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2007年10月 アーカイブ

2007年10月02日

大腸ガン検診

■他の為に働き続ける細胞

私たちの身体は、60兆もの細胞がそれぞれの役割を果たして、一つの命になり、身体をつくっている。
その細胞どれ一つとっても、他のために働き続けているのです。
心臓の細胞は、ひと時も休まず、血液を全身に循環させようと頑張っているし、肝臓も腎臓も、人が寝ている間も休まず、 与えられた役割を果している。

そんな中一つだけ、自分の為だけに働いている細胞がある。"ガン細胞"である。

ところで私たち、自らの行動を振り返って見て、人の為に働いているだろうか?
それとも、自分の為だけにせっせと働いているのだろうか?
"ガン細胞"のような人間にはなりたくない。
「人のお役に立つ」、そんな人間でありたい。



【心と体の健康情報 - 313】
~食と健康~ 「大腸ガン検診」

我が社の社員さん。
56歳の義兄が肺ガンで、叔父がすい臓ガンで、相次いで他界した。
何れも、変調に気づき病院に行った時は、既に手遅れだった。
人の命のはかなさにショックを受け、落ち込んでいる。

ガンは、一個の小さな細胞が、20~30年の歳月をかけて、発見可能な大きさに増殖する。
しかし、その間症状が現れることはない。
症状に気づいたときは、既に転移していて、助からないという場合が多いのです。
ガンは厄介な病気です。
毎年欠かさず検診を受けて、助かる確率を高めていくしかないのです。

食生活の欧米化に伴い、急速に増えてきている大腸ガン。
ここ20年で4倍に増えた。
大腸ガンは、便の中に血が混じっていないかを調べることで、簡単に発見できる。
早期に発見すれば、9割の人が助かるのです。
ところが検診を受ける人は、100人中わずか16人。
普段、何でもないのに病院へ出かける気にならないのが本音…。
具合が悪くなってから検診を受けても、間に合わないのです。

NHK・TV「生活ほっと」より

私は、毎年9月にカメラを上と下から入れ、食道と胃、腸の検診を受けている。
始めてから、今年で15年になる。
1ミリ大のガンを発見してくれるPET検診は、この9月に検診を済ませたばかり。
毎年欠かさず、今年で5回になる。
18歳から約40年間タバコを吸ってきた私。
肺ガンが怖くて、検診を受けるようになったのです。

私の子供の頃は"検便"があった。
マッチ箱に便を入れて、学校へ持っていった。
当時は回虫が多かったので、便の検査をしたのでしょうが、大人になって忘れてしまっていた。
無症状の初期の大腸ガン。
目には見えないごく微量の出血であっても、"検便"からガン細胞が発見される。
この時期の早期発見であれば、お腹を切開せず、内視鏡で簡単にガンを切除してしまう。

只、"痔"の出血と区別がつかない。
検診の結果、血が混じっていれば"陽性"と扱われる。
ところが、"陽性"と言われた人の4割が、その後の精密検診を受けないという。
「カメラを飲むのが嫌」という人が多いが、今は麻酔で、眠っている間にすべて完了。
飲んだ記憶もなく、痛くもなんともない。
(口に麻酔液を含まされて、内視鏡を挿入し、空気を送り込まれる時の苦しみは、最新医療技術の病院では、昔話し…)

昨年検診の後、主治医から
「ポリープがあったので、内視鏡で切除しておきました」
と言われた。
「あ~そうですか、ありがとうございます??」
眠っている間に切除したのです。
窓口で支払いする時、
「今日は"手術"をしたので、保険請求されたらいいですよ」
と言われ、手続きをしたら、保険金が12万円、口座に振り込まれた。
ラッキー!儲かったような気がした。
スキューバダイビングの海外遠征資金にと、ありがたく使わせていただいた。

2007年10月05日

落語・火炎太鼓

■ことば遊び。

今日は、私が言うとバカにされる「おじん駄じゃれ」あれこれ。

「かけっこするから運動場貸して…」 『うん、どうじょ!』
「坊さんが通っていくよ…」 『アッ僧!』
「この帽子はどいつんだ…」 『オランダ!』
「何つくってんの? 生垣かい…」 『へい!』

・私が幼かった頃、祖母が私を膝の上に抱きながら、「長いなが~い」
 お話をしてくれました。
 「昔むかし、天から長いなが~い縄が降りてきた。
 長いなが~い、とても長~い長縄だったそうな。
 それを登っていったんだそうな。
 登っても登っても、登っても登っても、終りがなかったそうな…。
 おしまい」

くだらないって……だから私はバカにされるのです。

・今度は、孫を相手に「ほんとのお話」。
 「昔々或るところに、男の人がいました。
 その人の口の中には歯が一本もありませんでした…。
 これがほんとの"歯無し(話)"です」



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 194】
~ことば遊び~  「落語・火炎太鼓」

たとえ、おじん駄じゃれと笑われようと、咄嗟(とっさ)にだじゃれが出るようなら、それは最高。
会話が弾み、笑いに包まれた時、自然と湧いてくるのが駄じゃれ。
落語は、最後の絶妙の"落ち"が、すべてを決める。
日ごろの何気ない会話で、ひょいと出る「おじん駄じゃれ」。
これも、会話を盛り上げ、会話を楽しむ心がなければ出来ない芸当です。

♪おまえさんほど商いの下手な人はいない。とべつ女房に愚痴を言われる道具屋の甚兵衛。
市で太鼓を買ってきたと言って、またしてもあきれさせた。

「太鼓はお祭り前とか、初午(はつうま)にしか売れない際物だから、また損をしちまうよ」
と言って、女房は馬鹿にしたが、汚い太鼓が一分(一両の四分の一)だと知って、まる損だと吐き捨てた。甚兵衛は気にもとめない。

小僧の定吉に、ほこりまみれの太鼓をはたかせると、「ドンドンド~ン」いい音がする。
「今、太鼓を叩いたのはその方の店か?」と、侍が訪ねてきた。
駕籠(かご)で通り合わせたとき、太鼓の音を耳にした殿様が、「どんな太鼓か見たい、屋敷に持参せよ」と言うのだ。
甚兵衛は喜んだが、駕籠の中で聞いた音だけではわからないと、女房は半信半疑である。
金蒔絵(きんまきえ)でも施した立派な太鼓だと思っているところに、ススの塊りのようなものを持っていけば、 どんなお叱りを受けるかしれない。
「欲を出さないで、仕入れた値で売ったら、逃げておいで」と言って、送り出した。

さて、太鼓を担いで甚兵衛はお屋敷へ。
『汚い太鼓です』と念を押し、恐る恐る差し出した。
ところが殿様は大変な気に入りようで、お買上になるという。
値を聞かれて『一分』と答えようとしたが、舌がもつれ『え…いち…』と言いかけると、「かまわん、手いっぱい申してみよ」と言われ、 『十万両…』。
「それは高すぎる」
『手一杯ですから、いくらでもおまけしますよ。値切ってください。いくらでもまけますから…』
結局、三百両で話がついた。
三百両、小判五十両包み6つだよ。
「よいか、まず五十両」 『へい、五十両』
「百両…、百五十両…、二百両だ」 『すいません、水ぅ一杯ください』
なぜあんなに汚い太鼓が三百両もするのか?
実は、あれは"火炎太鼓"という大変な銘器だったのです。

『いま、帰ったぞ』
甚兵衛は三百両を懐に、喜び勇んで店に戻ると、女房に報告した。
が、女房は信じない。
「追っかけられてきたんだろう?早く、天井裏に隠れておしまい」

甚兵衛は、懐から小判を出した。
信じられない面もちの女房を前に、金包みを広げる甚兵衛。
五十両…百両…百五十両までいったところで、女房が「水一杯おくれ」
『おれは二百両のところで飲んだ…どうだ、全部で三百両だぞ』
「お前さんは商売上手だねえ」と、女房も大喜び。

「お前さん、これからは音のするものに限るねえ…」
『そうだとも、今度は半鐘(はんしょう)を仕入れて、叩くよ』
「半鐘…半鐘はいけないよ、おジャンになるから…

2007年10月12日

右側通行、左側通行

■私の好きな言葉 < ユダヤの格言 >

  人は転ぶと   坂のせいにする
  坂がなければ 石のせいにする
  石がなければ 靴のせいにする
  人はなかなか 自分のせいにはしたがらない

日頃の私たちの姿勢を痛烈に皮肉った言葉です。
「世の中が不景気だから儲からない」とは、よく耳にする言葉です。
そう言って、問題を他人のせいにしている間は、何一つ解決しないでしょう。

正面から問題に取り組もうとしないから、いつまでたっても、問題は解決しないのです。
自分にそんな言動があれば、反省しなければならない。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 195】
「右側通行、左側通行」

東京へ出張した折、いつも戸惑うのは、地下鉄のつなぎ道路を歩く時。
ほとんどの人が左側を歩く。
右側通行を守ろうとしたら、前からどんどん人が来て、その間を縫うように歩かなければならない。
田舎者の私は、人にぶつかりそうになり、危険すら感じる。
右側を通行する人は、間違いなく少数派である。

地下鉄を降りて、改札口へ上る階段。
狭い階段に、一時的に乗降客が殺到する。
安全でスムーズな乗降を促すため、階段の中ほどに手すりが設けられている所がある。
その手すり、4対1で電車を降りて階段を上るお客様のために、左側を広く取ってある。
階段上りのエスカレーターが、階段の左端に位置しているように、駅の構造が階段も通路も、左側を歩く人に便利なように、 設計されているのです。
なのに何で、日本は世界では少数派の「右側通行」を採用したのか?
その疑問を解き明かそうと、ネットを開き情報を収集した。

■まず江戸時代の諸説。
 右側通行説…武士は左側に刀を差している。
          前方から来た武士に、抜き打ちざま切られないようにする
          ために、右側通行が守られていた。
 左側通行説…武士は左側に刀を差している。
          右側を通行すると、刀の鞘(さや)と鞘がぶつかるおそれが
          あるため、左側を歩いた。
 車が道路の主役になる以前は、人がどっちを歩こうが、いっこうにお構いなし…。
 と、思うのだが、左側を歩く人が一般的に多かったようです。

■明治14年、警視庁通達で、人は左側を通行するようにと、告知された。
■占領下の昭和22年、道路交通取締法が制定され、「人も車も左側通行」と決められた。
■昭和24年改正で、「人は右、車は左」の対面交通が取り入れられた。
 「人が、後方から来る車に引っ掛けられることが少なくなる」という理由から、
 この年、道を歩く時は、左側通行から右側通行に改正されたのです。

米国の交通ルールに習えば、「人は左、車は右」になる。
しかし、当時の庶民の交通機関はバス。
日本の乗り合いバスは戦前から右ハンドル、左乗降になっていた。
出入り口を逆に付け直す必要があるのと、ハンドルも左に付け変えた方が、乗り降りが便利。

当時の日本の経済力では、アメリカ方式の採用は無理と、「人は右、車は左」になった。
この時、習慣になっていた左側通行を改め、右側通行に変更されたのです。
ちなみに、「人は右、車は左」を採用する国は少数派。
英国と英国の植民地だった国々、マレーシア、タイ、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどです。

2007年10月16日

孔子の教え「人は学問修行によって、みな立派な人間になれる」

■安岡正篤「素読の心得」

素読とは、よい文章、ためになる文章を、あたかも川の流れのような素直な気持ちで、朗々と読むことであります。
一体学ぶということは、ただ単に講義を聴き、書物を読んで、それを大脳の表皮細胞に記憶するということだけではありません。 全身の全細胞の変化によって、人間の調子を変え、その人柄をも変化させるところまで行かねばなりません。

それを私どもは「我づくり」と申しますが、そのためには、何らかの"行"を積まねばなりません。それが、 古来より行われているところの「素読」なのです。
神社における"祝詞奏"や、仏教の"読経"などは、その一つと見てよいでしょう。

それはただ、散文的に読み下すだけのものではなく、生命の律動に乗せて、リズミカルに読むのであります。
それが文の内容と共に、自ら心身の調子に影響を与えて、「我づくり」に役立ってくるものでありまして、こういうところから「我づくりの行」 として、"素読"を行うものであります。
ですから素読をもって、解釈や講義よりも"程度の低いもの"、などとしてはなりません。



【心と体の健康情報 - 315】
~古典から学ぶ~  孔子の教え(12)
「人は、学問修行によって、みな立派な人間になる」

「子曰く 性 相(あい)近きなり 習い 相遠きなり」 (陽貨第十七)

「先師が言われた。人の生まれつきは大体同じようなものであるが、
 しつけによって、大きくへだたるものだ」

よい行いをしてこれを身に付け、かつ学問修行していけば、みな立派な人間になる。人は誰でも心がけによって、立派な人間になれる、 と孔子は考えていた。
「女(男)は、女(男)として生まれたから女(男)になるのではなく、女(男)として育てられたから女(男)になる」。 フランスの有名な女性作家が言った言葉です。

人は、生まれ育った環境の影響を受けて育ちます。方言や食習慣などがその良い例です。これは意図しない教育です。それに対し、 親や教師が意図的にしつけ、教え、導いていく教育があります。
いずれも人間形成に大切なものです。

1920年、オオカミに育てられ、救出されたインドの姉妹。牧師夫婦に引き取られ、人間に必要な教育を試みたが、 生涯オオカミのままで、人間になることはなかったという。
人間を動物として見たとき、人間というのは実に変り種で、面白い動物です。
なぜなら、人間以外の動物には、教育は関係ないからです。
教育をしてもしなくても、猫はあくまで猫です。猫は自ら学問をして、偉くなろうと思わないし、猫が教育によって、 人間になったりすることはないのです。

「人間は、人間によって、人間らしく教育されてこそ、人間になるのです」そういった教育は、幼ければ幼い時ほど効果がある。
人生の初期に、環境が悪かったり、悪い教育を受けると、大きくなってからの矯正は困難になります。猫は猫にしかなれないのに、 人間は環境によって狼にでも、オラウータンにでもなれる…。高度に発達した"脳"があるからです。

三つ子の魂百までといいますが、人間は三才ころまでに一生を左右する回路が形成され、それが、 マイクロチップのように埋め込まれて、その人だけの人間性の基本の部分が形成され、一生を支配するのです。

田舞徳太郎「幸せの心理学」より

最近頻発する親殺し、子殺し。「命を育むことの大切さ」「この世に一つの、かけがえのない命」「人を思いやる心」といった、 「命とは…」「生きるとは…」について、幼いころに繰り返し教えておかなければならない…。

2007年10月19日

赤福の製造日偽装事件

■赤福の家訓    「三つ余計に売るよりも、一つ残すな」

「赤福」の商品寿命はたった一日。今日作った赤福は、明日売れない。
売れ残った「赤福」は、すべてコストに跳ね返ってくる。企業にかかるコストは、お客様が負担することになる。売れ残ってコストになったら、 品質を下げるか、価格を上げるしかない。

一日に売れ残る「赤福」は、1%以下だという。
その秘密は「赤福が、お客様の後を追いかける」 システムにある。
300店ある売店の在庫を、本部のコンピューターが、ちくいち把握…。売れ残り状況を見て、随時「店間移動」を行うシステムが、売れ残り1% という、驚異的数字を可能にしているのです。

早朝、ホテルや旅館の売店に並んだ赤福は、"午前九時"を過ぎると、観光客が集まる、観光地の売店に移される。 "午後三時"を過ぎると、にぎわっていた観光地の人影もまばらになる。
売店に残った赤福は、帰りの客でにぎわう駅の売店やドライブイン、高速道路のサービスステーションに移される。そして、 その日のうちに売り切るのです。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 196】
「赤福の製造日偽装事件」

伊勢名物「赤福餅」。赤福の屋号の由来は、「赤心慶福」から。
"赤心"は偽りのない心、"慶福"はめでたいの意味で、
「まごころをつくそう。そうすることで、素直に他人の幸せを喜ぶことができる」
という赤福の経営理念になっている。
その有名ブランド赤福が、「製造日偽装」で農水省に訴えられたのです。

毎日40万個売れる「赤福餅」。その17%が解凍した「赤福餅」だった。
冷凍保存した"あんころ"…。解凍した日を製造日として、長年表示していたことが指摘され、TV・新聞に大きく報道されたのです。 「作りたて」とうたっていた点を指摘されたのだが、解凍までの工程を製造と考えていたという。

更に、今朝の新聞の一面に、「店頭で売れ残った商品を回収し、冷凍保存して、製造日を改ざんする"まき直し"をして、 再販売していることが発覚した」との記事。農水省は、今日から無期限の営業禁止処分を通知するという。

300年の歴史・暖簾を受継いで、素晴らしい経営理念を掲げ、経営革新を怠らず、地域社会に多大な貢献をしてきた赤福。 とんでもない汚点を残すことになった。
「赤福」よ、おまえもか…倫理・モラルの欠如は、社会の奥深くにまで蝕ばみ、腐敗臭がただよってくるようだ…。 明治の頃に来日した西洋人が、人に親切で礼儀正しく、倫理感に溢れた、心の美しい日本人を賞賛した記録が残っているが、 そんな節度ある折り目正しい日本人は、どこへいってしまったのだろう…。

和菓子業界。作り立ての餅菓子を冷凍保存して、作り置き出来るようになって久しい。
「品質や食感が解凍した製品でも変わらない」ことから、需要に合わせた安定供給が可能になり、全国の餅菓子製造業では、 冷凍保存は当たり前。

餅菓子は、まだ日が昇り始める前から作り始め、お店を開ける時間までに、店のケースに並べる。日持ちしない食品だけに、 その日一日売れる分だけ作っていた。
冷凍保存技術の普及で、餅菓子屋さんの商売がどれほど楽になったことか…。
友人の和菓子屋さんの話では、「賞味期限」のみ記載して、「製造日」は記載していないとのこと。それで、保健所の認可を得ていたのです。
ならば「赤福餅」、「賞味期限」のみの記載ではダメなのだろうか?

同じように日持ちしない「芝寿し」。
10月15日、当社の代理店研修会の昼食弁当は、たまたま「芝寿し」だった。表示ラベルを見たところ、「笹寿し弁当」 の賞味期限は10月15日の当日のみ。メイン商品「笹寿し」は、製造日10月15日、賞味期限は10月16日と、 翌日の日付が記載されていた。
「お弁当」は賞味期限の記載だけ、「笹寿し」は、製造日と賞味期限の両方書かれている。その違いは何だろう?

疑問を餅菓子屋さんにぶつけてみた。
帰ってきた答えは…
「今朝作った餅菓子を、店でお客さまの好みに応じてバラ売りしたり、その場で食べていただくには、「賞味期限」の標示だけでいい。 しかし、お持ち帰り用に箱詰めしたり、贈答品として販売する時は、製造月日と賞味期限を併記している。店の味と信用を守るには、 賞味期限はなくてはならない。故に、賞味期限がきた商品は、すべて廃棄処分している。」
とのことでした。

2007年10月23日

三つ子の魂百まで

■子どもの適正を見極める

「人生は片道切符だ。やりたいことをやったらいい…」
「課長・島耕作」でおなじみ、漫画家 弘兼憲史 (ひろかね けんし)氏。3年勤めた会社を辞めて、父親に報告した時に返ってきた言葉です。

幼稚園に上がる前から、毎日の出来事をクレヨンで絵を描くことが好きで、朝から晩まで描いていたという。
思えば、漫画家を志す、最初のきっかけだった気がする…。母親は教育熱心で、幼稚園の頃から、英語・ピアノ・習字・絵画を習わされた。だが、 「芸術系の科目は、結局モノにならなかった」と、苦笑する。

テストの結果など、目先の成果を追い求めるのではなく、長い目で見て、子どもにとって何が良いかを見極めることが大事です。 教える際も、あれもこれもと欲張って、スポーツや芸術、勉強など、子どもに何でもさせようとせず、 両親が得意とすることから教えていくようにする。
何歳になったら、よその子並みに、あれこれ教育を始めようと考えるより、何のために、どんな教育をするかに、視点を置くようにします。



【心と体の健康情報 - 316】
~子育て心理学~ 「三つ子の魂百まで」

人間を動物として見たとき、人間というのは実に変り種で、面白い動物です。
なぜなら、人間以外の動物には、教育は関係ないからです。
教育をしてもしなくても、猫はあくまで猫です。猫は自ら学問をして偉くなろうと思ったりはしません。 猫が教育によって人間になることはないのです。

ところが人間は、【心と体の健康情報- 315】で流したように、育ったった環境の影響で、狼になることも、オランウータンになることもできるのです。
このようなことが起こるのは人間だけです。高度に発達した"脳"が、周りの環境に影響されるのです。 いかに環境や教育が大切かがわかります。

0才児の脳の重さは325g~400g、生後六ヶ月で"倍"に成長します。
三才で825g~900g。六才になると、1100gくらいに成長します。
日本人の成人の脳の重さは、女性で1250gくらい、男性で1400gくらいです。
脳は、三才くらいまでに、驚くほど大きく成長していきます。

人間の体は、成長とともに筋肉も骨も、内臓も大きくなり、重さを増していきます。成長に合わせて細胞が増えているからです。 ところが、脳は違うのです。
人間の脳細胞は、生まれたときから約140億個で、以後その数に変化はないのです。
ではなぜ成長とともに脳が重くなっていくのかと言うと、脳は外部から刺激や情報を得るたびに、情報を伝達する触手(シナプス) を伸ばして、回路を増やしていきます。その配線が重さになるのです。

ならば、脳が大きく重ければ頭がいいと思うと、それだけでは頭の良さにつながりません。取り込んだ様々な情報を結びつける回線が、 効果的に張りめぐらせない限り、頭の良さにつながらないのです。
だから「男性は女性より脳が重く大きいから、女性より頭が良く優れている」と思うのは大間違いです。

田舞徳太郎著「幸福の心理学・パーソナリティの形成」より

人からモノを習って、直ぐに覚え、身に付けてしまう人は、世間で言う"頭のいい人"です。
ところが私のように、何度繰り返してもなかなか覚えられず、"自分は頭が悪い"と思い込んでいる人も沢山いるのです。

そんな私も年の功…頭が悪ければ、その分、人の倍、三倍とやれば、必ず身に付くのです。要は、シナプスが大きく育つまで、 同じことを何度も繰り返えし学習すればいいのであって、頭が悪いからと、学びを諦めてしまう人間にならないことです。

2007年10月26日

国民不在…政争の具にされる国の重要法案

■「ロジャーズの法則」

インターネットは便利だ。何か知りたいことがあって検索すれば、即座に、有り余る情報を手にすることが出来る。百科事典の比ではない。

日本で、インターネットが一般に知られるようになったのは、1994年から…。
その後急速に利用者が増えて、一千万人を超えたのは1998年2月。
インターネットの利用は、わずか4年で一千万人の壁を突破している。
2年後の2000年春には二千万人を突破した。

「ロジャーズの法則」というのがある。 何か新しいものが市場に出回るとき、普及率が15%~20%超えると、急速に普及率がアップし、普及していく。
日本の15歳以上の人口の20%が二千万人。同じ年にパソコンの販売台数が一千万台を超えたことからも、いよいよ成人一人一台、 誰もがキーを叩き、気軽に利用する世の中になったのです。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 197】
「国民不在…政争の具にされる?国の重要法案」

国の重要法案が、ときに国民不在の党利党略の具にされているように思えて、不愉快である。国の将来のために、 何が優先課題かを考え、枝葉末節(しようまっせつ)に囚われず、与野党一致して、国の将来のために、事に当たってほしいものです。

今国会は、ネジレ国会。参院第一党の民主党は、すべての法案を参院で否決し、葬ることができる。 国の舵取りを委ねられている政府は、野党の主張に大幅に譲歩して、何とか国会を通過させようとする。一方の野党は、 あの手この手で廃案にしようと画策する。TVニュースを見ている私…。モヤモヤしたものが残るのは、一体何だろう…。

アルカイダなど、中東のテロ集団が野放しに拡大し、中東の石油がテロ組織の標的になり、戦略手段に使われるようなことになれば、 石油の97%を中東に依存する日本は、壊滅的打撃を受けるだろう。

国際社会が一致して「テロとの戦い」に臨んでいるとき、日本国内の事情を理由に離脱することはできない。政府・ 与党が新テロ法案の早期成立に、最大努めるのは当然として、民主党の対応も厳しく問われる。
「新テロ対策特別措置法」は、海自の給油・給水活動に限定するという。 海上阻止活動には、 米英独など7か国15隻が参加し、国際法に基づき乗船検査などを行っている。武力攻撃するわけではなく、 海上警察行動に近い。給油先を絞ることは、対イラク作戦への燃料の転用防止の徹底にもつながる。

新法案は従来にも増して、国民の理解を得られる内容になっている。
現行法の期限は11月1日に切れる。海上自衛艦の一時撤退は避けられない。早期に活動を再開するためには、 臨時国会中に新法案を成立させねばならないが、今国会での成立は厳しい情勢だ。

民主党が新法案への反対(今国会での解散をねらって…)を貫いた場合、政府・与党は会期を大幅に延長したうえ、 参院で否決された後、衆院で3分2以上の多数で、再可決するという"非常手段"も考慮せざるを得なくなる。
野党は、与党の多数による暴挙だと、国民に印象付けようとするだろう…。
民主党は、海自派遣については、国会承認しており、特措法制定や延長に反対した際も、 "憲法違反"を理由にしたことは一度もなかった。
なぜ給油活動が憲法違反との立場に変わったのか、明快な説明が聞きたい。
故に民主党は、新法案への対案として、具体的・実行可能な法案を提出すべきだ。抽象的な内容では、対案の名に値しない。 海自の給油活動を「憲法違反」として反対していることについても、説明責任がある。

10/18 読売新聞「社説」より

守屋氏の疑惑は、給油活動と直接の関係はない。民主党が疑惑追及を理由に、審議を拒否することは許されない。 日本がテロとの戦いを継続するうえで、給油活動を続けるのか、別の活動に切り替えるのか、 今国会で論じるべき最大の課題でなければならない。

10/24 読売新聞「社説」より

「赤福事件」もそうだが、何か問題が表面化し、社会を揺るがす事件に発展した時、必ずと言ってよいほど、 その陰に潜む悪事が露呈して、本筋の問題の解決をより深刻なものにし、解決を遅らせてしまう。
「新テロ対策特別措置法」が国会で問題にならなかったら、守屋氏のゴルフ接待や、給油量ミス隠ぺい、元専務の三千万円ネコババは、 表面化しなかっただろう…。
今の社会、私たちの見えない暗闇のなかで、どれほどの悪事がなされているのかと思うと、やりきれない気持ちになる。

 

2007年10月30日

三つ子の魂百まで(2)

精神医学では、まだ生まれる前の胎児期9ヶ月の頃から、満2歳までの33ヶ月を、神経が発達していく上で大変大切な「臨界期」 と呼んでいる。
この時期に、親から虐待されたり、育児を放棄されたりすると、幼児の神経系の発達に損傷を与え、「外傷的愛着」 という精神的障害を抱えた子どもになっていくという。
子どもの脳は、生後2年までの間に急速に成長するが、この間に発達するのは主に"右脳"で、"左脳"の発達は3歳以降になる。「臨界期」に影響を受けるのは"右脳"。 中でも、"眼か前頭皮質"と呼ばれる部分の発達が著しい。

右脳は、良好な対人関係を形成するのに重要な役割を持つ。共働きによる愛情不足、幼児虐待、などが社会問題になるにつれ、 「切れやすい子」「攻撃的な子」「恐怖にとらわれやすい人」を生み出しているのです。

精神科医/斉藤 学「本音のコラム」より



【心と体の健康情報 - 317】
~子育て心理学~ 「三つ子の魂百まで(2)」

三つ子の魂百までといいますが、人間は三才ころまでに急速に脳細胞から配線が伸び、かなりの回路が作られます。その配線を伸ばし、 回路を発達させるのは、外部から入ってくる刺激や環境、教育などです。

この時期、乳幼児に最も大きな影響を与えるのが母親です。わずかの部分で父親や家族が関与しています。 1才から3才の人格形成時における母親の存在の大きさは、どんなに強調しても強調しすぎることはありません。

生まれてきた赤ちゃんは、お母さんの胸に抱かれ、お母さんから「プラスの刺激」をいっぱいもらいます。そして赤ちゃんの脳の中で 「肯定的な感情」をはぐくみ、「喜びの回路」が作られていくのです。

ところが、おむつが濡れたままで、気持ちが悪いのに取り替えてもらえない…。
オッパイが欲しいのに飲ませてもらえない…。
お母さんが悲しそうな顔をしている…。
お父さんとお母さんが喧嘩をしている…。
これらは、赤ちゃんに「マイナスの刺激」を与え、そこから「怒りの回路」「悲しみの回路」「恐れの回路」が作られていきます。
大人になって、犬を見て怖がる人、好き嫌いをする人などは、自分では気づかない、小さな子供のころに「マイナスの刺激」を受け、 拒絶の回路が形成され、その後の人生を支配してしまったのです。三つ子の魂百までです。

生まれてから2~3歳までは、母親や家族から与えられる情報を、そのまんま受け止め、脳の回路が形成されていきます。
赤ちゃんは真っ白です。周りで発生する「プラスの刺激」「マイナスの刺激」何でも、意味や理屈がわからなくても、 完璧に吸収していくのです。

田舞徳太郎「幸福の心理学」パーソナリティの形成より

TV漫才を見ていて、直ぐに笑いこける人、笑う姿を横で見ていて、「何がそんなにおかしいんだろう?」と不思議がる人…。 人よりも笑いのスイッチが早く入る人、遅い人。ドラマを見ていて直ぐに涙腺が緩む人、そうでない人…。人によって様々です。 幼児期にそうした喜怒哀楽の物差しが出来上がり、性格の一部となって、一生を支配していくのです。

たとえば、両親が毎日のように大声で喧嘩していると、いつのまにか赤ちゃんの脳に、「怒り」や「恐れ」「悲しみ」 回路が増幅されて形成され、成人してから、人から大声で怒鳴られたりすると、恐怖と恐れで固まってしまい、パニックに陥り、 人間嫌いになってしまうのです。

1才になるかならない時期に、保育所に預けられた赤ちゃん。おとなしくしていたら構ってもらえない。 大きな声で泣いて自己主張すると、保母さんがやってきて抱いたり、あやしたりしてくれる。 「周りの赤ちゃんより激しく泣くことで思いがかなう」ということを、学習するのです。

夕方、お母さんが迎えに来て、有り余るほどの愛情を我が子に注ぎます。
赤ちゃんがむずかれば、大抵のことを聞いてくれる…。そんな回路ができてしまった赤ちゃんは、その後、自己中心的で、 我がままで身勝手な子どもに育っていくのです。

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