の高い人は、旅行に出かける前に、病院の診察・検診を済ませておくことです。
私は旅行前に、必ず歯医者に行き、虫歯や歯槽膿漏の有無を、診察してもらう。治療を要する箇所は、出発前に治しておき、持参する薬も貰っておく。

海外のスキューバー・ダイイビングポイント…町から遠く離れていて、医療が整っていない。出かける時は、目・鼻・耳・歯の異常や風邪の有無など、健康チェックを怠らず、薬を携行するようにしている。

海外でうっかり生水を飲んで、猛烈な腹痛と下痢に襲われ、楽しいはずの旅行を台無しにした話はよく聞く。
日本の水は「軟水」…東南アジアやヨーロッパの水は「硬水」です。
日本人は硬水に弱い…飲んで下痢を起こすのは、硬水のせい。
生水を避け、コンビニでミネラルウォータを買うことです。

2008年11月07日

禅寺に名園

■映画・レッドクリフ(赤壁)

先週の休日、私の大好きな、三国志"赤壁の戦い"を映画にした「レッドクリフ・前編」を鑑賞した。魏の曹操が、全国制覇を夢見て南下…迎え撃つ劉備と孫権の同盟軍は、"赤壁"に陣を敷く。
上映2時間半…3/2が戦闘シーン。黒澤監督の七人の侍を彷彿させ、趙雲・張飛・関羽そして、中村獅童が演ずる呉の将軍/甘興など、1人ひとりが見せる戦闘シーンは圧巻。
軍師・諸葛孔明の"八卦の陣"など、奇策と知略がふんだんに組み込まれ、スケールの大きさでは、タイタニックに劣らないだろう…先行上映された中国では、タイタニックの興行収入を塗り替えたという。
制作費100億円、アジア映画史上最大のスペクタル巨編。是非見ておきたい映画です。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 615】
~歴史から学ぶ~ 「禅寺に名園」

今年の紅葉は、例年になく美しいという。毎年11月になると、夫婦で京都を散策する。京都の楽しみは何といっても、木々が色づく美しい庭園巡り。
そして、夜には秋の味覚に舌鼓をうつことです。

お寺回りをしていて気がつくのは、美しい庭園があるお寺の、そのほとんどが"禅寺"であることです。
石庭で有名な龍安寺、苔寺として有名な西芳寺、京都三大名園の一つ天龍寺、ねねの大徳寺、金閣寺、銀閣寺など…数えればきりがない。このように禅寺に名園が多いのは、禅と庭園の間には、深い因果関係があるからです。

以下、枡野俊明「夢窓疎石・日本庭園を極めた禅僧」からの抜粋です。
禅は、「心の問題を追及していく教えであり、ものごとの心理を見極めていく訓練の場」である。
そして、禅の修業を重ねる目的は、「本来の自己と出会うこと」にあり、「人間の持つ心の本性を、明らかにすること」にあります。

禅は、心の教えの根本となる"哲学"を説いていく。従って、禅そのものには形がなく、目に見えるものはない…。
鎌倉後期から室町時代の禅僧たちは、この目には見えない自分の境地そのものを象徴化し、何かの形に置き換えて表現しようとした。ここから"禅の芸術"が生まれた。己を"無"にして"美"を極めていく中から、禅文化が育まれたのです。

こうした禅文化を象徴するのが「禅の庭」なのです。
禅僧たちは、自己を表現する場として庭造りに取り組み、自ら修行を重ね、会得した心の状態を、庭園という空間造形芸術に、落とし込んでいったのです。

「禅の庭」の父と呼ばれ、京都における「禅の庭」の原点となる庭園芸術を生み、完成させた"夢窓疎石"(むそうそせき1275~1351)。
室町初期の禅僧"夢窓疎石"の存在は、その後、日本の庭園芸術が開花していく中で、忘れてはならない存在になる。

夢窓疎石は、これまでの庭には見られなかった"石組み"を積極的に行い、庭園に"空間造形"を造り上げた。この作風がその後、京都における西芳寺、天龍寺などの造園の原点となり、やがて「禅の庭」は"枯山水"へと、たどり着くのです。

数ある京都の名園中で、私が好きなのは、大宮御所に隣接する"仙洞御所"庭園…17世紀に造営されたが、"空間造形"をみごとに演出している…。

2008年11月11日

天職・一生やり続けるものを見つける

■人生が面白い

職業に 上下もなければ 貴賎もない
世のため 人のために役立つことなら 何をしようと自由である
しかし どうせやるなら 覚悟を決めて 十年やる

すると 二十歳からでも 三十までには一仕事できるものである
それから十年本気でやる
すると 四十までには頭を上げるものだが
それでいい気にならずに また十年頑張る

すると 五十までには群を抜く
しかし 五十の声を聞いたとき 大抵の者は息を抜くが それがいけない
これからが仕上げだと 新しい気持ちで また頑張る

すると 六十ともなれば もう相当に実を結ぶだろう
だが 月並みの人間は、この辺で楽隠居がしたくなるが
それから十年頑張る

すると 七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう
しかし それからまた十年頑張る
すると この頃が一生で一番面白い


【心と体の健康情報 - 616】
~幸せな人生を歩むために~
「天職・一生やり続けるものを見つける」

■「仕事っていうのは…」

小野二郎さんは鮨を握り続けて57年。この春話題になった「ミシュランガイド東京版」で、世界初の鮨の三ツ星店に選ばれた。
三ツ星の評価を得てからは、3か月先まで予約でいっぱいという。
一日に600個(30人前)は握るが、いくら握っても肩や手首は凝らないし、腰にも来ない。
57年握ってきて、動作が型になり、力むことがない。

三ツ星になったことがすごいこととは思っていない…それが店の評価のすべてじゃない…大事なことは、与えられた仕事を手抜きせず、全うする…これに尽 きると思うんです。
そもそも自分は、鮨職人になりたかったわけではない。料理の才能だって大したことはない。3年前、”現代の名工”に選ばれた時も「どうして自分が?」というのが素直な気持ちでした。
7歳で奉公に出されて、頼る身寄りも帰る家もない。首になれば飢え死にするしかないから、目の前の仕事を必死にやるしかなかった。だから、この仕事は 合わないとか、向いていないとか、そんな若い人を見ていると、一言言いたくなる。
「仕事っていうのは、合う合わないじゃなく、こっちから努力して合わせていくものだ…」

読売新聞「時代の証言者」から抜粋

以下は、”夜回り先生”水谷修先生、「明日を求めて…こどもたちへ」からの抜粋です。
遠藤明さんという…73歳の江戸前寿司職人のお話をします。
江戸・四谷で「まとい寿司」というお店を、もう半世紀近くやっている。
彼の口癖は、「俺たち寿司屋は、ただ魚を切って売る魚屋じゃない。
塩をしたり、酢や昆布で締めたり、一手間かけてお客に魚を出す。これが職人の仕事だよ」

東京湾でタンカーが炎上し、東京湾の魚が捕れなくなったときは、店をしめた。
それほど江戸前にこだわった人でした。
私は、彼と今から30年前の21歳の時に知り合った。
当時も寿司は大変高価で、学生ぶんさいがカウンターに座って、お好みで注文して食べることのでき るようなものではありませんでした。
それでも、アルバイトでお金を貯めて、有名なお店に半年に一度は通っていました。
4月でした…私は、アルバイトで稼いだ1万円を財布に入れ、当時有名だった”まとい寿司”の暖簾をくぐりました。

カウンターに座り、圧倒されました。周りには、私が見知っている有名な俳優や、政治家たちが座っていました。私は、遠藤さんに言いました。
「私は学生です。今日は1万円しかありません。これで支払えるだけの寿司を食べさせてください…」
それを聞いた遠藤さん。
「学生さん、好きなだけ食べていきな。あんたのその1万円、汗流して苦労して貯めた金なんだろう…あんたの1万円は、この店に来る有名な連中の10万円 以上の価値がある…いいかい、学生さん…客を育てるのも、寿司屋の職人の仕事なんだよ…」
それ以来、私は遠藤さんを父のように慕い、30年間お世話になってきました。
遠藤さんの口癖は、「俺の寿司を食べて、お客さんが幸せな顔をしてくれる。それが、俺の一番の幸せだよ…」
彼の寿司は、客によって…また箸で食べるのか、手で食べるのかによって…シャリやネタの大きさ、形が変わっていました。憎いほどの本物の職人でした。

「本物になる」ということは、実に簡単なことです。
自分が志し、目指したその道を天職と思い、一生やり続け、生き抜く…
それが唯一の本物への道です。何か一つ、一生やり続けるものを見つけることですね…。

2008年11月14日

野口英世の逸話

■野口英世の母が息子に宛てた手紙

おまイの しせ(出世)には みなたまけ(驚き)ました
わたしもよろこんでをりまする
なかた(中田)のかんのんさまに さまにねん(毎年)
よこもり(夜篭り)をいたしました
べん京 なぼでも(勉強いくらしても)きりがない
いぼし(鳥帽子…地名) ほわ こまりおりますか
おまいか きたならば もしわけ(申し訳)かてきましよ

はるになるト みなほかいド(北海道)に いてしまいます
わたしも こころぼそくありまする
ドか(どうか)はやく きてくだされ
かねをもろたこト たれにこ(この事は誰にも)きかせません
それをきかせるト みなのれて(飲まれて)しまいます

はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ
はやくきてくたされ いしよ(一生)のたのみて ありまする
にしさ(西を)むいてわ おかみ(拝み)
ひかしさむいてはおかみ しております
きたさむいては おかみおります
みなみ(南)たむいてわ おかんておりまする

ついたち(一日)にわ  しおたち(塩絶ち)をしております
ゐ少さま(栄昌様…僧侶の名前)に  ついたちにわ
おかんて(拝んで)もろておりまする
なにおわすれても これわすれません

さしん(写真)おみるト いただいておりまする
はやくきてくたされ いつくるトおせて(教えて)くたされ日
これのへんちまちて(返事を待って)わりまする
ねてもねむれません


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 617】
「少年、野口英世の逸話」

「自分が志し、目指したその道を天職と思い、一生やり続け、生き抜く…」
前号で、「天職」について、二つの事例を紹介しました。

世のため人のために"人生をまっとうした人"…といえば、様々な偉人が浮かんできます。
二宮尊徳や野口英世などが、そうでしょう…。
一万円札は福沢諭吉、五千円札は樋口一葉…ところで千円札は?
そう、野口英世です。
以前、猪苗代を観光した時、野口英世の生家を見学した。
玄関土間は薄暗く、馬小屋と粗末な部屋が一緒になった農家だった。
建物を見学していると、一郭に、母が息子に宛てた手紙を、大きく拡大して展示してあった。
「ひと目でいいから、我が子に逢いたい」…そんな思いが痛々しく伝わってくる名文である。
2歳の時囲炉裏に落ち、左手を火傷した。医師にかかるお金がなく、指が癒着してしまった…誰もが知る逸話である。
学校で、「手ん棒」というあだ名を付けられ、イジメられた。

磐梯山のふもと、猪苗代湖のほとりにある、三ツ和小学校。
卒業の口頭試問(面接試験)を行っていた小林先生。「秀才を、このまま埋もれさせるわけにはいかない」と、考え抜いた末、 野口少年を自室に呼び寄せた。

「清作君、たしかそう言ったね」 『はい』
「うん、ところで君は卒業したらどうするつもりかね」
『上の学校へ行きたいです…でも、やはり家を手伝います…。
 やる気があれば、勉強はどこででも出来ると思います』
はきはきと答える野口少年の顔には、一抹の寂しさがただよっていた。

「野口君どうだ、猪苗代の高等小学校に来ないかね…私が学費を全部出してあげるよ。だから勉強一筋、一生懸命頑張りなさい」
『本当ですか…ありがとうございます…まるで夢のようです』
「夢じゃないよ、それより早くお母さんに話して、喜んでいただくんだな…」

小林先生に、一切の学費を出してもらった清作少年。
毎日12キロの道のりを歩いて、学校に通った。
ある日、教員室に校長をはじめ、小林先生ほか、職員が集まっていた。
「校長先生、私はこの作文を読んで泣かされました。あの野口が"てんぽう"とからかわれながらも、一途に勉強に励んでいる姿が、 あまりにも…」

『小林君、私も同感だ…ねえ、できることなら手術でもして、元どおりにしてやりたいなあ…先生どうでしょう、 近頃この町にアメリカ帰りの良い外科医が開業している。一つ私たちでお金を作って、診てもらったら…少ないが…』

校長先生がお金を出したことで、職員もこれにならった。生徒たちもお小遣いを出し合った。全校あげての支援に感激した渡辺医師は、 誠心こめて執刀した。
麻酔もかけずに、つながった指を切り開いたこの逸話…あまりにも有名です。

皆の願いが通じて…手術はみごと成功…ゆ着していた指が自由に動くようになった。この時、手術に付き添っていた級友の秋山義次は、 清作の母に一刻も早く手術の成功を知らせたいと、25キロの山道をひた走りに走った。
手術の成功を祈って、神仏を拝んでいた母は、吉報を聞いて涙にくれた…。

長い間屈辱に耐え、悲しい思いをしてきた清作少年。この時、しみじみ人の情けを知ったのです。この手術が動機となって、 「将来医学の道を志そう…」と、強く心に誓った…この時、清作は16歳でした。

※野口英世
アメリカに渡り、「梅毒」の研究で、世界の医学界にその名を知られるようになる。
「小児麻痺」の病原体を特定し、狂犬病の病原体を特定する。
1918年 黄熱病が大流行しているエクアドルへ…黄熱病の病原体を特定。
1928年 アフリカ・ガーナに黄熱病研究施設を建築。間もなく自身が黄熱病に感染。志半ばに51歳の生涯を閉じる。

2008年11月18日

一つの煩悩にすべてを懸ける

■仏教は、人間の心を十段階に分けている

・ 地 獄 (幸福を感じることのできない世界)
・ 餓 鬼 (欲望の世界)
・ 畜 生 (倫理感が欠落した世界)
・ 修 羅 (闘争を好む弱肉強食の世界)
・ 人 間 (精神的なものを求めるが、まだ物欲の強い世界)
・ 天 上 (人間以上に精神的なものを求めるが、油断すると地獄に落ちる世界)
・ 声 聞 (しょうもん・いい人の教えを聞いて、近づこうとする世界)
・ 縁 覚 (えんがく・何かの機縁で、自から悟る世界)
・ 菩 薩 (自から悟り、人をよくしていこうとする世界)
・  仏

この十段階の世界…別々に存在しているのではない。
一人の人間の中にある、心の動きをいいます。
そして、人は、その心の状態に似合う生き方をします。

「地獄を見てきた。お前は餓鬼だ! 畜生にももとるヤツ。修羅場をくぐった」
など、折に触れ、日常会話でお目にかかる。
が、"天上"から上の段階の言葉は、「仏様のような人」と言ったりする以外、
日常会話で使われることがない。
"物欲"から脱することの難しさ、故でしょうか?


【心と体の健康情報 - 618】
~幸せな人生を歩むために~
「一つの煩悩にすべてを懸ける」

禅の教えによると、人間の心には八万四千もの煩悩があるという。
なぜ八万四千かというと、人間の毛穴が八万四千あると信じられているからです。
その一つひとつの毛穴から、人間の体の中にある"煩悩"が、じわじわとにじみ出てくるのです…それほどに、 人間には沢山の煩悩があるのです。

禅の世界では、厳しい修業を積んでいると、いずれ"悟"が開けてくる。
悟りを得ようと思うなら、煩悩を克服しなければなりません。

ところで、煩悩を克服するとは…どういうことでしょうか?
"悟る"とは…どういうことしょうか?
それは、人間の煩悩をすべて無くしてしまうことでしょうか?

そうではありません。
人間の煩悩は、修行を積んだからといって、無くなるものではありません。
ならば、どうするのか…"たった一つの煩悩にすべてを懸ける"のです。
すると、人間は悟りを開くことができるのです。

つまり人間には、八万四千ものいろんな迷いがあり、いろんなことに迷っているから、自分の持てる力を思いっきり生かして、 人生を充実させることができないのです。
それを「たった一つの何か?」に、人生のすべてを懸けて生き抜けば、
初めて、迷いから吹っ切れることができるのです。

例えば、何度試みても納得できる焼き物が焼けなくて、五年、十年、二十年と、失敗を繰り返し、尚、本物を求めて、 一つのことに懸命に努力し続ける焼物師…月日が経ち…いつしか匠の技を身につけ、悟りを開く…そんな職人の姿を想像すればいいのです。

人間は、一つのことに人生の全てを…頭も、心も、体も、すべてを打ち込んで、統合された姿になったとき、最も大きな能力を発揮し、 充実した姿になっていくのです。
「一つのことにどこまで没頭し、 なりきれるか」…ということです。

衆議院議員 小野晋也著「日本人の使命」より

「自分が志し、目指したその道を天職と思い、一生やり続け、生き抜く…」
それが唯一、本物への道であり…何か一つ、一生やり続けるものを見つける…
禅の教えの「たった一つの煩悩に、すべてを懸ける」に、相通じるのです。

2008年11月21日

江戸小噺

■ことば遊び 「わらべ・まじないことば」

 『くわばらくわばら  つるかめつるかめ
  夢になれ夢になれ  とっちゃすて とっちゃすて
  ちちんぷいぷい  ごようのおんたから
  モシャシャのシャモシャ  シャシャモ シャシャ
  モシャシャなければ  シャシャもシャもなし   』

<解 説>
・雷が鳴ったら、蚊帳を吊り、線香を焚いて「くわばらくわばら」と唱える。
・縁起の悪いことをしたり、言ったとき、「つるかめつるかめ」と唱える。
・災難を夢にとりなして、「夢になれ夢になれ」と唱えて、払い除ける。

・「とっちゃすて とっちゃすて」と三度唱えると、しもやけにならない。
・子どもが擦り傷などをこしらえたときに、「ちちんぷいぷい…」と唱える。
・糸かこんがらがったときに、「モシャシャの…」と唱えると、ほぐれてくる。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 619】
~ことば遊び~ 「江戸小噺」

落語は最後の"落ち"で…笑いを締めくくる。聴き手は"落ち"に込められた話芸に、りゅう飲を下げる。
"落ち"にはいろいろあって、ひねった表現の「考え落ち」、最後の一言でスッキリと決まる「途端落ち」、噺の途中に伏線が張ってある 「仕込み落ち」など、様々な手法があって、落語を楽しませてくれる。

一口小噺にも"落ち"がある。落語は噺が長くて、「ジョークのネタに…」ちょいと…なんていうわけにはいきませんが、小噺は、 覚えておけば、"かくし芸"になったりします…

■小噺-1
鼠が4匹ばかり、台所の梁(はり)の上を、つながって歩いております。
それを見た男、「おい、あの鼠を止めてみせようか!?」
『へえェ、そんなことができるのかい?』
「俺様の自慢は猫の声色(こわいろ)よ…ニャゴ、ニャゴ、ニャーゴー!」

鼠がピタッと止まって、こちらをうかがっている…。
「どうだい!? うめェもんだろう!」と、鼻高々な男。
それを見ていた鼠たち…
『親分、もう行きやしょうぜ! あんな下手くそな音色に、
 どうして立ち止まるンで…?』
「あれでも一所懸命やっているんだ。たまには聞いてやらなくちゃ、
 励みになるまい…」

■小噺-2
こちらは年頃の娘と、親父でございます。
真夜中に、表で犬がやかましく吠え立てております。
眼を覚ました親父が、隣に寝ている娘を起こしまして、
「おい、犬がバカに騒いでいる。何かあったんじゃないか…、
 お父っあん、腰が痛いんだ。お前、ちょっと起きて、外ォ見ておくれ…」

娘が、雨戸のすき間から見ますてェと、野犬の群れが乱交パーティーの真っ最中…。
「キャンキャン、キャイン」…鳴きながら、雄雌つながっております。
顔を赤らめた娘は、慌てて雨戸を閉めましたな…。
「どうだったい?」
『別に何でもないわ…』
「おいおい、こんなに犬が騒いでいるんだ。何でもないことはないだろう。
 よく見なくちゃいけませんよ…」

小言を言いながら起き上がった親父…
雨戸を開けて外を見るてェと、「え、へへん!」と咳払いを一つして、「なるほど、別に何でもないわいな…」

提供「風亭弥次郎」

2008年11月25日

私ほど不幸な人間はいない

■子どもの頃、父親から学んだ「質素倹約」の心得

「上見て暮すな、下見て暮せ…」
自分より良い暮らしをしている人を見ると、つい、うらやましく不足の思いに駆られる。
自分より貧しい人が沢山いることを、忘れないことです…。
今日こうやって、家族揃ってご飯が食べられることに、感謝しなければならない。
いつ、いかなる時も、感謝の心を忘れてはならないのです。

「贅沢は敵」
輪島塗の箸を買ってきて御膳に添えたら、お茶碗がみすぼらしく見えた。
そこで、お茶碗を買い替えた。
そうしたら、麦ご飯ではなく、お茶碗にふさわしい、白いご飯が食べたくなった。
ご飯の次は…おかず…と、贅沢をしだしたらキリがない。
贅沢を覚えたら、後戻り出来なくなる…贅沢は敵だ!


【心と体の健康情報 - 620】
~幸せな人生を歩むために~
「私ほど不幸な人間はいない」

■心のあり様で、幸せにもなり、不幸にもなる
私たちの身の回りに生起する苦難…病気、災難、貧苦などの原因は、その人の心のあり様にあるとされています。
どんなに素晴らしい指導を受けても、受け入れる側が、しっかり受け入れる心を持っていないと、心の転換が図れず、問題は解決しません。

心を、コップに例えると、自分の考え・思いがコップいっぱい満たされているときは、周りの忠告を受けいれようとしません。
人の意見を100%受け入れるには、自分の心のコップを空っぽにしておかなければなりません。

倫理研究所 「今週の倫理580号」より

■幸・不幸のモノサシ(1)
三つの洗面器があります。左から順に20度、30度、40度のお湯が入っています。左手を20度のお湯に、 右手を40度のお湯に浸します。それから、左右の手を同時に、真ん中の30度の洗面器に移します。

20度のお湯に浸けていた手は、「暖かい」と感じるでしょう。
40度のお湯に浸けていた手は、「ぬるい」と感じるでしょう。
同じ30度のお湯なのに、左手と右手は違った感覚を持ちます。

■幸・不幸のモノサシ(2)
園で野宿をしている乞食。道に落ちている500円硬貨を見つけて、
「おお~神様、これで今日の飢えをしのぐことができます」と、手を組み、
天に向かって感謝した。

自動車で通りかかった金持ち…道路に光るものがあったので、スピードを緩め、
よく見たら500円硬貨だった。しかし、クルマを止めずにそのまま走り去った。
乞食には、500円硬貨は大金ですが、金持ちには、ほんのはした金。
落ちていたお金…はした金に見えるか、大金に見えるかは、受け取り手しだいなのです。

■お釈迦様の教え
お釈迦様の時代。インドのコーサラ国に、ガウタミーという女性がいました。
彼女には一人の男の子がいました。結婚して、なかなか子どもが授からなかったのですが、ようやくにして生まれた子どもです。
彼女の可愛がりようは、いささか常軌を逸していました。
ところがその男の子、突然死んでしまいました。よちよち歩きを始めたばかりの、かわいい盛りの死です。
ガウタミーは、子どもの死体をかかえて、街中を走り回ります。
「どなたか、この子を生き返えらせてください」
彼女は狂ったように叫んでいます。何日も子どもを抱えて離さなかったため、腐り始めて、臭いがしています。それでも彼女は、 死体を離そうとしません。

『女よ、わたしがその子を生き返らせる薬を作ってあげよう…』
そう声をかけた人がいました。お釈迦さまです。
そしてお釈迦さまは、ガウタミーに、薬の原料となる"カラシ種"を貰ってくるようにと、お命じになりました。

ただし、条件が一つありました。そのカラシ種は、これまで一度も死者を出したことのない家から貰ってきたものでないと、 効き目がない…と。

ガウタミーは、街中の家々を訪ねて回ります。
「お宅では死者を出しましたか…?」
どの家も、どの家も全部、死者を出したことがある家ばかり…ある家では去年、子どもが死んだと聞かされました。夫が死んだと、 涙ながらに語る妻もいました。
ガウタミーの狂気は、少しずつおさまっていきます。
悲しみに打ちひしがれているのは、自分だけではないことがわかってきます。
どの人も、じっと悲しみに耐えているのです。
彼女はお釈迦さまの所に行きます。『女よ、カラシ種を貰ってきたか?』
「いいえ、お釈迦さま、もう薬はいりません。この子をダビに付してやります」
ガウタミーは力強く、そう答えました…。

新潮社 ひろさちやの「般若心経・第8講」

2008年11月28日

国産ウイスキーが世界一に…

ボジョレーヌーボー

毎年11月の第3木曜日は、ボジョレーヌーボーの解禁日…季節の風物詩になっている。
ボジョレーは、フランス南東部、リヨンの北に位置するワインの産地。
その年に収穫されたガメ種のブドウを使用し、99%が赤ワイン。

世界各国現地時間で、11月の第3木曜日午前0時に、一般への販売が解禁される。日本は時差の関係で、毎年、 世界の先進国で最も早く解禁の時を向かえる。
パリではこのヌーボー、一瓶20~30フラン(340円~500円)位で買える。
1,000円~4,000円もする日本の市場価格は、高すぎるのでは…ボジョレーの人達には、日本は最高に美味しい市場である。

それでいて、日本でのヌーボーの売上は世界一。ルイヴィトンやエルメス等、パリの有名ブランドの店に群がる日本人同様… フランス人には、理解しがたい光景である。
近年、日本人が生産量の半分近くを買い漁るため、価格の高騰や品薄を招き、地元民から反発の声が出ている。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 621】
「国産ウイスキーが世界一に…」

忘年会・新年会シーズンになりました。若い頃、一杯呑むと言えば、決まって片町に繰り出した。納会だ、忘年会だと、 人が集まって呑むときは、県内の温泉郷で一泊するのも、当たり前だった。
あれだけにぎわった片町や温泉郷…今は、まばら…馴染みの店もご無沙汰で、キープしたウイスキー、もう無いだろう…。

スナックで呑む酒は、スコットランド産スコッチに限ると、本場の酒にこだわってきた。トリスやニッカなどの国産ウイスキーは、 何十年の間格下に見られてきたのです。
だが今年4月、英国専門誌が主催する国際コンペ「ワールド・ウイスキー・アワード(WAA)」で、ニッカの"余市1987"が、 世界一の「シングルモルト・ウイスキー」に選ばれた。
シングルモルトとは、単一の蒸留所で作られた大麦原料のウイスキーのことで、個性が強く、ウイスキーの中で唯一急成長している商品だ。

英紙サンデー・タイムズは、「本場スコットラントに驚きが広がっている」と報じた。「かっては、 冗談のタネにされていた日本産ウイスキー…歴史的快挙だ」と。

北海道・余市の蒸留所では、酵母の種類や原料、蒸留、発酵法、熟成用の樽を替え、何千種もの原酒を造り分けている。 「余市1987」は、20年熟成の樽から厳選した、8樽の原酒を合わせた、シングルモルトである。

スコットランドの蒸留所は、経営効率が優先され、日本のように造り分けすることをしない。審査では、原酒の多様性から生まれた、 豊かな香りが高く評価された。
日本で最初にウイスキーの生産が始まったのは、1924年…大坂・山崎。
日本のウイスキー造りの技術は、80年の年月をかけて、本場に追いつき、追い越した。
サントリーも、今年の4月WAAで、複数の蒸留所の原酒を混ぜる「ブレンド部門」で、2年連続世界一に輝いている…「響30年」だ。
「響」は、別の2つのワールドコンペでも、最高賞と金賞を受賞している。

今では、英国の植民地だったスリランカのバーにも、「余市」や「響」が置いてあるという。
ヨーロッパにジャパニーズ・ウイスキーが受け入れられる日も、そんなに遠くはなさそうです。

読売新聞「サイエンス・立体交差」から抜粋

近頃は焼酎とビールがよく呑まれる…日本酒とウイスキーの消費は、減り続けている。私はアメリカンウイスキー・バーボン派で、 ターキーのロックにこだわるが、家では350mlの発泡酒を呑み…寒さが増すとともに、焼酎のお湯割りを楽しんでいる。
一頃、ブームになったワイン…リッチな気分を演出し、ナイフとフォークで食事をする時や、誕生会などで栓を抜いていたが、 近頃は手も付かず、棚に淋しく並んでいる。
11月20日(木)、日本で解禁となったボジョレーヌーボーも、消費は最盛期の半分に減ったとか。1本3,000円近くするが、今年は、 1,200、1,300円の品が、店先に多く並んでいるという…。

数年前、発売前夜のカウントダウン・パーティに、夫婦で参加したことがある。
午前0時…景気よく開いたボジョレーヌーボーの樽…日本酒同様、瓶詰めよりずっと香りがよく、美味しかった。

余談だが、新年を迎えるカウントダウンは…東京デズニーリゾートへ家族で…セブ島の五つ星リゾートホテルで… ラスベガスのシーザース・パレスで、年越しパーティーに参加した。
今年は、和歌山県の串本で、年末の31日からスキューバー・ダイビングを楽しみ、正月を向かえる予定です。

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