■安岡正篤「素読の心得」
素読とは、よい文章、ためになる文章を、あたかも川の流れのような素直な気持ちで、朗々と読むことであります。
一体学ぶということは、ただ単に講義を聴き、書物を読んで、それを大脳の表皮細胞に記憶するということだけではありません。
全身の全細胞の変化によって、人間の調子を変え、その人柄をも変化させるところまで行かねばなりません。
それを私どもは「我づくり」と申しますが、そのためには、何らかの"行"を積まねばなりません。それが、
古来より行われているところの「素読」なのです。
神社における"祝詞奏"や、仏教の"読経"などは、その一つと見てよいでしょう。
それはただ、散文的に読み下すだけのものではなく、生命の律動に乗せて、リズミカルに読むのであります。
それが文の内容と共に、自ら心身の調子に影響を与えて、「我づくり」に役立ってくるものでありまして、こういうところから「我づくりの行」
として、"素読"を行うものであります。
ですから素読をもって、解釈や講義よりも"程度の低いもの"、などとしてはなりません。
【心と体の健康情報 - 315】
~古典から学ぶ~ 孔子の教え(12)
「人は、学問修行によって、みな立派な人間になる」
「子曰く 性 相(あい)近きなり 習い 相遠きなり」 (陽貨第十七)
「先師が言われた。人の生まれつきは大体同じようなものであるが、
しつけによって、大きくへだたるものだ」
よい行いをしてこれを身に付け、かつ学問修行していけば、みな立派な人間になる。人は誰でも心がけによって、立派な人間になれる、
と孔子は考えていた。
「女(男)は、女(男)として生まれたから女(男)になるのではなく、女(男)として育てられたから女(男)になる」。
フランスの有名な女性作家が言った言葉です。
人は、生まれ育った環境の影響を受けて育ちます。方言や食習慣などがその良い例です。これは意図しない教育です。それに対し、
親や教師が意図的にしつけ、教え、導いていく教育があります。
いずれも人間形成に大切なものです。
1920年、オオカミに育てられ、救出されたインドの姉妹。牧師夫婦に引き取られ、人間に必要な教育を試みたが、
生涯オオカミのままで、人間になることはなかったという。
人間を動物として見たとき、人間というのは実に変り種で、面白い動物です。
なぜなら、人間以外の動物には、教育は関係ないからです。
教育をしてもしなくても、猫はあくまで猫です。猫は自ら学問をして、偉くなろうと思わないし、猫が教育によって、
人間になったりすることはないのです。
「人間は、人間によって、人間らしく教育されてこそ、人間になるのです」そういった教育は、幼ければ幼い時ほど効果がある。
人生の初期に、環境が悪かったり、悪い教育を受けると、大きくなってからの矯正は困難になります。猫は猫にしかなれないのに、
人間は環境によって狼にでも、オラウータンにでもなれる…。高度に発達した"脳"があるからです。
三つ子の魂百までといいますが、人間は三才ころまでに一生を左右する回路が形成され、それが、 マイクロチップのように埋め込まれて、その人だけの人間性の基本の部分が形成され、一生を支配するのです。
田舞徳太郎「幸せの心理学」より
最近頻発する親殺し、子殺し。「命を育むことの大切さ」「この世に一つの、かけがえのない命」「人を思いやる心」といった、 「命とは…」「生きるとは…」について、幼いころに繰り返し教えておかなければならない…。