■「具志堅用高の座右の銘」
ある時記者が、具志堅に尋ねた…「座右の銘は?」
思わぬ答えが返って来た…「左右どちらも2.0です」
記者…「??…アッハッハ」
具志堅用高は沖縄県石垣市出身。昭和52年ジュニアフライ級タイトル奪取。
その後13回も防衛に成功した、日本人チャンピオン最多防衛記録保持者です。
昭和47年、日本に復帰した沖縄が最初に出した英雄で、日本中が感動した。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 217】
~私の昭和~「忘れられない昭和47年」
昭和47年は、1月から2月のわずか1ヶ月の間に、大事件が4つも続いた。
この年は、大きな出来事が続く。私には、忘れられない年になった。
●1月27日、日本人の生き残り兵隊"横井庄一"が、グアム島で発見された。
●2月、サッポロで冬季オリンピックが開かれ、6日のジャンプで笠谷選手が金。
日本が金・銀・銅全て独占「やった~!」…快挙の瞬間を今も鮮明に覚えている。
●2月19日、赤軍派が浅間山荘にたてこもった。その一部始終が日本全国に
放映され、警官が撃たれた瞬間も見た。仕事を忘れ固唾を呑んで見守った。
視聴率は、ピーク時98.2%と、驚異的数字を残した。
●2月27日、ベトナム戦争の真っ只中、ニクソン大統領が突然訪中。毛沢東と会談。
●5月、沖縄が日本に返還されたことも、忘れてはならない。
●7月、田中角栄が自民党総裁になり、「日本列島改造論」をぶち上げた。
列島改造論ブームが巻き起こり、異常な地価高騰時代へと突入していく。
●9月、田中首相は中国に出かけ、周恩来首相と「日中国交正常化」の調印。
最大の戦争被害国中国…一切の「戦争賠償権」を放棄。
以後日本は、経済大国への道を突き進むことになる。
●お土産は、パンダの日本初公開。ひと目見ようと、上野動物園は長蛇の列。
列に並ぶこと3時間。ようやくパンダのオリの前へ。
立ち止まることが許されたのは30秒だけ。
夕食を食べながら、そんな上野動物園の中継を見ていた。
翌々年の昭和49~51年にかけて、二度のオイルショックに見舞われ、諸物価が急騰。
日本経済は大打撃を受けるが、昭和47年は好景気で、国民の消費熱は、住宅、自家用車などへ。本田が「シビック」を発売し、
一家に一台の大衆車時代へ…。
昭和47年は、35年頃に始まった高度経済成長が、一つの峠を迎えた年です。
少し遡る昭和45年。当時、額ニュータウンの坪単価は3万円だった。
住宅新築単価は坪8万5千円。47年には5万円台に…建築価格も坪12万円に高騰。
2年後、第一次オイルショックの昭和49年の建築価格は、坪16万円に。
第二次オイルショック後の昭和52年には、坪24万円と、異常に高騰。
日本全国、不動産投機熱に沸き立ち、株価が上昇し、バブルが膨らんでいく。
昭和47年、私は31歳。10月、会社の同僚と台湾へ…初めての海外旅行です。
台北は、国慶節を祝う市民が昇り旗を立て、列をなして繰り出し、爆竹や鳴り物で、市内はお祭りムードいっぱい。
宅地建物取引主任資格を取得した年でもある。
テレビでは、中村敦夫「木枯らし紋次郎」の、「あっしには関わりのないことでござんす」が、30%を超える高視聴率をマーク。 時代劇では珍しく、女性に人気があった。
◎12月、政府は第二次ベビーブーム到来を発表。
この年、205万人のベビーが誕生。(平成18年度は…109万人)
◎スーパー・ダイエー。
この年の年間売上げ、三越を抜いて首位に立った。
◎この年ヒットした流行歌
「喝采(ちあきなおみ)」「女のみち(ぴんからトリオ)」「せんせい(森昌子)」
「瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)」「そして神戸(クールファイブ)」