■私の好きな言葉 < ユダヤの格言 >
人は転ぶと 坂のせいにする
坂がなければ 石のせいにする
石がなければ 靴のせいにする
人はなかなか 自分のせいにはしたがらない
日頃の私たちの姿勢を痛烈に皮肉った言葉です。
「世の中が不景気だから儲からない」とは、よく耳にする言葉です。
そう言って、問題を他人のせいにしている間は、何一つ解決しないでしょう。
正面から問題に取り組もうとしないから、いつまでたっても、問題は解決しないのです。
自分にそんな言動があれば、反省しなければならない。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 195】
「右側通行、左側通行」
東京へ出張した折、いつも戸惑うのは、地下鉄のつなぎ道路を歩く時。
ほとんどの人が左側を歩く。
右側通行を守ろうとしたら、前からどんどん人が来て、その間を縫うように歩かなければならない。
田舎者の私は、人にぶつかりそうになり、危険すら感じる。
右側を通行する人は、間違いなく少数派である。
地下鉄を降りて、改札口へ上る階段。
狭い階段に、一時的に乗降客が殺到する。
安全でスムーズな乗降を促すため、階段の中ほどに手すりが設けられている所がある。
その手すり、4対1で電車を降りて階段を上るお客様のために、左側を広く取ってある。
階段上りのエスカレーターが、階段の左端に位置しているように、駅の構造が階段も通路も、左側を歩く人に便利なように、
設計されているのです。
なのに何で、日本は世界では少数派の「右側通行」を採用したのか?
その疑問を解き明かそうと、ネットを開き情報を収集した。
■まず江戸時代の諸説。
右側通行説…武士は左側に刀を差している。
前方から来た武士に、抜き打ちざま切られないようにする
ために、右側通行が守られていた。
左側通行説…武士は左側に刀を差している。
右側を通行すると、刀の鞘(さや)と鞘がぶつかるおそれが
あるため、左側を歩いた。
車が道路の主役になる以前は、人がどっちを歩こうが、いっこうにお構いなし…。
と、思うのだが、左側を歩く人が一般的に多かったようです。
■明治14年、警視庁通達で、人は左側を通行するようにと、告知された。
■占領下の昭和22年、道路交通取締法が制定され、「人も車も左側通行」と決められた。
■昭和24年改正で、「人は右、車は左」の対面交通が取り入れられた。
「人が、後方から来る車に引っ掛けられることが少なくなる」という理由から、
この年、道を歩く時は、左側通行から右側通行に改正されたのです。
米国の交通ルールに習えば、「人は左、車は右」になる。
しかし、当時の庶民の交通機関はバス。
日本の乗り合いバスは戦前から右ハンドル、左乗降になっていた。
出入り口を逆に付け直す必要があるのと、ハンドルも左に付け変えた方が、乗り降りが便利。
当時の日本の経済力では、アメリカ方式の採用は無理と、「人は右、車は左」になった。
この時、習慣になっていた左側通行を改め、右側通行に変更されたのです。
ちなみに、「人は右、車は左」を採用する国は少数派。
英国と英国の植民地だった国々、マレーシア、タイ、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどです。