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加賀百万石参勤交代

■ナスカ文明と地上絵

世界遺産「ナスカ文明と地上絵」の展覧会に出かけた。
ペルーの砂漠地帯800平方キロの広さにわたって描かれた、ナスカの地上絵。
一体誰が、何故、何のために描いてきたのか?
その謎に迫るナスカの文明に肌で触れる機会を得たのです。

会場一杯に展示された彩色土器や装飾品。2500年前のナスカ人の実物ミイラが展示され、最新医療技術を駆使して、 明らかになったミイラの謎を解き明かす。
研究の結果、縄文時代の日本人に大変近い民族であることが判明した。
更に、ナスカ地上絵を、セスナから見下ろして見ているような、バーチャル体験が楽しい。

6月24日まで、石川県立美術館で開催中。
ペルーの博物館でしか見られなかった「ナスカの文明」の出土品に、肌で触れることが出来る又とない機会です。

長さ90メートルのハチドリ
ナスカの織物



【吉村外喜雄のなんだかんだ - 176】
~歴史から学ぶ~
「加賀百万石参勤交代」

百万石行列入城

今日と明日の二日間は「百万石まつり」です。
今年も「下に~下に」の声とともに、奴さんが槍を宙に踊らせ、見事なパフォーマンスで百万石行列、参勤交代が金沢市の繁華街を練り歩く。
香林坊に生まれ育った私は、入り江の現在の場所に引っ越してくるまで、毎年、自宅の2階から行列を眺めていた。

実際の歴史を振り返ると、参勤交代の行列で「下に~」の掛け声が許されたのは、尾張・紀州・水戸の御三家だけという。
外様の加賀藩は雑然と歩き、きちんと行列を組んだのは、宿場に入る時と、出る時だけ…の見せかけだったのです。

参勤交代の表向きの目的は、江戸の防衛だが、本当の目的は、大名を肥やさないことにある。
大名は石高に応じて、家臣団を連れていかなければならない。
前田藩は加賀百万石。騎馬武者20騎、足軽130人、中間・小者130人と決められていた。それに家臣の従者が加わり、 行列は四千人に膨れ上がった。
この集団が武器を携え、風呂桶から炊事道具まで担ぎ、江戸まで延々120里(480キロ)の道のりを、12~14泊かけて歩く。

当然、想像を超える莫大な出費となる。行列は、金沢-富山-高崎の北国道を通ったが、江戸までに、 橋が架かっていない川が38ヶ所もあって、そのたびに川越人足を雇う。難所は善光寺南の大河犀川で、四千人が馬、駕籠ともに渡河して、 そこだけで60両(一両は3万円、約1800万円)かかったという。

大雨で川止めにでもなれば大変。たちまちスケジュールが狂い、先々予約した旅籠に違約金を払わなければならない。このほか宿泊費、 飲食代、幕府要人への土産、通過する他国領主への贈答品、家来への手当て、人足代など、文化5年(1808年)の参勤交代では、 江戸での滞在費を含め、二千両(約6億円)かかったと記録にある。

殿様は、14人で担ぐ豪華な駕籠に乗るが、乗り心地は最悪。長崎のオランダ商務館にいたシーボルト、江戸まで駕籠の旅をしたとき、 足がしびれ、腰が抜けて、まるで拷問台のようだったという。当然、病人・死人が続出した。
日頃、軟弱な生活を送っている殿様には、参勤交代は極めて過酷な旅といえる。

藩主の妻子は江戸暮らし。江戸藩邸の維持費は、藩政を圧迫する。
お供の武士も、江戸詰めは辛いものだった。花のお江戸の生活は刺激的だが、物価は高いし、交際費もかさむ。いずれの家計も火の車だった… 。

ほうじん「江戸の台所事情」から

権力の頂点に立ち、優雅な暮らしで何でも思うまま、幸せそうに見える大名でも、それは表向きのこと。内情を知れば、 それ相応に苦労が付きまとい、問題や悩みを抱えているのです。

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