■※橋本佐内の「啓発録」
橋本佐内は幕末の福井藩士。藩主松平慶永の側近として、藩校の学監をしたり、藩政改革に当たったりした。積極的攘夷開国論者で、
将軍継承で慶喜擁立に活躍。
反対派井伊大老のため、若年26歳にして吉田松陰と共に、安政の大獄で処刑された。
左内15歳のとき、これから後の自らの生き方を明らかにする戒めとして、以下の五項目を文章に書き記した。
「稚心を去る」 | 子供じみた心を取り去り |
---|---|
「辰気」 | 気力を養い |
「立志」 | 向上心を持ち |
「勉学」 | 勉学を怠らず |
「択交友」 | 自分を戎めてくれる友人を持つ |
これは「啓発録」として納められ、
左内の思想や生き方の根幹を成す名文として、後世に名を残すことになる。
それにしても、若干15歳にして、これほと格調高く、高貴な精神を書き記すとは、他に例を見ない。西郷隆盛をして、「友として最も尊敬する」
と言わしめた、幕末福井藩の偉人です。この「啓発録」、一度は読んでおきたいものです。
【心と体の健康情報 - 321】
~子育て心理学~
「教育は、訓練し鍛えることである(2)」
2~3歳の頃から、徹底してものを教えることで、私達が通常持っている常識を遥かに超えた能力が身につくようになる。 最近スポーツ界、芸能界で活躍している人たちで、そうした英才教育で開花した人達を数えたら、きりがない。
致知十月号に、農業の傍ら自宅の納屋を改築して保育園を開き、園児たちに「古典の素読」を実践している特集記事が載っていた。
朝三十分の素読。
意味を教えたりはしない。解説を加えることもない。園長さんが先に朗誦(ろうしょう)する。
子供たちが後について唱和する。
「※禊祓詞(みそぎはらひのことば)」「※修証義(しゅうしょうぎ)」「般若心経(はんにゃしんぎょう)」、
それに本居宣長などの「和歌」、美輪執斎(しっさい)の「憤」などを唱和する。
恥ずかしいことに、そうした書物に目を通しても、私には何のことやらさっぱり分からない。
自分にも分からない難しいことを、2歳や3歳の子に教えて何になると、一蹴してしまいそうです。
毎日の繰り返しが驚くべき力を発揮する。一年もしないうちにどの子も、古今の名言をすらすらと朗読するようになった。 それだけではない。新しく入ってきた子は、年上の子に倣(なら)って、朗読するようになる。そして、 いつか漢字まじりの原文を読み書きするようになり、意味を理解するようになるのです。
身近な例では、「仕事と人生」を著した川人さんの長男昭徳君。幼稚園児の頃、家族全員、数分間黙祷(もくとう)した後、
「論語の素読」を毎朝の日課にしていた。
数ヶ月前、川人さんのご家族と食事を共にした時、昭徳君は小学校5年生になっていた。
昭徳君におねだりして、論語をそらんじてもらったところ、すらすらとお経を唱えるように、口から論語が出てきたのです。
話を元に戻して、平成15年11月、園長先生が亡くなられた。園児を代表して6歳の子供が読んだ「お別れの言葉」です。 6歳の子が自分で考え、自分の手で、大人たちの手を借りずに書きあげた文章です。
お別れの言葉 園長先生、吉田歩末の声が聞こえますか。2歳10ヶ月の時、丹養塾幼稚園に入園してから、漢字、算盤、諺
(ことわざ)、俳句、花園文庫、伝記、少年日本史朗誦選集など、園長先生には沢山の事を教えて頂きました。
それから園長先生は色々な所に連れて行って下さいました。北海道巡歴研修で、クラーク博士の像の前で、 「青年と大志」を朗誦した事、青森駅のデパートの軒先で野宿をした事、北陸巡歴研修で、永平寺で坐禅をした事、※ 橋本佐内の銅像の前で"啓発録"を読んだ事…、沢山の楽しい思い出があります。 他にも、親子教室甲山の遠足、運動会、お餅つき、立志集、卒園式、小音楽会、桃太郎の劇など、 園長先生に教えて頂いた素晴らしい思い出が沢山出来ました。 これから園長先生は天国へ行って、私たちのことを見守っていて下さい。私たちは、 園長先生に教えて頂いた事をいつまでも忘れず、深くさぐって、強く引き出す人になります。そして、 この世に役立つ人になります。園長先生ありがとうございました。 平成15年11月23日 |
この格調高い文章を、小学校に入る前の6歳の幼児が作文したのです。
大人でも難しいことを、4~5歳の幼稚園児が学び、理解し、身につけているのです。
幼児教育を考えるとき、私たち大人は、まず「あいうえお…」の簡単な文字から教え、徐々に難しい漢字を学ばせていく。
このような教育のあり方に、何の疑問も抱かずにきた私。皆さんはどう思われるでしょうか?
※「禊祓詞(みそぎはらひのことば)」
神社参拝の時に唱える。
本文「高天原に神留坐す 神魯岐神魯美の命以て 皇御祖 神伊邪那岐命…」
※「修証義(しゅうしょうぎ)」
曹洞宗の開祖、道元の「正法眼蔵・95巻」から、特に在家への布教を念頭に置き、
重要な点を抜粋し、全5章31節にまとめたもの。
第一章「生を明らめ死を明らむるは仏家の一大事の因縁なり、生死の中に仏あれ
ば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死なしと厭ふべきもなく…」