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国家の品格

■今日のことば
~度を過ぎた"徳"は害をなす~  伊達家の家法(壁書)

   「仁」過ぐれば   弱くなる
   「義」過ぐれば   固くなる
   「礼」過ぐれば   へつらいとなる
   「智」過ぐれば   嘘をつく
   「信」過ぐれば   損をする

中でも傍が迷惑するのは、常軌を逸した"義"(人として行うべき正しい道)だろう。
当の本人は、正しいことをしていると、信念に凝り固まり、反省することもない…。
ときにそれは、悪人より始末が悪い。
日銀人事を巡る与野党の攻防を見ていると、「義過ぐれば固くなる」に思えてくる。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 568】
~歴史から学ぶ~ 「国家の品格」

以下、藤原正彦「国家の品格」より

歴史を振り返ると、日露戦争当時の日本人は、本当に立派だった。
ロシア兵捕虜を、各地の収容所で手厚く治療したり、近辺の温泉や
小学校の運動会に招くなど、武士道精神でもって捕虜に接したのです。
明治の日本を背負った人達は、寺子屋や藩校で読み書き算盤、論語などの教育を受けており、即興で漢詩を作る教養があり、 高い道徳性を身に付けていたのです。

16世紀後半に日本を訪れたイタリア人宣教師ブァリニャーノも、
日本人は生まれつき道徳を身に付けていると、本国に驚きの報告をしている。
それが、日露戦争で勝ちを収めて以降、高慢になってしまった。
大東亜戦争の頃になると、将軍たちの品位は格段に落ち、武士道精神が衰退してしまった。武士道精神の衰退です。

戦後、欧米型民主主義が日本に持ち込まれ、言論の自由や個人の自由が、国民の権利と叫ばれるようになった。
欧米型の資本主義、市場原理が日本に定着するにつれ、日本人から、弱者への思いやりや、 ひきような振る舞いを戒める心意気などが失われていった。
世界に誇る高潔な精神を持った日本人は過去のものになってしまったようです。

私が生きてきた世代…戦後の混乱期から、高度成長に至る日本は、家庭より会社を第一に考える時代だった。私たちは、 自らを犠牲にして会社のために働いてきた。
今のように、自分の家族や家庭を第一に考える人は稀だった。
週休二日制が浸透し、週末の接待ゴルフを断って、家族サービスを優先する…今はそんな時代なのです。
家族のために働くが、国や社会に人生を賭ける気にはならない。
どんなに一生懸命働いても、会社の都合で、突然リストラされるかもしれない。
終身雇用制は過去のものとなり、会社は命を懸けるほどの重みのある対象ではなくなった。

国や会社よりも、個人の利益が優先される今の時代、食品偽装事件に象徴されるように、日本人が持ち続けてきた倫理観は、 消え失せてしまったのでしょうか?
銃を乱射する凶悪事件が日本でも報じられるようになり、アメリカ社会にどんどん似てくる。物の見方、 考え方が大きく変わってしまった日本…モラルの欠落したつまらない国になろうとしている。

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