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2008年03月 アーカイブ

2008年03月04日

江戸小噺・四宿の屁

■三遊亭歌奴 「下ネタ艶笑落語」

私がY社に勤めていた19歳の頃、お客様招待会をやることになり、東京から演劇一座がやってきた。
受け入れ側の一員として、一座に1ヶ月間同行することになった。
鶴来の体育館、根上の公民館と、県内をドサ廻り…
マン幕を張ったり、ゴザを敷いたり…雑務が私の仕事でした。

その一座に、真打になったばかりの「三遊亭歌奴(三遊亭園歌)」がいた。
ご存知「山の穴々…」の新作落語が大受けして、人気が出始めた頃です。
夜、高座が引けて、楽屋でくつろいでいる時、お手伝いをしている私達へのサービスだと、「下ネタ艶笑落語」を披露した。

♪「お風呂の中でオナラをしたら、鼻のまん前でブクブクパッチン…。
男のオナラは…、女は… 」と、 顔を見ているだけでフキ出したくなる歌奴の熱演に、お腹を抱えて笑ったものです…。
50年も前のことが、昨日のことのよううに思い起こされます。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 214】
~ことば遊び~ 「江戸小噺・四宿の屁」

毎年10月に、「 五郎島金時芋 」を箱入りで買ってきて、お世話になった人たちにお配りしている。
さて、芋といえばオナラ…川柳に、「コタツから 猫もあきれて 首を出し」というのがある。
被害にあったからといって、本気になって怒るわけにもいかず、当の本人はバツが悪い… それが"オナラ"である。
そこで今日は息抜きに、"オナラ"を題材にした下ネタ小噺を一席…。

♪江戸っ子のだじゃれ好き、遊び心は、"屁"のこき方にまで及びまして…
"江戸四宿"といえば「品川、千住、板橋、新宿」。
それぞれの宿場女郎の特徴を"オナラ"でもって表現しようというのです…。

■品川 「いま行ったのは…」
海に面した女郎屋で、 客が昼遊びしていると、 床の中で花魁(おいらん)が一発いたしてしまった…。 音のしないやつだが、このほうが臭いが強い。
客に嗅(か)がれては大変だから、花魁は夜着を手でしっかりと押さえて、足のほうからバタバタと空気抜きをはじめた。

「おい、なにをしているんだ?」
『沖を帆かけ船が通るから、その真似を…』
「くだらねえことをするなよ…」
もう臭わないだろうと、手を放したとたんに、客が「フッ」と笑って、
「いま行ったのは、肥船(こいぶね)じゃねえかァ…」

■新宿 「半分お出し!」
花魁と客が差し向かいで飲んでいるところに、 若い衆が挨拶にやって来たので、客が盃をすすめた。
花魁が酌をしようと、徳利を持って腰を浮かす…と同時に「ぷう~」とやってしまった。
売り物の花魁にキズをつけてはと思った若い衆、「あいすみません、お昼のおかずがゴボウだったので、お腹が張ってとんだ粗相を… ご勘弁を願います」

なにもかも承知の客は、『色気を売る稼業は、そうでなくちゃ』と、若い衆に祝儀を与えた。
「ありがとう存じます。過ちの巧妙で…では、どうぞこゆるりと」
部屋を出た若い衆を、花魁が追いかけて、
『ちょいと、喜助どん。半分お出し…いまのはあたしの働きだよ!』

■板橋 「あたしも一緒に…」
芸者をあげて大一座で騒いでいると、やり手の婆さんが酌をするようにと、小職(こじょく)に命じた。言われた女の子が、 徳利を持ってお酌をしようとすると、「ぷう」。
『あきれたよ、この子は。お座敷でおならをするなんて、おまえは本当に行儀が悪い。
 階下(した)へお行き!』
叱言(こごと)を言うと同時に、自分が「ぷう」
『お待ち、あたしも一緒に行くから…』

■千住 「前か後か?」
待ちくたびれた客のところに、ようやく女がやって来た。
しゃくだからと狸寝をしていると、
「ちょいと、おまいさん、寝たの? いびきをかいているわね。お起きよ、ちょいとォ!」
布団の上から客を叩くと、拍子で「ぶう~」

気づかなかっただろう…とは思ったが、揺り起こし、
「ねェ~知ってるんだろ、いまの大きなの…」と聞いた。
『なんだい、いまの大きなのって?』
「いまの大きな…地震さァ~!」
『地震…? 屁の前か? それとも後…?』

2008年03月07日

一生を貫く天職を持つこと

■木村 基(州宏)さんのご冥福をお祈り申し上げます

北国新聞掲載写真

<葬儀の席で、奥様・節子さんのご挨拶>
医者に「万人に一人の難病…余命わずか」と言われ、残された時間はわずか…
夫は、病気になってただの一度も、「何で私がこんな病に掛からなければならないのか…」と、不幸を嘆いたり、 当たり散らしたことはありませんでした。
体が動く限り、創作に意欲を燃やしていました。

徐々に、体が動かなくなり、筆が持てなくなりました。
それでもあきらめず、指先に絵の具を付けて画き続けました。
そして、「この歳まで生かさせて頂き、ありがとうございます…」と、笑顔を絶やすことなく亡くなりました。残された命を全うしたのです。



【心と体の健康情報 - 334】
~幸せな人生を歩むために~
「一生を貫く天職を持つこと…」

★人生には、二つの生き方がある
  一つは、定められた「運命」のままに生きていく人…
  もう一つは、「運命」に立ち向かい、新境地を切り開いていく人…

20年近いお付き合いのある、友禅作家の"木村州宏"さんが亡くなられた。
不治の難病と戦って1年9ケ月…まだ62歳の、惜しまれるご逝去です。
謹んでご愁傷申し上げます。

亡くなられた翌日のテレビニュースで、木村さんがお元気だった頃のお姿を…
病の後、体がいうことを利かなくなり、指で画いているお姿を…
自らの生き方を語っているところを…映し出していた。
終始笑顔を絶やさぬお姿を見て、目頭が熱くなった。

80年代、バブル景気で売れに売れた高級呉服。
バブル崩壊後は、全く売れなくなった。
呉服屋さんは不況で立ち行かなくなり、問屋団地の親しくしていた呉服問屋も倒産した。

金沢の伝統産業、加賀友禅は壊滅的打撃を受けた。
友禅作家の木村州宏さんも、問屋筋からの注文がぴったり途絶え、お先真っ暗の状態に…。
勉強熱心で、何事にも前向きな木村さん。
「きっと打開する道があるはず…」 と、知恵を絞った… 今まで経験したことのない、営業の世界にも打って出た。

そんな時、お客さまから「キティちゃん」を絵柄にした着物の注文が舞い込んだ。
「これだ!」と、キティちゃんのパテントを所有する東京のサンリオに日参し、OKを取り付けた。 過去誰もやったことのない新しい商品を開発したい、顧客層を開拓したい…と、情熱を燃やしたのです。

次第に忘れ去られる着物文化。箪笥の中に眠っている着物に、日の目を当てようと、着物を着て…歩こう会「着物de探検隊」を、 石川県で最初に立ち上げた。
問屋に依存して手をこまねいていては、仕事が来ない… 作家活動ができないし、食べてはいけない。

直接消費者に接し、需要を掘り起こすしかないと、始めた「歩こう会」
人前で話すことが苦手な、職人気質の木村さん… 着物と友禅を愛する気持ちから、ツテをたどっての懸命な働きかけで、 賛同者が集まってきた。

「この歩こう会。平成13年4月の第1回目から、数えると35回続けたことになります」 と、振り返る奥様の節子さん。
新しい着物の未来を創造したい… 歩こう会を成功させたい…主催者夫婦の姿が、生き生きと輝いて見えた頃です。

作品の一部です

平成15年の秋、京都から「南蛮船来航の図」の製作依頼が入った。
南蛮船とその前を行きかう異邦人や武士を、何拾分の一の縮尺で、実物そっくりの船と人形をつくらなければならない。
未経験の人形づくり… 約半年、寝食を忘れ、試行錯誤を繰り返しながら、懸命に作品に打ち込んだ。
翌年の3月、完成間近という知らせを聞いて、作業場を訪れた。
作品は、素晴らしい出来栄えだった。
木村さんは、一つ一ついとおしむように、作品を手に取り、見せてくれた…昨日のことのようです。


その時の心労が、病気を呼び寄せたのでしょうか…仕事中に時折"手がしびれる"ことが…何だろう…2年後の平成18年5月、 金沢医科大学病院で精密検査。
「※体の筋肉を動かす神経系統が退化しつつあり、近い将来、重度の身障者になることは免れません。現在の医学では治療方法がありません… 」と、死刑宣告に等しい通告を受けたのです。

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★「人は、"ごめん"と言って死んでいく人と、
       "ありがとう"と言って死んでいく人に分かれる。
       人に惜しまれて、感謝されて…
       ありがとうと言って死んでいける人間になりたい」

※病名…「筋萎縮性側索硬化症」

2008年03月11日

東京大空襲(1)

■東京大空襲

63年前の3月10日未明、東京に352機のB29爆撃機が来襲。
36万発の焼夷弾を下町の密集地帯に投下…犠牲者約10万人、罹災者100万人、焼失家屋27万戸という、広島の原爆を上回る、 悲惨きわまりない大災害に見舞われたのです。
今の中・高生の中には、東京大空襲はおろか、日本とアメリカが戦争したことも知らない生徒がいるという…学校で何を学んでいるのでしょうか?

60数年前の、終戦前後の出来事を、語れる人が少なくなってきている。
66歳になる私、終戦当時は3歳…富山の空襲や、戦時中のことを記憶する、最年少の世代になるでしょうね…。

2005年8月12日には、「富山大空襲」 を、2006年3月10日には「大坂大空襲」 を、そして、2007年7月27日には「宇部市の空襲」 を、私のメルマガで配信しました。
合わせて、当時私が記憶していたことも書き添えました。
お読みになりたい方は、私のブログの「歴史から学ぶ」 カテゴリーをご覧ください。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 215】
~歴史から学ぶ~「東京大空襲(1)」

以下、当時中学1年の少女だった"滝 保清"さんの、地獄の体験記です。

明治時代から桐タンスの製造と、家具の販売をしていた父は、数年前に病死。
家族は、私に母と祖父母、妹三人の7人暮らし…母は万一のため、家財道具を埼玉の実家に預け、2人の妹をそこに疎開させた。 私と5歳の四女を、母の手許に残した。
昭和20年3月9日、運命の夜がきた。
その夜は強い北風が吹き、レーダーが揺れて、 低空で迫り来る敵機編隊を補足出来ず、 空襲警報が発令されたのは、 爆撃が始まった後だった…。

0時過ぎに隅田川方面から火の手が上った。
火の手はみるみる広がり、大火の模様なので、近所の人たちと、私の家の前にある神明神社の境内へ、避難し始めた。
私は、足の不自由な祖父を背負い、家族全員避難。
「ここにいれば大丈夫」と思ったのも束の間、風はますます強く、火の手は北の空を真赤に焦し、神社の裏門近くまで迫ってきた… 更に西門の裏も燃え始めた。

火の粉は、きらきらと強風にあおられ、夜空を舞い、頭上に降りかかってくる。
母は危険を感じ、「ここにいては危ない!もっと広い所へ…」と言ったのですが、叔父は「自分の家が焼けるのを見届けてから…」 と言うので、「じゃ、由美子(末の妹5才)を安全な所に預けてくるから…保清はお爺ちゃんと一緒にいるように…」と言って、 祖父母と私の三人を置いて行ってしまった。

それから間もなく、神社裏門の火は東側にも移り、境内は三方火に囲まれ、火の粉が激しく振りかかってきました。そのうち、 火の粉ではなく、焼トタンや板切れが火の玉となって、ぼんぼん飛んでくるようになりました。

「母さんは何処へ行ったんだろう…」と祖母と話していると、「逃げろ~、こんな所にいると焼け死ぬぞ~」という男の声に、皆、 神社の正門から逃げ始めました。
そうこうしているうちに西門からの火は、南側の私の家にも延焼し、四方炎に囲まれ、真昼のように明るくなった。 境内は火の粉と煙が渦巻き、母を待っていたのでは逃げ場を失うと、足の不自由な祖父の手を肩にかけ、引きずるように逃げ出した…。
神社の鳥居まで出たときです。火のついた雨戸が風に舞って落ちてきた。
フェン現象の熱風となって、煙と炎の渦が迫ってきた。一刻の猶予もありません…。
鳥居の階段を、 祖父を引きずって下りた時、 「保清、 待って!」と叫ぶ祖母の声に振り向くと、背負っていた祖父のドテラが燃え出し、 祖母が叩き消そうとしているのです。
夢中で揉み消したが、今度は私のオーバーの裾が燃え出した。
慌てて揉み消していると、さらに、祖父の足の包帯に火が付き、燃え出したのです。
祖母も、自分の衣服の火の粉を払うのが精一杯で、燃えている祖父のドテラにまで、手が回りません。

突然、目の前が見えなくなり、むせるように息が詰まり、熱風の渦に巻き込まれた。
防空頭巾で口を覆い、息を止めた。目は熱風で開けられない…。
この場にいては窒息してしまう…。
「もうこれまで!」と、燃えている祖父をそのままに、夢中で暗い方に走った。
後ろ髪もなにも…生きたいという本能と、窒息の苦しさから逃れたい一心で、祖父を置き去りにしてしまったのです。

炎の渦を振り切って振り向くと、もうもうたるオレンジ色の炎が、地面を這い迫ってくる。
その中から、二人三人と飛び出してくる黒い人影。時折明るい人影は背に火が付いたり、防空頭巾が燃えているのに気づかず、 夢中で走る人たちです。
その逃げ惑う様は、人の世の生と死…恐怖の狭間を…地獄絵を見る思いでした。

気付くと、祖母とはぐれてしまった。逃げ惑う大勢の人波の中では、祖母を探す術もない。
祖母も、自身の判断で、どちらかに逃げ延びているに違いないと信じ、電車路の大通りに出た。そこは、人と自転車、リヤカーでごった返し、 一人になった不安から、恐怖がこみ上げてきた。

母さんに逢いたい…「母さん~、母さん~」と叫びながら駆け出した。
森下の交差点に差しかかった時です。人混みの中から「保清…」の声が…。
振り向くと、目の前に母がいた…全くの奇跡です。
炎の照り返しだけの、暗い人混みの中で、出会えるなんて…。

(次号に続く)

2008年03月14日

フルスイング・高畠導宏先生のことば

■「喜びの涙・感動の涙」

今年の秋、 北陸初の「100キロ歩 (金沢から武生までの距離) 」を実現させようと、  有志が集まり、「歩こう会」を発足させた。

「過去経験したことのない大きな目標に、本気で挑み、懸命に努力し、やり遂げる」
人生のどこかで、このような経験をしておくことは、大変大切なことです。
その時に「本気」を体験した者のみが知る、 「三つの気づき」があります。

  一所懸命やれば  なにごとも面白くなる
  一所懸命やれば  誰かが助けてくれる
  一所懸命やれば  大抵のことが出来る

難関をみごとクリヤー…感動で溢れ出る涙…涙…涙
苦難を乗り越え、自らが掴み取った喜びの涙です。

涙には、大きく分けて「喜びで流す涙」と、「悲しみで流す涙」の二つがある。
人生において、 「悲しみの涙」を流さない者はいない。 が、「感動の涙」は、懸命に努力し、目標にチャレンジした、 一握りの者のみが知る"幸福の涙"です。



【心と体の健康情報 - 335】
~幸せな人生を歩むために~
「フルスイング・高畠導宏先生のことば」

反響を呼んだ、NHK土曜ドラマ「フルスイング」。
モデルとなった高畠導宏さんは、プロ野球の打撃コーチ30年のキャリア。
59歳の時一念発起、高校の教師になった。
高畠さんには教師の経験がない。が…臆することなく、30年のコーチ人生で培った
優れた"コーチング力"で、 悩める思春期の子どもたちと、 現場の教師たちを大きく変えていった…。以下、 高畠導宏先生が残した、心に残る言葉です。

 人生において最も大切なもの…それは""じゃ。
 夢を無くした人生なんて…ペナントレースの消化試合のようなもんじゃ。

 は自分を強くしてくれます
 は自分を励ましてくれます
 は人生に迷った時、 星になって道を照らしてくれます

 自分のやりたい事を貫き通す!
 とにかく、やり続けるんじゃ…あきらめちゃいかん!

 幸せは、苦しみに耐え、我慢強くやり続けているうちに、
 真っ暗なトンネルの向こうに開けてくる。
 苦しみから逃れようとするな! 逃げたらあかん!
 苦しみから逃れようとすると、苦しみは、どこまでも追いかけてくる…。

 コーチの仕事は、選手を"おだてる"ことです。
 体が覚えてしまっている欠点を、いくら治そうとしても、治りません。
 だから長所を伸ばしてやる。長所に目を向けて、そっちを伸ばしてやる。
 すると、知らず知らずのうちに、欠点も克服されていくというものです。

 欠点を正そうとアドバイスするのは、答えにならない。
 自分で答えを見つけるしかない。
 立ち止まっていたら、答えは見つからんじゃろう。
 立ち止まらせないために"褒める"んじゃ。

 野球は、私にいろんなことを教えてくれました。
 今度は私が、野球の楽しさを子ども達に教えてやりたい…
 それが私の野球への恩返しなんです。

<自信をなくしかけている野球部の生徒に…>
 手を見せなさい…よう練習しとる…これなら大丈夫じゃ!
 今まで通りでいい!…何も、変えんでいい!…自分を信じなさい

 全国制覇…ワシは本気じゃ。
 一試合、一試合、誰が負けると思うて戦う…勝つことだけを信じる!
 それはつまり、全国制覇を信じるということでしょう…
 監督!あんたが信じてやらんで、誰が、あの子らを信じます…

<県大会・準々決勝で負けた後、選手たちに…>
 確かに、甲子園へ行けることはすごいことだ…目標は全国制覇じゃから。
 しかし、甲子園が君らの人生の終着駅であってはならんのじゃ。

 「1つのボール」に、選手、家族、監督やコーチ、観客、いろんな人間の
 思いや人生が詰まっている…それを投げて、打って、笑って、泣いて…

<卒業式の日・最後のホームルームで…>
 先生が、みんなの門出に送る言葉…それは"気力"じや。
 みんなに尋ねる…"気力"とは何じゃ?
 生徒 …「頑張ることです」「根性」「生きること」「精神力」

 先生が思う"気力"とは、"あきらめない"ことじゃ。 諦めちゃいかん!
 9回裏、2アウト、ランナーなしでも、何点離されとっても、
 諦めない気持ち…これが"気力"じゃ。

 気力は、人を思いやることで…強くなる。
 人から思われることで…もっと強くなる。

 これからの人生、いろんな困難が待ち受けているじゃろう。
 もうアカン、投げ出そう…そう思うことが何度もあるじゃろう。
 そんな時に、この言葉を思い出してほしい…気力じゃ、気力!
 諦めん気持ち…気力で、乗り越えてほしいんじゃ。

このドラマで「本気」とは何か…「本気」 の大切さを教えてくれる。
どんなに大きな「夢」「志」があっても、本気でなければ、何も叶えられません。
本気で取り組むことが、人生にいかに大切かを教えてくれるのです。

2008年03月18日

東京大空襲(2)

■帝国海軍軍人が残した言葉

○25歳にして、南太平洋の凄惨な戦闘で亡くなった、
   海軍主計大尉小泉信吉が、22歳の夏に書き残した言葉です。

   「十歳の頃から、海軍士官になることが理想になりました。
   落日の下に今や沈まんとする艦のブリッジに立ち、艦と運命を共にする艦長に
   わが身をなぞらえたり。
   幕僚を従えて海戦に臨む司令官に、未来のわが身を描いております…」

   ※海軍軍人に憧れた青年の、平均的姿です。

○戦艦大和が、燃料片道の沖縄突入作戦に出動を決定した時、
   青年士官の間で、特攻で死んでいく意義をめぐって、激しい議論が起きた。
   死生論議が堂々巡りする中、混迷を断ち切ったのは、若手士官を束ねる立場の、
   哨戒長"臼淵 磐"大尉の言葉だった。

   「日本は、進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、
   本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める…俺たちはその先導になるのだ。
   日本の新生に先がけて散る…まさに本望じゃないか」

吉田満「戦艦大和ノ最期」より


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 216】
~歴史から学ぶ~「東京大空襲(2)」

以下、当時中学1年だった"滝 保清"さんの地獄の体験記、前号の続きです。

「お母さん!」『どうしたの、お爺さんは?』「ダメ!行ってもダメ!お婆さんは何処へ行ったかわからないし…探しに行っても無駄! それより由美子の所へ行こう」
異様な私に、母も大変な事態になったことを察し、由美子の所へと走った。
途中「バリバリ」と、雷が何十個もまとまって落ちたような轟音に、二人は一瞬頭を抱え、地面に伏してしまった。至近弾の炸裂です。 炎を逃れて逃げ惑う人たちの頭上に、雨アラレと降り注ぐ焼夷弾…。

つんざく炸裂音と同時に、中から、真っ赤に燃える生ゴムのようなものが四散。
目の前の家の羽目板に付き、「パッ」と明るくなる…と同時に燃え出すのです。
「ゴー」と、鼓膜が破れんばかりの地響き…見上げると、B29が超低空で飛んでいく。
炎の照り返しで、物凄く大きな悪魔のように、機体は真っ赤。
空をにらみ上げ、無念の唇を噛みしめる。
無抵抗に逃げまどう女・子どもを、皆殺しにしようと空から嘲笑っている鬼のようです。

何とか小学校に逃げ込んだ。中はすでに人でいっぱいだったが、私と母は廊下の隅にへたり込んだ。
校庭を見ると、真っ赤な火の粉が渦巻き、校庭に高く積んであった古材が燃えて、「ボンボン」舞い上がっていた。
火焔と烈風は凄まじく、この世の地獄…「外にいるほとんどの人は助からないだろう…」。
恐ろしさで震えが止まらない。

逃れてくる人たちは、どの人も衣服が燃えていた。その人達を中へ入れようと、校舎の扉を開けると、 同時に凄まじい火の粉と煙が中に舞い込んでくる。
そのうちに、衣服の燃える火を消す水も絶えてしまい、衣服から飛び散った細かい火の粉が校舎内に散らばり、煙が充満し、 むせかえるような息苦しさ…。

しばらくして、校舎を火災から守り、中に避難している1,500人の生命を守るために、校舎入り口の鉄扉に鍵をかけた… 断腸の思いでの決断だったのです。
更に、強風と外圧に耐えるように、内側に下駄箱を積み上げた。

「開けてくれ…助けてくれ…」、扉を叩く悲壮な叫び。皆、耳を塞ぎ、神仏を拝んだ。
しばらくして、扉を叩く音が途絶えた。
力尽きた人たちの後から、後から、扉の前に人が積み重なり、熱風で焼死していった。

「がやがや」する声に目覚めた。窓の外は朝日が差している。
校庭に積んであった古材は、跡形もなく燃え尽き、校舎の入り口には、真っ黒な塊が山になっている。
「何だろう」と窓にすり寄ると、それは30人ほどの焼死体の大きな塊だった。
衣服は燃え尽き、髪は焼け、皮膚はどろどろに溶け、焼けただれ、顔もどこが口だか鼻だか、原型をとどめない。手も足も引きつって、 人間の最後の苦悶の表情を呈している。

このような地獄絵を、13歳の私が見たのです。
私は人間の気丈さをつくづく感じました。平常なら失神してしまうでしょう。
悲しくて涙が出るのは、まだ余裕があるからで、恐ろしさで体が震えるときは、まだ震える余裕があるのです。
その時は、恐ろしくも悲しくもなく、「母さん、助かって良かった。生きていて良かった」と、母と手を握り合い、喜びの涙を流したのです。

母と私は、末の妹を預けた避難場所に向かって歩いた。
昨夜は私たちが入る余地が無いほど、人と荷車で込み合っていた避難所…一面、おびただしい数の真っ黒な焼死体が散乱している。
うつぶせになったり、のけぞったり、親が子を、家族をかばうように、幾重にも折り重なっている様は、言葉では到底表しつくせない、 気の遠くなる光景です。
「むごい」…妹由美子の安否も絶望に近く、深い悲しみが私の心を捉まえた。

(以下略)

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今の平和な世の中は、戦争で散っていった、数知れない尊い命の上に、成り立っているのです。 それを忘れることなく、次の世代に語り継いでいかなければならない。

 

合唱

2008年03月21日

老化しにくい体に…

■アレルギー

昭和22年、5歳の時、長町の眼科で「目もらい(まぶたのイボ)」を切除した。
それ以来、3ケ月に一度「逆マツゲ」を抜かなければならない。
目はいつもムジムジ赤く充血し、涙目に悩まされる…そして、過敏症になった。

多感な青年の頃… 人前で過度に緊張するようになり、対人恐怖に… 顔が耳まで真っ赤になるのです。 そんな自分を何とかしようと、28歳の時、家業の婦人雑貨店を畳み、大手住宅会社に就職した。営業の世界で、自分を鍛え直す決意で…

数年後、自らの提案で 「公的資金で社宅を…」 と新聞広告。商工会議所で、企業向け事業説明会を主催… 人前で堂々話しが出来る自分に変身していた。

過敏症の目には最も辛い春先… 一日中むじかゆい。紫外線や埃を避けるためのサングラスが欠かせない。  アレルギーで緊張した目で相手を見つめ、初対面の人に、 「怖い人」 のイメージを与える。



【心と体の健康情報 - 336】
「老化しにくい体に…」

春の訪れと共に悩まされる「花粉症」。
先週、一緒にゴルフを楽しんだ I 社長。花粉症に悩まされ、プレー中「ハクション!ハクション!」、クシャミをしながらのプレー… 辛そうでした。
鼻をかむために、カートに乗せておいたティッシュ箱…カラスが箱ごとくわえて飛んでいった。この珍事…巣作りに使うのでしょうか?

厚生労働省の調査では、全人口の3人に1人が、何らかのアレルギー症に悩まされているという。最近では、天気予報に合わせ、 花粉の飛散予報が伝えられるほど、多くの人が花粉症に悩まされている。
花粉症に限らず、アレルギー症状に悩む人が増えている。国民病と言ってよいでしょう。
その原因の一つが、「活性酸素の過剰発生」にあることを、 ご存知でしょうか。
この、よく耳にする「活性酸素」とは…何でしょうか?
活性酸素とは「攻撃性のある酸素」のことで、活性酸素が体内で大量に発生すると、アレルギー症状が悪化するのです。

呼吸によって体内に取り込んだ酸素のうち、 約2%が代謝の過程で活性酸素に変化する。そのほか、加齢や紫外線、 激しいスポーツや喫煙などが、過剰発生を促すのです。
私たちは、活性酸素が大量に発生する様々な要因に囲まれて生活している。
例えば、コンビニのお弁当、カマボコなど、食品添加物を多く含む加工食品や、過度の飲酒は、肝臓で解毒する際、 大量の活性酸素を発生させます。
中国製ギョーザに付着していた農薬もそう…。

紫外線や大気汚染も、活性酸素を大量発生させ、身体を錆び(酸化)させる。
経営不振、過労からくる過度なストレスも、長引くと、モロに老化に表れてきます。肌は張りやツヤを失い、頬はこけ、目はくぼみ、 びっくりするほど老け込みます。
男性が女性に比べ平均寿命が短いのは、仕事からくるストレスの影響が大きいのです。
私たちの身体は、活性酸素から身体を守るため、体内で「抗酸化酵素」を作り出し、発生した活性酸素を除去して、身体を守ろうとします。
ところが、加齢とともに体内の「抗酸化酵素」が減少して、 活性酸素を除去しきれなくなる。人体を痛めつけ、 生活習慣病やアレルギー症状の引き金になるのです。
60歳を過ぎる頃から急速に老け込むのは、活性酸素による影響が大きい。
歳をとって病気を患うと、大量に発生した活性酸素で、みるみる老け込んでいく。
活性酸素が身体を錆びさせ、老化を促進させるのです。

私は66歳。老化を遅らせる様々な試みをして、若さを保っている。
食事に注意し、適度な運動を心がける。N研究所の可能性思考研修に出かけ、活力・気力を充電するのも、良い方法です。  そうした日常の積み重ねが、体力の衰えを補い、 「 若々しいね…」と言われるようになるのです。

老化を予防するには、喫煙をやめるとか、抗酸化成分を多く含む食品を食べるとか、肉類を減らすなど、 生活習慣の改善が大事になってくる。
同時に、体内で発生する活性酸素の除去を助ける、"抗酸化サプリメント" を積極的に補うようにします。 身体を錆びさせないことが、若さを保つ秘訣です。

ノエビア「健康クラブ・春号」より

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 体内で発生した活性酸素を除去する「ルチン」「バラ花びらエキス末」
 「海岸松・樹皮エキス末」を配合。身体が錆び、老化するのを抑制する。

●朝・晩、ご家族で飲む…「健康茶ルイボスSP
                    60袋 ¥3,500
 このお茶、酸化せず、風味が落ちないので、翌日も美味しく飲めます。
 活性酸素を消す、南アメリカ産「ルイボス」、「コーン」「ハブ茶」「くま笹」
 「とくだみ」など、10種類の植物成分をブレンドした健康飲料です。

●ビタミンCの数十倍の抗酸化力のある…「リポピュア
                        180粒 ¥7,350
 糖の代謝を促進し、紫外線による強力な活性酸素を抑制する。
 今、注目の「α-リポ酸」の他、「ブドウ種エキス」「ハス胚芽エキス」
 「ビタミンB2」などを配合。

※「健康クラブ」をお読みになりたい方、メールでお申込みください。
  毎号無料でお送りします。

2008年03月25日

~私の昭和~「昭和47年」

■「具志堅用高の座右の銘」

    ある時記者が、具志堅に尋ねた…「座右の銘は?」
    思わぬ答えが返って来た…「左右どちらも2.0です」
    記者…「??…アッハッハ」

具志堅用高は沖縄県石垣市出身。昭和52年ジュニアフライ級タイトル奪取。
その後13回も防衛に成功した、日本人チャンピオン最多防衛記録保持者です。
昭和47年、日本に復帰した沖縄が最初に出した英雄で、日本中が感動した。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 217】
~私の昭和~「忘れられない昭和47年」

昭和47年は、1月から2月のわずか1ヶ月の間に、大事件が4つも続いた。
この年は、大きな出来事が続く。私には、忘れられない年になった。

●1月27日、日本人の生き残り兵隊"横井庄一"が、グアム島で発見された。

●2月、サッポロで冬季オリンピックが開かれ、6日のジャンプで笠谷選手が金。
   日本が金・銀・銅全て独占「やった~!」…快挙の瞬間を今も鮮明に覚えている。

●2月19日、赤軍派が浅間山荘にたてこもった。その一部始終が日本全国に
   放映され、警官が撃たれた瞬間も見た。仕事を忘れ固唾を呑んで見守った。
   視聴率は、ピーク時98.2%と、驚異的数字を残した。

●2月27日、ベトナム戦争の真っ只中、ニクソン大統領が突然訪中。毛沢東と会談。

●5月、沖縄が日本に返還されたことも、忘れてはならない。

●7月、田中角栄が自民党総裁になり、「日本列島改造論」をぶち上げた。
   列島改造論ブームが巻き起こり、異常な地価高騰時代へと突入していく。

●9月、田中首相は中国に出かけ、周恩来首相と「日中国交正常化」の調印。
   最大の戦争被害国中国…一切の「戦争賠償権」を放棄。
   以後日本は、経済大国への道を突き進むことになる。

●お土産は、パンダの日本初公開。ひと目見ようと、上野動物園は長蛇の列。
   列に並ぶこと3時間。ようやくパンダのオリの前へ。
   立ち止まることが許されたのは30秒だけ。
   夕食を食べながら、そんな上野動物園の中継を見ていた。

翌々年の昭和49~51年にかけて、二度のオイルショックに見舞われ、諸物価が急騰。
日本経済は大打撃を受けるが、昭和47年は好景気で、国民の消費熱は、住宅、自家用車などへ。本田が「シビック」を発売し、 一家に一台の大衆車時代へ…。
昭和47年は、35年頃に始まった高度経済成長が、一つの峠を迎えた年です。

少し遡る昭和45年。当時、額ニュータウンの坪単価は3万円だった。
住宅新築単価は坪8万5千円。47年には5万円台に…建築価格も坪12万円に高騰。
2年後、第一次オイルショックの昭和49年の建築価格は、坪16万円に。
第二次オイルショック後の昭和52年には、坪24万円と、異常に高騰。
日本全国、不動産投機熱に沸き立ち、株価が上昇し、バブルが膨らんでいく。

昭和47年、私は31歳。10月、会社の同僚と台湾へ…初めての海外旅行です。
台北は、国慶節を祝う市民が昇り旗を立て、列をなして繰り出し、爆竹や鳴り物で、市内はお祭りムードいっぱい。
宅地建物取引主任資格を取得した年でもある。

テレビでは、中村敦夫「木枯らし紋次郎」の、「あっしには関わりのないことでござんす」が、30%を超える高視聴率をマーク。 時代劇では珍しく、女性に人気があった。

◎12月、政府は第二次ベビーブーム到来を発表。
   この年、205万人のベビーが誕生。(平成18年度は…109万人)

◎スーパー・ダイエー。
   この年の年間売上げ、三越を抜いて首位に立った。

◎この年ヒットした流行歌
   「喝采(ちあきなおみ)」「女のみち(ぴんからトリオ)」「せんせい(森昌子)」
   「瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)」「そして神戸(クールファイブ)」 

2008年03月28日

孔子の教え(15)「無心になる」

■人間学の根本聖典/論語
 「論語から人間学を学ぶ」      伊与田 覺

"人間学"を学ぶテキストには、小学には『小学』が、大学には『大学』が、中学には『中庸』という書物があります。

小学」というのは小人の学です。 小人とは"一般の人"ということです。
人としてわきまえておくべき、基本的なことを学ぶ学問です。
戦前まで、小学校の上に"尋常"が付いていました。「尋常=常を尋ねる」
その学びで「自分を修める」…即ち「修己修身の学」です。

大学」というのは"大人(たいじん) の学"です。
大人とは、周りに良い影響を及ぼすような人物を言い、自分がよく修まっているだけでなく、周りの人に良い影響を及ぼす人を言います。 「修己治人の学」なのです。

中学」というのは、 異質のものを合わせて新しいものをつくる、"調和の学"であり、"創造・造化の学"です。
人間学のテキストは、「小学・大学・中庸」ですが、論語は人間学の根本聖典ですから、小学も大学も中学も合わせて、学ぶことが出来るのです。



【心と体の健康情報 - 337】
~古典から学ぶ~
 孔子の教え(15)「無心になる」

「子、四(よつ) を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし」 (子罕第九)
「先師は常に、私意、執着、頑固、自我の4つを絶たれた」

以下、「理念と経営2月号・伊与田 覺/論語の対話」の注釈文から…

孔子自身、「私の心を痛めつけているのが、この4つだ…」と言っている。この4つは、 なかなか絶ちにくいものです。

私意・執着・頑固・自我」が取れてくるということは、 心にわだかまりがなくなったということです。細かいところまで、よく見えてくるようになります。
要するに「意なく、必なく、固なく、我なし」ということは、「無心になる」 ということです。
"無心"とは「心が無い」という意味ではなく、 "本当の心"すなわち"平常心"ということです。

これは、般若心経の教え、""にあたるのではないでしょうか。
"空"とは、簡単に言えば「こだわるな!」ということです。
"煩悩"をなくそう…4つを絶とう…と、悶々とこだわるのではなく、煩悩そのものに、こだわらなければいいのです。

例えば、眠れぬ夜に眠ろう、眠ろうと、羊の数を数えるのが煩悩です。
眠ることにこだわらなければいいのです。 眠れなければ、眠ろうとしなければいいのです。眠くなったら眠ればいいのであって、 煩悩にこだわらなければいいのです。
俗世界の私たちは、様々な欲望に囲まれて生活しています。
金銭欲、名誉欲、権力欲などがそうで、長生きしたいという欲望もあります。
それらの欲望を絶つことは至難の業です。貧しい…お金が欲しい。
お金が手に入れば、欲望が満たされるかというと、決してそうはなりません。

月収30万円の人がいるとします。それで十分食べていけるのに、更に50万円の収入を願望します。そして、 50万円稼げるようになると、更に100万円、200万円と際限なく欲望が膨らんでいきます…際限がありません。
私たちの欲望は、どんどん膨らんでいくのです。
頂点を極めて尚、欲望の虜になった前防衛事務次官の、守屋氏の顔が浮かんできます…。

般若心経は、「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」 で始まり、
照見五蘊皆空 度一切苦厄…」 と続きます。

「観自在菩薩が、般若波羅蜜多を行深された時、五蘊(ごうん)が皆"空"であると照見されて、一切の苦厄を度された」と読みます。
簡単に言えば、「観自在菩薩が、一切の苦しみ災厄を、度された」の意味になります。
"五蘊(ごうん)"とは、「 人間の肉体と精神 」のことで、私たちの肉体も精神もみな"空"で、 実態がありません。

江戸時代、臨済宗の高僧に"盤珪(ばんけい)禅師"という人がいました。
ある日、盤珪禅師のところに、1人の僧が訪ねて来て、質問しました。
「それがしは、生まれつき短気でございます。これは何としたら直りましょうぞ」
答えて、盤珪禅師は…
『それは面白いものを持って、生まれつかれたの…今も短気でござるか?
あらば、ここへ出しゃれ…直して進ぜよう』と言われた。

そう言われても、僧は"短気"を取り出して、見せるわけにはいきません。
なぜなら、私たちの肉体も精神も、すべて"空"だからです。

このように、"短気"などというモノがあるのではなく、それらはすべて"空"である。そのことがわかれば、 自らの気持ちの持ちようで、解決の道もあろう…というものです。
つまり、"短気"が生じてくる状況を、作らないようにすればいいのです。
私たちは、 短気そのものを無くそうと思案しますが、 するとかえって問題が、こじれてくるのです…。

新潮社「ひろさちやの般若心経」

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