■今日のことば ~四書「大学」の一節~
「湯(とう)の盤の銘に曰く 苟(まこと)
に 日に新たに 日々に新たに
又日に新たならんと」
「湯の王様が、最上の地位に就いたが、うっかりすると、その上にあくらをかいてしまうので、洗面器にその銘を書き付けていた」 という逸話
・昔の人は、「小学・大学・中庸」から人間学を学び、倫理・道徳・人としての生き方を
身につけていった。
論語は、人間学の根本聖典ですから、「小学」も「大学」も「中学」も、まとめて学ぶ
ことが出来るのです。
【心と体の健康情報 - 579】
~古典から学ぶ~
孔子の教え(18)「貧に耐える」
日本の歴史を振り返って…今ほど平和で、全てが満ち足りた時代はない。
なのに、何でこうも簡単に人生をあきらめたり、人を殺傷したり、命を軽んじたりするのでしょうか…?
今回の秋葉原の通り魔事件も、人生をはかなんでの刹那的犯行…。
ところで、犯した罪の全てをこの若者の責任と、済ませることが出来るのでしょうか?
私たちは子育ての中で、何か大切なことを、忘れてしまっていたような気がするのです。
アメリカの富豪カーネギーは、自らの体験を以下のように語っている。
「腕一本で巨万の富を作るに必要な条件は、
貧乏に生まれることである」
と…。
貧乏が人を鍛え、英雄を作り上げていく。そのような例は、古今東西きりがない。キリストは叩き大工の子で、「貧しき者は幸いなり」
と教えている。
孔子も生涯貧乏暮らしだったし、豊臣秀吉は、水飲み百姓から位人臣を極める関白にまで上り詰めている。
私の知る限り、今の時代、幼少の頃、誰よりも貧しい暮らしを強いられたのは、作曲家"遠藤実"ではなかろうか…。
戦時中、東京から新潟に疎開。極寒の北風が吹きすさぶ浜辺で、隙間だらけの電気も暖房もない、ムシロを敷いただけの船小屋で、
母子が身を寄せ合い、寒さを耐えしのんだ…。
中学を卒業して社会に出るとき、母は小学校の時に穿いた半ズボンを二つ継ぎ合わせて、息子の門出に穿かせている。幼い頃の極貧の体験が、
作曲家になって後、心にしみる名曲を次々と生み出すエネルギーになっていった。
生涯、下積みの苦労をたっぷり味わった孔子。論語には、そんな苦労人らしい言葉が、随所に記録されている。
『子曰く 貧しくして怨む無きは難く、
富みておごる無きは易し』
(憲問第十四)
"孔子が言われました。貧乏しても、不平を言わないことは難しい。
金持ちになっても、おごり高ぶらないことのほうが、まだしもやさしい"
世の中には、少し小金が貯まると、かつての貧乏な暮しを忘れ、貧苦の人々を顧みることをせず、わが身だけ贅沢をして、 人を見下すような態度を取りがちです。だから、金持ちになったからといって、威張り散らしたりしない人は、それはそれで、 立派な人物といえます。
しかし孔子に言わせると、それはまだ易しい。難しいのは貧乏だからとヒガまないことです。貧しい暮しを強いられたとき、
自分の運命を呪うだけならまだよいとして、世を怨み、人を怨むようになっては困るのです。
それを抑えるのは至難の技だと、孔子は言う…孔子のように、貧乏暮しの辛さ、苦しさを長い年月体験した者でなければ、
言えない言葉なのです。
孔子の高弟"子貢"が、あるとき孔子に次のような質問をした。
「貧乏であっても人にへつらわず、金持ちになっても人におごり高ぶらない
人物は、いかがでしょうか?」
すると孔子は答えた。
『かなりの人物といってよいだろう。だが貧乏していても、道に安んじて
楽しんで暮し、金持ちであっても、礼を愛する人物には及ばないね…』
孔子は、「貧乏で不平を言わない者よりも、貧しい中で、心の楽しみを失わない者のほうが優れている」と言っているのです。 幼少の頃に、貧しい暮らしを強いられた人は、早くから"志"が芽生え、「なにくそ」の精神が飛躍のバネになっている。貧乏・ 不如意は人を鍛え、立派な人物を生み出していくのです。
反対に、富裕の家に生まれ、暖衣飽食の生活に慣れ親しんだ、今の時代の若者たち…
精神肉体が練磨されることなく、薄志弱行の人物になり果て、遂には、生きることの意味すら見失ってしまう…。
「三代続かず」とはよく言ったもの…人の世とはそんなもの。今の自分の置かれた環境が不遇であるからといって、 これを怨むには当たらない。素直にその運命を甘受し、"志"をもって挑戦するなら、いつかは人として功成り、 名遂げる道も開けてくるでしょう…。
PHP「中国古典・論語」、並びに「論語の友」から引用