孔子の教え(9)教育とは…
■素読のすすめ
七月、福井で開催されたミネハハ・
コンサートに出かけた折、川人さんのご家族にお逢いした。川人さんといえば、毎朝ご家族そろって正座し、
論語の素読を続けて来られたことで
知られる。
当時まだ幼稚園児だった長男、先月お逢いした時は小学校3年生になっていた。
長男は、論語を暗唱しているという。
私がおねだりをしたら、みんなの前でお経を読むように、披露してくれた…。
学問は6歳から、まずやさしい平仮名を教え、それから漢字を教えるといった、現代の幼児教育の常識は間違いであることを、気づかせてくれる。
江戸時代、寺子屋や藩校で、農民の子も武家の子も論語を学び、手習いをした。
今の時代、大人も読み辛い難解な漢字が並ぶ四書(論語・大学・中庸・孟子)を、当時の子どもたちは、ごく普通に学んでいたのです。
【心と体の健康情報 - 305】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え(9)教育とは…」
以下、PHP 「リーダーのための中国古典・論語」からの引用です。
孔子は晩年、もっぱら弟子の教育に力を注いだが、教育ということについて、こんな意味のことを語っている。
「子曰く 憤せずんば啓せず。非せずんば発せず。一隅を挙げて 三隅を以って反(かえ)らざれば 則(すなわ)ち復(また)せざるなり」
(述而第七)
- 自分の力で、今一歩というところまで来て、もたもたしている。
そういう相手でなければヒントを与えてやらない。 - 言いたいことは頭にあるのだが、うまく言えないでもどかしがっている。
そういう相手でなければ、助け舟は出してやらない。 - 一つ例を示してやると、直ちに類推を働かせて、ピンと応ずるのでなかったら、
それ以上の指導は差し控える他はない。
つまり教育というのは、本人の「自発性」、「求める気持ち」が大切なのだと、言っているのです。実は、
その気持ちを人一倍持っていたのが、孔子その人だったのです。
恵まれない暮しの中にあって、苦しさにくじけることなく、絶えず前向きの姿勢を貫き、自己啓発を怠らなかった…
これが孔子の生き方なのです。
孔子は強い人間でしたが、強いだけの人かというと、決してそうではなかった。
強さ・厳しさの中に、何ともいえない暖かさを持っていたようです。
孔子の人間像について、弟子達がこんな風に語っている。
人柄は温和であって、しかも厳格である。
威厳を備えながらも、威圧感がなく、
礼儀正しくて、しかも窮屈を感じさせなかった。
遠くから見ると、近づきがたい威厳がある。
親しく接してみると、その人柄の温かさが伝わってくる。
更に言葉をかみ締めると、その言葉の厳しさが分かってくる。
いかにもバランスの取れた人間像が浮かんでくる。
孔子という人はまた、どんな境遇に置かれても、人生を楽しむ術を心得ていたようです。