■『本』は、想像力を養う
「思いやりの心で接しましょう…」と、先生はいう。
でも、「思いやり」って何なの? 子どもたちには分からない。
思いやりは、「想像力」を働かせることから生まれてくる。
では、想像力を養うにはどうしたらいいでしょうか?
それは、本を沢山読むことでしょう。
本を読むことによって、想像力が育まれるのです。
想像力が未成熟の子どもに、"情報"のシャワーが絶え間なく降りそそぐ…
物事の良し悪しを判断する能力がない幼い心に、とんでもない誇大妄想が膨らんでいく。
妄想と日常の区別が出来ないまま、何が良くて、何が悪いか? 判断できずに、常軌を逸脱した行動に走り、事件を引き起こす…
まわりを不幸にし、自分も不幸になる…子どもたちが抱える問題でしょう。
【心と体の健康情報 - 341】
~子育て心理学~
「自ら学習し、身につけさせる」
『一見したところ、なんでもやすやすと「学べる」ということは、
子どもにとっては、破滅の原因でしかない。
そういうふうに、やすやすと「学べる」ことにこそ、
子どもが、なに一つ学んでいない証拠であることが、人にはわからない』
(ルソー・エミール)
※「学べる」を、「手に入る」と改めても、あてはまる
※「ルソー」(1712~1778)
フランスの思想家で、教育論「エミール」で近代的人間教育の理念を確立した
戦後間もない小学生の頃、家は貧しく、両親は日々の暮らしを立てるのに精一杯…
親に「勉強しろ」と叱られたことはなく、クリスマスや誕生日に、オモチャを買ってもらった記憶もない。
小学校の高学年になると、オモチャを自分で作った。
模型店で小さなモーターを買い、宝物のように握りしめて、家に走って帰った。
ロープーウェイや戦車を手作りし、胸をときめかせ、モータのスイッチを入れた。
また、木をくり抜いてカヌーを作り、帆柱を立て、四高(旧第四高等学校)のプールに浮かべ、夢中で遊んだのも懐かしい…。
昔、暴走族で、相手を威嚇するために、バットを持ち歩く者がいた。
でも、バットで人を殴ることはなかった。下手に殴れば「相手が死ぬかもしれない」という怖さを知っていたからです。
今の子どもは、日々の遊びから学ぶことが少ない。痛みの程度が分からないし、手加減することを知らない…むかつくからと、
本気で殴ってしまう。
私の子どもの頃は…転んで、すりむいて、血が出て、こっそり父親の刻みタバコで止血して…どの程度までなら大丈夫か、
体験を通して知っていた。
今の親は過保護。
子どもが転ぶ前に手を差し伸べてしまう…転んで学ぶ機会を奪ってしまう。
嫁いだ娘…私の会社で働いている。
保育所への孫の送迎は、私の役目です。
長女は、おませな3歳児…園児服を着るにも、靴を履くにも、何でも自分でやらないと気が済まない。
もたもたしている孫に、親が手を貸そうとすると…
「はっちゃん、自分でしたかった~」と、そっくり返って泣くのです。
朝、子どもを幼稚園に出す時…母親は、出勤時間に追われ、子どもにゆっくり構っていられない…上着を着せ、靴下を履かせ、 防寒コートを着せ…親が手を貸し、手っ取り早く片付けようとする。それでは子どもは育たない…学べない。
子どもが自分でやろうとすることを、我慢強く見守る…そんな余裕が欲しい。
何でも親がお膳立てし、手をかけ、テキパキ片付けていく…その方が短時間に済ませられ、楽だから…。
「早く食べなさい」「お片づけしなさい」…背中から言葉を投げかけるだけのお母さんも多い。
子どもがいない時に片付けるから、いつまでたっても、片付けの出来ない子になってしまう。大人になってからでは手遅れ…
一生後片付けの出来ない人間になってしまう。
少々時間がかかっても、子どもと一緒にやる…子どもと一緒に後片付けをする。
そうやって子どもと親が同時に育つ。私の息子や娘を見ていると、「三つ子の魂百まで…」。間違いなくそうである。
幼い頃の躾けがどれほど大切か…
子育てを終えてからそのことに気付いても、手遅れである。