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孟母の教え

■「孟子」

江戸時代、町人や農民の子は寺子屋で、習字手習いと論語を学び、武士の子は藩校で、四書(論語・大学・中庸・孟子)を学んだ。

今の時代、大人も読み辛い難解な漢字や言葉が並ぶ「論語」や「中庸」を、当時の子どもたちは、ごく当たり前に学んでいたのです。

四書の一つ「孟子」…中国戦国時代の儒学者"孟子"(紀元前372?~289)の言行を、その弟子たちが7編にまとめたものです。

孟子は、孔子の孫の"子思"の門人になって、孔子の思想を学び、継承した。
"儒教"では、"孔子"に次いで重用され、「孔孟の教え」として、現在に受継がれています。


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~古典から学ぶ~ 「孟母の教え」

孟子は、孔子の孫"子思"の弟子。日本では[性善説]を唱えたことで、広く知られている。 今回は、 孟子にからむ逸話を、二つ取り上げます。

孟母三遷の教え
江戸時代の川柳に、"孟母三遷"を茶化した
「おっかさん、又越すのかと孟子言い」というのがある。
子どもの将来を思う母の気持ちは、いつの時代も変わらない。
孟子の母は、ただ「勉強しなさい」と言うのではなく、自らの行動をもって、
我が子を導いたのです。
それが「孟母三遷の教え」として、現在に伝えられているのです。

孟子は、早くに父親を亡くし、母の手ひとつで育てられた、
母子家庭の子だったのです。
母子ははじめ、墓地のそばに住んでいた。
幼い孟子は、墓を掘る真似をして遊んでいた。
母親は「これではいけない」と、市場の近くに引っ越した。

こんどは近所の子と、商人の真似をして、人の顔色を見ては商いをする…
そんな遊びをするようになった。
で、又引っ越した。今度は、学校のそばに住んだ。
すると、本を読み、勉強するようになった。

孟母断機の教え
孟子が大きくなって、母親のもとを離れて、学校に通っていた頃の逸話です。

「勉学に身が入らない孟子…久しぶりに家に帰ってきた。
母は機織をしながら、「勉強の進み具合はどうですか?」と尋ねた。
『べつに…相変わらずですよ』と、孟子は気のない返事をした。
すると母は、突然刀を持ち出してきて、織っていた布をバッサリ切ってしまった。
そして、孟子に向かって、「いいですか、もし途中で勉強をやめるような事があれば、今こうして、 織りかけの布を切ってしまったように、今までの努力がまったく無駄になってしまうのです…」と言った。
孟子の母は、身をもって息子を教育したのです。
そして、「言ったことは必ず実行する!行ったら必ず結果を出す」ことを教えた。
この出来事は、孟子の心に深く、そして鮮明に焼きついた。
以降孟子は、本気で勉学に励むようになった。

人間の基本となる人格は、3歳から6歳の頃に形成されます。
幼稚園から小学校と、活動範囲が広がるにつれ、「朱に染まれば赤くなる」で、
家庭や周りの環境に、影響されるようになります。

親が子育てをするとき、マニュアルに従って、いくら熱心に教育しても、常日頃、親の後姿が伴っていないと、子どもは、道徳・倫理・ 品格を、身に付けることはしないでしょう。
孟母の情熱と実行力は、現代の教育ママも及ばないほどです…。
江戸川柳では、「されども孟母、姑にはいやな人」と、からかわれている。

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