日清戦争・日本の戦略
■自爆テロ
イスラムの国、イラクやアフガニスタンでは、自爆テロが後を絶たない。
毎日のように、罪のない市民が巻き込まれ、死んでいく。
狂信的イスラム教徒にとって、テロは"聖戦"…神のために誇り高く、
爆弾を抱いて死んでいく。
この「自分で自分の命を断つ行為」、その元祖といえば、日本の"神風特攻隊"
その精神をさかのぼれば、「切腹」に行き着く。
「カミカゼ」は、世界中に知られるテロの代名詞なのです。
ところが、ヨーロッパやアメリカには、このような自らを死に至らしめる行為は、
見受けられないのです。
キリスト教の国では、生命は"神から授けられたもの"…との意識が高い。
(2~3世紀前まで…「全ての大地と生命は、神が創造した」と信じられてきた)
故に、自らを死に至らしめる行為は、神を冒とくする行為になります。
キリスト教徒から見れば、日本人もイスラムも異教徒…
不可解で、理解できない人たちに見えるのです。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 572】
~歴史から学ぶ~ 「日清戦争・日本の戦略」
前号に続き、日清戦争から…
日本は大国「清」と戦争することになった。清国海軍には「定遠」と「鎮遠」というずばぬけて巨大な戦艦があり、
巨大な大砲が積まれている。
その巨艦から打ち出される砲弾は、届く距離が長く、命中すれば甲板を貫き、船内で破裂して、一発で敵艦の航行を不能にする破壊力がある。
当時、ヨーロッパの列強は、海戦を有利に導こうと、巨砲を積んだ戦艦の建造に
しのぎを削っていた。(その名残りは、戦艦大和や武蔵の建造に行き着く)
しかし、砲弾の命中率は低く、巨艦だけに、迅速性に欠けるところがある。
清国海軍が所有するその他の戦艦は、軽量・遅速まちまちで、速力も全体に鈍い。
国力は衰え、規律は乱れ、旧来の固定観念に囚われた海軍幹部が、指揮をとっていた。
一方の日本は貧乏国。戦争に必要な資金がなく、国力は弱く、短期決戦でしか戦えない。
清国と対等に戦うだけの艦隊も保有していない。
唯一の強みは、当時の陸海軍には海軍大臣の"西郷従道"、海軍大将"山本権兵衛"、
後の日露戦争で名をなす大本営司令官"大山巌"、"児玉源太郎"、"乃木希典"などの逸材が揃っていたことでしょう。
大国清国海軍に勝つために立てた、日本の戦略・戦法とは…
「狼の群れで、
犀の群れを襲う戦法」
(1)小粒だが高速で、同じ速度、迅速にまとまって戦える戦艦を外国に発注。
(日本が得意とするチームワーク作戦です)
(2)戦艦に速射砲を沢山積み込み、敵が発する巨砲をかいくぐって、小口径の
砲弾を短時間におびただしく敵艦に浴びせ、
敵の艦上建造物と敵兵をなぎ倒す。
艦上を無人の状態に陥れ、
軍艦としての機能を消滅させる作戦。
(3)敵艦の甲板を貫く大砲が無い代わりに、何かに触れるとすぐ爆発し、
敵艦上を焼き尽くす、焼夷弾のような砲弾を開発した。
こうした戦術で、敵艦を沈めることよりも、艦を航行不能に陥らせ、敵海軍の戦意を削ぐことに重点を置いた。
(4)敵艦の戦力が低下したスキを突いて、漁船を改造した魚雷艇が敵艦隊に
忍び寄り、敵艦を撃沈させる戦法で臨んだ。そして、
清国に勝った。
司馬遼太郎「坂の上の雲」より
相手の強みにばかりに目を奪われ恐れていては、何一つ解決しない。
どんな強い相手にも必ず弱点があるはず。それを何とか見つけ出し、対応を考え出したことが、清国に勝利する勝因になった。
先々週の土曜日、女子バレーが北京五輪最終予選で、6戦全勝という快挙をやってのけ、オリンピックの切符を手にした。サッカーも、 昨日のオマーン戦で3対0と快勝…本大会出場へ向け、一歩前進した。
身長が低く、体力やパワーに劣る日本人が、バレーボールやサッカーで、世界の競合と互角に戦うことが出来るのは、 軽量を強みに変える戦術…敏捷さ・素早い動きを武器にし、加えて、日本人特有のチームワークの良さを、存分に発揮する戦術が、 功を奏しているのです。
対応を誤らないためには、味方の強みを探り、相手の弱みを見つけ出すことです。
相手に勝とうと、弱みの改善に努めても、あまり効果は期待できません。
それよりも、自らの弱みには目もくれず、強みを更に強める努力をした方が、
効果も高く、戦意も高まろうというものです。