明治期、日本に滞在した英国の言語学者チェンバレンは、日本見聞録を「日本事物誌」に著した。当時、彼が見た日本人の姿は…
「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下する様子がない。実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。そして、 周りの人たちはみな同じような人間だと、心底信じる平等精神が、社会の隅々まで浸透しているではないか」
中日春秋より
わずか50年前、子どもの頃を思い起こせば、家族は"早起きは三文の得"と朝6時には玄関前を掃き清めていた。それも、 自分の家の前だけでなく、隣近所もごく当たり前のように掃き清め、ジョウロで水を撒いていた。
ちょっと所用に出かけ、家を空にしても、鍵をかける習慣などなく、勝手口のくぐり戸は、夜も開けッぱなしだった。 暮らしは貧しかったが、近隣の人たち皆暖かく人情みがあり、助け合って暮した…。
【心と体の健康情報 - 583】
~歴史から学ぶ~ 「教育勅語(1)」
新聞・テレビを見ていると、同じマンションに住む若い女性を、自宅に呼び入れて殺傷してしまう…思いもしない凶悪犯罪が相次ぎ、
「もう、日本は駄目になってしまうのでは…」と思うほど、嘆かわしいニュースが頻発する。
企業犯罪、青少年の退廃、凶悪犯罪の低年齢化、学力の低下など、いったい日本人はどうなってしまったのでしょうか?
今、教育の在り方を、根本的に見直さなければならない時に来ているようです。
現在の日本人が、喪失してしまったものに「公徳心」がある。今こそ、1人ひとり、社会人としてどうあるべきか…見つめ直す時でしょう。
明治から昭和にかけて、日本人の公徳心を育んできたものに「教育勅語」がある。
その良さを、今一度見直してみる必要があるようです。
書かれている内容は、「家庭の道徳・社会の道徳・国民の道徳」です。
それは、昔も今も変わりません。だからこそ、今の時代に合った内容に作り変えて、再度、教育の現場に取り入れたらどうか…
と思うのですが。
ところで、教育勅語には、どんなことが書かれているのでしょうか?
内容も知らずに、戦前の天皇崇拝・軍国主義の復活を、イメージしている自分…「食わず嫌い」になっているようです。
そこで、今回から3回に分けて、書かれている内容を解説・紹介します。
「教育勅語」は、大きく分けて第一段の前文、
第二段の本文、第三段の後文から成り立っています。
まず第一段の前文から紹介します。
出だしは、私も耳にしたことがある書き出し文で始まります。
「朕オモフニ、
我ガ皇祖皇宗、国ヲハジムルコト広遠ニ、徳ヲ樹(タ)
ツルコト
深厚ナリ」
「私(明治天皇)が思いますに、わが皇室の先祖たちが、遥か昔にこの国を始められて以来、人間としての道徳、とりわけ君徳を、
あたかも樹木を植え込むように、代々樹立してこられました」
「我ガ臣民、
ヨク忠ニ ヨク考ニ、億兆心ヲ一(イツ)
ニシテ、世世ソノ美ヲ
ナセルハ、此レ我ガ国体ノ清華ニシテ、教育ノ淵(エン)
源、マタ実ニ
此処ニ存ス」
「また、我が日本の全国民は、よく忠義と孝養を重んじ、皆心を一にして代々仲良くやってきました。
これが日本の国柄のもっとも良いところであり、教育の原点も、ここにあるのであります」
文中の「忠義」という言葉に、天皇崇拝・軍国主義の臭いを感じるかもしれません。
三省堂の"広辞林"には、「主君や国家に対して忠誠を尽くすこと」とある。
今、諸外国と比べ、日本人に欠けているのが、この「国家への忠誠心」…言葉を変えれば、「愛国心」の欠落でしょうか…。
海外へ出かける時、日本国の国民を証するパスポートがなければ、どこの国も、一歩たりとも入国は認められません。 世界の多くの国々で、日本人はビザ不要…日本人というだけで、信用されるのです。
数年前の7月3日、ハワイのショッピングモールで…通りがかりに、高校生のブラスバンド演奏に出くわした。
独立記念日前夜祭の行事でした。
イベント開始前に、国歌が吹奏された。と、開始を待っていた米国人…"全員"起立して(座っている人は皆無)、背筋を伸ばし、
右手を左胸に当て、国歌を歌い始めたのです。
(日本では「国家吹奏です。全員ご起立下さい…」と促さない限り、人前で歌うことはしない…立たない人もいる)
日本の建国記念日が何時かを知らず、建国の意味を知らない若者たち…無関心といってよい…。
日本をここまで導いてきた先祖への感謝…日本という国を慈しむ心…この平和な国を、子々孫々にまで繁栄させていく、
良い意味での愛国心を育んでいかなければなりません。
次号で、道徳心を育む"本文"へと続きますが、読んでみると、教育勅語の文言は現代になじまず、難しく固くるしい。しかし、
そこに示されている内容は、日本人が受け継ぎ、守ってきたことを、伝承していこうとする心理が、書き込まれているのです。