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2007年07月 アーカイブ

2007年07月03日

孔子の教え(3) 論語読みの論語知らず

■以下、7/1読売新聞社説から…

激しい与野党攻防の末、30日未明参議院本会議で、「社会保険庁改革法」や
「年金時効撤廃特例法」「公務員制度改革法」などが成立し、国会は事実上閉幕。
いよいよ参議院選に突入した。

参院で与党過半数割れの実現を目指す野党は、一貫して対決姿勢で臨んだ。
与党の強行姿勢を引き出し、ムード的に与党批判へと世論を導き、「強行採決」
「数の横暴」を国民に印象づける狙いが、成功したようです。

選挙を意識し、対決構図を描き出すことに腐心した野党。
財政の健全化、消費税率の引き上げ、北朝鮮問題などの重要課題が先送りされ、
国会議員が為すべき骨太の、建設的な"論戦"が置き去りにされてしまった。

本来、参院に期待されるのは、衆院への抑制、補完機能。
現実は「衆院のコピー」にすぎず、衆院での政党間対立が、そのまま参院に持ち込まれ、
政治的対立と混乱ばかりを、国民に印象づける結果になった。

参院選で、どの政党の誰に投票するのか?
本来は政策で選ばなければならないのに、信頼出来るか否か?
国政を任せらるか否か?
といった表面的なムードで、選挙戦が戦われそうです。


【心と体の健康情報 - 230】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え(8) 論語読みの論語知らず」

「論語」は儒教の経典の一つですが、儒教と聞くと何か硬苦しく、古くさい印象を受けます。

『女子と小人は養い難し』
『民は由らしむべし、知らしむべからず』

論語のこの言葉、一般的に女性をべっ視した言葉、そして民衆を愚民視した言葉と解釈され、儒教は封建道徳であり、「論語」 も同様に見られがちです。
「論語読みの論語知らず」と言われるように、少々論語をかじったくらいでは、孔子が意図する意味など、とても理解できません。


『子曰く 唯(ただ)女子と小人とは養い難しと為す。
之を近づくれば則ち不孫なり。之を遠ざくれば則ち怨む』

 意味…先師が言われた「ただ、教養のない女と男とは、扱いが難しい。
 近づけるとなれて、無遠慮になり、遠ざけると怨むようになる 」    (陽貨十七)

この場合の「女子と小人」は、"ダメな女とダメな男"のことを言う。
「小人」は子供のことではない。
これに対比して"立派な男と女"を、論語では「君子と淑女」と言う。
男女を問わず、ダメな人たちには困ったものだという、孔子のため息が伝わってくる…。
たいした仕事もしないくせに、大きな態度をとる…だからと、ちょっと注意すればすねる。
私たちの周りにも、そういった人がいます。
言葉から受ける印象で封建的と決めつけるのは速い。
「論語読みの論語知らず」になってしまう。


『子曰く 民は之に由らしむべし 之を知らしむべからず』
 意味…先師が言われた「民は徳によって信頼させることはできるが、
 すべての民に真実を知らせることは難しい」                (泰白八)

「国民は無知だから、こと細かに真実を知らせる必要はない。国のやることに信頼してついてくればいい」といった、 "非民主主義的"文言に思えるが、間違いです。
安倍内閣が推し進める政策、それをこと細かく国民に分らせるのは難しい。
医者と患者の関係、弁護士と依頼者の関係などを考えれば分かることです。
医者や弁護士を信頼する他なく、言っていることに従う以外、選択はありません。
安倍内閣を信頼するか、野党の言い分を支持するか…国民一人ひとりが、目先の迎合的ムードに支配されることなく、 自らの責任で正しく良し悪しを判断するのは、とても難しいことです。
                  中径文庫 岡本光生著「論語の知恵でキリッと生きる」より

2007年07月06日

ヒルトンホテル買収される

■博多一風堂

一風堂河原社長(右)先週の金曜日、「博多一風堂ラーメン」で全国展開している、 河原成美社長の講演会があった。
TVチャンピオン・ラーメン職人選手権で三度優勝し、殿堂入りを果し、’05年12月、TBS系ラーメン王座決定戦で、 見事初代麺王に輝いた…すごい社長さんです。

’05年、京都で論語を学んでいた時、河原社長と同席。10月には、受講生の私たちに、2時間講演していただいた 。
その講演の最後に、「12月、テレビで日本一を競います。皆さん是非見ていただき、応援してください」と、 口元をへの字にキリッと結んで言われたのは、昨日のことのよう…。

現在、国内46店すべて直営店。味を守るため、フランチャイズは考えていないとの事。
上海に6店舗展開し、今年の11月、ニューヨークに一号店をオープンする。
まだ、一風堂のラーメンを食べていない方…美味しいですよ!是非食べに行ってください。

一風堂金沢香林坊店
 石川県金沢市片町1-2-3 TEL:076-263-3331 営業時間 11:00~翌3:00



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 181】
「ヒルトンホテル買収される」

6/27、多くの上場企業で株主総会が開かれた。米系投資ファンドが大株主になっているハウス食品やブルドックソースでは、 買収防衛策の導入が、出席議決権の約80%という、圧倒的株主支持で承認され、事なきを得たとの新聞報道…。
TBSも77%が経営陣に賛成し、楽天は完敗した。

そういった中、7/5読売新聞に『ヒルトンホテル買収』とのビッグニュースが飛び込んできた。
米国の新興投資会社ブラックストーンが、世界の超有名ブランドホテルを、丸ごと買い取ったのです。
買収されたのは、1919年創業の老舗ヒルトンホテル。 世界76ケ国に2800以上のホテルを経営し、従業員数7万人の世界最大級の巨大ホテル企業です。

買収価格は、日本円で約3兆1800億円(1棟当たり11億4千万円で買収したことになる)。
ヒルトン株1株47.5ドルで、すべて現金で買い取った。2日の終値1株33.87ドルを、何と140% も上回る買収価格を提示したのです。
この破格の提案に、会社も大株主のヒルトン一族も、一斉に株式を手放すことにしたという。
日本を代表する企業に、米系投資ファンドが敵対的買収を仕掛け、市場株価の140%以上を提示してきたら…虎視眈々、 次に狙われる企業はどこだろうか?

ヒルトンを代表する日本のホテルは"ヒルトン東京ベイ"。
ディズニーランドのコンベンションホールでの、全国優績者イベントに参加するたびに宿泊するホテルで、なじみが深い。
他に東京、大阪、名古屋、小樽、成田、小田原にあり、利用された方もあると思います。

今年の秋、メーカーの招待でハワイに行くが、ハワイにあるヒルトンホテルは4ケ所。
いずれも一泊3~4万円の高級ホテル。よく知られるのは、ワイキキの西端に、真っ白な壁でひときわ高くそびえる、"ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ"。客室数は602室。 新婚旅行などで、日本人がよく宿泊する。

お勧めは、ハワイ島カイルア・コナの、1,240室の巨大ホテル"ヒルトン・ワイコロア・ビレッジ"。 約25万平方メートルの巨大な敷地に、4,000平方メートルのラグーン(東京ドームの5倍)があり、 14頭のイルカと触れ合うことができる。

敷地内はモノレールやクルーザーで移動し、美しい景色を楽しみながら、総額7億円の古美術を鑑賞。ご家族親子、共に楽しめる、 とっておきのホテルです。
このように紹介すると、数が多いとはいえ、1棟平均11億円は、すごくお買い得に見える。

国内に目を移すと、この4月、全日空は、国内で展開する31ケ所のホテルのうち13ケ所を、約1千億円で売却すると発表した (1棟平均77億円)。買い主は、英国系ホテルチェーン。
売却対象に、金沢と富山の全日空ホテルが含まれ、東京全日空ホテルや、沖縄の高級ホテル万座ビーチホテルも売却されることになった。
万座ビーチホテルには、20年くらい前、会社の代理店招待会で、泊まるならビーチ付リゾート高級ホテル…と奮発して宿泊した。当時、 憧れの美しくハイセンスなホテルだった。

2007年07月10日

新入社員研修での食事風景

■洋食のマナー

ナイフとフォークを使って"ライス"を食べる時、フォークの背中に乗せて口に運ぶのと、
内側ですくって食べるのと、どちらが正しいと思いますか?
アメリカ人は「それは内側だ」と言う。
イギリス人は猛烈に反論して、双方譲らなかったと、ある雑誌に載っていた。

おいしく食べれれば、どっちでもいいことでしょうが、私の若い頃は、ライスはフォークの
背に乗せて食べるものと思い込んでいた。
最近はマナーに囚われず、内側ですくって食べることが多くなった。

泉が丘のフランス料理店で、娘の嫁ぎ先のご両親と食事をした。
一品運ばれるごとに、シェフが説明に現れる。
そんなフルコースの本格会席というのに、みんな、ナイフやフォークを脇に置いて、お箸
でいただいた…。


【心と体の健康情報 - 301】
~子育て心理学~
「新入社員研修での食事風景」

倫理法人会「倫理306号」 を転載します。

ある「新入社員セミナー」の一場面です。約50名の受講生が食事をしています。
ご飯とお味噌汁をテーブルごとに用意するのですが、皆、自分の分だけを盛り、その後ろに列ができます。まず気付くのが、 他人には無関心で、人のために何かをしようという気配りを知らない…。

「いただきま~す」と、いよいよ食事が始まりました。
ところが半数の受講生は、お茶碗をテーブルに置いたまま、右手だけで食事をするのです。
中には足を組み、左手をポケットに突っ込んだまま、肘をテーブルについて食べる若者もいる。

「このような光景は、年々多くなる」と語るセミナー担当の講師。
初めのうちは、姿勢を正すよう、そのつど注意をしたそうですが、ただ面倒くさそうな顔をされるだけで、 どうしたら気付いて正してもらえるか、考え続けたといいます。

とりあえず、こうした姿勢で食事をする受講生たちと、一緒に食事をとりながら、彼らの話をよく聴くことにしました。すると、性差・ 地域差・年齢差を問わず、ある共通点が見えてきました。
それは「食事のマナーや姿勢が良くない人は、小さな頃から家族揃って食事をした経験が乏しい人に多い」 という傾向でした。

例えば、家族一人ひとりの生活時間帯がまちまちで、同じ家に住んではいても、 食事はめいめいが好きな時間に取っていたというケース。
両親とも働きに出ていて、コンビニで買ってきたカップ麺やお弁当を、一人で食べていたというケースなど、形態は様々ですが、 家庭内でお箸の持ち方や、食事どきのマナーや姿勢について教わった記憶は、一様に全くといっていいほどないのです。

セミナー中に、いくら姿勢を注意したところで、本質的な部分を理解できなければ、将来、子の親になった時に、 何も子供に教えることが出来ないのではないかと、思われるのです。
「本当に難しい時代になってきた」と、寂しげな口調で語る講師に、この項を読まれた皆さんは"どうすれば良い"と思いますか?

2007年07月13日

落語・風呂敷

■前座

日本の古典芸能は上下関係がとても厳しい。
落語の世界も初めは"見習い"。 この間無給で、師匠の身の回りの雑務に明け暮れる。
その代わり、食事は一切師匠がみる。
見習いを終えると名前を貰い"前座"として楽屋入りを許される。
一番に楽屋に入り、めくりをその日の出し物順に揃えたり、お茶の準備をしたりする。
三味線以外の鳴り物はすべて前座の担当。
落語もさることながら、太鼓の修行もやらなければならない。

高座で芸人さんが入れ替わるたびに座布団を返し、メクリをめくる。
師匠にお茶を出し、ネタ帳を見せて今まで出た噺を示す。
よく似たネタが重ならないようにするためである。
師匠が高座から降りてきたら、脱いだ着物をたたむ。
こうした裏方をこなしながら、高座に耳を傾け、合間を縫って、稽古をつけてもらう。

前座の仕事は山ほどあるが、お手当ては微々たるもの。
数年間前座を務めると、辛い辛い修行時代が終る。
"二つ目"となり、 寄席に出られる身分になる。
更に精進を重ねること十年…実力も相応と認められると、晴れて"真打"に昇進。
「○○師匠」と呼ばれるようになる。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 182】
~ことば遊び~  「落語・風呂敷」

・開場を知らせる入れ込み太鼓がが「ドンドンドントコイ!…」と鳴る。
 一番太鼓です。
・開演5分前に二番太鼓が叩かれる。
 「お多福コイコイ、ステツクテンテン」と聞こえる。
・開口一番は"前座"が務める。
 続いて"二ツ目"が演目を演じ、最後に"真打"の登場となる。
・芸人さんが入れ替わるたびに聞こえてくるのが「出囃子」。
 二ツ目になると、自分のオリジナル出囃子を決めることができる。
・終演…ハネ太鼓が叩かれる。「デテケデテケ、テンデンバラバラ…」と聞こえてくる。

「落語ギャラリー60」より

貧乏長屋の住人を題材にした人情噺は、話題に事欠かない。
♪『今日は帰れないかもしれない』
そう言って出かけた亭主の留守中、新公がやってきた。
女房は、新公を上らせてお茶を出すと、そこに"帰れない"はずの亭主が帰宅。
それもへべれけ。実は、亭主は大変なやきもち焼き。
酔っ払っているうえに、新公と鉢合わせなんてしたら、どうなることやら…。

慌てた女房は、とりあえず新公を押入れに隠してしまう。
亭主が寝たら、こっそり帰せばいい。
ところが、この日に限って亭主は寝ないし、押入れの前から動こうとしない。
困り果てた女房は、お酒を買いに出てくると言って、鳶頭(とびかしら)のもとに飛び込んできた。

状況を聞かされた鳶頭は、何を思ったか、風呂敷を持って出かけて行った。
見ると、女房の言う通り、亭主は押入れの前にでんと構えて、動く気配もない。
鳶頭は、家に入って来るなり亭主に、
「ちょっと脇でごたごたを収めての帰りでね」と、思わせぶりに言う。
すると亭主は、そのもめごとの顛末を聞きたがった。よしよし、思惑どおり。
鳶頭は話始める。

***「亭主の留守中に、若いのが尋ねて来た。
そこへ亭主が急に帰ってきたので、女房は焦った。
この亭主がものすごく嫉妬深いんだ。ひとまず押し入れに…。
そう、ちょうどお前の後ろにあるような、三尺の押入れにそいつを隠したのだが、
亭主は前で頑張ってなかなか寝ない。ちょうど、今のお前みたいにな…。
その若いやつ、押入れで歳とっちゃかわいそうだろ。
仕方ないから、この風呂敷を、こういうふうにかぶせたんだ」***

と、亭主の頭から風呂敷をすっぽり。
「お前がそいつとするね…見えるか? 見えねえだろ」
鳶頭が押入れをすーっと開ける。と、そこには新公が。

「声を落として押入れに『早く出ろよっ』…て、そいつに言ってやったんだよ。
そうしたら若い男は出てきた…。
押入れを出て、玄関へそっと出て行くのを見送りながら、『忘れもんするんじゃないよ』…と、そいつに言ってやったんだよ。
ついでに『下駄間違えんなよ』とも言ってやったから、そいつは下駄も間違えず、そそくさと去って行った。」

『あぁそうか、そいつは上手く逃がしやがった』

2007年07月17日

家族のだんらん

■手相を見る

手相を見ることを趣味していた頃があった。(今は勉強不足でやっていない)
ついたてを立て、真ん中に穴を開けて、出した手だけを見て手相を見る。
純粋に頭脳線や感情線、生命線といった手の相だけを見て、相手の"相"を占うのである。
なぜ"ついたて"か…相手の顔を見て、会話を交わした後手相を見ると、相手の面相、表情、言葉づかい、年齢など、様々な観念が、 判断の中に入り込んでくる。
見た目の主観が入り込んできて、正しく手相が見られなくなるのです。

更に、手の大きさ、手のひらと指の長さのバランス、指の太さ・柔らかさ、皮膚の色、爪の状態などから、男か女か、 美人かスポーツマンか、労働者かホワイトカラーか、おおよその年齢まで言い当て、大まかな職種を占い、健康状態を占う。
労働者の手は硬く筋肉質。ゴルフをやっていれば、手の平や指にタコがあり、ペンダコは物書きをしている証し。


【心と体の健康情報 - 302】
~子育て心理学~
「家族のだんらん」

暖かい家庭を作り、子どもと過ごすことよりも、今の生活と収入を守るために、外に働きに出ることが優先される世の中…。
家庭での子どものしつけをおろそかにして、子ども達の将来があるのでしょうか?

前号 「新入社員研修での食事風景」を読まれて、「あなたは、どうすれば良いと思われますか?」。その方法は?
…真剣に考えなければならない問題です。

以下、九州戸畑/明治学園・鶴野篤子校長先生の、「お母さんの出番ですよ」は、その答えを私たちに示しています…。

■家族のだんらん

今の家庭で一番求められるのは「家族のだんらん」でしょう。
だんらんの要になるのが「家族揃って食卓を囲む」こと…。
テレビのホームドラマでは、和やかな朝食・夕食シーンが、当たり前のように演じられているというのに…。

ところが、現実はどの家庭でも、朝食も夕食も、理解が得られなければ、家族が揃うということは、難しいことなのです。
朝食抜きで、ギリギリまで寝ている子供たち。
お母さんも、それをよいことに朝寝坊…。

夕食を一緒にと思っても、お父さんは仕事、子供たちは塾。
帰宅時間は皆バラバラ。
家族全員協力して、新しい家族文化を作っていこうとする熱意がなければ、 とても実現できそうにない。思いつきで終わってしまうのです。

家族が揃って食卓を囲むことに意義があるのです。
お父さん、お母さん、本気で取りかからないと成功しません。
「家族のだんらん」が復活すれば、理想とする「家族文化」が復活するのです。

その中心的役割を担うのがお父さん。
お父さんの家長としての言動にかかっているのです。
それにお母さんの、暖かく心のこもった手料理、なごやかな会話が、家族だんらんを楽しく意味のあるものにするのです。

気になるのは、「料理や食べ方を誰から学んだか」の問いに、9割が"母親"と答え、父親は5割だった。
食べ方はしつけに通じるのに…父親の影が薄い。

私は子どもの頃、「ひじをついて食べるな」「迷いばしをするな」「一粒のご飯も粗末にするな」「好き嫌いはダメ」など、 家族が全員そろった食事時に、しつけるのは父親だった。
何度となく同じことを言われた。それが今になって生きている…。

■挨拶

家族だんらんで、大切にしなければならないのが、家族の間に交わされる「挨拶」。
今の子供は挨拶を知らない。
家族の中で挨拶が出来ていないから、外でも挨拶しません。
「おはようございます」がきちんと言えるかどうか?
「いただきます」「ごちそうさま」が言えるだろうか?

食事の後、背中から「行ってきま~す」。
きちんと顔を合わせて挨拶することがない。
それに対するお母さんも、「行ってらっしゃい」と挨拶を返すが、台所で背中を向けたまま。
きちんとした挨拶を家庭で習慣化させるには、まず夫婦から。
子供がまだ小さなころに習慣化すれば、何でもないことです。

■議論

次に、「家族だんらん」で意外と難しいのが、親子の会話。
家族が「議論」を戦わす環境を作っていくことです。
子供たち、小学校の高学年の頃から、親子の会話を発展させ、議論を楽しむ環境を作り、習慣化していきます。
夫婦や親子の間の壁がなくなり、コミュニケーションがとれる、素敵な家族になります。
家族だんらんのない家庭では、親子が意思を通じ合う機会がない。
たまに議論すると、議論がお説教になり、口論になって、喧嘩別れになってしまいます。
子供たちが成人した後の円滑な人間関係は、こうした普段の家族のあり方から始まるのです。

2007年07月20日

輸入大国日本。食べるものがなくなる?

■「食料自給率」が低下する一方の日本

農家の高齢化・後継者不足から、農業の危機が叫ばれて十年以上になる。
日本の食料自給率が40%を切ったというのに、危機意識がまったくない。
仮に、外国からの食料輸入が途絶えたら、一億総飢餓に追い込まれるだろう。

ところが、イソップ物語の「蟻とキリギリス」のように、食糧難の時代が訪れるかもしれないのに、美食・飽食に慣れ、 食べ物を粗末にしていても、何とも思わない…。
このまま農家の高齢化が進むと、「人手に頼らざるを得ない山村僻地…十年後には耕作する者もなく、村は荒れ果ててしまう」と、 専門家は警告する。
今後更に農家の担い手が減って、食料自給率は低下していくだろう。

将来の食料危機に備え、「家庭菜園」を始めようかと思っている。
本当は、そんな大げさなことではなく、鍬を持って土をいじり、身体を動かし、足腰を鍛えて、運動不足を補おう…というのが目的。



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 183】
「輸入大国の日本。食べるものがなくなる…?」

去年から今年にかけて、穀物や水産物を輸出する国は、あれこれ条件を付けて、自国へ利益誘導する動きが目立ってきた。そして、 日本に無理な条件を押しつけてくる。
万が一、穀物の輸入が滞るようだと、餓死者が出ている北朝鮮のように、憂慮すべき状態に陥る…。

以下、最近のニュース報道から…

■6月11日、EUでは、ヨーロッパウナギの稚魚の漁獲量を、2013年までに60%減少
 させると発表。稚魚は中国に輸出され、養殖されてかば焼きに加工され、日本に輸出
 される。
 世界の50%を消費する日本。
 いずれれカニのように、庶民の食卓から消えていくだろう…。

■トウモロコシの市場価格が1.5倍になったと、牛を飼育する酪農家が嘆いている。
 今、注目のバイオガソリン、エタノールの原料用にまわされるため…。
 トウモロコシが原料のキューピーマヨネーズも、この6月、17年ぶりに値上した。

■日本に"割り箸"を輸出する中国。
 森林資源保護を理由に、突然輸出制限を通告してきた。
 日本が一年に消費する割り箸はおよそ250億膳。97%が中国からの輸入…。

■昨年11月、"黒マグロ"を段階的に漁獲制限することが決まった。
 現在3万2千 トンの漁獲量、2010年には20%減の、2万5千5百トンに減らされる。
 世界の日本食・魚食ブームのあおりで、日本国内の水産物価格は上昇の一途。
 マグロは前年比47%高、カツオに至っては、72%も値上がりした。

■ロシア政府はこの七月から、日本向けの針葉樹丸太の輸出関税を、現行の6.5%から
 20%に引き上げ、来年4月に25%、09年1月には80%にすると発表。
 実質的輸出禁止措置を取ろうとしている。

 背景には、中国・インドの木材需要の急増、環境保護のため、東南アジアでの天然木の
 伐採制限などがある。
 丸太の市場価格は急上昇。県産材に切り替えるハウスメーカーや、代替品で生産能力を
 維持しようとする建材メーカーなど、各社対応に追われている。
 コスト上昇分を製品価格に転嫁せざるを得ず、木造住宅の坪単価への影響は避けられ
 ない。

6/3 北国新聞

 「限りある資源の保全」を大義名分に、輸出国は原料を素材のまま輸出することを止め、
 製品に加工して付加価値を高め、外貨を獲得しようとする。

■5月末、"生きた蟹の輸出を禁止"すると、突然ロシア政府が日本へ通告してきたのも
 そう…。
 十年ほど前カナダが、水揚げしたタラをそのまま、日本へ洋上で売り渡すことを禁止した
 措置と同じ。
 "たらこ"に高い付加価値があるからです。

現在、世界で広範囲に漁獲量制限が実施されている。クジラ、ニシン、サケ、エビなどの水産資源が、 危険な水準に落ち込んだというのが、その理由。
巨大な人口を抱える、中国やインドの生活水準が向上していくのに伴い、世界の穀物の需給バランスに"黄色"信号が灯り始めている。

2007年07月24日

食生活と健康

■「長寿国日本」が昔話になる…?

石川県はお米が美味しい。お魚や漬物も美味しい。
これさえ食べていればもう何もいらないという人もいるが、私たちの健康は、20~30年前の食習慣が、今の健康につながっているのです。

日本のお年寄りの方の平均寿命が伸びて長生きなのは、若い頃に、麦三分のご飯に味噌汁、煮魚、漬物といった、 純和食の質素な食事をしていたことが、大きく影響している。
それに引き換え、戦後生まれの若い世代は、焼肉、ハンバーグといった、肉類中心の西欧料理を好んで食べてきた。その世代が今、 何らかの生活習慣病に悩まされている…。
昨年、日本人の平均寿命が初めて下降した。
男性の平均寿命が世界第二位と、一位の座を明け渡した。
今後は、今までのように長寿国を誇れなくなるだろう…。


【心と体の健康情報 - 303】
~子育て心理学~
「食生活と健康」

「早寝、早起き、朝ごはん」は、子育て・しつけには、大変大切なことです。
その大切さが…今更のように、声高に叫ばれている。
私は早寝早起きタイプ。夜は10時前に寝て、朝は5時前に起きる。
50歳を過ぎた頃からずっと…その生活習慣は変わらない。

""という漢字は「十」「日」 「十」「月」からなる。
これを並べ換えれば「十月十日」 になる。
新しい生命が母親の胎内に宿ってから、この世に生まれてくるまでの日数のことです。
つまり「朝」は、"誕生"を意味する言葉なのです。

今は、どの家庭も夫婦共働きは当たり前。
必然的に帰りが遅くなり、夕食も遅くなる。
夜は12時過ぎまで起きていて、朝は出勤間際まで寝ている…。
朝食を作らない家庭が多くなった。
「忙しくて…」とか「夜更かしで朝食を作るのが面倒で…」とか、言い訳に事欠かない。

そんな家庭環境で育った子ども達。
大人になって、朝食は滅多に作らず、食べたくなったら…お腹が空いたら…食べたい物を口に入れる。そんな生活が当たり前になってくる。
夜食を作るのが面倒と、出来あいのおかずを買ってきて、食卓に並べるようになる。
家庭環境が食育に影響し、子どもの将来に影響する。

食べ物は生命の源。
食事を抜いたり、野菜が不足したりして、偏食が長く続くと、栄養素やビタミン・ミネラルの摂取が減り、栄養バランスが崩れていく。

食事は大方お母さんが切り盛りしている。
農林中央金庫がまとめた子どもの食習慣調査によると、小中学生の好きな夕食はハンバーグとカレー。
オムレツ、カレーライス、サンドイッチ、焼きそば、スパゲティ、目玉焼き…。
子どもの好きな食べ物です。
頭文字から「オカアサンヤスメ」になる。もう一品、ハンバーグを加えなければならない。
そのほとんどが母親の手作りだった。「スーパーで買ってきた…」との回答は少なく、おふくろの味はいまだ健在なのです。

「どんなものを食べているか言ってみなさい。
         君がどんな人間か言い当ててみせよう」。

洋菓子の名前にもなった、フランスの食通サバランの名句で、食べ方を見れば、どんな育ち方をしたのかわかる。
食事の作法を守って、おいしそうに食べる人からは、家庭の良さ、育ちの良さが漂ってくる。

世のお父さん…家族揃って食事をして、もっと身近に子どもと接しよう。しつけに関わろう…そして、家族文化を構築しよう。
子どもの将来を考えるとき、私の世代の父親がそうであったように、子どもの教育一切を妻に押し付けて、家庭を省みないといった愚は、 改めなければならない。

2007年07月27日

私の戦争体験

B29の東京空襲は100回を超えた。
最も被害が大きかったのは、昭和20年3月9日の夜半から未明にかけて…
この空襲で投下された通常爆弾はたったの6個だったのに、焼夷弾は、45キロ級が8,545個、2.8キロ級が180,350個、エレクトロン焼夷弾は1.7キロ級が740個もの数に及んだ。
計189,635個の焼夷弾が、真夜中の東京に降り注がれ、打ち上げ花火のように炸裂した。


日本の市街地は木造家屋が密集し、道路も狭い。
飛来したB29の編隊は、市街地を外から内へ、包み込むようにして焼夷弾を投下していった。
罪のない市民、非戦闘員の老人や女性、子ども達は、逃げ場を失い、折り重なって焼け死んだ。


市民の多くは家族や家を失い、東京は焦土となった。
空襲で焼失した家屋は、全国で230万戸に及んだ。
もし日本がこの戦争で勝利していたら、2個の原爆投下と合わせて、米国が戦争犯罪の責めを負わなければならなかっただろう。


先月米国議会において、「日本政府は、従軍慰安婦問題で謝罪すべし」と委員会採決され、議会に上程されることになったが、米軍の無差別爆撃は、比べようもない大きな戦争犯罪です。





【吉村外喜雄のなんだかんだ - 184】
~歴史から学ぶ~  「私の戦争体験」


ざ・ぼんぢわーく工房/第29集を書かれた、村尾靖子さんの「出会いふれ合い巡り合い」の中から、戦争体験のところです。


私は昭和19年5月、山口県の宇部で生まれた。
宇部は当時工業都市だったため、翌20年、終戦近くになって、何回も空襲に見舞われることになりました。
7月1日未明の空襲は最も激しく、空襲警報の後、母は1才2ヶ月の私を背負い、3歳になる姉の手を引いて、郊外へ逃げました。


油性の焼夷弾がどんどん落ちてきて炸裂する中を、必死に逃げ回った。
田んぼの畦と畦の間に母は身を隠し、持ってきた夏蒲団をかぶって、空襲が終わるまで身を潜めていたのです。
母は気が動転していたのでしょう。姉は母のお腹の下におりましたが、背中におぶっている私を、お腹の方に回しておかなければ…というところまで、気が回らなかったのです。
隣にいた人が、燃えている布団をパッと剥いで、「ああ~背中のお子さんが燃えている…」。母は慌てて背中の子どもを降ろして見たら、着ているものは焼け、母の両手にベットリ、子どもの焼けた皮膚がくっつく…大火傷を負っていたのです。
お医者さんに見せると、「お母さんお気の毒ですが、こんな小さな子が、これだけの火傷を負っては、もう助かりません。直ぐに息を引き取ると思うので、お母さん、しっかり胸に抱いて、この子をあの世に送ってあげてください…」


農家の軒下を借りて過ごすわけですが、赤ん坊に水を飲ませようとしても飲まないし、お乳を含む元気もない…」。
母はどれだけ後悔したかわからないと言います。
気を取り直し、どんな体になっても、この子を助けようと思ったそうです。
その後の母は、生涯後悔して生きておりました。


私は、大火傷で助からないと言われたのに、助かり、火傷を負わなかった2歳年上の姉は、疎開先で風邪をこじらせ、当時良い薬もなく、死んでしまいました。
火傷で、右の足の膝の後ろが、下の皮と上の皮がベッタリくっついて、ケロイドができて、指が突っ込めるくらい穴が開いていた。
小学校の頃、男の子たちから毎日のようにいじめられた。
私は記憶にないのですが、いじめた男の子たちは、私の母に呼び出されたそうです。


何人かの子どもは、「うちの子をいじめて!」と叱られると思って、覚悟して家に行ったそうです。
すると、自分たちが食べたことが無いようなバラ寿司だとか、お肉の焼いたのとか、戦後の田舎では滅多に口に入らないご馳走が並んでいて、クッキーか何かデザートまで、手作りで用意してあったそうです。


「お友達なんでしょう。いつもお世話になってありがとう。これからも靖子と仲良くしてね。さあ食べなさい…」と、ニコニコして優しく言われて、喉を通らなかったそうです。
母は、いじめていた友達に"仲良くして欲しい"と、言葉ではなく、こんな方法でお願いしたのだと思います。

2007年07月31日

親は人生最初の教師

■「天国行きの郵便ポスト」

ある男性…、
「父親に言えないことがあったが、亡くなってしまった」と、相談に来た。
相談を受けた人が、「お父さんに手紙を書いてはどうか」と助言した。
「今更亡くなった親父に手紙を書いたところで…」と、男性は渋った。
それなら「実家に出してみては」と。
実家には、一人住まいの年老いた母がいた。
母は、息子から亡くなったお父さん宛のハガキを、お仏壇の前で読んだ。

いつしかハガキが、息子さんから毎日届くようになった。
母は、このハガキを読むのを、生き甲斐にするようになった。
そして、息子さんから心のわだかまりが消えていった。

とある仏壇屋さん、これはいい話を聞いたと、
「天国行き郵便ポスト」を作り、お仏壇の横に置いてみた。
話は広まり、このポストに救われる人が、沢山出るようになった。

修養団 武田数宏先生の講演から


【心と体の健康情報 - 304】
~子育て心理学~
「親は人生最初の教師」

「親は人生最初の教師」である。幼児期の教育は"模倣"に始まる。
ゆえに親は模範を示さなければならない。
それを古来「親は子の鏡」と言い、後に成人して「子は親の鏡」となり、何もかも親にそっくりの、コピーしたような息子や娘が育つのです。
我が子を立派に育てたいと思うなら、親自らが立派な人間になろうと、日々成長し続けなければならない。 親であることの自覚と心構えがなければならない…。
そう言う私は、子どもが成人してしまった今頃になって、論語を学んだりしている…
手遅れもいいところです…。

商業会北陸ゼミナール石川大会石川県羽咋出身の映画監督、故竹本幸之祐先生の「てんびんの詩」。何度鑑賞しても、 涙が溢れるのを抑えきれない…名作です。

この8月28日、3年に一度の「商業界北陸ゼミナール石川大会」 が、和倉温泉加賀屋「あえの風」で開催される。

そのプログラムの表紙に、「てんびんの詩」の主人公、大作少年を大きく取り上げた。
物語の始まりから終わりまで、子どもをしつけていくために教訓となる、心にしみる言葉が随所に語られている。


「働く人の喜びや、しんどさがわからんようでは、 人の上に立てやしまへんえ…。
人に出会うて、ご挨拶も出けんで、商人(あきんど)になれますか!」
「商人は、自分を恥ずかしめるようなことをしてはいけません。頼みます、
お願いします…て、頭下げたかて、売れるもんやおまへんえ…」

祖母

「代々、分をわきまえることを大事にしてきました…。
儲けの少ないときは始末をして、極力、出を抑えることや。
ご先祖が、梅干や塩をなめてしのいできたさかいに、今日があるのです」
「子は今、親離れするための行をしとるとこや…。
母親だけが辛いのではない、子の修行は親の修行でもある。
大作も、それくらいの苦しさを乗り越えれんようでは、跡取りにはなれしません。
苦しさを乗り越えんと、一人前の人間には、ようならん…」

「あせったらあかん! 一度決めたら最後までやり通すことや…。
途中で投げたら、後悔することになるえ…」

「商いは、天秤棒といっしょや…、 どっちが重とうてもうまく担がれん…
お客と売り手の心が一つになったとき、初めて商いが成り立つんや…」

「うまいこと売ろう思うたかて、あきしまへん!
一生懸命生きている姿を知ってもらうしか、あらしまへん…。
正直な子やな…優しい子やな…信頼できる人間やな…役に立つ人やな…
と思わはるさかい、商いがでけるんや…」

叔母

「親戚に頼ったり、家柄でモノを売ろうとするさかい、 売れしまへんのや。
自分の商いをせなあきません。
誰の力も頼らんと、自分の知恵と努力と人柄で、商いをすることや…」
「お前は自分のために鍋ぶた売ろうとしとるやろ…。
自分の都合ばかり考えとらんと、人のために商いをすることや…」

ようやく売れた。物が売れた喜びと、見ず知らずのお客様が、私を抱きしめて泣いてくれた感動が一緒になって… 商人ほど素晴らしもんはないと思うた。
「売るもんと、買うもんの心が通わなんだら、モノが売れんのや」
ということが…痛いほど身にしみました。

鍋ぶたを売りに出る最初の日、「何でこんなもん売らんならんのや…」と言う私に、父が「売れたら分かる」と言うた意味。
売れてみて初めて「これが言いたかったんや…」と、ようやく分かったのです。

私の娘、社会人になって直ぐ、「新入社員飛び込み研修」を体験した。
親戚も知人もいない名古屋で、営業も何も知らないまま、一軒一軒飛び込み実習の日々。
断られ、足を棒にして歩く…大作少年のように、6月中旬になってようやく売れた。

売ろうと焦るほどに、売れない日々。
ある日、売ることは二の次…出会った人と心を通わせるようにしようと、考えを切り替えてから、気持ちが楽になり、 毎日の飛び込みが苦痛でなくなった。

次は、買っていただいたお客様の中から、代理店を募集しなければならない。
目標は10ポイント。
買っていただいたお客様と、より以上心が通じなければ、達成不可能な目標だ。
何とか目標をクリアーし、正社員になったのは、飛び込み開始4ケ月後の8月中旬でした。
途中何度もリタイヤしそうになり、母親に、泣いて電話をかけてきたこともあった。
意地を貫き、何とか研修を終えることができた。
新入社員120人の内、3人に1人が目標をクリアーできずに辞めていった。

あの時の苦しかった体験が、様々な気づきを貰い、経験となり、自信となって、社会人の第一歩を踏み出すことが出来たのです。
そして今、娘の心の支えになっている…。

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