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2007年09月 アーカイブ

2007年09月04日

次々と子どもにモノを買い与える親

   [自 戒]           石川 洋

つらいことが多いのは   感謝を知らないからだ
苦しいことが多いのは   自分に甘えがあるからだ
悲しいことが多いのは   自分のことしか分からないからだ
心配することが多いのは 今を懸命に生きていないからだ
行きづまりが多いのは   自分が裸になれないからだ



【心と体の健康情報 - 309】
~子育て心理学~
「次々と子供にモノを買い与える親」

以下、関大徹 著「食えなんだら食うな」から

敗戦直後の新聞に載った読者の詩を、私は忘れない。

エンピツがなくたっていい 紙がなくたっていい
ケシゴムがなくたっていい
みどりの草原にねころんで 青い空に指の白墨で字を書こう
そうすれば 雲の黒板ふきが 消していってくれる

なんという豊かさであろうか。なんという心の広がりであろうか。
現代社会の「もの」の氾濫は、こんな心の広がりを、むざんに奪ってしまったと同時に「もの」 に対する感謝の心もなくなってしまった。

私には内孫・外孫4人の孫がいる。
毎週入れ替わり尋ねて来て、「ジィちゃん、ジィちゃん」とまつわり付く。
我が子の時は、これほどには思わなかったのに、孫は可愛い。
旅に出た折り、孫にお土産を買って帰ることが多い。
今は昔と違って、一人っ子家庭が多く、両親・両家の爺・婆、合わせて6人の愛を、孫が独り占めにする。
結果、おもちゃが部屋に溢れ、ちょっと遊んで面白くなくなると、見向きもしなくなる。
そんな子どもが大人になっていく。

昔の人はモノを大切にした。
お婆ちゃんは「もったいない」 が口ぐせだった。
おかずを残したり、ご飯をこぼしたりすると、孫に「目がつぶれる」と叱った。
今の親たちは、この「もったいない」を、子供にしつけようとしない。
食い散らかし、食べ物を粗末にしても何も言わない。
食べたくなければ「残せばいい」と言う。

豊かさは、親たちの「心の眼」をつぶしてしまった。
心の眼を失った親たちの子どもは、我がままし放題。
親は、子どもの欲しがるものを次々と買い与え、それが"豊かで幸せな生き方"と錯覚している。

働きに出れば、マイホーム、自家用車、大型テレビなど、より多くのより贅沢なモノを手にすることができる。
しかし、子どもは家に置き去り。
親子の大切な心の触れあいを犠牲にして、何が豊かな暮らしだろう…。

親にカセットやカメラが欲しいとせがんだのに、買ってくれなかったことを悲観して、自殺した高校生がいた。
この子の親は、次々とモノを買い与え、子供の喜ぶ姿を見て、それが我が子への愛情…と勘違いしていないだろうか?

あるいは、子どもを家に置き去りにして働きに出ている償いから、子供の欲しがるものを次々と買い与えたりしていなかっただろうか… 。
いつしか子どもは、モノに囲まれる生活が当たり前になり、欲求が満たされないなら、死んだ方がマシと考えるようになった。

2007年09月07日

江戸小噺・弘法大師さま

"なんだかんだ"とメルマガを配信して丸5年、今日は区切りの500回!
引き続き10年、1000回(1000本安打達成を目指す心境)を目指します。

■ことば遊び「言葉の語源」
 言葉の語源の意味を知るのは楽しいものです。

 

まずは、「くだらない」 の語源。
お酒は昔から灘。上方が本場とされてきた。
江戸へは、東海道を下って運ばれてくる。
そこで、上方の酒を「下り酒」と呼んだ。

それに対して関東の酒は、原料の米、水質ともに悪いせいか、
上方へ下ることがなかった。
そこから「くだらない」が生まれた。
「価値がない」「つまらない」の意味の言葉を「くだらない」と言うようになった。
 
面白いのは、「ごまかす」 の語源です。
語源には諸説があるようですが、「胡麻菓子(ごまかし)」説が面白い。
見かけはゴマがついて、いかにも美味しそうだが、実は焼いてふくらませただけの、
まずい菓子のことを「胡麻菓子」と言ったことから、「だます」ことを「ごまかす」と言う
ようになった。


 


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 190】
~ことば遊び~ 「江戸小噺・弘法大師さま」

暑さも彼岸までとはよく申したもので、9月に入り、朝晩少しずつ、しのぎやすくなってまいりました。
今日はお彼岸にちなんで、坊さんの小話を一つ。
お坊さんの代表といえば、なんたって弘法大師様でございましょう。
この方は単に偉いお坊さんというだけでなく、文学にも博物学にも、天文学にも医学にも、経営学にも通じていたという。
今で言えば正にスーパーエリートだったのでこざいます。

それだけに弘法大師伝説は、日本全国いたるところに残っております。
弘法様が独鈷(とっこ)で地面を突いたら、たちまち温泉が湧き出したとか、門付けをしていた大師様に、喜捨(きしゃ) を惜しんで小石を芋と偽ったら、畑の芋まですべて石ころになっちゃったとか。

♪汚い身なりの坊さんが、門口に立って読経を始めましてな…。
その家(や)の子どもが出てきて、「乞食坊主!あっちへ行け!」とののしる。
母親慌てて、
「これ、何ということをお言いだい!こんなナリをなさってはいるが、もしかしたら弘法大師様かもしれないよ」
坊さん、俄かに修(おさ)まって、
「むむむ…、隠そう隠そうと思いしに、ついに露見をいたせしか…」
と見得を切れば、奥から出てきた親父、
「つがもねぇ、こいつはそこの橋の下に住む、本物の乞食坊主よ」
坊さん頭を掻いて、
「ほい、また露見したわい」

さてこちらは、本物の弘法大師様が、無礼を働いた男を懲らしめるために、馬にしてしまったというお話でございます。
そのまま立ち去ろうとする大師様の衣の袖を掴んで、男の女房が必死に詫びを入れましたですよ…。
「お大師様、どうぞお許し下さいまし!この後は、見知らぬ他人にも必ず親切に致させます故、お情けでございます! 何卒元の人間の姿にお戻し下さいまし!」

 

馬にされちゃった亭主も、目に涙を浮かべ、たてがみを上下に振って、詫びている様子…。
さすがに気の毒に思ったのか、一つうなずいた大師様。
手にした錫杖(しゃくじょう)で馬の頭を指しますと、たちまち元の男の首に戻りました。
続いて肩、胸、腹、両手と戻した大師様が、錫杖を今まさに股間に向けようとしたその瞬間、女房思わず、「あっ!そこだけはそのままに…」

提供「風亭弥次郎」

■弘法大師(774~835)

真言宗の開祖"空海"の別名。弘法大師という名は、醍醐天皇がつけた。
18歳の時、京都の大学で儒学を学ぶ。20歳で出家。
31歳の時、遣唐使の一員として入唐。その時、空海伝説が生まれる。

一行はものすごい暴風雨に遭って、目的地の揚子江とは遠く離れた福建省に漂着。
言葉が通じず困っていたところ、空海が一筆書いた。
検問の役人は、その書と文章に感動して、通行許可証を下ろしたという。

空海は、清龍寺の恵果和尚の下で真言密教の奥義を受け、2年後に帰国。
帰国後、京都高野山金剛峰寺に入り、ここで真言宗の開祖となり、東寺を開く。
中国留学時書を習い、日本に持ち帰った。
書道家として能筆で、三筆の一人に数えられ、多くの書家に影響を与えた。

2007年09月11日

価値観が異なる若者たち

■「一生の仕事を支える、下積みの力」  宮大工・匠 菊池恭一

下積みの経験は、生涯をかけて仕事に打ち込むための、重要な部分を為す。
下積の期間があってこそ、生涯をかけた仕事を成し得ることができる。
下積みを経験することで、挫折しそうになった時に、押し留まることが出来るし、忍耐強く立ち上がる生命力にもなる。

何を為すにも、その根底には人と人との心の触れ合いがある。
大工一人の力では、何も出来ない。
みんなの気持ちを一つにして、初めて為しえる仕事です。
モノ言わずしてアウンの呼吸で、人の心を推し量ることが出来るようでなければ、人の上には立てない。
下積みを経験してこそ、相手を思いやる心が身にくのです。

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」から



【心と体の健康情報 - 310】
~子育て心理学~
「価値観が異なる若者たち」

シチゴサン(7・5・3)という言葉がある。
新入社員が会社を辞めていく比率のことを言う。
10人採用したら、1年目に3人辞め、3年目に半分になり、5年目には7人辞めて、3人しか残らないという。
聞くと、どの会社もそのようだと言う…。
人事担当の嘆きが聞こえてくるようです。

辞める理由は、「自分がやりたい仕事をさせてもらえない」「生きがいのある部門に配属されなかった」「仕事が辛い、楽しめない」 というのが多い。
ならば「この会社で将来どうなりたいのか?」と尋ねたら、答えが返ってこない。
今の自分しか見えていないし、今しか考えていないようです。

私たちの若い頃…。
上司が「頑張れ!頑張っていれば、いつか人に認められ、立派な人間になれる!」とハッパを掛けられ、言われるままに頑張ってきた。
今どきの若者は、そんな励まし方をしても、全然その気にはなってくれない。
将来どうなるか分らないのに、何で頑張らなければならないのか?…ピンとこないのです。
「今、何をどこまでやると、一年後に○○の資格が取れ、給与が△△円アップする。そのために頑張ってほしい…」というふうに、 やったことが自分にどうプラスし、意味があるかを具体的に示してやらないと、頑張る気にはならないのです。

私の父親の世代は、社会に出たらまず丁稚奉公(でっちぼうこう)。
掃除とかお使いなど、雑務や下働きに明け暮れる毎日。
なかなか仕事を教えてもらえない。
理由も何もない、一定期間下積みを経験しないと、何一つ教えてもらえない。
そんな商習慣の時代だったのです。
香林坊に「お多福」という、金沢では名の知れたうどん屋さんがある。
奉公人は将来暖簾分けしてもらうことを夢見て、日々出前持ちに励むが、当時、最低十年は奉公しないと、暖簾を分けてもらえなかった。

同じことが当時の家電販売店でも、小松の大手家電系列の電器店に勤めていた店員さん。
勤めて5~6年で独立しようとした。
店主から「もう数年我慢しろ。今辞めたら暖簾はやらない!」とつっぱねられ、喧嘩別れのように店を飛び出した。
メーカーは、小松地区の系列店の皆さんの言い分に押されて、開業を認めなかった。
今の時代、そんなやり方は通用しない。
ようやく現場を任せることができるようになり、これからという時辞めて行かれる。
補充しても、また直ぐ辞めていく。
まるで"職人養成学校"だと、諦め顔の社長さん…。

文部科学省の高校生を対象にした"意欲調査"…。その結果が気になる。
将来「偉くなりたい」と回答したのは、何とわずか8%。
その理由は「自由な時間がなくなる」「責任が重くなる」「暮せるだけの収入があれば、それでいい。あくせく働くよりのんびり暮したい」 が43%。
将来への夢・志はないのだろうか?
「あぁ~情けない」と思うが、そんな価値観を植えつけたのは、私たち親。
戦後の成長期、家庭を省みず"働きづくめ"に働いてきて、定年近くなって窓際族に…。
そんな父親の姿を見て成人した子ども達。
「自分はああなりたくない…」と思ったとしたら、その責任は私たちにあるのでしょう…。
最近子ども達が、お父さんの会社に"一日参観"して、会社とお父さんの仕事ぶりを見てもらおうという会社が出始めている。
大変良いことだと思います。

2007年09月14日

イラクに根強い文化的抗体

■安倍首相退陣

水曜日、「安倍首相退陣」の突然のニュース報道…驚くと同時に、無責任さを感じた。
首相としてやるべきことを道半ばに、政権を投出してしまったように見える。
自らが掲げた政府公約を実現するため全力で臨み、それで、矢折れ刀尽きて辞めるというのなら、私たち国民も納得しようというもの。
解散して、国民に真を問うべきと思うのです。

父は外務大臣などを務め、病に倒れ、総理になる夢を果せなかった安倍晋太郎。
祖父は、日米安保条約を締結した岸首相。
大叔父は沖縄返還を実現した佐藤栄作首相。
血筋の良さで総理になったものの、したたかさや、しぶとさに欠ける、二代目の弱さがもろに出てしまったようです。

引き換え、国際社会での責任の重さでは、安倍首相の比ではない、米国ブッシュ大統領。
‘04年11月、大統領に再選された後、ブッシュ政権自ら、「イラクには大量破壊兵器は元より無かった。 そのことは1998年の時点で知っていた。」と弁明して、国際社会の批判に耐え、しぶとく政権を維持している。
器の大きさが違うようです…。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 191】
~歴史から学ぶ~
「イラクに根強い文化的抗体」

米国の大統領選挙の最重要課題として、米国民の43%が「イラク戦争」を挙げる。
現政権のイラク政策の泥沼化は、「協和党政権に勝ち目のない」状況になりつつある。
ブッシュ大統領は、「撤退すれば大災難になる」と述べ、民主党のヒラリー・クリントン候補は、「大統領が戦争に幕引きできないなら、 私がやる」と、こぶしを振り上げる。

8/26 読売「白熱・大統領選挙」より

サマワに駐留していた日本の自衛隊。
何とか役目を終えて1年を経た現在もなお、激しく住民同士が宗派抗争を繰り広げ、ゲリラによる自爆抵抗がとるように繰り返される。
そんなイラクの情勢に、「勝利」への明確な展望が示せずに悩むブッシュ政権。
米政府高官は、「アフガニスタンやイラクで民主化が進んでいる」と、輝かしく語る。
しかし、アフガニスタンやイラクの国民が、米軍の占領を心から嫌っていることを知っている現地の司令官は、両国を民主化することなど 「馬鹿げた幻想である」と言っている。
アフガンやイラク人の体内には、過去二千年の歴史がDNAとなって、キリスト教徒白人に対する非常に強い「宗教的・文化的抗体」がある。
それが、自国に泥足で踏み込んできだアメリカ人と、その仲間の国々に対し、自国内からの早々の立ち退きを迫るのです。

イラクの現地司令部の掲示板には、1918年当時、アラブの兵士たちを訓練していたアラビアのロレンスが、 当時の実戦から学んだ"教訓"が張り出されている。
ロレンス曰く、「自分で完全にやろうとするよりは、彼らに、不完全ながら自らやらせる方がよい。それは、 歴史的伝統を誇る彼らの自尊心を満足させる、彼らのやり方である」と…。
昨年BSテレビで、「アラビアのロレンス」完全復刻版を見た。
四十数年ぶりに見たその鮮烈な映像とストーリーは、強烈な残像となって今も残っている。

♪砂の海を真紅に染める巨大な太陽を眺め、一人のアラブ人がロレンスに言った。
  「砂漠を楽しめるものは2つ以外にない。"ベドウイン族と神々"だけだ。
  ベドウインはラクダの背で、砂漠を一日に百キロ移動できる…。
  それ以外のよそ者には、砂漠は焦熱の地獄にしか過ぎない…。」

そのロレンスは、誰もが不可能と思われた砂漠を横断し、奇襲を仕掛けて、トルコ軍を背後から打ち破った。
後に鬼神と言われ、その名を馳せることになる。
シカゴから来た記者が、部族長と同じ白装束を身にまとうロレンスに質問した。
「あなたは、砂漠の何に魅せられたのか…?」
しばらく考え込んだロレンス、「清潔さだ」と答えた。

ロレンスの英雄的勝利の本質は、この「砂漠の清潔さ、純潔さ」にある。
アラブ人は白を好む…彼も白を好んだ。
白は世俗を超えたイメージであり、「清潔さ」そのもののイメージにつながる。

本名トマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)。
英国の探検家で考古学者、そして詩人。
そのイメージは、インディ・ジョーンズが重なる。
第一次大戦中、情報将校(大佐)として、アラブ独立のためにゲリラ戦を指揮。
退役後、交通事故で亡くなったのは、何とも寂しい。

ロレンスには"無私の精神と詩的情熱"があった。
それ故に、アラブ人の「宗教的・文化的抗体」を避けて、アラブの人たちの心に溶け込むことが出来たのです。

ダマスカス陥落の歓喜の夜、独り、共に戦ったアラブの戦士達から離れ、異国の人々の祈りを遠くに聞きながら、 「あの殺りくが悲しいのは、自分一人だけだろうか。そして、異国で聞こえてくる祈りの言葉の、なんと無意味なことか…」と、つぶやいた。

石川県日英文化協会理事 木谷 奏「イラクに根強い文化的抗体」

ロレンスは新生国家樹立ため、国中の部族長を集めた。
一週間近く激論が戦われたが、己の部族の利益を繰り返すばかり。
理想とした統一国家樹立は叶わず、はかない夢に終わった。
そして今また、歴史は繰り返す…。

2007年09月18日

食べ合わせ

[レストランにて]
ドイツ人と日本人とイタリア人が揃って食事に行った。
食事もそろそろ終わろうとする頃、三人の胸の内は…

・ドイツ人は、割り勘にすると幾らになるか…を試算していた。
・日本人は、どのタイミングで三人分払い、おごることができるか、
 そして、金額は幾らになるか…を考えていた。
・イタリア人は、おごってくれた人になんてお礼を言おうか…考えていた。

[食文化の違い]
・日本を訪れたフランス人が言った。
 「日本は豊かな国だと聞いていたのに、海草や木の枝(ゴボウ)を削って
 食べている。それほど食べ物に困っていたとは…」

・フランスを訪れた日本人が言った。
 「フランスは豊かな国だと聞いていたのに、何と、カタツムリや蛙を捕まえて
 食べている(気持ち悪い…)。そんなに食べ物に困っていたとは…」



【心と体の健康情報 - 311】
~食と健康~ 「食べ合わせ」

戦後間もない、ろくに食べるものもなかった小学2~3年の頃まで、冬休みは母親の実家で過ごした。楽しみは、年末の実家の餅つき。
当日、まだ夜も明けやらぬ朝3時に起きて、家族総出で餅つきの準備に入る。

16畳ほどの内玄関の土間の真ん中に臼を据え、蒸籠を何段にも重ね、もち米を蒸す。
そして、ペッタン、ペッタン…次々と突き上がってくるお餅を、ワクワクしながら見ていたものです。

その実家の茶の間の壁に、売薬さんが置いていった、「食べ合わせの食品」を絵にしたポスターが貼ってあった。
食べ合わせが悪いと腹痛や下痢になると、書き添えてあった。
「ウナギと梅干」「天ぷらとスイカ」などの絵が書かれていたのを記憶している。
食べ合わせの由来は、江戸時代の学者、貝原益軒(かいばら えきけん)の「養生訓」。
冷蔵庫の無かった私の子どもの頃、夏、調理した物が直ぐ痛んでしまうのが悩み。
どの家庭でも、食べ合わせには注意していた。

「食べ合わせ」を集めたら、100を超えるという。
「ハマグリとミカン」「鮎とゴボウ」「ドジョウとまくわうり」「タコとワラビ」「蟹とシイタケ」など…。
しかし、現代の栄養学では、この世に食べ合わせなどというものが存在しないのが定説。
ならば、食べ合わせは迷信でナンセンスかというと、そうでもない。
組み合わせを見ると、脂っこい食品や、堅くコリコリした蛋白源が多く、消化不良を起こしやすい。あい方の食品は、 水気の多い果物や野菜が多く、大量に食べるとお腹を冷やし、消化液を薄める。
冷蔵庫がなかった時代です。
昔の主婦は、夏場の食当たりに、心を砕かなければならなかったのです。

反対に、理想的な"ペア食品"といえば、「サンマに大根おろし」「トンカツにキャベツ」「お寿司にガリ」など…。
大根おろしは消化を助け、ガリは消化を促進させるだけでなく、殺菌作用がある。
千切りキャベツのないトンカツなんて食べたくないし、カレーライスにラッキョウ、福神漬は欠かせない。

突きたてのお餅を、小豆あんや大根おろし、きな粉をまぶして、口の中へツルリ!
口直しに塩気の効いた沢庵をバリバリ…旨い!
よくぞ日本人に生まれけり…である。

2007年09月21日

日本食ブーム

■沖縄の食材・料理

ラフテー(豚の角煮)
沖縄といえば豚肉。
皮付きの三枚肉を、泡盛を加えてとろけるように柔らかなるまで煮る。
豚肉の皮には良質のたんぱく質やコラーゲンが多く、沖縄人の活力の源です。

ソーキ骨(豚の骨付きあばら肉)
沖縄料理には欠かせない素材。
昆布や大根と一緒に煮込んだ、ソーキ肉がのった「ソーキそば」、内臓を煮込んだ
モツ料理などは私の大好物。

昆布
琉球料理には"昆布"。
昆布と豚肉の旨みが混ざり合う、琉球料理に欠かせない食材。
消費量は全国トップクラス。
その昆布、沖縄の海では獲れず、北海道から取り寄せているというから面白い。

チャンプルー
沖縄の家庭料理を代表するチャンプルー。
豆腐(消費量は日本一)をベースに、豚肉、季節の野菜を入れた炒め物です。
ゴーヤがメインなら、ゴーヤチャンプルー。
モヤシがメインなら、モヤシチャンプルーになる。

コーレーグス(島唐辛子)
島唐辛子を買ってきて、焼酎に2~3ケ月漬け込み、刺身醤油、味噌汁、カレーなど
の隠し味にすると美味しい。
ラーメンに2~3滴入れても美味しい。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 192】
「日本食ブーム」

今年の正月、フイリピン・セブ島で、スキューバー・ダイビングを楽しんだ時、セブ島に住む日本人がよく行くという、 日本料理店に行った。
いや…なかなか、注文する料理いずれも、日本国内で十分通用する美味しさだった。

同じくスキューバーで、マレーシア・ボメネオ島の東端コナキタバルへ、飛行機を二度乗り継いで行ったことがある。
当時、街の中心部に八百半デパートがあったが、日本人の姿は見かけなかった。

夕食を食べようと街に出たら、道端で「おでん」と日本語で書かれダンボールを下げた、小さな露店が目に入った。
テーブルの上に50~60センチの"おでん"の入ったブリキの箱を置いて売っていた。
過去に何かワケありげな、日本人のおじさん…。
私たちの夕食に招いて、一緒に食事を楽しんだ。

上海のコンビニでも、レジ横で"おでん"が売られていた。
"おでん"は、上海の日常食になっているのでしょうか…。

太平洋パラオで潜った時も、日本食の店を見つけてきて、みんなで暖簾をくぐった。
ところが出された料理は、日本料理もどき…。
まずくて食べられる代物ではなかった。
そのお店は、和食に合う良い食材が手に入らないのと、日本人観光客のためのお店ではないということ…。
現地人が食事をする、現地人の口に合わせた、日本食に似せた料理の食堂だったのです。

食の本場フランス・パリには、日本食を名乗るお店が600軒近くあるという。
世界には2万軒はある。
今年の春農水省は、世界に本物の日本食を広めたいと、海外にある日本料理店の"認証"に乗り出そうとしたことは、記憶に新しい。

本物の日本料理って何?
何をもって日本料理と言うのか…その定義づけが難しい。
現地人の好みに合った味付けになるのは当然だろう。
外国から日本に入ってきた料理で、「カツ丼」「カレーうどん」などは、日本で生まれた、日本人好みの料理です。
おなじみの「スパゲティ・ナポリタン」…。
イタリアのナポリには、そんな料理は存在しないとか…。
昨年の秋、わが家の近所に魚貝類を中心とした、フレンチ料理レストランが店開きした。
友人の弟さんが経営するシャレたお店である。
「お薦めは…」と尋ねたら"お寿司…"?
注文すると、"カリフォルニア巻き"が洋皿に並べられて出てきた。
「なぜ?」って尋ねたら、弟さん、ニューヨークで修行して、腕を磨いて帰ってきたという。
ハワイやラスベガスで人気の、アメリカ生まれの日本料理が、わが家から歩いて数分の所で、食べられるようになったのです。

2007年09月25日

食べ合わせ(2)

■組み合わせると栄養素が損なわれる「大根とニンジン」

私は、野菜サラダが大の好物。
大根とニンジンを千切りにおろして混ぜ合わせた「もみじおろし」もその一つ。
ところが、この二つ相性が悪く、二つを混ぜ合わせると、栄養価が損なわれてしまうのです…。

大根には、リンゴの3倍のビタミンCが含まれ、野菜不足になる冬場のビタミン源として、昔から重宝されてきた。
一方のニンジンも栄養価の高い野菜として知られる。
それぞれ重要な栄養素があっても、いったん混ぜ合わせると、ニンジンに含まれる成分が、大根のビタミンCを壊してしまう。

同じように、大根とキュウリ、リンゴとニンジンの組み合わせにもいえるのです。
わが家のお祭り料理に、大根とニンジンの千切りを酢であえる「なます」があるが、"酢"の働きでビタミンCの破壊が抑えられ、 相性が良くなるのです。



【心と体の健康情報 - 312】
~食と健康~ 「食べ合わせ(2)」

天ぷらとスイカ、ウナギと梅干、牛乳とミカン…。
江戸時代の陽明学者、貝原益賢(かいばら えきけん)の「養生訓」 に書かれていて、昔から食べ合わせの悪い食品とされている。
これを全国に広めたのが、越中富山の薬売りです。

幼い頃、冬休みになると母親の実家で過ごした。
茶の間の壁に、売薬さんが置いていった、食べ合わせを絵図にしたポスターが張ってあり、興味深く見た記憶がある。
食べ合わせに注意して、万一お腹を壊したらトンプクを飲んで…という宣伝なんでしょうね。

この食べ合わせには医学的裏付けはない。
こういった食品を一緒に食べて、中毒になることはない。
昔の人が、食べ合わせが悪いとしたのは、食べ慣れないものをたくさん食べたり、痛んだ食品を食べたりして、 下痢や中毒を起こしたからでしょう。
食事の後で水分の多いスイカを食べ過ぎると、消化液が薄まって消化不良を起す。
牛乳は昔、滅多に口に入らない食品でした。
牛乳を飲み慣れていない人がたくさん飲むと、分解されずに下痢になったりした。

ウナギと梅干、サバとスモモ、タコと柿など、傷みやすい魚介類と果物の食べ合わせは、それぞれの生産地が離れていて、 遠方から運ばれた食品を食べ合わせ、食あたりした人が多かったようです。

現代では、冷凍技術や輸送力が飛躍的に発達し、世界中からいろんな食材が日本に運ばれてくる。
各家庭には冷蔵庫が完備し、食品の衛生状態は、私たちの子どもの頃とは比べようがない…。
昔から言い伝えられてきた、「食べ合わせ」にこだわる必要はないのです。

2007年09月28日

東京人と大坂人・エスカレーターの立ち位置

■ネクタイの起源

クロアチアはイタリアの東、アドリア海に面した国。
中世の頃、この国の兵士たちは、出陣の際に、妻や恋人から"布"を贈られて、首に巻いた。
武運長久(ぶうんちょうきゅう)を祈った、一種のお守りだったのでしょう。
太平洋戦争で出兵する兵士に、妻や恋人が千人針の布を持たせるのと似ている。

17世紀、フランス国王ルイ十四世は、宮殿に招いたクロアチア人の、そんな衣装が気に入った。
王様も同じように首にスカーフを巻き、宮中に広まっていった。
それがネクタイの起源になったのです。

ちなみに、ネクタイのことをフランス語で「クラバット」と言う。
クロアチア人を意味する「クロアット」が、語源と言われている。
はるか遠いヨーロッパでの、昔の兵士のファッションが、現代日本の企業戦士達には欠かせない、衣装になっているのです。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 193】
「東京人と大阪人…エスカレーターの立ち位置」

エスカレーターの立ち位置…。
東京では左側に立ち、歩く人は右側を進みます。
大坂ではこれが逆。
左側を歩き、立ち止まる人は右に寄ります。
東京ではエスカレーターでは歩かず、立ち止まる人が多いので、左側に列ができ、歩きたい人は右へ出て追い越すことになる。

ところが関西人はせっかち。
エスカレーターで立ち止まったりせず、階段のように上っていく人が多い。
道を歩く延長でそのまま左側を歩く。
立ち止まりたい人は、通行の邪魔にならないよう、右に寄るのです。
外国はどうか?ほとんどが右立ちだという。
ニューヨークもパリも右立ち。
ということは、大坂が国際標準ということになる。

桂小米朝「言いたい放談」より

ちなみに私は、左側に寄って立つ東京タイプ。皆さんはどうでしょうか?
成田や関空へ出かける時に、搭乗口に通じる長い通路のエスカレーターを観察するようにしたい。
私はつい最近まで、左に寄って立つのがマナーだと思い込んでいた。
しかし、地下街や階段を上り下りする時、本能的に人は左側の壁に寄って歩こうとする。
必然的に左側通行になる。
心理学によれば、心臓のある左側をガードしようとする無意識の行動と、突然襲われた時、右利きの利点を生かすために、 左を壁にして歩くのだそうです。

という訳で、アメリカや諸外国の多くが、左側通行であることが理解できる。
昭和24年、日本は、道路交通法で右側を歩くように定めた。
当時、どんな理由で右側通行にしたのか、その訳を知りたいものです。

沖縄が日本に返還される時、占領時代の左側通行から右側通行に、島内すべての道路標識・信号機を付け替え、バス停を変更した。
本土から2500人の応援警官が派遣され、数百台の救急車が各拠点に配置されたという。

コンビ二を見ると、入り口は大概左側にある。
入って直ぐ左にレジがあり、レジ奥から時計回りに右に折れて、お弁当とパン類のコーナーへ…。
更に進むと、奥の壁一面に飲み物や缶ビール。
一回りして入り口に戻る途中に、衝動買いを誘うアイスクリーム、雑貨や雑誌類が並べられている。

近所の書店もそうだし、商店街を歩くと、左から入店して、時計回りに商品がレイアウトされ、陳列されている店が多い。
ところが、近所にある食品スーパー。
3店とも、メインの出入り口は右側で、入った正面に果物、右壁に沿って野菜…。
奥に進むにつれ、調理した食品、肉、魚、乳製品…。
時計と逆回りにひと周りして、飲料水・酒類。
そしてレジで精算となる。

さて、みなさんの近所のスーパーはどうなっていますか?
人が歩く時の行動心理を、店舗設計の専門家に聞いてみたいものです。

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About 2007年09月

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