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学校に行きたくない

吉村外喜雄です。

吉村博士が発掘したミイラマスク

エジプトで、40年間古代遺跡の発掘を続けてきたことで知られる、吉村作治博士。(サイバー大学学長)


小学校3年の頃、運動能力が劣っているといじめられて、いつも図書室で一人本を読んでいた。
そんなおとなしい、いじめられっ子だったのです。



【心と体の健康情報 - 289】
~子育て心理学~  「学校に行きたくない」

ざ・ぼんぢわーく工房/第29集は、村尾靖子さんの「出会いふれ合い巡り合い」。その中から、不登校体験のところを抜粋しました。

小学校2年の時のことです。私はしょっちゅう、いじめられていました。
その日は、男の子に喧嘩では勝ったのですが、男の子は負けた悔しさで、私に「お前の足は気持ち悪い、学校に来るな」と、 しつこく言ったのです。

懸命に我慢して家に帰って、母の優しい顔を見たら、涙がわぁ~っと溢れてきました。
しばらく母にすがって泣いていたと思います。
母は私の顔を覗き 込んで、いつもいつも「私が火傷をさせてしまって申し訳ない」という母に、「火傷があるからいじめられたのよ」とは、 言えませんでした。

次の日目が覚めたら、"学校へ行きたくない"と、初めて思いました。
玄関を一歩も出られなかったのです。その日、お腹が痛いか、頭が痛いか忘れましたけれど、嘘をついて学校を休みました。
普通のお母さんなら、「学校に行きなさい。仮病でしょう!」と言うのでしょうが、仮病は承知で、「そんなに具合が悪いのだったら、 寝てなさい」と母は言った。

その日は「しめしめ」と思って、一日寝ていました。仮病をつかって休んだのですから、ご飯を二杯食べたくても、 一杯でやめなければなりません。
退屈して"次の日は学校に行くぞ"と決意して寝るんですが、次の日の朝になると、
みんな、私が仮病で休んだことを見抜いているに違いないと思い、余計に行きづらくなり、3日が経ち、5日が経ち、 だんだん学校に行くきっかけをなくし、ずるずると休み続けました。

何日か経った日、先生がやって来ました。
私に会う前に、庭先で母と長い間、何かを話していました。
先生が来られて、
「靖子ちゃん、すごく面白い本が手に入ったのよ。先生が明日から皆に読んであげようと思うから、その本を読む時だけお母さんと一緒に、 教室の入り口までいらっしゃい…」

母に連れられて教室に着くと、入り口の扉が半分くらい開けてありました。
母の後ろに隠れて、みんなと目を合わさないようにしていると、先生が「靖子ちゃん、丁度いいところに来たわね、先生が本を読むから、 聞いて帰ってね」

先生は「丁度いいところに来たわね」と、声をかけてくださったのです。
母と打ち合わせ済みなのに、知らん顔して声をかけてくれたのです。 素敵な先生でした。
千一夜物語でした。アラビアンナイトの王子様とお姫様のお話で、ドキドキするところで、先生、「ハイ、今日はここまで、 この続きを聞きにまた明日も来るのよ」と声を掛けてくださるのです。

そうやって3日か4日経った頃、先生が「教室の入り口まで入ってみない?外よりもよく聞こえるわよ。」
気持ちがほぐれ始めていましたから、入ってみようかという気になり、入口まで入ることができました。

こうして、だいぶ教室に慣れてきた頃、「先生は今日、風邪をひいて大きな声が出ないから、 靖子ちゃん自分の席に座って聞いてくれる?」
言われるまま席に座って、一生懸命聞きました。
そして、さあ帰ろうと思い、後を振り返ると、母の姿はありませんでした。

先生と母の打ち合わせがあったようです。
それからの私は、学校は楽しいところと思えるようになりました…。

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