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ゆで蛙

■私の好きな言葉  ユダヤの格言

    人は転ぶと     坂のせいにする
    坂がなければ  石のせいにする
    石がなければ  靴のせいにする
    人はなかなか  自分のせいにはしたがらない

日頃の私達の姿を、痛烈に皮肉った言葉です。
問題を周りのせいにしている間は、正面から問題に取り組もうとせず、
いつまでも問題は解決しないでしょう。
ですから、「会社の業績が悪いのは、世の中が不景気のせい」と言っている間は、
決して業績が良くならないでしょう。
人と交わる時、口にしてはいけないのは、「愚痴る」「言い訳をする」
「人の悪口を言う」の三つ。この三つのどれかを言いそうになったら、
ユダヤのこの格言を思い出すことです。


【心と体の健康情報 - 601】
~幸せな人生を歩むために~ 「ゆで蛙」

[蛙の話ーその1]
水が入った大鍋の中に、捕まえてきた何匹かの蛙を入れた。
水を得た蛙は安心し、のんびり泳いでいる。
「バーン!」、突然机を叩いた。蛙は驚き、慌てて鍋から飛び出していった。
今度は、用意していたお湯を鍋に入れ、ちょうどいい湯加減にして、再び蛙を入れた。
蛙はゆったり手足を伸ばし、いかにも気持ちよさそうに泳いでいる。

鍋を下から温めはじめた。
徐々に水温が上昇し、熱湯になった。すると蛙は茹でられて、死んでしまった。
同じように、机を「バーン!」と叩いていたら、どうだろう。
蛙は状況の変化に気付き、飛び退いただろう。
しかし、ぬくぬくとぬるま湯につかっているうちに、蛙はつい油断をしてしまい、
気付いた時はもう遅過ぎた。飛び上がるエネルギーを失い、死んでいった。

人生も経営も同じだ。ぬるま湯が徐々に熱せられ、水温が上がってきていることに気付いていながら、 昨日まで何事もなく生きてこられたことにかまけて、危機感を失ってしまう。
昨日も今日も変わらない。明日も今日と同じだろうと思っているうちに、命を失う羽目に陥る。皆さんよくご存知の、「ゆで蛙」 のたとえである。
地球温暖化に、何とかせねばと危機意識を持ちながら、昨日と変わらぬ生活をしている私たち…蛙の逸話だと、笑ってはいられらい…。

[蛙の話ーその2]
桶には、おいしいミルクが入っている。その桶を二匹の蛙が覗き込んで、「おいしそうなミルクがある…一緒に飲もう」と、 桶の中に飛び込んだ。

お腹一杯ミルクを飲んで、ご機嫌の蛙たち。そろそろ外に出ようと、桶の縁の方へ泳ぎ出した。ところがどうしたのだろう。 思うように体が前に進まない。体全体にミルクの幕が張ってしまい、身動きが取れない。もがき続けているうちに、体力が消耗しだした。
「諦めたら死んでしまう。もう少し頑張ろう…」と、根性蛙が声をかけた…が、
「僕はもうクタクタだ…手も足も動かなくなった。もうおしまいだ」
もう一匹の根性なし蛙は、泳ぐのを諦めて…溺れ死んだ。

一方の根性蛙、命のある間は…と、必死に手足をバタつかせ、もがきにもがき通した。
すると、いつしかミルクがバターになっていた。
根性蛙、バターの上を歩いて無事桶の縁にたどりつくことが出来た。

坂爪しょう兵「和尚が書いたいい話」より

    一所懸命やれば 大抵のことが出来る
    一所懸命やれば 誰かが助けてくれる
    一所懸命やれば 何事も面白くなる

大坂のN教育研究所の研修を受けた時に、教わった言葉です。
人生を振り返ると、幾度か"ここぞ"という時がある。
そんな時、懸命に努力していると、思わぬ人が手をさしのべてくる…
そのお陰で今がある…その時のご縁が、未来へと導いていく…。

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