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2008年02月 アーカイブ

2008年02月01日

孔子の教え「自らを省み、反省する」

■ものごとには必ず「本末」がある

ものごとには必ず「本末」 というものがあります。
植物を例にとると、その「本(もと)」になるのは"根"であり、枝や葉が「末」になります。
人間にも、生まれながらにして「本末」があります。
その本になるのが「徳性」です。「知能・ 技能」は末の方になります。

植物を育てるには、先ず根を養うことが大切です。従って、人間を作っていく上で最も大切なのは、根本である「徳性」を育てることです。
その徳性を育てる学問を「本学」といい、「人と成る」ための大切な学問になります。

社会人に必要な要素には、「道徳・習慣・知識・技術」の四つがあります。
「道徳・習慣」を修得する学問が「本学」になります。「知識・技術」を習得する学問は非常に大切ですが、 「人と成る」上からすれば「末学」というべきでしょう。

論語は、こうした「人と成る」人間学を網羅した書物であり、論語を学ぶことは、本学・徳性を学ぶことになります。
二十歳の成人になって尚、人として未熟なのは、本学・徳性を、つまり「道徳・習慣」を修得させていない、教育に問題があるようです。

伊与田 覺「人間学と論語」より



【心と体の健康情報 - 329】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え(14)自らを省み、反省する」

「吾日に吾が身を三省す」…論語の中でもとりわけ、私の好きな一節です。
過ぎし人生を振り返えれば、反省だらけの人生…赤顔の至りです。
「若い頃に、もっと勉強していれば…」
「あの時何故もっと、気持ちを汲んでやれなかったのだろう…」
「自分が至らなかったばかりに、かけがえのない人材を失ってしまった」
など…思い起こせばキリがない。

「曽子曰く 吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、
 朋友と交りて信ならざるか、習わざるを伝うるか」
   (学而第一)

以下、伊与田 覺「理念と経営1月号・論語の対話」での注釈文です。

「曽子曰く 吾日に吾が身を三省す…」
「曽先生が言われた。私は毎日、自分をたびたひ省みて、よくないことは省いている…」
「三省」は、三回という意味ではなく、「たびたび」という意味になる。
「省」という字には、振り返る「反省」の意味と、「省略する」の二つの意味があります。
省みるだけでは不十分で、省みて、その誤りに気づいたときは、自らこれを改めていく。すなわち、「省く」行動が伴っていなければ、 「三省」にはならないのです。

「…人の為に謀りて忠ならざるか…」
「人のためを思って、真心からやったかどうか…」

振り返ってみて、本当に真心から相手のことを思って、やったかどうか?
お義理で、やむを得ずやったのか?
それを見過ごしたら…他人から「人でなし」と言われるから、表向きをつくろうために、やったのか…?
※この時代の「忠」は、国や君に対する"忠義"ではなく、自分自身に対する「忠」の問いかけだったのです。

「…朋友と交りて信ならざるか…」
「友達と交わって、うそ偽りはなかったか…」

「…習わざるを伝うるか」
「まだ習得しないことを、人に教えるようなことはなかったか」

まだ十分に習得していないことを、知ったかぶりして教えてはいないか?
夏目漱石の「坊ちゃん」の中に、知ったかぶりをせず、「知らないものは知らない」と、はっきり正直に言える先生が本当の先生だ… という意味の場面がある。

■次は、孔子が尊敬する、"きょ伯玉(きょはくぎょく)"先生の言葉です。
「五十にして四十九の非を知る。六十にして六十化す」

「五十歳になって振り返ってみると、いろいろな過ちを犯し、その非を知った。
 これからは、その非を改めながら、さらにより良い人生を歩むようにしたい。
 六十歳になれば、六十にふさわしい人間でいたいものだ…」

更に、「七十にして七十化す」「八十にして八十化す」「九十にして九十化す」というように、限りなく成長・脱皮し、 若々しく生きていきたい…という願いが込められている。
孔子が"きょ伯玉"先生に、深い尊敬の念を抱いたのは、絶えず自らを省みて、自らの至らなさを知り、より良い人生を築いていこうとする… そんな生き方に、感銘したからです。

2008年02月05日

落語・こんにゃく問答

■勘違い「変換ミス」 日本漢字能力検定協会提供

正 「それは会社の方針とのこと、正しいようです」
誤 「それは会社の方針とのこと、但し異様です」

正 「常識力検定を導入し…」
誤 「上司、気力検定を導入し…」

正 「今日居ないもんね、ゴメンネ!」
誤 「胸囲ないもんね、ゴメンネ!」

正 「今日は、見に来てくれてありがとう」
誤 「今日は、ミニ着てくれてありがとう」

正 「規制中で渋滞だ」
誤 「寄生虫で重体だ」

正 「逢いたいの もう一度」
誤 「会いたい 飲もう 一度」

正 「同棲しよう! でも言えなかった」
誤 「同棲しよう! でも家なかった」

正 「誰か、ビデオとってるやつ いないか?」
誤 「誰か、美で劣ってるやつ いないか?」


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 210】
~ことば遊び~  「落語・こんにゃく問答」

「ことば遊び」を趣味にする、私にもってこいの、トンチに溢れ、お腹を抱えて笑える、勘違い「こんにゃく問答」の一席…。

♪上州は安中(あんなか)の古寺。長年住職が不在で、寺は荒れ果てている。
そこで、こんにゃく屋を営む六兵衛は、居候の八五郎に、坊主になってはどうかと勧める。
ある日、寺に一人の旅僧が訪れる。
越前永平寺の沙彌托善(しゃみたくぜん)と名乗り、住職と問答をしたいという。問答に負けたら、寺を追い払われる…。
今日は住職は留守だと言うと、托善は「命の限りお待ち申す」と言い残し、その場を引きあげていった。

八五郎は慌てて六兵衛のもとへ…六兵衛はこんな時でも頼もしい。
「おれがその坊主をなんとか退散させてやる。いざとなったら、ふん捕まえてぶち殺せ」
翌日、托善がやって来ると、本堂には大和尚になりすました六兵衛が、座ったまま一切口を開かず、押し黙って目を爛々と光らせている。
それを見た旅僧、住職が無言の行の最中だと思い込み、身振り手振りで問答を仕掛けてきた。

(以下は仕草だけ)
托善が手で小さな丸を作ると、六兵衛は両手で大きな丸を作る。
手を広げて10本の指を見せると、六兵衛は片手で5本指を出す。
しからばと、3本の指を出せば、 六兵衛、アッカンベ~

すると托善は逃げ出した!八五郎が追いかけてわけを聞いた。
ご住職は、無言の行をされているとお見受けし、そこで拙僧、まず胸の前に小さな輪を作り、ご住職のお胸の内はと尋ねますと、 大きな輪を作られ、大海のごとしとのこと…。
次に10本の指を立てて、「*十方(じつほう)世界は」と尋ねますと、5本の指を出され、「*5戒で保つ」と申された。
最後に3本の指を出して、「*三尊の弥陀は」と尋ねますと、「目の下にあり」と申されました。
とても拙僧の及ぶところではござらん。

一方、六兵衛はというと、あいつは、おれがこんにゃく屋だと知っていやがる。
まず小さい丸を作って、おめえのところのこんにゃくは、こんなに小さいってバカにしやがるから、こんなに大きいって、言ってやったんだ。
10丁でいくらだと聞くから、少し高いが五百文だというと、三百文に負けろ、とぬかしやがったから、アッカンベ~

*[十方世界]    あまねく広い世界
*[五 戒]      人間が守るべき五つの戒律
*[三尊の阿弥陀] 阿弥陀、観音、勢至

2008年02月08日

幸せに生きる秘訣

■遠征ゴルフ

昨年からの企画で、 雪の無い関西へ遠征してゴルフを楽しもうと、 3日の日曜、
まだ明けやらぬ朝6時に出発…滋賀県・竜王GCへ。
ところが前夜、大坂から名古屋・東京にかけて、思いもよらぬ雪が降った。

幹事もしやと、車中から問い合わせたら、関西方面はどこもクローズ…うっそ~。
引き返すことになったが、石川県は雪が降らなかったのに、海沿いの片山津も、千里浜も、全て残雪でクローズ… ようやく能登ゴルフの予約が取れた…安堵…。

11人を乗せたマイクロバス… 丸岡でUターンして、 心ときめかせ能登へ… 車中はお酒が配られ、 ワイワイ遠征気分で…県内を3時間半掛け、目指すゴルフ場へ…お笑いです。
北海道スキーツアーの時もそう…天候不順で、小松から飛行機が飛ばなかった。
が、誰一人帰ろうとしない。早起きして家を出て、今更中止解散はない…。
JRを乗り継いで、 関空から飛んだ。 スキーをかついだ一行が、 大坂に向かう姿…  何とも滑稽…。
今回もそう… 何処もクローズというのに、「ゴルフを中止しよう」と言い出す者は一人もいなかった。



【心と体の健康情報 - 330】
~幸せな人生を歩むために~
「幸せに生きる秘訣」

今年の正月も幸せを願って、 石浦神社、 尾山神社、 白山比咩神社と、  神社詣での梯子をした。
誰もが幸せになりたいと願っている。いくら神様にお願いしても、思っているだけでは幸せにはなれません。幸せになる考え方や、 方法が間違っていれば、どんなに努力し、幸せになりたいと願っても、幸せにはなれないのです。

以下、杉井保之氏の「幸せに生きる秘訣」での問いかけです。

これまで、沢山の人に「何のために働くのか?」という問いかけをしてきました。
答えで一番多かったのは「生活のため…」でした。
ならば「どんな生活を手に入れたいのか?」という疑問が湧いてきます。
「 何のために働くのか? 」  「 何のために学校に行くのか?  」を問いかけていくと、結局は、 皆幸せになるために働き、 幸せになるために学校に行っているのです。
誰もが「 幸せになりたい 」と願っている。 しかし、ほとんどの人は、 幸せになるために働いていないし、幸せになるために学校に行っていないのです。
「幸せになるため」という目的を忘れて、ただ仕事をし、意味もなく学校に行っているのです。幸せになるための考え方や、 方法が間違っていたり、方法を知らなかったりするのです。

それでは、いくらまじめに働き、勉強しても、幸せにはなれません。
幸せになりたかったら、幸せになる働き方をしなければならないし、幸せになる勉強の仕方をしなければなりません。

皆さんにお尋ねしたいのですが、「 幸せ 」とは、人それぞれ全く違うものでしょうか?
人をいじめて幸せになれるでしょうか? 
自分の家族を傷つけられて嬉しい人はいませんし、人に嫌われることをして、幸せになれるとは思っていないでしょう。

人それぞれ形は違っていても、 大きな眼で見ると、 人が求める幸福は、 皆同じだと思うのです…。人に好かれることは嬉しいことです。
そうだとしたら、 今日一日仕事をするにも、学校へ行くにも、 どうしたら人に好かれるか… その前に、どうしたら人を幸せに出来るかを、考えた方が良いと思うのです。

進学・受験シーズンを迎え、親は、子どもの受験結果に一喜一憂する。
我が子が、クラスの誰よりも成績が良いことが、子どもの幸せになると信じて
疑わない親…。

学校へ行く目的は、勉強だけではないと思うのです。
子どもが学校に行くのは、勉強よりもっと大切なものがあります。
社会に出て、 いろいろな年齢の人、 いろいろな考え方の人と、  どのように関わりを持って接すれば、幸せになれるか… そういったことを体験し、 身に付ける場が学校だと思うのです

どの家庭の母親も、 子どもに「 勉強しなさい!」と、 うるさく言うが、 本音は、 幸せになって欲しいから、「勉強しろ」と言っているのです。
勉強よりも、もっと幸せになる方法があれば、「勉強しろ」とは言わないでしょう。
子どもの頃の学業成績が、大人になって後の幸せを保証する… と断言できるでしょうか?比率はわずかでしょう。 幸せになる条件の中の一つにしか過ぎないのです。
40人のクラスで、成績上位に入れるのは数人…親のDNAを受継いだ我が子…スズメの子はスズメです。勉強が嫌いなら、 その子の何を伸ばしてやれば、将来幸せになれるか?
それを見つけ、伸ばしてやるのが親の役目でしょう。
しゃにむに、大学を目指させることだけが、幸せの道ではないと思うのです。

我が子が、三流高校にしか入れないとしたら、恥ずかしい思いをするのは親。
それが嫌だから、「勉強、勉強」と言っているのではないでしょうか?

私の1つ下の弟は、勉強が出来ませんでした。そこで父は、中学校を卒業して直ぐ、東京のハンドバック製造会社に、 職人として住み込ませました。
弟は30代半ばに独立。今では、業界1.2の優秀な職人として、立派に成功…
取引先から重宝がられているのです。

2008年02月12日

バレンタインデー

■バレンタインに、カードを交換するようになったわけ…

バレンチノとは(英語ではバレンタイン)、キリスト教の司祭の名前です。
西暦3世紀、戦争に行きたがらない若者に手を焼いたローマの皇帝は、
心が浮わつくのが原因と、兵士の結婚を禁止してしまった。
かわいそうな兵士たち…見かねた司祭のバレンチノは、内緒で結婚させたのです。
これが皇帝の耳に入り、投獄されてしまった。

当時のローマは、キリスト教が迫害されていた。
バレンチノは獄中にあっても恐れず、看守たちへ"神の愛"を説いた。
ある看守に、目の不自由な娘がいた。
バレンチノが彼女のために祈ると、奇跡が起きて、目が見えるようになった。
このことで、バレンチノは処刑されてしまった。

死ぬ直前に、「あなたのバレンチノより」と表書きした手紙を、彼女に残していった。
その言い伝えから2月14日、男性が好きな女性に、愛をつづった手紙を出すようになった。そして、世界中に広がっていった。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 211】
「バレンタインデー」

2月14日はバレンタインデー。
ローマでは毎年2月14日に、豊穣を祈る祭りが行われていた。
約二百年前、お祭りが開かれる頃に殉教したバレンタインを、このお祭りの守護聖人に据えることにした。
その後次第に、この日に恋人たちが、贈り物やカードの交換をするようになったのです。

女性から男性に、しかも、チョコレートに限定して贈る習わしは、日本だけ。
欧米では、恋人や友達、家族などが互いにカードを交換し合い、 花束、 お菓子などを贈ります。バレンタインカードは、 クリスマスカードに次いで、多く交換されているのです。
日本で、チョコレートを贈る風習の始まりは、1978年の伊勢丹キャンペーン。
クリスマスケーキにあやかろうと、商魂たくましく始めたが、一年目は、板チョコ数枚が
売れただけ…その後しだいに全国に広がり、現在では年間消費量の4分の1が、
バレンタインで売れるという、国民的行事になった。

当初は、女性から愛を告白できる日としていたが、今では、夫や同僚・上司などへの「義理チョコ」、女性から女性の友だちに贈る 「友チョコ」がほとんど。
今年は、女性が自分のために買う、「マイチョコ・ご褒美チョコ」がよく売れるという。
更に、日本や韓国・台湾では、1ケ月後の3月14日に「ホワイトデー」がある。
日本では、男性から女性へ返礼として、クッキーやハンカチなどをプレゼントする。
’07年、大手上場企業の意識調査によれば、女性の約70%、男性の約50%が、
「こんな無駄な習慣なくなればいい…」と回答して、財布に影響する義理チョコには
ネガティブなようです。
ところで、昔の女性も、愛の告白にはひたむきだったようで、百人一首の中の
"嵩徳院"の恋歌がその代表…。

「瀬をはやみ 岩にせかかる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」

「川の瀬が速いので、岩にせき止められた滝川の水が、分かれても末は一つになるように、今あなたと別れて逢うことができなくても、 ゆくゆくは必ず逢おうと思う」
女性の方から、心のうちをストレートに歌に託し、思いを打ち明けている。

落語「崇徳院」は、"古今亭志ん朝"の得意ネタで、この歌を恋文にしている。
NHK朝のテレビ小説「ちりとてちん」でも、弟子が「瀬をはやみ~」と、繰り返し
稽古している・・・部屋で飼っている九官鳥も「セヲハヤミー…セヲハヤミ…」

2008年02月15日

幸せに生きる秘密(2)

■島田洋七 「お婆ちゃんの教え」 NHK課外授業から

1980年代、 島田洋七はB&Bという漫才コンビのツッコミみで、 お茶間の人気極まりなく 、 ツービートや紳助・竜助をも凌駕する勢いだった。
その後、漫才ブームが終焉。
後輩の明石家さんまや、島田伸助の人気が高まるのとは対照的に、いつの間にかブラウン管から姿を消していった。

頂点を極めながらもどん底に落ち…自暴自棄になりかかった時、子供の頃のお婆ちゃんの言葉を思い出し…再度、 這い上がることが出来たのです。

「人生には絶頂期がある。
 しかし、そこにいつまでも留まろうと思わないことです。
 ころ合いを見て、頂上から下りてくる謙虚さがなければなりません。
 いつまでも頂上に居たいと思うでしょうが…
 頂上は人の住むところではありません。
 木も生えていなければ、水もない。嵐が来たら吹き飛ばされるでしょう。
 『折角登りつめたのに…』などと思わないことです。
 山を下り、沢に下りてくれば、木の実や美味しい水、岩魚など、
 本来人が住む、心安らぐ場所が、そこにあるのです…」 



【心と体の健康情報 - 331】
~幸せな人生を歩むために~
「幸せに生きる秘訣(2)」

誰もが幸せになりたいと願っている。
ところが、幸せになるための考え方や、方法が間違っていれば、どんなに努力し、どんなに幸せになりたいと願っても、 幸せにはなれないのです。

フイリピンやインドネシアなどを旅して、外国から、改めて日本を見ると、日本は本当に平和で豊かで、安全で、 暮しやすい国だと思う…。

ビックコミック川柳に、「自殺者が いちばん多い 長寿国」というのがあった。
恵まれた、豊かな国に住みながら、何で自殺なんかするんだろう?…
以下、杉井保之氏「幸せに生きる秘訣」は、そのことを問いかけている。

こんなに便利で、豊かな国に暮していて、どうしてこんなに不幸な人が多いのだろう。
1年くらい前に、集団自殺が2度3度と続いたことがあります。
「何故?」って理由を聞くと、『これから生きていて、いいことってあります?
ないのなら、積極的に生きる意味なんてないじゃない…』

あなたなら、その時どう答えるでしょうか?
「そんなことはない…」って、説得するのでしょうね。
私だったら…
『あなたの言うとおりですよ…幸せになんかなれっこないと諦めて、
 何もしなければ、いつまでたっても幸せになれないと思うよ…。
 誰だって、幸せになりたい、幸せになろうと、努力しているんだから…。
 努力していても、なかなか幸せになれないのに、幸せになろうと
 努力しなければ、幸せになれるはずなどないじゃないですか…。
 でも、「幸せになれないっ」て辛く思うのは、幸せになりたいと
 思っている証拠。
 ここで考え方を変えて、幸せになれる生き方を、試してみては
 どうでしょう…死ぬのは、それからでもいいじゃないですか…  』

ただ生きていても、幸せにはなれません。
幸せになろうと努力しない人が、幸せになれるはずがないのです。
幸せになりたかったら、"幸せの種"を蒔かなければなりません。
"幸福"という植物は、とても育ちにくい植物です。
ちょっと手を抜くと、直ぐ枯れてしまいます。
だからこそ一生懸命育てる…そうしたら芽が出てくる。
一生懸命育てて芽が出てきたら…最高に嬉しい…幸せを感じると思うのです。
いずれ花が咲くことを楽しみにして、丹精込めて育てるのです。

誰が育てても 、 何もしなくても育つような植物だったら 、  花が咲いても感動しないし 、 幸せなど…何も感じないでしょうね。
幸せは、努力した人だけが…努力した人だけに、与えられるものでしょうね。

2008年02月19日

私とスキー

■志賀高原スキー

16~17の土・日、スキー同好メンバー4人で、志賀高原へ遠出した。
初日は青く晴れ上がり、最高のコンディション。
聞くと、昨日までの3日間に、新雪が3メートルも積もったという。

今年初滑り。存分に滑って、焼額山スキー場からリフトを乗り継いでの帰路、
ゴンドラが故障して動かない。思わぬハプニングで5時を回ってしまい、リフトもストップ。
仕方なく、シャトルバスで発哺へ…旅館に迎えに来てもらった。

志賀高原パノラマ・アウトコース

[パノラマ・アウトコース]

土曜の夜も30センチの積雪。
ゲレンデの圧雪が間に合わない。
2日目は、フカフカの新雪に加え、 横殴りの 雪が降り止まない…。

視界はさえぎられ、顔や手はかじかむ、
スキー板は雪に引っかかる…で、
予定を1時間繰り上げ、温泉に浸かって帰路についた。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 212】
「私とスキー」

カービンスキーの時代になって、スキーは、中高年から始めても、楽しめるスポーツ
になった。長くて直線的な従来の板だと、向きを変える際に、脚の特殊な動きや、
難しい姿勢が必要でした。
カービンスキーは短く、両端が太く膨らみ、中央がくびれていて、しなりや、ねじりが生まれ、体の向きを変えるだけで板の方向が変わり、 無理なくターンできる。
スキーは、重力を利用して滑るため、強い筋力を必要としません。
長時間の屈伸運動がほどよい運動になり、俊敏性を養う。
丸一日自然と戯れながら、楽しく体を鍛えることが出来る…運動不足になりがちな
中高年に、もってこいのスポーツである。
晴れ渡ったゲレンデを、真っ白に輝く北アルプスの山々を遠望しながら、
薄っすらと汗ばみ、美味しい空気を一杯吸って、右に左に滑降を楽しむ…
浮世のストレスから解き放たれ、身も心もすがすがしい。

毎年出かける志賀高原…夕暮れホテルに戻り、露天風呂に首までつかり、
ほどよい疲れを癒す…その後のビールの美味いこと。
今は昔と違ってリフト待ちがなく、1日たっぷり、心地よく滑れる。

私のもう一つの趣味、スキューバーダイビングはハードだ。
若い人とバディを 組み、一日に4本潜ることもよくある。
海のアウトドアーは疲れる。潜っていて、途中で疲れたから、トイレに行きたくなったからと、グループを抜け出すわけにはいかない。
海中にいて、トイレが近いのも困るが、運動不足で足がケイレンしたら、尚大変。
一緒に潜っている仲間に、迷惑はかけられない。足腰を鍛えておかなければ出来ないスポーツである。

本格的にスキーを楽しむようになったのは、50に届く歳になってから。
スキューバを続けるには、冬の間に足腰を鍛えておく必要がある。
スキューバ仲間が冬にスキーをやる…一里野や新穂高へ、仲間とよく出かけた。
54歳の春、上越アライへ春スキーに出かけ、コブに足を取られて転倒…骨折。
翌々日、入院を断って、ギブスで固めた足をひきずり、松葉杖で大坂出張という
無茶をやった。
ギブスを外した後も何故か、足首は引きずったまま…8月初め、業を煮やして県立中央病院へ行った。
「歩いてきたの?」と先生 … 『ハイ』 … 「アキレス腱が切れています。よく歩いて来られましたね…4ケ月も… 気づかなかったのですか?」
切れたアキレス腱が、モモの上部に団子になって丸まり、癒着していた。
直ちに入院・手術。手遅れなら、肩から"腱"を移植する予定だったという。

町医者のヤブめ!何ヶ月も通院したのに、気づかなかったとは…。
遠赤外線を照射し、歩行練習を繰り返す毎日。
入院を断ったため、先生に見放されたのでは…と、やっかむ。
スキー下手が原因で起きた事故。50半ばの年齢を思えば、スキーは止めるべきだった… が、11月、スキー同好会に入会… まだ治りきらない翌年の1月下旬、同好の皆さんと
八方尾根へ。スキー教室にも入った。

今年もスキューバーをやりたい…足腰を鍛えなくてはと、恥ずかしくもなく、 下手なスキーに出かけている…。

 

2008年02月22日

幸せに生きる秘密(3) 幸せになる方法

どんな時にも、「ありがとう」の気持ちを…

喜ぶ・怒る・哀しむ・楽しむ…人の気持ちは日々に移ろい、変化していく。
モチベーションの高い時もあれば、自分らしさを見失ってしまう時もある。
しかし、どんな時でも、ありがとうの気持ちを持ち続けたいものです。

・喜びに溢れる時は、誰かの援助のお陰と…感謝する
・怒りを抑えられない時は、自分の努力が足りなかったからと…反省する
・哀しい時は、それが自分の人間らしさだと思い直し…頑張る
・楽しい時は、まわりへの感謝を忘れず…大いに楽しもう

「理念と経営・現場力1月号」より



【心と体の健康情報 - 332】
~幸せな人生を歩むために~
「幸せに生きる秘訣(3) 幸せになる方法」

誰もが幸せになりたいと願っている。
ところが、幸せになるための考え方や、方法が間違っていれば、どんなに努力し、どんなに幸せになりたいと願っても、 幸せにはなれないと思うのです。

以下、杉井保之氏「幸せに生きる秘訣」は、そのことを問いかけています。
3回目の今日は、幸せになる方法について考えてみます。
幸せになる方法には、2つのことが考えられます。
1つは「幸せになろうと努力すること
2つ目は「今の幸せを味わうこと

1つ目の「幸せになるために、何をどう努力すればいいか?」については、私のブログのカテゴリーから、 「 幸せな人生を歩むために 」 を開いて、 読んでいただければ、 何か掴めるのでは…と思います。

2つ目の「今の幸せを味わうこと」については、「幸せに生きる秘訣」で、以下のように語っています。

今の日本の子ども達…1人部屋にこもって、ゲームやパソコンに没頭し、好きな音楽を聞き、 友だちとはメールや携帯で話す…。

何故、1人がいいのだろう?
理由を聞くと、「友達は嫌いではないが、一緒にいると疲れる」と言う。
社会が豊かになり過ぎたせいか、今の子ども達は「人に支えられている」という感覚が薄い。
まるで自分1人で生きているような、錯覚に陥っている…。

お父さんが汗して働き、 お母さんが毎日食事を作ってくれているから、 今の幸せがあり、 幸せに暮せるのです…そのことに気づいていない。
懸命に自分を育ててくれた両親に感謝しありがとうと、 面と向かって親に言う子は、まれである。
それどころか、親に文句を言い反抗する。
幸せなのに、幸せの中にいる自分に気づいていない。
何れ、両親のどちらかを失った時、初めて、幸せだったことに気づくのです。

以下、「理念と経営1月号/現場力」から… 経営学者ピーター・ドラッカーは、
「人間は大昔から、仲間をつくるために働いている」と言っている。
人間の最大の欲求は、食べることではなく、「集団の欲求」なのです。

人間は食べ物がなくても、しばらくは生き延びられます。
しかし「集団の欲求」が満たされないと、いろいろな問題や障害を引き起こします。
この「集団欲」を満たしてくれるのがコミュニケーションです。
人間関係、コミュニケーションは…思いやりの気持ちを表す"挨拶"から始まります。
ありがとうは、 人の心を動かす魔法の言葉です。
ありがとうは、 人間の最大の喜びの表現です。
ありがとうを言うことで、 つい慢心しがちな自分を、謙虚な自分へと導いてくれます。
ですから、家族のふれ合いで、事あるごとに"ありがとう"が飛び交う環境を、育んでいきたいものです。

2008年02月26日

ヘブン・ありがとう

■ことば遊び/ジョーク「犬」

~見栄~
「お肉屋さん、ステーキにするの、最高のところ1キロ2枚に切ってちょうだい」
隣の奥さん
『犬の餌にするので、一番安いところ100グラム、コマ切れにしてちょうだい』
すると、連れていた子ども…
「ママ、うちに犬なんかいないよ、いつから飼うの?」

~心配ごと~
「あら奥さん、心配そうな顔して…どうしたのよ?」
『主人が犬を捨てに行ったきり、帰ってこないの…』
「遠くへ捨てに行ったんでしょう、心配することないわ」
『でも…』
「何なの?」
『犬はとっくに帰ってきているのよ』


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 213】
「ヘブン・ありがとう」

我が家のビーグル犬、名前はヘブン。家族の一員に加わったのは13年前。
それまで妻は"犬"恐怖症…見た目におとなしい犬でも、恐くて近寄れなかった。
カナリヤを飼ったときも、餌の交換が怖い…。ゴキブリを見つけたら大騒動…。
生き物は何であれ、恐かったのです。

当時娘は、アメリカに留学していた。生後間もないビーグル犬を、アパートの一室で飼い始めた。子犬は、娘が学校に行っている間、 キャンキャン泣き、隣人から苦情が出た。
ヘブン
動物を飼うのは契約違反…と、大家から立ち退きを命ぜられた。
「飼えなくなったので…」と、処置に困った娘…国際電話で泣きついてきた。それが縁で、はるばるアメリカから、 我が家にやって来たのです。
10日間検閲に留め置かれた後、小松空港へ引き取りに行った。狭いゲージに押し込められ、痩せておしっこまみれ… 哀れな姿での初対面となった。
犬が怖いはずの妻…愛くるしくシッポを振る子犬を見て、思わず抱きしめていた…(つい今しがたまで犬嫌いだった妻)… わからないものです。
その日から、ヘブンが家族の一員になった。
毎日が癒される日々…ヘブンがいると、家族みんなが和む。
一緒に散歩するのが楽しくて、ヘブンを連れて、夫婦で出かけることが多くなった。
夫婦喧嘩をすると、ヘブン、自分が叱られたと勘違いし、妻の足元で「クゥン…クゥン…」と摩り寄り、ご機嫌を取る…いつしか、 夫婦喧嘩もしなくなった。

そのヘブンも…寄る歳には勝てず、昨年の1月中旬、突然ケイレンを起こし、口から泡を出して倒れた。
医師に見せたら、「数日持つかどうか…このまま入院させ、預かりましょう」
どうせダメなら…家で死なせてやろうと、連れて帰った。

妻と交代で、寝ずの看病が十日あまり続いた。
しょっちゅう外れる点滴の管を付け直し、アガリクスを混ぜた餌を与え、看病した。
お陰で、家の中を歩き回り、階段を上り下りできるまでに、回復した。
それから一年、何度も倒れながら、ヘブンは頑張った。
"生きよう"とする執念はすごかった。

倒れた後の一年間、大好きな散歩をやめていたヘブン。12月下旬の暖かい日、八日市の公園へ散歩に連れ出した。
あっち…こっち…と、嬉しそうに臭いをかぎ、30分くらい歩きまわって、大きなウンコをした。
それがへブンとの最後の、楽しい思い出になった。

いよいよ、お別れの時がやって来た。
正月の二日、家族に看取られ、眠るように天国へ行った。
ヘブンと過ごした十数年…長野や岐阜での一泊旅行、松本城や善光寺を歩いた思い出。
小布施にも行った。嬉しそうに足を踏ん張り、首紐を引っ張るヘブン。
思い出をいっぱい残して、天国へ行った。ありがとう…ありがとう…ありがとう

2008年02月29日

NHK土曜ドラマ「フルスイング」

■「可能性思考研修・基礎コース」再受講

先週、大坂N経営研究所の「可能性思考研修基礎コース」を再受講した。
この研修、12年前に1度修了している。今回は2度目…なのに新鮮だった。
前回気づくことのなかった沢山の気づきを頂いた…素直に受け入れることができた。
感動しっぱなしの3日間だった。

1度しかない人生…
「どうしたら幸せになれるか?」
「どうしたら夢やビジョン、目標が達成できるか?」…
誰もが幸せになりたいと願っている。が、幸せになるための考え方や、方法、
行動が間違っていれば、どんなに努力し、どんなに幸せになりたいと願っても、
幸せにはなれない。

何か新しいことにチャレンジする時、「よし! やるぞ~!」という思いと、
「やめとけ、やめとけ…今更頑張ったところで、しんどいだけや」という思いが、
心の中で綱引きする。
「幸せになりたい…なのに自分の中に、それを妨げようとするものがある」
「心の奥底で、足を引っ張るマイナスの観念とは…何か?」 

プラスの観念とマイナスの観念 、 そのどちらが強いかで 、  人生の方向が天と地ほど違ってくる。 3日間の研修から、今まで気づかなかった、新しい自分を発見するのです。



【心と体の健康情報 - 333】
~幸せな人生を歩むために~
NHK土曜ドラマ「フルスイング」

先週まで、6週に渡り放映された、NHK土曜ドラマ「フルスイング」。
見応えのある、心にしみるドラマだった。
ドラマのモデルになった高畠導宏さんは、プロ野球の打撃コーチとして30年間七つの球団を渡り歩き、「教える」 ことに人生の全てを捧げた実在の人物です。
育てたタイトルホルダーは、落合、イチロー、小久保、田口など、延べ30人に及ぶ。
58歳の還暦間近…突然球団から解任された。
その後、セ・リーグの球団から誘いがあったが断って、一念発起、翌年の平成15年、59歳で高校の教師になった。
福岡県の私立進学高校へ…社会科の新米教論として、単身赴任したのです。
教師経験のない高畠さん…
臆することなく、30年のコーチ人生で培った優れた " コーチング力 " で 、 悩める思春期の子どもたちと、現場の教師たちを大きく変えていった…。
ドラマで高畠さんを演じた、俳優"高橋克実"(トリビアの泉の司会で知られる)さんのド迫力演技は、 見ている私をドラマの中に引きずり込んでいく…。

ドラマで、自ら悩み、迷い、葛藤する姿…高みから何かを教えるのではなく、「 生きる力 」 を伝えようとする熱意…「俺だけの先生」 「私だけの先生」と、子ども達に思わせる、 「 好きにならずにはいられない 」教師がそこにいる…。

高畠先生…毎朝、校門の前に立ち、登校してくる生徒一人ひとりに声をかける。
生徒の表情から、心の浮き沈みや、体調の良し悪しを掴み取ろうとする…。
ドラマを見ている私たちの心を捕らえて離さない、高畠先生の人間性、魅力。
挫折だらけの人生だったからこそ、 挫けそうな選手や子ども達を必死に応援し、  支えようとしたのではないでしょうか…。

このドラマで、「本気」とは何かを教えている。
どんなに大きな「夢」「志」があっても、本気でなければ、叶うものも叶えられません。
本気で取り組むことの大切さを…すばらしさを…教えてくれるのです。
テレビの前の私に置き換えたとき、どれたけ本気で物事に当たっているか?…
はなはだ心もとない。

高畠さんは、教師になってわずか1年後に、すい臓ガンで倒れた。
入院3ヶ月、志半ばで永眠。
つむじ風のように吹き抜けていった。先生の" 志 "は、同僚の先生方に受け継がれ、残っていくのです。

「フルスイング・ホームページ」から

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